新月の夜
その晩は、月も星も、雲に覆われて見えなかった。
店を閉め、灯りを落とすと、外の闇と薬屋の中の闇がひと続きになったように感じられる。
クロはいつもの棚の上ではなく、床に降りて、奥の物置へ向かっていた。
その背を何気なく目で追ったとき、ふっと空気がきしんだ。
闇の中で、黒い毛並みがほどけるように形を変えていく。
そこに立っていたのは、背の高い青年だった。
乱れた金髪と、猫のままの琥珀色の瞳。表情も、あの生意気な口ぶりを思わせる。
「……見たな」
声まで同じだった。
問いは、喉の奥まで上ってきた。けれど、吐き出すことはなかった。
一週間のあいだ、何度もおかしいと思ったこと。
薬の効能を知っていたこと。妙に人間臭い仕草。
すべてがひとつに繋がって、今さら驚きもしなかった。
「寒くないの?」
それだけを口にすると、彼はほんの少し目を丸くし、それから小さく笑った。
「……あんた、変わってるな」
「猫に言われたくない」
それきり、互いに何も聞かなかった。
やがて彼は視線を逸らし、ふっと身をかがめる。
次の瞬間には、またあの黒い毛並みのクロがそこにいた。
私は寝床に戻った。
追及する理由も、しない理由も、特に考えなかった。
ただ、新月の夜の出来事が、明日の朝にはまた静かな日常に溶けることだけは、なぜか確信していた。