マイケル文化財ぶっ壊す
某日。昼下がり。
E塔裏の部室。マイケルがスマホを全員に向け、興奮気味に画面を突きつけた。
「見テ見テ!! この走り屋ビデオ!! カッコイイ!!」
加賀が、淹れたてのコーヒー缶を片手に画面を覗き込む。
「……なんだよ今度は。ドリフト動画か?」
「ノー! ルームミラーにお守りぶら下げて走ってる!! 日本の走り屋、スピリチュアルデス!!」
「いや、それただの交通安全祈願じゃん」
準が呆れたようにツッコミを入れるが、マイケルの目は本気だった。
「オマモリ、パワーあるヨ!! ワタシも買イニ行ク!!」
「おいマジで行くのか」と細田。
マイケルは迷うことなく立ち上がった。
「Of courseデス!! 信仰はトラクションを上げマス!!!」
「上げません!!!!」
翌日。マイケル・タナーはレガシィGT-Bに乗り、単独で出発した。目的地、霧ヶ崎神社。この時、誰も彼を止めなかった。
(止めればよかったと、後に全員が深く後悔することになる。)
霧ヶ崎神社の駐車場。平日の午前中。参拝客はまばらだった。神社の空気は、埃っぽい大学のキャンパスとは明らかに違った。古い樹木の匂い。砂利を踏みしめる音。遠くの山々で風が鳴っている。
マイケルはレガシィを駐車しようとした。バックで。
「ブレーキ……アクセル……えーと……ここ、広いから余裕デス……」
ブォォォォォォンッ!!
重低音が境内に響き渡ると同時に、背後で何かが砕ける音がした。白い粉塵が、冬の冷たい空気の中に舞い上がった。「霧ヶ崎之守護神、鎮座之碑」と刻まれていた由緒正しき石碑が、レガシィの頑丈なリアバンパーの下で、無惨にも三つに割れていた。
砂煙が、ゆっくりと晴れていく。運転席から降りてきたマイケルが、口をあんぐりと開けた。
「……オーマイガ」
静寂。風の音。砂利の上に散らばる石碑の破片。そのとき。
霧が、不自然に揺れた。石碑のあった場所から、白い靄が立ち上って、ゆっくりと、しなやかな人の形をとっていった。
銀色の長い髪。ぴくりと動く狐の耳。一点の曇りもない白い和装。背筋の伸びた、凛とした少女の姿。閉じられていた瞳が、ゆっくりと開いた。
「……長き封より、我が眠りを覚ますとは。何奴だ」
声は低く、静かだった。だが、その一言で空気が一変した。神社全体の気温が、物理的に一段階下がったような感覚。少女が立ち上がった。
「数百年ぶりの、外気か……」
少女は眩しそうに目を細めて、冬の空を見上げた。
マイケルが、呆然としながらも一歩前に出た。
「……ヤバイ。コスプレイヤー?」
少女の鋭い視線が、マイケルに突き刺さった。
「否。我は、霧ヶ崎の守」
間があった。
「名を、狭霧と申す」
マイケルが両手で自分の顔を挟んで叫んだ。
「フォックスガール!! リアル!!! Holy Sh*t!!!!」
その声に、少女の狐耳がぴくりと、不快そうに動いた。
「此度、封ぜられし数百年の眠りより覚めたり。貴殿、名は?」
「マイケル・タナー! 理学部! 走り屋!!」
「……理学? さては呪文の類か?」
「ノー! Science!! 科学デス!!」
狭霧が少し考え込んだ。
「……理を学ぶ者。なるほど、陰陽師のようなものか」
「そして、汝、封を解きし業、軽くはないぞ。この石碑、どうするつもりだ」
「ソーリー! でも! 本物の神様が出た!! スゲェ!!!」
「……"スゲェ"とは何だ。どこの言葉だ」
「Amazing!! Wonderful!! 信仰の力!!!」
