第1話「不許可/影の手」
魔力計の針はゼロで止まった。
「……嘘だろ。ゼロは初めて見たぞ」
乗船手続きの係員が顔を引かせ、俺と魔力計を何度も見比べる。
周囲がざわつき始めた。揉め事に見えるらしい。余計な注目は避けたい。
「ていうか、乗船に魔力の測定が必要ですかね」
「船員を守るためだよ。海の上は無法地帯。船を乗っ取られるわけにはいかないだろ」
「なるほど。じゃあ俺は問題ないってことだな」
手元の乗船券には《不許可》の赤判。
「なんでだよ!」
「得体の知れないのは乗せたくないんだよ」
横で達観した顔の娘――ルミナが言う。彼女の乗船券にも、しっかり《不許可》の文字。
俺のジト目に、彼女が気づく。頬が赤い。言い訳が始まった。
「あの魔力計、安物だよ。触れた瞬間に火花吹いて止まったんだもん。道具にはちゃんとコストをかけるべきだよね」
こうして俺たち親子は、大陸へ向かう最初の一歩でつまずいた。
どうするか。二人で桟橋の縁に腰を下ろし、脚をぶらぶらさせながら、海の向こうにうっすら見える大陸を眺めた。
背中をトントン、と叩かれた。振り返ると――三人組が立っていた。
真ん中の男が笑顔で言う。
「困ってるなら、僕たちと来ないか? 魔力ゼロでは何かと大変だろう」
男が保証人になるなら、港の例外条項で《不許可》は取り消せるという。
「どうする?」
ルミナに確認する。
「選択肢ないじゃん」
三人組は《勇敢なる者》というチームを名乗った。大陸で魔獣の殲滅と、魔王軍残党の壊滅が目的だという。
その第一歩として、大陸最大の国――ヴェルガノス帝国へ向かうそうだ。
「それは、すごいですね。志がすごい」
俺も帝国を目指して大陸に渡りたい。ただ、人助けが目的じゃない。金が稼げると聞いたからだ。
本当に行きたいのは、世界の中心にある天使の塔。けど、行き方も資金も不明だ。だから、わかりやすい金稼ぎから始める。
「アハハ! 君はおもしろいことを言うね。でも、娘さんがいるんだから、ちゃんと地に足の着いた夢を見ないとね」
僧侶の女がルミナにやたら懐き、ずっとくっついている。ルミナは本当に嫌そうな顔をした。
「まあ、そう言うよな。みんな」
俺は目を細め、ルミナを見てつぶやいた。
出航の合図が鳴る。
……了解。出る。
何はともあれ島からの脱出には成功した。
夜。
一人、船の手すりから少しずつ近づいてくる大陸、その背後に細く天を貫くようにそびえ立つ天使の塔をぼーっと眺めていた。
すると、《勇敢なる者》のリーダー、アステルが声をかけてきた。
「緊張しているのかい?」
「そうだな。長い間島でダラダラ過ごしていたからな」
振り向かずに答える。
「――僕はね。島の警備兵として働いていたんだ。けれど、この有り余る力はもっと別の場所で使うべきだと思ったんだ」
アステルの目は大陸を向いていた。
「だから君も志をもってほしい。大陸には魔獣がうようよしているみたいだ。生半可な覚悟じゃ、生きていけない」
俺は天使の塔を見たまま、 目だけアステルに向けた。何も答えない。
「邪魔して悪かった。海の上とはいえ、何が起こるかわからない。早く寝た方がいいよ」
そう言いながらアステルは去っていった。
「志、ねえ……」天使の塔を見つめながら俺は呟いた。
船に乗って一週間。
ようやく大陸にたどり着いた。途中で魚人海賊団や巨大クラーケンに襲われたりした。
船から降りる瞬間。アステルと仲間が隅で話し合っていた。
「――しかし、あの魔力を諦めるには惜しい」
「ここからは大陸だ。荒事を起こさずに引き離すには――」
何やら熱心に話し合っているが、俺には関係のないことだ。
とにかく、色々あったが、第一の目的――大陸には着いた。
大陸の波止場の酒場で、食事をとることにした。
「色々あったけど。無事たどり着けてよかったな、ルミナ」
「そうだね。よかったね、父さん」
「よくない!」
酒樽がテーブルにドンと置かれ、大きな音を立てた。
「え?」俺とルミナは突然の形相に、黙ってしまった。
「ルミナちゃんは私と外で遊ぼうか」
空気を読んでか、僧侶がルミナを酒場の外へ連れ出した。
外で馬車の車輪が軋み、誰かが荷台の幌を下ろす音がした。
