第11話「婚礼/炎、そして闇」
礼拝堂に隣接する香庫が燃えていた。――ベルトの仕込みだ。
「火事だ!」
礼拝堂前で叫び声が聞こえた。
振り返れば建物の窓から火が噴出していた。
どよめく信徒と白袖たち。
俺は待ってましたとばかりに礼拝堂へと向かった。
「貴様――どこへ行く? 消火作業と信徒の誘導が先だろうが!」
白袖の一人が俺へと叫んだ。
「司祭様に、ご報告しなければなりません!」
そう叫んで俺は礼拝堂へと走った。
「――ったく新人か、あいつは。そんな大役、俺たちの仕事じゃないだろうが」
「おい、火の勢いが思ったより早い。信徒たちを安全なところに避難させるぞ」
もう一人の白袖が声をかけた。
二人はこちらに構うことなく、それぞれの場所へと散っていってくれた。
――やれやれ。白袖様様だな。
白い布を翻しながら、礼拝堂のドアをくぐった。
天使の浮彫の影の下、小鐘と香煙のなかでルミナと司祭が向かい合い、誓いの灯が瞬いた。
ヴェールの奥で、ルミナの膝だけがかすかに震えた。
会衆席の長椅子が軋み、身廊の中央通路がざわめいた。
誰もが招かれざる客である俺に注目する中、堂々と内陣へと歩いた。
誓いの文言が進むたび、ルミナの白紋は点いては消え、膝だけが祈りのテンポで震えた。
「まさか、生きているとはな」
司祭が口を開いた。
ルミナは焦点が合わない。
血色は薄く、目の光が薄い。
「俺の娘に何をした……」
白袖のマントは捨て、俺は姿を現した。
音がした。
会衆席を囲むように立っていた白袖たちが、俺に向けて魔法陣を空に描き始めた。
司祭の合図でその魔法はこちらに放たれるものだと思った。
殺気の高まりに反応し、俺は足を止めた。
「神聖なる婚礼の儀だ。始まった以上、それを止める貴様は聖翼教会に逆らう異教徒として扱われる。その意味が解るか?」
司祭はルミナの背後に回り、肩へと手を添えた。
「女を囲って悦に浸ってる変態じじいに、娘をやるわけにはいかないんでね」
司祭は目を見開き、驚きの表情をするが、すぐに口角を上げて笑った。
「ククク……私の部屋を見たのか。それならばお前の勘違いを一つ正してやろう」
司祭は手をルミナの肩から顎へと流れるように動かした。
「私は断根の誓約により快楽を棄てた身だ。貴様が見た光景は妻たちの要求に答えてやったに過ぎない」
「――どういう意味だ」
「褒美として媚薬と男をあてがったまでよ。私はそれを見ているだけよ」
周囲がシン……と静まり返った。明かりを灯す魔道具の音が妙に聞こえた。
「ここは人類最後の楽園だ。人々は好きに学び、好きに生きる――無論、好きに快楽を求めることも許可している」
司祭の手により、力なくルミナは口が半開きになった。
「くそジジイ、ルミナに触れるな!」
俺の叫びを無視するかのように、司祭は話し続けた。
「しかしだ。それも戒律あってのもの。庶民が本当に好きにしてしまえば、集団は成り立たない。故に私が判断しているのだ。働く時、食す時、寝る時、命を育む瞬間もだ」
司祭の指がルミナの唇に触れるたび、膝だけが微かに逃げる。
会衆席からポツリと手をたたく音がした。
すぐに、会衆の手が一斉に鳴り響いた。音が天井から降ってくる。
「白袖奉仕会の信徒は全て私の子であり、信徒にとっての唯一の父が私なのだ。そして――」
司祭がルミナへと視線を下ろす。
「彼女が全ての母となる。今日、この時をもってな」
鳴りやまない拍手と喝采。
ルミナの睫毛がひとつ震え、背の白紋がかすかに灯って消えた。
まるで、俺だけが取り残されたような異様な光景だった。
