第6話「尋問/夜明け前の婚礼」
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司祭は、湿った空気とカビの匂いが張り付く通路を歩いていた。
先ほど地下へ落とした女が暴れ出したと報告があったからだ。
「なぜ女一人に懲戒部が手こずる?」
司祭は苛ついていた。地下のじっとりとした感覚が嫌いだったからだ。
これでもし大した問題でなかったなら、呼び出した奴に罰を与えなければならない。
そんなことを考えていると、戒律房の前へたどり着いた。
しかし、司祭が来たにも関わらずその扉は開かなかった。
「何をしている!? 早く開けんか!」
司祭は苛立ちを隠し切れなかった。
「お待ちください! 中から合図があるまでは司祭様に危害及ぶ恐れがあります」
司祭は息を漏らした。
「……一体何が起きたというのだ?」
白袖が首を振った。
「懲戒部の男二名が再起不能になりました。それ故下手に近づくこともできず……誘香隊が現在対応中でして……」
懲戒部。
過去に帝国兵やハンターだった実力者を中心に設立した部署。
帝国兵、騎士団、A級ハンターに引けをとらない実力者の集まりだ。
「懲戒部で再起不能者――たしかに緊急事態か。して、どのような技を使われたのだ?」
「それが……押さえつけようとすると、背中から――何と言いますか、光の翼のようなものが」
ガチャリ。ドアが開いた。
甘い香が微かに刺す。舌が痺れる類だ。
「――媚薬か。大丈夫なのか?」
「御心配なく。すでに終わりました。これはただの残り香です」
ドアの向こうから女の声がした。
司祭と側近が中へと入った。
部屋の奥、中央には人を固定する椅子。そこに女が座っていた。
その椅子の両脇を白袖の女が固め、椅子と向かい合うように立っている――誘香隊の女がフードを深くかぶり、こちらへと頭を下げた。
司祭は椅子に座る女へ近づいた。
瞳孔が開き、力なく口を開けて、涎を垂らしている。
「これが、報告にあった女か?」
司祭が聞くと、フードの女が答える。
「はい。どうにか落ち着かせることができました。他の信徒への被害を考え、多少荒療治になりましたが」
司祭は椅子の裏側へ回った。
「背中を見せろ」
白袖の女が椅子に座る女の服を脱がし、背中を見せる。
「危険では?」
側近が提言するが、司祭は手で制止した。
背中には紋が刻まれていた。
しかし、白金の線が呼吸に合わせて脈動し、すぐに色を失う。
司祭が手を出すと、側近が聖紋式録を渡した。
しばらく聖紋式録と背中の紋を見比べていた司祭だが、深い息とともに、側近に返した。
「新翼騎士団の視察はいつだったか?」
司祭が側近に聞いた。
「明日の朝です」
「ふむ」司祭が手で顎に触れ、何かを考える。そして、口元を歪ませ笑った。
「早朝までに、この者との婚礼の儀をおこなう。皆、急いで準備にかかれ」
その一言で周囲がざわついた。
「白袖奉仕会の信徒全員が参加だ。これは教令だ。詮索は許さん」
司祭の気迫に全員が動けなかった。
「何をしている! 準備にかからんか! すべての業務を停止し、明日の儀の準備へ今すぐ取り掛かるのだ! 夜明けの教令が出れば、司祭の裁量での婚礼は難しくなるぞ!」
パンと側近が強く手を叩く。
それが号令となって、各々が動き出した。
しばらくすると、戒律房には司祭と側近、フードをかぶった女、そして椅子で項垂れている女だけが残された。
「やはりこの女、人ではなく――」
側近の言葉に司祭が睨みつけた。
「――いえ、司祭様の奥方様は……」
「紋は消えかかってはいるが、間違いない。評議会から持ち出して正解だったな」
司祭は側近の持つ聖紋式録を一瞥した。
司祭は女の目の前まで歩き、うな垂れるその顎を上げ顔を向かい合う位置まで上げた。
「まさか記念すべき100人目の妻が、天使とはな。新翼騎士団がどんな顔をするか楽しみだ」
「本部が認めますでしょうか。司祭様が天上人になりますことを」
「認めざるを得ないだろう。なにせ、聖翼教会の正式な婚姻なのだ。これを否定してしまえば、教会そのものの権威が揺らぐ。やつらは帝国を諦めるよ」
「さすれば司祭様――いえ、新たな教皇の誕生になりますね」
「ふん――。評議会の老人どものような権力などどうでもいい。ただ私は――」
司祭は両手を上げて、天を仰いだ。
「私は人が幸福に生きる楽園を、帝国や国に囚われない――すべての人々に享受できれば、それでいい」
側近が深々と頭を下げた。
そして、頭を上げ、司祭へ進言した。
「片割れの男――奥方様の父親を名乗っていた男はどういたしましょう」
司祭は手を下ろし、後ろへ組む。
「処分しろ。どういう経緯で天使を拾ったかには興味はあるが、婚姻の邪魔にしかならん」
「了解いたしました」
側近が部屋を出て行った。
「お前はこの者を寝室へ連れて行け。第一妻の部屋にだ。今いるのは放り出して構わん」
フードの女は椅子の女を抱きかかえる。
「丁重に扱え。なにかあれば貴様の命程度では償えないぞ」
司祭は一人戒律房に残り声高らかに笑った。
「これで叶う――私の願い。この終わった世界の救済が、ついに!」
遠くからカツン、と何かが落ちる音が響いた。
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