第6話: 社交界への再挑戦
朝の陽光が窓から差し込む中、私は机に向かって真剣に筆を走らせていた。礼儀作法の書物や貴族の社交マナーが記された分厚い本が机の上に広がっている。その文字の列を目で追いながら、私は息をつく暇もなく頭を働かせていた。
「こんなに複雑だったなんて……」
声に出してみると、呆れと自嘲が混ざっていた。貴族たちの社交マナー。それはただ美しいドレスを着て、優雅に微笑むだけではなかった。座るときの姿勢、ナプキンの使い方、会話の間の取り方……その一つ一つが周囲の評価を左右する。
「これが、今までの私には見えていなかったなんて」
私はペンを置き、窓際の鏡を見つめた。ふと浮かぶのは、過去のクラリッサ――ゲームの中で描かれた、わがまま放題で高慢な悪役令嬢の姿だ。そして、それに重なるのは転生後の自分。私は知らず知らずのうちに、その延長線上を生きていた。
「本当に、浅はかだったのね」
呟く声は小さく、それでも胸に刺さるようだった。けれど、今は違う。私は変わりたい。そのためにこの本を開いているのだ。
深呼吸をして、目の前の書物に再び視線を戻す。覚えることは山のようにあるけれど、一歩ずつ進むしかない。それが、私の未来を変える第一歩だから。
◇
その日の午後、侍女のエリザが部屋にやってきた。彼女の手には、見覚えのある紋章が描かれた封筒が握られている。
「お嬢様、エルシア嬢からお茶会の招待状が届きました」
「……エルシア?」
私はその名前に眉をひそめた。封筒を受け取りながら、中の招待状を開く。きれいな文字で記された内容は、数日後に彼女の邸宅で行われる小規模な茶会への招待だった。
エルシア――過去に何度か顔を合わせたことのある令嬢だ。彼女は控えめで上品な性格で、社交界でも評価が高い。けれど、私は彼女を苦手としていた。理由は単純だった。ただ、目に映る彼女の穏やかな態度が気に入らなかったからだ。
「あの頃の私は、どれだけ失礼だったのかしら……」
私は封筒を手に持ったままベッドに腰を下ろした。記憶の中で浮かぶのは、彼女に向けた数々の皮肉や嫌味の言葉。
「黙っていればいいと思ってるの?」
かつて、私はそんな言葉を何度もエルシアに浴びせていた。ただの嫉妬か、それとも苛立ちだったのか。今になって思えば、理由なんてどうでもよかった。ただ、彼女にあたることで自分の地位を確認していたのだ。
「どうされますか? お返事はすぐにお出ししますか?」
エリザの声に、私は考え込む。お茶会に参加すれば、彼女や他の令嬢たちから冷たい視線を向けられるのは目に見えている。婚約破棄を受けた今、私の評判は最低の状態だ。それでも――。
「返事を書くわ。参加すると伝えてちょうだい」
「かしこまりました」
エリザが一礼して部屋を出ていくと、私は封筒をそっと机の上に置いた。逃げるわけにはいかない。それだけは、今の私にははっきりしている。
「失った信用を取り戻す……まずは、このお茶会から始めるしかない」
私は深呼吸をし、視線を窓の外に向けた。これが、社交界への第一歩。どんな困難が待ち受けていようとも、私はそれを乗り越えてみせる。
「絶対に、変わるんだから」
心の中で強く決意した。