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エピローグ
それから、季節が二度巡った。
王子失踪の噂は、もう誰も口にしない。
あの日と同じように、薬屋には薬草の香りと魚を焼く匂いが満ちている。
クロは棚の上から私を見下ろし、時々、意味もなく瞬きをする。
私はそれを見返し、何も聞かない。
ただ、魚を皿に移し、棚の端まで持っていく。
「今日のは、いい匂いだな」
「腕が上がったのよ」
「そりゃなにより」
魚を頬張るクロを眺めながら、私はふと問いかけた。
「……これでよかったの?」
主語はない。
けれど、何を問いたいのか分かったのだろう。クロは琥珀色の目を細める。
「これが、よかったんだ」
それだけ。
クロはそれだけ言うと、また魚にかぶりつく。
「そう」
外では春の風が通り過ぎる。
変わらない日常の中で、時だけが穏やかに流れていった。