「どうした? 急に大声張り上げて」
「君は、船の上でのことを覚えていないのか!?」
「船? みんなで頑張って魚人や巨大クラーケンを倒していたけど。それが何かあったのか?」
「僕たちが必死に戦っている間、君たち親子は何もせず、ぼーっと見ていただろ!」
まあ、たしかに。ぼーっと見ていたっちゃ見ていた。
「仲間の一人がずっと行方不明だ。きっと、戦っている最中に海に落ちたんだ」
アステルの目に涙がたまっていた。さらに強く机を叩く。
「君たちが戦っていれば、彼女は助かったかもしれない!」
アステルは眉間を指で押さえ、首を振った。
「悪いけど、俺は魔力ゼロの何の役にも立たない男だ。邪魔にならないように身を隠すのが最善だと思ったんだ」
アステルに睨まれた。
「そうかい。君がそこまで言うならこっちも言わせてもらう。君の娘。桁違いの魔力を持っているだろう?」
心に突き刺さる。冷汗が一滴頬を通った。
「君たち親子をずっと見ていたよ。君の魔力ゼロでうやむやになっていたけど、娘の方は魔力計を壊していたじゃないか。あれは道具の故障なんかじゃない。君の娘の魔力が膨大だったからだ」
なるほどと思った。
だから俺たちに声をかけてきたのか、と。
「こんなことはしたくない。けれど、一つ提案をさせてもらう」
机の上に袋が置かれた。中には金貨や宝石が入っていた。
「君の魔力はゼロ。失礼だけど冒険どころか日常生活にも支障を及ぼすレベルだ」
アステルは言いづらそうに、俺へと告げた。
「だが、娘――ルミナは別だ。魔力量が常人を遥かに超えている。島で埋もれるにはあまりにも惜しい才能」
手が震え、顔は憔悴しきっていた。
「ルミナの面倒は僕たちが見る。だから君は、島へ引き返してくれ。力を持った者と無い者。同じ世界では生きていけない……」
追い込まれているのが見て取れた。
彼なりに考えた上での決断なのかもしれない。
「――たしかに」俺は相槌を打った。
「わかってくれて助かる。早速だけど、僕たちは帝国へ向かう――」
俺の足元の影が伸び、アステルの影に繋がった。
スキルを発動させた。
店のランプが一瞬だけ明滅した。
「――え? えっと、そ、それじゃあ。そのお金で、しばらくゆっくり過ごしたら、ちゃんと島に戻ってくれ。辛い事実だけど、君ではルミナと釣り合わなかったんだ」
すこし戸惑った様子を見せたアステルだったが、すぐに酒場を後にしようと席を立った。
何も言わずに見送ろう。そう思っていたが、このままじゃあまりにも寝覚めが悪いので、呼び止めた。
「アステル。最後にいいかな」
「何だい? 言っておくけど、今さら娘を返してくれとか、志のない返答をするなら、僕は力を行使しなきゃいけなくなる」
スッと剣を構え、俺に向けた。
店内の客が「やめとけ!」と止める。
「僕だってこんなことをしたくない。けれど、力を持つものはそれだけで戦う責任がある。死んだ仲間も、君の娘が戦ってくれていたら助かったかもしれないんだ!」
アステルの真剣な形相に、酒場の客や店の人たちも何も言い返せず黙った。
俺は両手を開いて、まあまあ、と落ち着かせた。
「アステル。お前は勘違いしている。だから今から本当のことを話す」
「え?」
「船の上で海賊に襲われたよな。あれはお前の仲間が手引きしたんだ」
アステルの剣が揺らいだ。
「夜にお前と話した、次の夜だ。お前の仲間が海の向こうに合図を送っていた。海賊に襲われているときに尋問したら白状したよ」
ざわつく周囲。アステルも呆気に取られた。
「う、嘘を――そ、そうだ! お前が仲間を殺したんだ! それでそんな嘘を」
「お前の仲間も騙されていたんだろう。船の上の惨状を見たら自分から海へ飛び込んでいったよ」
「き、君は――まだ妄言を言うか!」
アステルの震えはひどくなる一方だった。
「もう一つ言うぞ。魚人の海賊や巨大クラーケン。あれを倒したの俺とルミナなんだ」
「は?」
さらに呆気に取られる。酒場の人らも、いっそうざわつきだした。
「ルミナといっしょに、なんであの程度の敵にこの人たち必死なんだろうなって見ていたら、あんまりにも必死すぎて、見ていられなくて、それで俺たちがこっそり倒した」
