第10話「直前/温もり」
勢いよく第一妻の間のドアを開いた。
もし、中に司祭や取り巻きがいれば、この瞬間にすべてを終わらせるつもりだった。
しかし、中はもぬけの殻だった。
化粧台には真珠の髪飾りと白い手袋が散らばり、床には薄金のリボンがほどけたまま落ちていた。誰かが急いで婚礼衣装に着替えさせられた痕だ。
高級そうなベッドまで近づき、触れた。
――まだ暖かい。先ほどまで誰かが寝ていたのは間違いない。
ベッドの横の籠に目が行った。
中にあったのはルミナの衣服だった。
ここでルミナが寝かされていた。しかも、つい先ほどまで。
怒りと悔しさでどうにかなりそうだった。
「――くっ!!」
何かを破壊したい衝動に駆られ、手を振り上げた。
その時、ベルトが俺の手を掴み、ゆっくりと振り上げた手を元の位置へと誘導した。
「落ち着いてください。ここで派手なことをしてしまえば懲戒部がやってきます」
ベルトが制止してくれたおかげで、冷静になれた。
「すまない――」
「いえ、気持ちはわかります。ですが、私たちと司祭の行動。いまの私たちの行いも、司祭と地続きです。おそらく司祭は婚礼の儀のために礼拝堂に向かっているはずです。儀式さえ止められれば大丈夫です」
「そうか……それなら早く礼拝堂に行かないと」
「あ――!」ドアの方から声がした。すぐに振り向くと、そこにいたのはカレンダだった。
「カレンダ! どうしてここに!?」
ベルトが声を上げた。
「あなたこそ……いえ、良かった。地下は封鎖されたと聞いていたから。もう、ダメなのかと思っていた」
ベルトはカレンダに駆け寄り、抱きしめた。
「なんとか地下から逃げられたんだ。俺の方こそ、お前は生き埋めにされたんじゃないかって」
ベルトは泣いていた。そんな彼をあやすようにカレンダが頭をなでた。
「――偶然、司祭様に黄封を届けるように言われて……それで、地上にいたのよ」
ベルトとカレンダは涙ぐみながら抱き合っていた。
「感動の再会に申し訳ないけど、こっちは時間がない。その黄封。俺の物か?」
カレンダの片手に握られていた黄封。
なぜ、この部屋に持ってくるよう指示されたのかが気になった。
「はい――。婚姻の儀に必要みたいで、第一妻の間に持ってくるように指示されて……」
「ちょっといいか?」
俺は手を差し伸ばした。
「え――?」とカレンダは少し戸惑ったが、言われるまま黄封を差し出した。
封を調べる。見た感じと手触りに変わりはない。
開かれた形跡もなかった。
――念のために封に一滴、黒い染みをつけた。
他にも気になることはあったが、カレンダへと黄封を返した。
「……あなたの物なのでは?」
「そうなんだけど、あんたが持っていた方がこれからの展開が読めやすそうだったから」
――内側の人間が持っていれば検問はゆるい。俺が持てば、その場で即アウトだ。
「?」カレンダは不思議そうな顔をして、黄封を受け取った。
「逃げよう」
唐突にベルトはカレンダへと告げた。
「急に何を?……」
「俺は司祭様に殺されかけた。ここにいれば生活に困ることはないけれど、いつ司祭様に捨てられるかを怯える毎日だ。それに、いつ君の司祭に……」
カレンダを掴む手が震えていた。
そんなベルトの手にそっとカレンダが触れる。
「ええ……あなたが言うなら、私はついていきます。――だって、昔からずっと私たち一緒だったでしょ?」
その答えにベルトは掠れるような声で「ありがとう」と呟いた。
「それじゃあ、さっそく礼拝堂に向かう。現状がどこまで進んでいるかはわからないが、どのみち最終的には司祭もルミナもそこに集まる。それで間違いないんだよな?」
ベルトとカレンダは頷いた。
「それならここでお別れだ――と言いたいところだが、ここの地理に疎くてね。最後に礼拝堂までの道案内を頼みたいんだが、できるか?」
「もちろんだとも。正直、君がいてくれないと、ここから逃げようにもすぐに捕まってしまう。儀式の混乱までは教会から動くつもりはないよ」
ベルトは答えた。カレンダと会えたことで踏ん切りがついたようだった。
「それでは私は先に礼拝堂に向かいます。全信徒が儀式に招集されているので、私だけ参加しなければ怪しまれると思うので」
カレンダは一人、礼拝堂へと向かった。
「お前はどうするんだ? 道案内はたのんだが、カレンダと別れてよかったのか?」
「司祭にとって私は捨て駒です。儀式に参加しては怪しまれますから。混乱が起きるまでは身を隠しますよ」
すっかり落ち着きを取り戻したベルトに安心した。
ベルトの誘導通りに進むと、礼拝堂が見える場所まですぐにたどり着けた。
礼拝堂の入口の前に数百人ほどの信徒が見え、綺麗に並んでいた。
その周囲を数名の白袖が監視しているのも確認できた。
これらを突破して礼拝堂内へとたどり着かないといけないが、さすがに気づかれずに中へ入るのは無理そうだった。
力を使えば、どうにかなるのかもしれないが、今回ばかりは規模が大きすぎる。
全員を影で操るわけにもいかない。
「――どうしたものか」
悩んでいるとベルトが提案をしてきた。
「香炉の火を倒せば避難の鐘が鳴る。白袖は参列者の退避で手一杯になります」
胸の奥がざわつく。俺より先に、こいつが引き金を引こうとしている。
「いいのか? 白袖たちが一斉に犯人探しをはじめるぞ」
「それまでにすべてを終わらせてください。そうすれば私もあなたも、外へと逃げ出せます」
「しかしだな――」
ベルトが俺の肩に手を置いた。
「あなたがいなければ、私はこの土地で司祭の道具に成り下がっていたんです。偽りの幸せに浸されながら。けれど、思い出させてくれたのです。私の人生がカレンダと共にあったことを」
俺はベルトの手を肩から離した。
「わかった。騒ぎが起きたと同時に俺は礼拝堂に入る。お前は、カレンダと共に外へ出ろ。そこで落ち合おう」
「黄封。なんでカレンダに預けたんです? それさえあれば貴方はもっと自由に動けたはずなのに」
少し考える。けれど、言わないと納得してもらえないと思った。
「外に出ても、道案内が必要だから……俺はここの土地勘ないから、どこ行けばいいかわからないんだよ」
「ああ――なるほど! それは、仕方ないですね」
ベルトが笑った。出会ってから、初めて彼が本当に笑った気がした。
遠くで鐘が二打。急ぐ。
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