猫との日々
──二日目の朝。
目を覚ますと、妙な視線を感じた。
棚の上で、クロがじっと私を見下ろしている。濡れていた毛並みはすっかり乾き、目だけがやけに生き生きとしていた。
「やっと起きたか。腹が減った」
「……猫のくせに、朝の挨拶くらいは?」
「おはよう。魚ある?」
ため息をつきながら魚を焼くと、クロは尻尾をぴんと立て、音もなく棚から降りてきた。その足取りは、最初に抱き上げたときよりもずっと軽やかだ。
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三日目の昼。
薬草を刻んでいると、頭上から声が降ってきた。
「それ、胃に効くだろ。乾かすより煎じた方がいい」
「……誰に聞いたの?」
「猫に情報源なんてあると思うか?」
手元の動きが止まる。見上げると、クロは毛づくろいに夢中で、こちらの驚きなどまるで気にしていないようだった。
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四日目の夕方。
珍しく若い娘が薬を買いに来た。
クロはするりと足元を抜け、愛想よく鳴いて見せる。娘が笑みをこぼし、薬を手に帰っていくと、棚の上から低い声が落ちた。
「……ああいう目をした奴には気をつけろ」
「どういう意味?」
「猫の勘」
けれど、その瞳は冗談の色を欠片も含んでいなかった。
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五日目の午後、また雨が降った。
窓辺で外を見ていたクロは、背を丸めたまま動かない。
「何を見てるの?」
「……なにも」
そう言って背を向けた。その尻尾が、わずかに震えていたのを私は見逃さなかった。
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六日目の夜。
ふと目を覚ますと、枕元でクロが丸くなって眠っていた。
寝息に紛れて、かすかな声が聞こえる。
──人間の名前。
呼びかけることもできず、私はただ目を閉じた。
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七日目の朝。
クロは棚の上で欠伸をし、私が朝食を用意するのを当たり前のように待っている。
その光景が、もう薬屋の一部になっていることに気づいて、私は小さく笑った。
最初の夜に感じた、あの「遠くから帰ってきた人」のような気配は、今も薄くこの部屋に漂っている。