第8話「楽園/条件」
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転送が始まると、浮き上がった感覚に襲われた。
視界は下へ流れるようだったが、真っ白。
しばらくすると、視界の白色が薄くなっていき、転送先の風景が目に入った。
魔道具の灯りで赤く染められた部屋。
すぐにでも司祭との直接対決を覚悟していたが、良い意味で拍子抜けしてホッとした。
――しかし、すぐに異様な匂いに襲われた。
俺は鼻と口を押さえる。
強烈に鼻をつく甘い匂いがした。
香炉の煙が低く漂う。空気が重い。
それだけではなかった。
部屋をよく見ると、薄衣の女性が複数人。
ベッドや地面で寝ていた。
「いや、呆けているのか――」
異様な光景に固唾を呑んでいると、ベルトに促された。
「おそらく司祭の部屋です。早く出ましょう。この匂いはいけません……」
どこか苦しそうな表情だった。
正気を失い、呻いている女性たちを横目に、部屋を出る。
出た瞬間、戦闘を想定して構えたが、誰の姿も見えなかった。
ホッとして、意識を緩め、ベルトへと質問した。
「ここは地上で間違いないよな?」
ベルトは出てきた部屋のドアを確認した。
「……はい。司祭の部屋です。地上に戻れました」
俺は考えた。
地上には戻れた。
次にすべきはルミナを急いで探し出すべきか。それとも奪われた黄封を取り戻すべきか。
「娘さんを助け出しましょう」
まるで考えが伝わったかのようにベルトが答えた。
「入国証の保管場所は見当がつきます。娘さんの居場所もおそらく……」
ベルトの手が震えていた。
「いいのか? そこまで俺に協力して。もう、ここには戻れなくなるぞ」
ベルトがはっとした。
そして、力が抜けたように笑った。
「私は嘘をつくのが苦手でしてね。そう言ってもらえると助かります」
「……なんで白袖奉仕会なんかに協力する? お前なら異様なことぐらいわかるはずだろ?」
ベルトが首を振った。
「保証された環境、無償で提供される衣服や食事――それもまた真実なのです」
笑い合う信徒や子供たちの姿が頭によぎった。
「だとしたら、俺に協力すればその生活もなくなる。それでいいのか?」
「……理由は司祭の部屋ですよ」
自嘲するようにベルトは笑った。
「白袖奉仕会では婚姻は禁止されています。唯一許されているのは司祭だけです」
「おいおい、ていうと何だ? 男も女も年寄りなるまで、異性と交流することができないってことなのか?」
「違うんです! そこが巧妙なんです!」
一瞬の沈黙。そしてベルトは視線を逸らしながら、続きを語った。
「異性との交流に制限はありません。たとえ、司祭の妻であっても、本人の同意さえあれば何をしたって罰則はないのです」
胸の奥がざわついた。司祭の部屋で横たわる女性たちの姿が脳裏をよぎった。
「ここは楽園です。住まいも、食事も、秩序さえ守れば何をしても許されます。禁じられているのは所有することだけ」
笑顔で走り回っていた子供たち。
俺はてっきり、日中の保育施設か何かの光景だと思っていた。
しかし、実際は、あの子供たちすべてが――
「白袖奉仕会に所属する者の持ち物はすべて、司祭の所有物なのです」
この楽園は、持たない者だけが許される。
所有の唯一者――それが司祭。
思わず唾を飲み込む。たしかにここは楽園だ。
司祭のための楽園。
「部屋の女性たちを見て確信しました。カレンダもおそらく……」
深掘りする必要はなかった。これ以上は聞きたくもなかった。
「ルミナがいる部屋まで案内してくれ。お前の話が本当なら、変態じじいに何をされるかわかったもんじゃない」
ベルトは頷いた。
「きっと、第一妻の部屋です。地下をつぶしてまで欲しい女性。丁重に扱われているに違いない」
「――たのむ」
ベルトに先導され、その部屋へと向かった。
本来のルミナなら勝手に力が抵抗しているはずなのに、何かが起きたそぶりはなかった。
その理由が司祭にあるとしたら――生かしておくわけにはいかない。
たとえ、それが楽園の創造主であったとしても。
ベルトが指し示す部屋はすぐそこだった。
遠くで鐘が一度、試しに打たれた。
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