第18話「身代わり瓶、割るしかない」
――数分前。大通りに出る直前の裏路地。
フェイが立ち止まり、親指ぐらいの瓶を渡してきた。
透かして見ると、中に薄緑色の液体が入っている。
「あたしが開発した《みがわルーン》です。お兄さんも念のため持っていてください」
よくわからなかったが、素直に好意として懐にしまった。
「さっきの爆発みたいな緊急の時、道具へ魔力を込めてください。一回だけ、それがお兄さんの身代わりになってくれますから」
「俺、魔力ゼロなんだけど……」
フェイの耳と尻尾が逆立つ。
「ゼ、ゼロですか……やっぱりただ者ではないですね」
咳払いし、気を取り直すフェイ。
「割ってください。さすがのあたしも魔力ゼロまでは想定していなかったんですけど、本気で握れば割れると思います」
「《みがわルーン》ねぇ。本当に当てになるのかねぇ」
懐の冷たさを覚えながら、俺は呟いた。
◇
――その時だ。人混みの中の男の体が、ぶくりと膨れ上がった。
「加速――」
再び、《ヴォイド》を発動する。
同時に心臓へ激痛が走った。
短時間で三度目の使用はまずかったのだろうか。
これでは一秒と時間の流れを抑えられない。
刻一刻と男の体が膨れ上がり続ける。爆発までもう悩んでいる時間はなかった。
周りを見る。
若い男女や老人、子供まで俺のすぐそばでひしめき合っている。
歯を食いしばり、拳を握りしめた。
「――すまない」
拳を懐に向けて強く叩きつける。
小瓶が割れ、瞬時に緑のオーラが全身を包み込む。
「――加速……解除」
ドォンと破裂音が人混みの中で響いた。
爆風にほどけ、視界が切れる。直後、緑の光が骨を編み、皮膚を張り戻す。肺が空気をむさぼる。
――爆発を防げたんじゃない。壊れた俺だけを一瞬で『元の形』に戻しただけだ。
俺を中心にぽっかり穴が空いたかのようだった。名も声も、消えたままだった。
「あれ? うちの子は?」
「おいおい、人混みのせいで連れを見失っちまったぞ」
周囲はまだ状況を飲み込めない。人の輪に穴が空いたことに気づくのは、祭の歓声が落ち着いてからだ。
頬をかすめられた女が、遅れて指先の血を見て悲鳴を上げる。
俺はまた自分だけ助かってしまった。
悔しさで胸が張り裂けそうになった。
「お兄さん早く!」
フェイの声にはっと気を取り直す。
すぐに規制線を越え、通りの中央へと出る。
パレードが通り過ぎた後の通りの中央。
ここなら一般市民に囲まれることはない。
「爆弾野郎、どこかで俺たちを見ていたんだ」
周りを見渡す。多くの市民が規制線の向こうにひしめき合い、誰が犯人か見当もつかなかった。
「気を確かにしてください。お兄さんが助かったのは間違いじゃないです」
フェイが必死の形相で声をかけた。
「すまん……」
若い子に励まされた。
今は落ち込んでいる場合じゃない。
償いは爆弾野郎を捕まえることで必ず返す。
「三本作ってあります。《みがわルーン》は残り二個。一個はお兄さんに」
フェイが小瓶を手渡した。
「いいのか、大事な道具だろ」
「敵は無傷のお兄さんに動揺しているはずです。あと一回、もう一度お兄さんを狙うか、あたしを狙うか。どちらにしろあと一回を切り抜ければ、攻撃をやめるはずです」
その言葉に頷く。
「爆弾野郎はどんな手を使っても檻から魔獣を解き放ちたいみたいだ」
「あたし達がパレードを追いかければ、あっちから出てくるはずです」
俺とフェイは通りを駆け抜ける。
どこかで敵がこちらを見ているとすれば、パレードに接触するまでに必ずアクションを起こすはずだ。その瞬間を狙う。
パレードの後列と輸送檻が見えてきた。
未だ、敵が動き出す様子はない。
まさか、諦めたのか。そう思った瞬間。
