第3話「特別な通行状を求めて」
――夕方。城門前スラム。
軋む扉を押すと、なんとも陰気臭いカウンターが目に入った。
「――いらっしゃい。宿泊ですか」
店主が聞いてきたので、「はい」と答えた。
「本当にこんなとこ泊まるの?」
ルミナの耳元で小声で返した。
「文句言うな。これでもこの辺じゃ上等なんだ」
――そのとき、また客の気配。
「いらっしゃい――今日は客が多いな」
そう口にする店主の表情が、すぐ強張った。
「景気良さそうじゃないか、店主さんよぉ」
どう見てもまともじゃない二人組が、ずかずかと入ってきた。
「相変わらず汚ねぇのに、料金だけはいっちょ前だな」
値札板をつかみ、無造作に放り投げる。
「金なら払うと言ったはずだ! 何しに来た!」
「とっくに支払期限は切れているんだけどな。明日までに金貨十枚。もしくはお前の娘を売るか。どちらを選ぶか決めるよう念押しに来たのさ」
店主の手が震える。
「あと、これは見せしめだ」
男が風を放つ。魔法だ。
備品が宙を舞い、風が止む。残ったのは壊れ物だらけの荒れ部屋。
「俺たち組織は本気だからな。嫌なら、ここから逃げることをおすすめするよ」
男たちが帰ろうとしたそのとき、ルミナが手近な木皿を掴み、側頭部めがけて投げつけた。乾いた音がした。
二人は無言で振り返る。
男は片割れに顎で命じる。もう一人が本気でルミナに殴りかかる。
「ガキだからって容赦すると思ったか?」男が嗤った。
俺はすぐにその危険を察知し、ルミナをかばった。拳が顎に直撃。脳が揺れる。
「兄貴!? どうする!?」
「そのままやっちまえよ。死んでも構わん」
「あいよ!!」
屈強な体つきの男が指の骨を鳴らしながら俺の前へ立つ。
男の影と俺の影が重なり合う距離。
「抵抗するなよぉ。本当に殺してしまうかもしれないからよぉ」
犬歯を舌でなぞってから笑う。目だけ笑っていない。
「お前の名前、何て言うんだ?」
「ああん? 誰がお前なんかに……ルチャだ。――あれ?」
「ルチャ、ね。名前と釣り合わないな――三下」
その言葉に反応して、ルチャの眉が寄り、こめかみの筋が浮いた。
俺は顎をわずかに引いた。視線で合図する。「――来いよ」
その後、ルチャは怒りのまま、一方的に俺をボコった。反抗すれば、いっそうルミナやこの店に当たり散らす。今は力を使う価値はない。ここで“貸し”を作るほうが得だ。
とにかく黙って、この最悪の時間をやり過ごした。
◇
「いてっ!」
若い女性店員――ノノに薬草の汁を傷口に当てられ、つい声が出た。
「ごめんなさい!」
慌ててノノは手を放す。
「いや、大丈夫。手当してくれてるあなたに、かっこ悪いとこを見せてしまいました。ハハハ」
現在、俺はノノの膝を枕にしながら治療を受けている。……ありがたい。
そんな俺をじと目で見ているルミナだが、大丈夫、気にしない。だって、お前をかばって俺は殴られたのだから。
「ちなみに店主の奥さんですか?」
「娘だよ」
店主が即答した。
服装は貧相だが、身なりを整えれば相当な美人だとすぐに分かる。
「少し前までは看板娘だったんだがな」
ぼそっと店主がつぶやく。
「そんな風にいわないでお父さん。ショバ代さえ払えれば――」
ノノは、精一杯明るく振る舞っているように見えた。
「すみません。巻き込んでしまって」
「いえいえ。仕方ないですよ。それにしても、何だったんだ、あいつら」
「客に話すことじゃ……」
「いいじゃん。巻き込まれちゃったんだから!」
なぜかルミナはぷんすかしながらノノを煽る。
彼女は店主を一瞥し、仕方ないという顔で話し出した。
もともと城壁内で宿を営んでいた一家だが、親戚に建物ごと乗っ取られ、税金も払えなくなり、スラムへ。
不幸は続き、ノノの母は病に伏し、わずかな利益も薬代に消えた。
そんな中、組織がショバ代の取り立てを始め、生活はじり貧に陥った。やがて母は亡くなり、日に日に増える取り立てに、今に至る。
「何それ! ひどい!」
ルミナは小さく唇をとがらせる。
「けれど組織のおかげでスラムの治安がギリギリ守られているのも事実です。――つらいですけど、今夜で店を閉めようと思うのです」
