第8話 獣の少女
獣は夢を見ていた。
夢の中で必死に逃げる。口にするのは謝罪の言葉。追いかけてくるのは共に育った同胞達。彼らは決して許してはくれない。群れの長にも見限られてしまった。
自分のせいで里を追われた。人間達と上手く共存できていたのに、自分のせいで皆の正体がバレた。
──人に化ける獣。
牙で噛みつく事よりも、爪で切り裂く事よりも、人を騙す事に特化した獣。
人間達はこちらの正体を知るや否や、獣を駆除しようと槍を持ち、我々の同胞を殺した。獣は自分達を守る為、故郷である里に火をつけ、共に過ごしてきた人間達を手にかけた。獣の存在を世に広めない為に、自分達の死まで偽装して。全ての痕跡は灰燼へと消えた。
人が大量に死んでは国も動く。そんな中、身元の分からない人間が大量に現れれば怪しまれると考えた獣達は、獣の姿のままほとぼりが冷めるまでとある森に身を隠す事にした。
行く先はお伽の森。人が寄りつかない秘境。獣達の新たな住まいだ。
しかし、そこに自分の居場所は無い。
同胞に追い回され、牙で噛まれ、爪で切り裂かれ、暗闇の中を逃げて逃げて、とうとう力尽きた。このまま死ねば楽になれるだろうか。自分の居場所は天国にあるのだろうか。それとも地獄にあるのだろうか。
浮上していく意識。覚醒して目にしたのは天国でも地獄でもなく薄暗い天井だった。
「ここは?」
どこかの掘っ立て小屋だろうか。粗末な内装にガラクタで埋め尽くされた埃っぽい部屋の中。獣は自分が布団で寝かされている事に気づく。
体に包帯が巻かれている事から、誰かが手当してくれたと察する。周りを見ても誰もいないが、そばには食べやすそうにカットされた果実が置いてあった。久しく口にしてないまともな食べ物を前にして腹が強請る様に声をあげる。
恐る恐る手を伸ばし、躊躇いながらも果実を口に運ぶ。
食べていると安心感の他に色んな感情が込み上がってきて涙がでる。獣はそれを拭いもせず、ただ食べ続けた。
泣いていると小屋の外から物音が聞こえて、獣は慌てて涙を拭った。
「気がついたか」
「お主は……?」
入ってきたのは人間の少年だった。少し長い黒髪を後頭部で纏め、悠然とした態度でこちらを見る金色の鋭い眼孔。例えるならオオカミの様な孤高さを感じる少年だ。
「覚えてないか? お前、森で獣に襲われてただろ。偶然通りがかってな。仕方ないからここまで運んだんだ」
「ああ、そうじゃ……。そういえば……」
経緯を説明されて獣は徐々に気絶する前の事を思い出していく。同胞に襲われた事、その最中にこの人間が現れた事。
「──っ!」
そして気づく。
あの時、怪我をしていて逃げる体力も無かった自分は、この人間から身を守る為、咄嗟に獣の姿から人間の姿に化けた。でもひょっとしたらその瞬間を見られたかもしれないと考えて警戒を顕わにする。
「どうした?」
「……見たのか?」
「見た? ああ! まぁ……見たけどさぁ……」
「っ!?」
その言葉に獣の心臓が警鐘を鳴らす。
「仕方ないだろ。あのままって訳にもいかなかったし。そもそも何で裸で森の中に……」
「裸……?」
続いた人間の言葉に正体がバレた訳ではないと安堵した。
しかし今度は自分が裸だった事を思い出す。いま獣は包帯以外何も身に着けてない。大事なとこは包帯で隠れているが、そもそも手当てを受ける時には自分は生まれたままの姿だったはず。そう思うと途端に顔から火が吹き出して、今は無い全身の体毛が逆立った気分だ。
獣とはいえ人間社会で過ごしてきた身。人としての羞恥心は当然にしてあった。
「なっ!? スケベ! 変態! 見るでない!」
獣は自分の体を隠す様に抱きしめる。そして近くにあったガラクタを手当たり次第に投げつけた。
「ちょ!? バカ投げんな! 俺のお宝!」
「……お宝?」
その言葉に獣は手を止める。そして手の中にあるガラクタを今一度よく観察する。それはお宝と呼べる程、価値ある物とは思えない代物だった。
周りのガラクタ達もそうだ。使い道の無さそうな雑多品ばかり。
動いていない古時計。レコードの無い蓄音機。歯車が噛み合わないオルゴール。紙に書かれたよく分からない何かの図面。ひび割れた木彫りの像。一つだけではどうしようもないチェスのコマ。リングにジャラジャラと付けられた何処に使うかも分からない鍵の束。
「どう見てもガラクタじゃが……」
「ああガラクタだよ。別に良いだろ。ったく」
「あ……すまぬ」
「……」
さすがに手当てしてくれた相手の私物を粗末に扱っては気が咎める。人間はガラクタに傷がないか調べ始め、そのまま気まずい沈黙が流れてしまう。
「聞いてもよいか? ここはいったい……なんなのじゃ?」
意を決して獣は質問した。
改めてこの小屋は何なのかと周りを確認する。窓から見える景色は暗く、今が夜だという事はわかる。夜間で見えづらくとも、外は樹葉で満たされており、漂ってくる緑の香りから、まだここが森の中だという事は想像できた。
「ここは俺の……まぁ、家だ」
「家? ここは人も寄りつかない秘境のはず。お主はいったい?」
人間は何か隠しているのか、バツが悪そうに言い淀む。そして苦々しく口を開く。
「俺は……その。森の……妖精? 的な」
「は? お主……頭大丈夫か?」
ふざけてるとしか思えない返答に、思わず失礼な態度で聞き返してしまう。そんなこちらの態度に反発してか、今度は人間が問いただしてくる。
「そういうお前はなんなんだ? どうしてこんな森の奥に……。それも裸で」
「裸の事は言うな……。わしは……」
今度はこちらが言い淀んでしまう。自分の正体は明かせない。この森に来た経緯も明かせない。咄嗟に都合のいい嘘が思いつく訳もなく。獣はただ沈黙してしまう。
こちらの沈黙に諦めたのか人間は頭を掻いて溜め息をこぼす。
「まあいい、詳しくは聞かねえよ。色々訳ありなんだろ。けど名前くらいは教えてくれねぇか?」
「……」
「俺はスティン。お前の名前は?」
「わしは……」
獣は一度顔を伏せたあと、遠慮気味に名乗った。
「──シオン。わしの名はシオン」