第7話: 試練の始まり
エルシアの邸宅に向かう馬車の中、私は緊張で指先が震えるのを止められなかった。朝から着付けや髪のセットを済ませ、完璧な装いを心がけたものの、心の中はざわつきっぱなしだ。
「マナーは昨日覚えたはずよ……」
そう自分に言い聞かせても、不安は次から次へと押し寄せる。今回のお茶会は、私にとって単なる交流の場ではない。過去の自分を謝罪し、信頼を取り戻すための第一歩。けれど、果たして彼女たちが私の変化を受け入れてくれるのだろうか。
「……やっぱり、無理かもしれない」
窓から見えるエルシア邸が近づくにつれ、その思いは強まる。それでも、ここで逃げたら全てが終わる。それは、婚約破棄を経験して嫌というほど学んだことだった。
「深呼吸、深呼吸……」
馬車が止まる音に耳を澄ませながら、大きく息を吸い込んだ。
◇
エルシア邸の庭は見事に手入れされており、花々が鮮やかに咲き誇っていた。侍女の案内で庭に足を踏み入れると、すでに何人かの令嬢たちが優雅に談笑しているのが目に入る。
「クラリッサ様、いらっしゃいませ」
その中から、エルシアが歩み寄ってきた。控えめな微笑みを浮かべた彼女は、以前の私が嫌っていた静かな気品そのものだった。
「ご招待ありがとうございます、エルシア様」
私はぎこちないながらも礼儀正しく挨拶をした。彼女の目が少し驚いたように見えたのは気のせいだろうか。それとも、私の態度が以前と違って見えたからかもしれない。
「こちらこそ、お越しいただき嬉しいです。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください」
エルシアの穏やかな声が庭に響く。けれど、その微笑みの奥に何か意図があるような気がして、私は内心で身構えてしまった。
◇
お茶会が始まり、私は他の令嬢たちと共にテーブルに着いた。会話の内容は上品で、花や洋服の話題が中心だった。けれど、私が発言するたびに微妙な沈黙が流れるのを感じる。
「クラリッサ様、そのドレス、とても素敵ですね」
隣に座るマリアという令嬢がそう言ってくれた。けれど、その目にはどこか冷ややかさがあった。
「ありがとうございます。お褒めいただき光栄です」
笑顔で返事をするものの、マリアはそれ以上何も言わず、視線をそらしてしまった。周囲の令嬢たちも、興味を失ったように会話を再開する。
「……やっぱり、簡単にはいかないか」
私は胸の奥でため息をついた。過去の自分が彼女たちにどれだけ嫌な思いをさせたのか、改めて思い知らされる。それでも、ここで逃げ出すわけにはいかない。
◇
会話が途切れたタイミングで、またマリアが私に話しかけてきた。
「クラリッサ様、この間の舞踏会の件……大変でしたね」
その言葉に、他の令嬢たちが一斉に私を見た。彼女たちの視線が突き刺さるようで、私は体が硬直するのを感じた。
「……ええ、でも私に至らないところがありましたので」
精一杯の笑顔で答える私を見て、マリアは小さく頷いた。そこに悪意があるわけではないと分かっていても、自分の立場の弱さが痛感させられる。
「クラリッサ様が変わろうとしているのは素晴らしいことだと思います」
突然、そう言って微笑むエルシア。その言葉は皮肉なのか本心なのか、私には判断がつかなかった。令嬢たちの視線が再び私に向けられる中、私はただ「ありがとうございます」と答えるしかなかった。
◇
お茶会が終わる頃には、精神的な疲労で体が重く感じられた。帰りの馬車の中、私は窓から流れる景色をぼんやりと見つめながら、今日の出来事を振り返る。
「やっぱり、簡単にはいかないわね……」
一歩踏み出したとはいえ、道のりは遠い。それでも、エルシアや令嬢たちの前で逃げなかったことは、私にとって小さな成長だった。
「次はもっと上手くやってみせる……!」
小さく呟いたその言葉に、自分の中の決意が少しだけ強くなった気がした。私の挑戦は、これからも続いていく。