後ろで店主も頷いた。
「家族の思い出の品も壊されましたし、今が潮時なのかもしれませんね」
沈黙。遠くで獣の雄たけびが聞こえた。
「話は変わるが、あの城門の列。あれはずっとああなのか?」
ノノは首を振る。
「あれは、城壁内に入れないようにする仕組みです。素直に並んでも自分の番は永久に来ない」
「やっぱり、そういうことか」
おそらく帝国と組織は裏で組んでいて、並んでいる連中からの略奪を黙認されているのだろう。
「どうやったら城壁内に入れるんだ?」
「それは……帝国と何らかの縁があれば、特別な通行状黄封が買えたりするみたいですけど」
ノノの発言に店主が入ってくる。
「どうせ、わしらが一生働いても買えない金額だ。気の毒だが、素直に諦めたほうがいい……」
ルミナは頬を膨らませながら、掌で帝国金貨を転がしていた。むう、と息を漏らす。
「逆に言えば、あることにはあるのか。帝国と縁がある組織には、特別な通行状ってやつが」
そんなルミナをあやしながら口元を緩めた。
「そろそろ寝ます」と二人に伝える。
「最後の客だ。汚いところだが、自分の家のように使ってくれ」
二人とも満面の笑み。それでも、悲しさは拭えない。
「父さん。二人がかわいそうだよ。どうにかしてあげようよ」
「と、言われてもなぁ」
俺は頭を掻いて話をはぐらかす。
「とにかく明日だ。今、動いても何もできん」
その一言に「わかった」と答え、ルミナは床に就いた。
疲れていたのか、一瞬で寝た。
◇
――深夜。
コンコン、とノックが鳴る。向こうから声がした。
「誰だ?」
ドアの隙間から男が顔を覗かせる。
「誰かと思えば、ルチャか」
ドアをノックした男、ルチャ――昼間、宿に来た二人組の片割れだ。
ルチャが部屋に入った。
部屋の中には十名ほどの男と、豪華な椅子に座る男が一人。
おそらく、その席に座るのがこの集会のボス。
「呼んだ覚えのないお前が、わざわざここに来るってことは、もちろん楽しい話があるってことだよな?」
一瞬で取り巻きたちの殺気がルチャへ向けられた。少しでも変な動きがあれば即、攻撃に移る気配。
「――お、俺は。ただ、紹介したい人がいて……」
大柄な体格に反して、控えめにルチャが語り出した。
「……お前、何を言っているんだ?」
怪訝そうなボス。
――そろそろ、いいだろう。
俺の足元から伸びる影は、ここにいるすべての影とつながった。
「紹介されたいのは俺です」
ルチャの背後から、すっと身を乗り出した。
一斉に取り巻きたちの魔法が、発射寸前まで立ち上がる。
「ああ……これは、歓迎されていないですね」
両手を上げ、敵意がないことを示す。
「誰だ」囁きより少し上の音量でボスが聞いた。
「いやあ……ルチャさんの紹介で、俺も組織に入りたいなぁと思って」
「組織に入る? 貴様が?」
ボスの視線がルチャに向く。
ルチャは汗を流すだけで何も答えない。恐怖で震えているようにも見える。
すると、取り巻きのうち一人が声を上げた。
「こ、こいつ! あの宿屋に居た――っ!」
――思い出した。こいつは、ルチャの兄貴分だ。
正体が割れたなら仕方ない。もう少し話したかったが、それはまたの機会に。
「時間もないので、本題に行きます」
俺は片手を前に出し、指を交差させた。
そんな俺の動作に反応し、ボスが取り巻きたちに首だけで合図をする。
魔法がこちらに向けて放たれる――その一瞬手前。
指を鳴らす。影の手。命令を上書きする。
「俺を守れ」
その一言に取り巻きたちが一斉に向きを変える。赤光が掌で脈打ち、照準がボスを捉える。
「形勢逆転だ。どうする? ボス」
ボスは沈黙したまま動かない。じっとこちらを見ているだけだ。その視線にはどこか重たく冷めた威圧がこめられていた。
普段ならこれで終わりだった。俺はボスも影で操作し、組織が持っている黄封をいただく。
命令は届いた。――はずだった。視線が合った瞬間、世界が遅れる。
彼の足元だけ、影が動かない。影の奥で、別の「何か」が目を開けた。
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