「人は卑しい。所有すればそれを守りたくなる。他人を妬む。物も人も関係ない。聖翼教会は隣人に与えよ、と唱えた。しかし現実はどうだ? 天使との交流を独占し、天使の声を利用して自分たちの都合の良い世界を作っている。おかしいと思わないか?」
司祭の言葉が俺の心に触れた。
その演説に、傾き始めている自分がいた。
ルミナの涙が一滴、顎から落ちる。――でも瞳はまだ遠い。
「故に私は真の聖翼教会をここに作った。全ての人間は平等だ。上も下もない、それぞれが与えられた役割と自由を満喫する。――それのどこが間違っているというのだ?」
「――話が長いんだよ!」
司祭の言葉を断ち切るように、司祭へめがけて駆けようとした。
しかし、すぐに白袖たちの魔法が放たれ、俺の体をしばりつけた。
魔法陣から伸びる光の弦に俺は身動きを取れなくなる。
「おい、あれを出せ!」
司祭が叫ぶと、会衆席から一人の女性が立ち上がる。
それは――カレンダだった。
「お前は――」
カレンダはこちらを見ることなく、司祭の元へと歩んだ。
そして、服にしまっていた黄封を司祭へと渡した。
「何らかの方法で地下を脱出する可能性も捨てきれなかったのでな。罠を仕掛けさせてもらったよ」
司祭はこちらに見せびらかすように黄封を見せた。
「これがあれば、必ず私のもとに姿を現すだろうと思ってな」
「そのためのカレンダだと言うのか」
「ベルトもだよ。最初から二人とも君をだますための刺客だよ。まあ、一人は予想外の動きをしてしまったようだがな」
ドンと音がした。
振り返ると血まみれのベルトが巨漢の白袖に片手で掴み上げられていた。
そして、地面へと投げ捨てられた。
ベルトの顔は暴行により歪んでいた。手の指も別々の方向に曲がっていた。
俺はカレンダに向けて叫んだ。
「お前は――ベルトがこうなっても良かったのかよ!!」
「褒美をやろう。お前は今日、私の部屋に入ることを許可する」
司祭の一言に、カレンダは頬を赤く染め、目を輝かせる。
「ありがとうございます。司祭様!――」
絶望に顔を歪ませる俺を見て、司祭は愉悦に浸った。
「いい顔をする。――もう一つ教えてやろう。貴様の娘に仕込みをしたのも、この女だ。こいつは優秀な女だよ。さすがは私の第一妻――いや、天使の子と婚姻した今は第二になるのか――」
「いいえ――司祭様。たとえ二番に落ちようとも私の愛と忠誠は変わることはありません」
カレンダは恍惚の顔で司祭へと答えた。
「――ハハハ」
俺は堪えきれず、つい声を上げて笑ってしまった。
その笑い声に司祭の眉が上がる。
「どうした。真実が受け止められず狂ったか」
「ハハハハハ――いや、最悪の展開を考えていたけど、まさか本当にそうなるとは思っていなくてな」
「何の話をしている――悔し紛れに戯言を始めたか」
「いや、その黄封。一度俺が取り返したんだよ。たぶん、あれはカレンダのミスだったんだろうな。死んだと思った俺とベルトがまさか自分の部屋にいるとは思わなかったんだよな」
カレンダを睨む。
すると、彼女は口元を歪ませた。
「その時、罠を仕掛けさせてもらった。カレンダが裏切り者だったときの保険として」
「いい加減にしろ。貴様に魔力が無いことは誓約室で確認済みだ。これ以上の妄言は看過し難い!」
司祭の否定を無視して話し続けた。
「色んなことを教えてもらったお礼に、俺からもお前らに教えてやる」
黄封に落ちていた黒シミが動き出した。
「俺の力は<ヴォイド>っていうんだ。貴様らの崇める天使の力<アウラ>よりも上位の力だ」
司祭が目を見開いた。