アステルは震えていた。もしかしたら、手ごたえがないのに魚人が撤退したり、クラーケンが倒れたことに、薄々、疑問を感じていたのかもしれない。
「――ざけるな。あの魚人もクラーケンも、倒したのは僕たちだ! 今さら名乗りを上げても、認めるわけにはいかない!」
剣先が定まらない。呼吸も荒い。
「名声はいらない。ただ、はっきり言ってお前たちは弱い。これからの道中、大陸のごろつきや魔獣に襲われるかもしれない。命がいくつあっても足りない。悪いことは言わないから、島へ帰るんだ」
怒りのまま、剣が空を切り、鞘に収まった。
深呼吸をして、アステルはどうにか怒りを収めた。
「――妄言には付き合えない。君の娘は預かる。反抗も抵抗も認めない」
アステルが拳を握りしめる。
「もし、今の話が本当だというのなら、僕たちから力づくで取り返してみろ」
酒場の入口へ歩き出す。
「あともう一つ」
アステルの足が止まった。
「船の上で夜、話した時。お前は大陸を見ていたよな。俺はその向こうの天使の塔を見ていたんだ。つまりは……そういうことなんだ」
「――ッ!」
そのまま酒場を後にした。
流れで真実を教えてしまったけど、もうちょっとオブラートに包むべきだったかなと、ちょっとだけ心の中で反省した。
でも、悪いやつじゃなかったから、できれば死んでほしくない、というのも本心だった。
しばらくしたら、ルミナが酒場に帰ってきた。
「どうだった?」
「ごめん。また魔力が勝手に……」
「――そうか」
「どうにか制御しようとしたんだけど……」
「死んでいないなら上等だよ。諦めるにはいい薬になったはずだ」
「うん……」
ルミナは落ち込んでいた。こいつもアステルたちのことが嫌いではなかったのだろう。
けれど、それと同時にアステルたちの実力では大陸では生きていけないこともわかってしまったのだろう。
「それじゃあ、俺たちは帝国に向かうとしますか。ここから近くの村まで馬車がでているみたいだぞ」
酒場のマスターが呆れてこちらを見ていた。
「嬢ちゃんこいつの娘かい? 悪いことは言わない。今すぐ家に帰るんだ。お前の父ちゃんは間違いなく悪人だぜ」
「おいおい。ちゃんと報酬払ったのにそういうこと言うなよ」
「この子の純粋さに心打たれたんだよ。本当なら金もらっても帝国への行き方なんて教えないよ。娘に感謝しな」
酒場のほかの客が「そうだそうだ」とヤジった。
見た目がどう見てもごろつきの奴ばかりだ。
そんなごろつきの一人が口を開く。
「あのアステルっていうやつらも俺らが面倒見とくからよ。さっさと行きな。ここから帝国へたどり着けるのは十人に一人。あんまり仲良くなると目覚めが悪くなる」
「その理由の一つがお前たちだろうが」
マスターが突っ込むと、ごろつきたちが爆笑した。
「でも、わたしたち、お金ないよ。馬車だってお金がいるんでしょ」
俺の腰袋から、ぱんぱんに膨れた袋を取り出す。中には金銀宝石が詰まっている。袋越しに金属の匂いがした。
「まあ、そこは何とかなったから。お前は気にするな」
ルミナの頭を撫でた。
納得いってない様子のルミナ。
「よくわからないけど、みんなわたしに隠し事している気がする」
アステルから金袋を差し出された時、そこで力を使ってアステルの意識を一瞬落とした。
その隙に金目の物を全て袋へ。この件は、口止め料を受け取った酒場の連中と俺だけの秘密だ。
仮は返す。命の方で。
生きていくなら平和な島の方が絶対に良い。
――あいつが引き返せば、それでいい。
純粋すぎるんだよ。ルミナも、アステルも。
大陸で生きるってことは、こういうことなんだ。
「それじゃあ、さっそく行きますか」
俺は立ち上がった。
「納得いかない……父さんも酒場の人たちもみんな怪しい……」
ルミナはまだぶつぶつとつぶやいている。
これで当分の間、宿も飯も心配ない。
アステルたちも早い段階で島へ帰る決断をしてくれるはずだ。
大陸への上陸は、帝国門の前座にすぎない。
――次は《城門突破》の方法だ。
次回:城門前で足止め――入稿証。並ぶか、抜けるか。
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