第7話「教会の地下で」
白袖に案内されて地下へと降りていった。
石が敷き詰められた螺旋階段。ところどころに魔道具の灯りがともっている。肌寒さと湿気の匂いが鼻をつく。
石壁には浮き彫りが点在する。礼拝堂の天使とは対照的に、獣ばかりだ。
地上は天国、地下は地獄。まるで拷問の類を暗示しているようだった。
――まあ、そのときにはこいつらを操って外へ出るだけだ。
足元の影が揺らぐ。
10分ほど歩き続けてようやく地下奥まで行き着いた。
灯りが乏しく遠くまではよく見えないが、地下牢のような感覚に陥った。
遠くで、水が一滴落ちる音が聞こえた。
目の前には古びた木製の扉。
カビの匂いがきつい。
「奥へ入れ」
扉がギィと鳴った。
俺は押される形で部屋の中へと放り込まれた。
どんな劣悪な環境が待ち受けているのか、と覚悟して部屋の中を見る。
眩しい――。
暗い通路を歩いていたせいか、目が慣れない。
ゆっくりと瞼を開けると、
磨かれた木の床、机、椅子、本棚。天井には柔らかい色合いを放つ魔道具の灯り。
ここは、どう見ても居間。快適に生活できそうだ。
「え? どういうこと?」
白袖に聞こうと振り返ると、勢いよく扉を閉められた。
頭が混乱する。俺の不安はただの思い過ごしだったのだろうか。
「驚きましたか?」
男の声。
どうやら先客がいたようだ。
部屋の中には男女一人ずつ、計二人がいた。
椅子の男は、片手で酒樽を抱えていた。
机にはラベルの貼られたワイン瓶が置いてある。
「好きに飲んでください」
女のほうが声をかけてきた。
「ちょっと、予想と違う展開だなぁ……」
広げかけた影を引っ込めた。
男はベルト、女性はカレンダと名乗った。
二人は帝都で結婚し、事業を営んでいたが、失敗。
生活に困っている中、風のうわさを頼りにこの教会へとたどり着いた。
「まさか、全財産を差し出せと言われると思いませんでしたがね」
ベルトは苦笑した。
「二人は結婚しているの?」
俺の質問に、ベルトが少し戸惑うようにカレンダを見る。カレンダのほうが、俺を見て笑いながら答えた。
「私たちは良き友人よ。そもそも白袖奉仕会は結婚を禁じているの」
違和感が刺さる。――なら、礼拝堂の子どもたちは何者だ。
「それじゃあこの教会で子供は――」
「あなたも白袖奉仕会へ入りましょう!」
割り込む形でベルトが声を上げた。
「全財産を渡したと言いましたが、言い換えれば、ここにいればお金のことを気にしなくてすむんです。帝都は偽善、嫉妬、裏切り――人の悪意に満ちています」
ベルトが遠いところに視線を置く。
「ここには慈悲と寛大さがあります。自分の人生を考え直すいい機会だと思うのです」
「疲れを癒すにはいいのかもな。けれど、それなら――」
今度はカレンダが俺の話を遮るように皿をカチャと並べた。
「疲れてるのよ――色々あったのでしょう? 今は何も考えずに食事をいただきましょう」
カレンダがベルトに手を差し出した。
ベルトは「そうだよ」と答え、手を握り返した。
机には水を弾く新鮮なサラダと、焼きたてで香ばしいパン。さらにコンロで焼いた骨付きのラム肉まで並んだ。
俺は目を見開く。こんな質のいい食事は久しぶりだ。
「こ、これ、教会からの支給なの?」
「はい。――客人はもてなすように指示されていますので」
「そ、それは、ありがたい」
俺はすぐに料理へと手を伸ばす。
すると、ベルトもカレンダもぽかんとこちらを見ていた。
「お祈りもしていないのに……」
カレンダが引いているのをベルトが制した。
そのまま、二人は天使への祈りを捧げて食事を口にした。
◇
なんとなく帝国の方針が見えてきた。
資本を持つものと持たないもの――貧富は加速度的に開く。城門前のスラム街も、帝国の方針による影響だろう。
普通に生活するだけなら、この教会に所属するほうがよっぽどましかもしれない。
「ここでの生活ってどうやってるんだ? 買うにも自給するにも、一応は何かを生産しなきゃいけないだろ?」
礼拝堂前のどかな風景。綺麗ごとだけで維持できるとは思えない。
「司祭様がすべての指揮をしています。だから我々は与えられた仕事を全うする。もちろんお金はもらえないですけど、生活に困ったことはありません」
「ふーん。見た目によらずやり手なのかね、あの司祭」
「そんなことより――」
急にカレンダが俺のすぐ横に座った。吐息を感じるほどの距離だ。
肩先が触れそうになり、俺は肘をテーブルの端へそっと寄せてわずかに身を引く。
「あなたはどうして帝国に?」
ベルトを見る。どうも浮ついた様子だ。
「お金稼ぎだよ。行きたい場所があってね。そこに行くにはお金が必要だったから、手っ取り早く稼げるかなと思って」
「行きたい場所?」
「天使の塔に行きたいんだよ」
椅子が跳ね、ベルトが立ち上がった。
「て、天使の塔って――あんた本気で言っているのか? 帝国に入るのとは訳が違うぞ。あそこは、天使だけが入れる島。人が近づく場所じゃ……」
興奮気味に肩で息をするベルト。
俺はその様子をあしらうように答えた。
「まあ、みんな言うよね。この世界の人は」
それでもベルトの興奮は収まらなかった。
「そもそも、どうやって黄封なんて手に入れた? 誰かにもらった? 敵国か? 魔王軍残党か? それともどこかの勢力――」
「ベルト! 落ち着いて」
カレンダの声にベルトが口を止める。俺の冷たい視線に気づいたのか、糸が切れたかのように静かになり、そのまま椅子へと腰を下ろした。
――と、扉を叩く音が響いた。
カレンダが対応すると、扉越しに何かを話している様子だった。
「ちょっと呼ばれたみたい」
カレンダは眉を申し訳なさそうに寄せ、そのまま外へと歩いて行った。
残された俺とベルトは黙ってその姿を見ていた。
扉が閉まる瞬間――
「放して!」
ルミナの声が聞こえた。
「――ルミナ」
立ち上がると同時に扉は閉まった。
急いで扉を開こうと取っ手を掴んだ。
「何の用だ?」
扉の向こうから監視の声が聞こえ、そっと取っ手から手を離した。
「今の声って……」
「俺の娘の叫び声だよ」
俺の言葉にベルトは何かを言いかけたが、何も言わずに、下を向いた。
「悪いけど、そろそろ時間が来たみたいだ」
ベルトが立ち上がる俺を、おびえるように見上げた。
「ここから出る気なのですか?」
「ああ。ルミナに何かあってからじゃ遅いからな」
ベルトは指で髪をかき乱し、肘を膝に置いたまま動かない。
影を伸ばす。彼には、黄封を取り戻し、ここから出る案内人になってもらう。
伸ばした影がベルトの足元を捕捉し、絡め取る。そのとき、
「僕も連れて行ってほしい」
ベルトの言葉に影を止めた。
「聞き間違いかな。何かすごい発言を聞いてしまったような」
「僕は白袖奉仕会が嫌いだ。君の手伝いなら何だってする。だから、連れて行ってくれないか」
憔悴した表情。しかし、その瞳には先ほどまでのような浮ついた様子がなかった。
扉の隙間から風が流れていた。
甘い乳香が、やけに強い。
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