「貴様!なぜ白の魔法を知っている!――」
「言っただろう。俺にとって天使の力目じゃないんだよ。だって俺より下の存在だからな」
司祭は黄封から『くらやみ』の塊が放出していることに気づいた。
急いでその手から離そうとする。
――しかし、もう遅い。
「殺せ!この異教徒を!」
司祭の叫びと共に<ヴォイド>は発動した。
『くらやみ』の塊が司祭を包み込む。
「なんだ! これは! ――早くあいつを殺さんか!」
俺をしばっていた光の弦は消えていた。
代わりに、魔法陣を描いていた白袖たちはその手を司祭や、屈強な体格の白袖へと向けていた。
俺はゆっくりと『くらやみ』に包まれる司祭の方へと歩んだ。
「本来なら地面を伝ったりして、影をのばすんだけど、あっちから繋がってくれてからさ。操るのは簡単だったよ」
彼らの認識を一部書き換えた。
『敵』の対象を“俺”から“司祭”へ置き換えた。
「――貴様は――そうか、お前か! 天使たちが恐れる敵と言うのは」
「え、そうなの? まあ、でもこの世界で神様ぶっている天使からすれば、俺は敵なんだろうな。なんせ、あいつらよりこっちの方が強いんだから」
俺は天使の浮彫を見上げた。
「貴様は天使の子を使い、世界を闇に閉ざすというのか――」
司祭は必死に『くらやみ』に抵抗していたが、それももうすぐだった。
「違うって。いちいち話を大きくするな。俺はただ、ルミナと、
天使に会いに行きたいだけなのさ」
「そして、天使を殺すのか――」
なんだか、面倒になってきた。
「もういいや。とにかくお前は消えろ。偽りの救世主――いや、変態エロじじい、の方があっているかな」
「きさまは――」
シュン、と『くらやみ』は呆気なく消えた。司祭と共に。
そして俺は、今や操り人形と化した白袖に命じた。
「俺に敵意を向けた者は全て殺せ――」
「了解しました!!」
その声とともに阿鼻叫喚が始まった。
逃げ出そうとした屈強な体格の白袖は真っ先に殺された。
俺は呆けるルミナを抱えた。
「待って――」
カレンダが声をかけてきた。
「私はどうしたらいい?」
主人を失ったカレンダが乞うように、俺へと話しかけて来た。
「――いいんだよ。カレンダ」
ぼろぼろになったベルトがいつの間にか祭壇まで歩いて来ていた。
そして俺に話しかけた。目が見えていないのか、向いている方向が少しずれていた。
「ごめんなさい。あなたをだましていていました。俺とカレンダは誓約室であなたの素性を調べるように言われて」
「ベルト……」カレンダが呟いた。
「俺とカレンダは、もともと夫婦になるはずだったんだ。ここへ来て……変わっちゃったけど。それでも俺は彼女を恨まない。だから、彼女と外の人間は見逃してくれないかな?」
ふらふらと歩き、ベルトは俺とぶつかった。
赤黒く変質したベルトの瞼を見て、俺は唇を噛み締めた。
俺はそっと、ベルトの目に触れた。
そのままベルトは倒れた。
ベルトに駆け寄り、抱きしめるカレンダ。
俺はカレンダの頭に手を置いた。
「娘をこんな目に合わせたんだ。助けられないし、許せないよ」
そう言い残して礼拝堂を後にした。
礼拝堂前の外は消火作業で混乱していた。
燃え盛る建物を背に、白袖奉仕会の白い壁から外へと出た。
しばらく歩き振り返ると、巨大な礼拝堂が燃え盛るのが見えた。
「――今日の宿、どうしようかな」
静まり返る深夜。
大きな赤い灯だけが、俺とルミナに影を作っていた。
鐘が三つ。帝都がこちらを向いた。
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