俺とフェイが足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
目の前が光で覆い尽くされ、ドォン! と鼓膜が破れるような、重い音と風が身に降りかかる。
群衆から悲鳴が上がった。
顔を塞いでいた腕を恐る恐る下げる。
煙が立ち上がっていた。
その煙の中から、畏怖を誘う巨体が顔をのぞかせる。
胸の魔石が心臓の鼓動に合わせて脈動し、のっぺりした顔に一瞬だけ縦の裂け目が走る――目だ。
二階建てを二つ積んだほどの巨体が、散っていく煙とともに姿を現す。
「そんな……」
見るとフェイが震えていた。
まだ、爆弾野郎も見つけていない中、檻から魔獣が解き放たれてしまった。
市民たちも突然のことで動きが止まっていた。
フェイは首を振り、息を思い切り吸って再び駆けだした。
俺もすぐに後を追った。
「構えろーっ!」
兵士たちの動きは迅速だった。
被害を確認する間もなく、すぐに魔獣を包囲した。
兵たちは弓と槍をそれぞれ一斉に魔獣へ向けて構え出した。
指揮官らしき男が号令をかける。
「放てーっ!」
地鳴りのような声が、大通りに轟いた。
兵士たちは唸り声と共に槍と矢を魔獣めがけて放った。
そのほとんどが魔獣に突き刺さった。
しかし、動きに変化はない。
モスキートのような高音で鳴きながら、首を巡らせ、周囲を探る。
「魔術部隊ーっ!」
掛け声とともに今度はローブを羽織った者たちが一斉に魔獣を囲み始めた。
それぞれが杖を、手を魔獣に向けて構えた。
すると、フェイが近くの兵士を捕まえた。
「今指示しているのは誰?」
さっきまで柔らかかった口調が、現場のそれに変わった。――やっぱり、この女、ただの市民じゃない。
兵士は怪訝そうにフェイの手を振り払った――が、次の瞬間、目を見開き、背筋が伸びる。言いかけた荒い言葉が、飲み込まれた。
「市民に構っている暇はない――え?」
兵士の顔色が変わる。さっきまでの威圧が霧のように消えた。
「し、少尉殿です。刃が効かないため、魔法による一斉攻撃を行います」
「ダメ! 今すぐやめさせて!」
フェイの声は理屈ではなかった。知っている者の反射だ、と直感する。
魔術部隊の魔力は発射直前で固定されていた。掲げた光の球は頂点まで膨張し、今にも解き放たれる。
「無理ですよ! もう号令が……!」
フェイが兵士の肩を掴み、ぐっと押しのけた。
手を前に出し、緑の光を掌に集める。
「放てーっ!」
再び指揮官の叫びが響いた。
一斉に魔術部隊から光弾が魔獣へと放たれた。
光弾が当たった箇所が、ぽつりと灯る。
一瞬、何事もなかったかのように、大通りが静まり返る。
市民たちも催しと思ったのか、動くことなく帝国兵と魔獣の戦闘をじっと見つめていた。
「シードで受けます、みんな逃げて!」
フェイが叫んだ。同時に前面へ緑色の光壁を展開した。
鼓膜を直接刺激するような魔獣の雄叫び。
灯りは点に縮む。次の瞬間、点から光柱が噴き上がる。
点は皮下を火花のように滑り、光柱は石畳と壁に刃を縫っていく。
そんな光柱の一つがこちらへ向かって放たれる。しかし、フェイの光壁がそれをかき消してくれた。
まばゆい光のため、俺たち以外の人たちがどういう状況かを確認する余裕はなかった。
そんな光点が増えていく。背、腕、脚――全身で散っていた点は、やがて同じ方向へと走り始めた。
吸われるように点が集まり、魔石が一拍、大きく脈打ち、収束した。
そんな魔獣が向く方向は、先頭を行く第一皇子の馬車。
嫌な予感しかしなかった。
更なる惨劇を予感しながらも、俺は動けない。
届かせる。代償は――あと一回分。
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