狭霧が無言でマイケルを見つめた。沈黙の3秒後。
「……そなた、まこと愚かにして清らかなり。呆れて言葉も出ぬ」
「アリガトウゴザイマス!!!」
「褒めてはいない」
「エッ!!!」
翌日、マイケルがいつもの勢いでE塔裏の部室のドアを開けた。その後ろに、狭霧が静かに立っていた。
白い和装。銀髪と狐耳。そして、徹頭徹尾の無表情。加賀が、コーヒー缶を口に運ぼうとした姿勢のまま固まった。
「…………え、え? なにこれ、特撮?」
「き、狐耳……っ。本物……本物のケモ……っ」
準の目つきが変わった。
「幻覚か? 俺、昨日の徹夜でついに脳がイカれたか?」と細田。
「いやリアルだ。ほら、耳の毛が風でちゃんと動いてる」と雅紀。
奥から出てきた舞花が、深くため息をついた。
「……またマイケルが、面倒なもん拾ってきたわね」
狭霧が部室の中を、好奇心に満ちた目で見渡した。
「此処が、大学か。……俗世の匂いがする。それも、ひどく煤けた匂いだ」
「オイルとガスケット剤の匂いです。あ、これ、ショップのステッカーです」と加賀が反射的に説明する。
「……なるほど。汝らは、この鉄の獣、機械と生きる者か」
「走り屋です」
「……走り屋」
狭霧がその言葉を、反芻するように静かに繰り返した。
「神速を求める者か。道理で、封を砕く者を引き寄せたわけだ。荒ぶる魂の集いというわけか」
影で見ていた阿部が、顔を赤くして小声で囁いた。
「(でも顔良すぎじゃね……? 完璧すぎでしょ……)」
安藤が腕を組み、悦に入った表情で言った。
「……歓迎しよう。異なる次元からの来訪者こそ、我が知性に新たな深みを与えるスパイスだ」
凛が横から、静かに、しかし殺意を込めて言った。
「……妖怪。消していい? 邪魔」
安藤が即答した。「文化財だ。やめろ」
狭霧の狐耳が、凛の方へぴくりと向いた。
「……"妖怪"。久しぶりに聞く言葉だ。我をそう呼ぶか」
「嫌いじゃないか?」と加賀が恐る恐る尋ねる。
「……狐は嘘をつくゆえ、人より正直なのだ。嫌いかどうかは、自分で決める。他人に決められることではない」
「哲学者じゃないか!!!」と安藤が感動の声を上げる。
「……詩人みたいなことを言うな。反吐が出る」と凛。
「お前が言うか!!!!」
翌週。何の間違いか、狭霧が文学部棟の和歌の授業に紛れ込んでいた。(マイケルが「教養、大事デス」と連れていったらしい。)
大宮先生が黒板に万葉集を板書している最中。教室の隅から、涼やかな声が響いた。
「――露しげき 埼玉の野に 風渡り 狐の恋は 現となりぬ」
狭霧が、静かに詠んだ。大宮先生が、チョークを持つ手を止めた。
「……なんと。なんと雅な歌だ……!! 現代の言葉を混ぜつつ、この調べ……これは、本物の歌人だ!!!」
教室が沸き立った。偶然その授業を受けていた準の椅子が、派手な音を立てた。
「俺……この子の歌、わかる……!! 魂が、ダイレクトに共鳴してる……!!」
「ケモナーセンサーが過負荷で反応したのか?」と細田。
「違う!!! 俺の中の野生が、震えたんだよ!!!」
「どっちでも同じでは?」と加賀。
「全然違う!!!!」
狭霧が、真っ直ぐに準の方を見た。
「……そなた、我が詩を感じ取るか」
「もちろんだ!!! あの……その……よかったら一緒に、詩の研究とか、その……!!」
狭霧が少し考え込んだ。耳が前後に揺れる。
「……よかろう。汝の眼、淀んでおらぬ。我が眷属として、傍に置くことを許す」
「!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
