第10話: 再挑戦の第一歩
「お嬢様、本当に素晴らしいです! 前よりずっと締まっていますよ!」
侍女のエリザが嬉しそうな声を上げる。彼女の手に握られているのは、私のコルセットの紐。以前より明らかに余った紐を見て、私も小さく安堵の息をついた。
「本当に? まだまだ道半ばだと思っていたけれど……」
鏡に映る自分の姿を見つめる。少しだけウエストが引き締まったおかげで、ドレスのシルエットが綺麗に見える気がする。もちろん、完璧には程遠いけれど、それでも少しだけ前に進めたように思えた。
「さあ、お嬢様。今日は舞踏会ですものね。自信を持っていきましょう!」
エリザの励ましに、私は静かに頷く。心の中には緊張が渦巻いていたが、それ以上に「負けない」という覚悟があった。
◇
馬車に揺られる中、私は自分に言い聞かせるように呟いた。
「今日はただの舞踏会じゃない……私の未来を掴むための第一歩よ」
窓越しに見える夜空には、星が美しく輝いている。少し前の私なら、こんな場所に足を踏み入れる勇気すら持てなかっただろう。けれど、ここまで努力を続けてきたからこそ、立ち止まるわけにはいかない。
「できる。私なら、やれる……」
ぎゅっと手を握りしめて深呼吸を繰り返す。緊張は完全には消えないけれど、怖気づいてはいられない。
◇
舞踏会の会場は息を呑むほどに華やかだった。広間の天井には巨大なシャンデリアが輝き、壁には精巧な彫刻や装飾が施されている。貴族たちの笑い声と音楽が重なり合い、まるで別世界のような光景だ。
「お嬢様、どうぞこちらへ」
案内役の執事が私の名前を読み上げる。広間の扉が開かれ、中へ一歩足を踏み入れると、視線が一斉に私に集まるのを感じた。
◇
「クラリッサ嬢、久しぶりね」
声をかけてきたのは、以前から私に対して厳しい態度を取っていた令嬢だった。彼女は相変わらず完璧な笑顔を浮かべているが、その奥にある冷ややかさは隠せていない。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」
私は笑顔を作り、丁寧に返す。それ以上の会話は続かなかったが、彼女が私を値踏みするように視線を走らせるのを感じた。
「やっぱり、変わっていないと思われているのかしら……」
小さく息を吐き、次のテーブルへと歩みを進める。感じるのは陰口と好奇の視線ばかり。それでも、ここで逃げ出してしまえば、すべてが無駄になる。
◇
「少し痩せたみたいね。でも、結局は――」
「婚約破棄された身分で、よく来られたものね」
背後から聞こえてくる小さな囁き。それは鋭い刃のように胸に刺さる。それでも、顔を歪めることなく、ただ前を向く。ここで負けるわけにはいかない。
「気にしないで……無視するのよ……」
自分に言い聞かせながら、冷静さを保つ。歩くたびに足が重く感じるけれど、後ろを振り返ることだけはしない。
◇
テーブルに着き、冷たい飲み物を手に取る。グラスの冷たさが少しだけ私の緊張を和らげてくれた。喉を潤しながら深呼吸を繰り返し、周囲を見渡す。
貴族たちはそれぞれ会話を楽しんでいる。華やかに笑い合うグループ、静かに視線を交わす男女。どれも洗練された空気を纏っていて、その輪の中に入るのは簡単ではなさそうだ。
「でも……私は負けない」
静かに呟きながら、もう一度深呼吸をした。その時、ふと気づいた。近くに立っている貴族男性がこちらを見ている。彼は軽く微笑みながら、私の方へ歩み寄ってきた。
「クラリッサ様、少しお話をしてもよろしいでしょうか?」
その言葉に、私は思わず微笑んだ。
「もちろんです。よろしくお願いいたします」
周囲の視線が一斉にこちらに向けられるのを感じる。彼が貴族として名の知れた家の次男であることを知っているからだろう。令嬢たちの間でさえ、少しざわつく気配が広がる。
◇
彼との会話は、意外なほどスムーズだった。舞踏会の音楽や会場の装飾、さらには最新の流行について話が弾む。礼儀作法や会話術を学んだ成果が、ここで少しだけ発揮できたように思えた。
「クラリッサ様、以前の印象とは少し違いますね。とてもお話がしやすくて、知的な方だ」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなる。努力が少しずつ実を結び始めているのかもしれない。だが、その温かさの裏には、まだ拭えない不安もある。
「ありがとうございます。もっと成長できるように、これからも頑張ります」
控えめに答えると、彼は満足そうに頷いた。その瞬間、少しだけ周囲の視線が変わった気がした。陰口や冷ややかな視線が、少しずつ興味に変わり始めている。
「少しずつでいい。この一歩を大切にしていこう」
私は心の中でそう誓いながら、彼との会話を続けた。