第11話: 小さな成功の光
貴族男性との会話を終え、私はそっと息をついた。肩にのしかかっていた緊張が少しだけ軽くなる。それでも、広間の空気はまだ重い。周囲には冷ややかな視線が残り、陰口が完全に途絶えることはない。
「ほんの少しだけど……進めたかしら」
グラスを手に取り、一口飲んで喉を潤しながら、心の中でそう呟いた。陰口を浴びながらも、私がここにいることには意味がある。この一歩を無駄にするわけにはいかない。次の行動を考えながら、私は小さく微笑んだ。
◇
「クラリッサ様、よろしければ、こちらにご一緒しませんか?」
柔らかな声が聞こえ、振り返ると、品のある笑みを浮かべた令嬢が立っていた。彼女は優雅に手に持ったグラスを傾けながら、私を誘っている。
「ありがとうございます。喜んでご一緒させていただきますわ」
彼女に導かれるまま、私は隣のテーブルへと向かった。そこには数人の令嬢たちが座っており、楽しげに談笑している。
「最近、お庭に新しい花を植えたのよ。それがとても可愛らしくて――」
「ええ、私も庭のデザインを少し変えてみたいと思っているの。やっぱり花があると気分が上がるわよね」
庭の話題が弾む中、私は静かに耳を傾け、タイミングを見計らって口を開いた。
「素敵なお話ですわ。お庭に新しい花を植えるなら、最近話題になっている『セレスティアローズ』はいかがでしょう?」
「セレスティアローズ……?」
その名前を聞いた令嬢たちの表情が変わる。私は穏やかに微笑みながら話を続けた。
「南の地方で育てられている新しい品種で、青みがかった花びらが特徴ですの。夜になると星空のように光を反射するため『星の薔薇』とも呼ばれています。涼しい気候を好むので、この地方でも育てやすいそうですわ」
彼女たちの目が輝き出した。
「まあ、それはとても素敵ですわ! 夜の庭園で輝く花なんて、なんてロマンチック!」
「私も興味が湧いてきましたわ。それはどうやって手に入れるの?」
その質問に、私は庭師のルイスから聞いた話を思い出した。
「苗木は南の市場で扱われていますが、最近はこちらにも流通し始めたとか。ただ、とても人気があるので、早めに手配するのがよいかと思います」
「早速調べてみますわ。ありがとうございます、クラリッサ様」
自然と笑みがこぼれる。散歩中に庭師から聞いた知識が、こんな形で役立つとは思わなかった。これも、私が変わるために努力してきた成果の一つだ。
◇
しばらく会話を楽しむ中で、周囲の冷ややかな視線が少しだけ和らいだ気がした。庭園の話題が続き、私は自然と笑顔を浮かべていた。
「クラリッサ様、本当に植物に詳しいのですね。とても勉強になりますわ」
「いえ、それほどではありません。ただ、植物を育てるのが好きなだけですの」
謙遜しながら答えると、彼女たちはさらに私に質問を投げかけてきた。その様子に、周囲の令嬢たちも私たちに興味を持ち始めているのが分かった。
◇
そんな中、ふと背後に視線を感じた。振り向くと、広間の奥で私を見つめるソフィアの姿が目に入った。彼女はいつもの微笑みを浮かべながら、手にしたグラスを軽く傾けている。その姿には威圧感はないはずなのに、私の心の中にざわつきが広がる。
(何を考えているのかしら……)
彼女の視線は、ただ興味を持って見ているだけのようにも思える。けれど、心のどこかで警戒心が芽生えた。この広間で、彼女がただ私を見ているだけというのは、何か違和感がある。
◇
「クラリッサ様、今夜のあなた、とても素敵ですわ」
不意に優雅な声が聞こえ、舞踏会の主催者である夫人が私のそばに立っていた。彼女は穏やかな笑みを浮かべながら、私を見つめている。
「昔のあなたとはまるで別人のようです。本当に驚きましたわ」
その言葉に、胸が熱くなるのを感じた。過去の私を知っている彼女からの評価は、どんな賛辞よりも重みを感じる。
「ありがとうございます。未熟ではありますが、少しでも成長できるよう努力を重ねております」
「その努力、きっと報われますわ。あなたのような方が、この社交界に必要ですから」
彼女の言葉が、どれほど私を励ましてくれたか。陰口や試練に耐えながらも努力を続けてきたことが、少しだけ報われた気がした。
◇
舞踏会が終わり、帰りの馬車に揺られながら、私は静かに星空を見上げた。
「今日は、小さな一歩だけど、確かに前に進めた……」
令嬢たちとの会話、主催者夫人からの言葉。そして、ソフィアの視線。その全てが私にとって意味のあることだった。
「でも、これで満足しない。もっと変わらなくちゃ……」
ふと窓に映る自分の顔を見つめる。次は何が待ち受けているのだろう。彼女が私を見つめていた理由を考えながら、私はさらに進むための決意を胸に秘めた。