大宮先生が感動のあまり涙をぬぐいながら宣言した。
「"詩は魂と魂を繋ぐ架け橋"――諸君、今日の授業はこれ以上語ることはない。終わりだ!!!」
「まだ30分あります!!!!」
それからのE塔裏の日常。
「狭霧様ぁ〜!! 今日もその尊いモフモフを、ぜひ私めに!!!」
「……うむ。汝の心が鎮まるというならば、許そう。ただし、毛並みを乱すなよ」
準が至福の表情で、狭霧の狐耳を両手でもふもふしている。
加賀が遠い目でその光景を見ていた。「……完全に、忠実な犬と飼い主の構図だな」
「てか狐だから、本来は飼い主が逆なんじゃねーの?」と雅紀。
「ケモナーが本物のケモノに仕えるという究極の世界線。誰得なんだ、これ」と舞花。
マイケルが申し訳なさそうに言った。
「……オー、準。オレの責任、ゼロじゃナイ。お礼言ッテ……」
「お前が封印の石碑を粉砕したから100%この状況なんだよ!!!」と朱音が鋭く突っ込む。
狭霧が耳をもふもふされながら、目を細めて静かに言った。
「……準よ。汝の祈り、風に乗せてやろう」
準が顔を真っ赤にした。「……狭霧、それって、どういう意味……?」
「そなたの走りが、いつか本当の風になればよいと思っただけだ。他意はない」
それを見ていた凛が一言。「……バカバカしい。早く封印し直せ。石碑、接着剤でつくでしょ」
「させるか!!!!」と準が絶叫した。
夜。霧ヶ崎神社の境内。
満月が、森の木々と社殿を青白く照らし出していた。狭霧が石段に座って、静かに空を見上げていた。その隣に、準が少し距離を置いて座っていた。
「……久方ぶりの風だ。数百年経っても、夜の冷たさは変わらぬな」と狭霧。
「世界は、変わったか?」と準が尋ねる。
「……街の灯りは増えた。だが、この世は変われど、人の情けの形というものは、案外変わらぬものよ」
沈黙の間。
「狭霧」
「……なんだ」
「俺、本気で――その、お前のことが、好きかもしれない」
狭霧は、空を見上げたまま、すぐには答えなかった。しばらくの間、遠くで鳴く冬の虫の声だけが聞こえた。
「……そなたの瞳は、鏡のようだな。嘘を言わぬ」
「……うん」
「だが――」
狭霧のふさふさとした尾が、月明かりの中で銀色に輝き、静かに揺れた。
「我は霊。人の恋を、共に生きる者にあらず。時は止まっておるのだ」
準が、自分の膝の上で拳を握りしめた。
「それでもいい。お前がここにいる。お前の詩を、俺が聞く。それだけで、俺には十分すぎるくらいだ」
狭霧が、ようやく少しだけ空から視線を落とし、準を見た。
「……詩人め。無垢な魂ほど、厄介なものはないな」
「哲学者はあいつだよ。安藤ってやつ」
「……ふふ」
笑い声は、驚くほど小さかった。でも、風に乗って確かに準の耳に届いた。境内の老木が、祝福するように大きくざわめいた。
翌朝。E塔裏のグループLINEに、準から一件のメッセージ。
『狭霧が"走り屋"という言葉の、本当の意味を聞いてきた』
加賀がすぐに返信する。『なんて答えたんだ?』
準:『"速さそのものより、走ること、それ自体を愛してやまないバカな者たちだ"って言ったら、"それはもはや一つの詩だ"って言われた』
全員がスマホを見つめたまま、少しだけ沈黙した。
雅紀:『……なんか、悔しいけどかっこいいな』
マイケル:『ワタシが勢い余って封印ぶっ壊してホントに良かった!!!! 奇跡デス!!』
朱音:『黙れ。あとで石碑の修理見積もり出すからな』




