第7話 運命
頭領との会談を終え、自室に戻る。
スティンの自室は植物でできた五階建ての集合住宅。最上階にある一番端っこの角部屋だ。部屋の中は机やベッドにタンスや棚といった家具が取り揃えられている。
机は自分の装備品を整備、または作成する作業台としての役割が強く。出しっぱなしの工具や、工作に使われたと思われるワイヤーや金具がそのままになっている。
棚には何種類かの薬草やキノコが箱詰めされており、スティン自ら調合した傷薬の他、睡眠薬や幻覚薬、煙玉に閃光玉、さらにはやどりぎの種など、盗人家業の必需品が保管されていた。
スティンは帰ってきて早々、灯りも付けずに窓際のベッドに身を投げる。丸い十字窓から差し込む月明かりを浴びて物思いにふけこんだ。
(心を盗めだって? それも女の……)
先の仕事でついでにと盗んだ純銀のボタンを眺め、指で転がす。思い返すのは先ほどの頭領との会話。最終試験について。
別に不満はなかった。不安も……。
このボタンの様に女を弄ぶだけの簡単な試験だ。
なのに釈然としない。名状し難いこの気持ちに悶々としていると、心をくすぐる様な石鹸の香りが鼻をかすめる。
「な~に見てるの?」
「おわっ!?」
驚いて飛び起きると、枕元に寝転がるソラがいた。
「何してる!?」
「えへへ。ビックリした? スティンを驚かすなんて私も中々やるもんですな〜」
悪戯が成功した子供みたく喜ぶソラ。それを見て思わず力が抜けてしまう。
「ったく」
「それで何見てたの? ……何それ?」
「別に……。ただのガラクタだ」
ボタンを懐にしまい、ベッドに腰掛ける。それを見てソラもまたベッドにちょこんと座り直す。
そばにいると感じられるソラの体温は明らかに高く、熱と一緒に伝わってくる石鹸の仄かな香りから、彼女が風呂上がりであろう事が容易に察せられる。
どうして自分の部屋にいるのか聞こうとしたが、それよりも彼女の格好を見るとそちらに対して疑問が浮かんだ。
「なんだその服?」
「えへへ。どうこれ? 試験中に偶然見つけたの。振袖っていう東洋の衣装。綺麗だな〜ってつい盗んじゃった」
ベッドの上でソラは豪華絢爛な振袖で着飾った自分を見せつける。正しい着付けを知らないのか、少し崩れた着こなしになっていたが、そんな事よりも東洋という言葉を聞いて先程のアルチルの妄言を思い出す。
「東洋? まさか、それを着たら森の声が聞こえるなんて言わないよな」
「何それ?」
「いや何でもない。……にしても動きづらそうだな。派手だし目立つし。東の人間って皆そんなの着てるのか」
「そういうんじゃなくてさ〜。もっとこう──」
「……もっと何だよ?」
「いや別に〜」
何か言いかけたが、ソラは拗ねた様子で口をつぐんだ。なぜ不機嫌になっているのかは分からないが、どうせこの様子だと教えてくれないだろうと思い、最初の疑問を投げかける事にした。
「それで? 何で俺の部屋にいるんだ?」
その質問にソラは少し慌てた様子を見せて答える。
「それは……えーと。ほら! 試験! 最終試験何だったのかな〜って気になっちゃって。私もいずれ受けるわけだし」
「明日で良いだろ。わざわざ人の部屋にまで忍び込んで──」
「待・て・な・か・った・の! それでそれで! 最終試験って何盗むの?」
そこでスティンは「あ〜」と言葉を濁す。何と説明すれば良いのか。ストレートに女の心を盗むなんて、自分の口から告げるのは小恥ずかしかった。
色々悩んでいると、頭領のある言葉が頭をよぎった。
『女の心を盗んでこい』
『ソラとかどうなんだ?』
ソラを口説くなんて考えた事もなかった。しかし、目の前にいるのは確かに女。スティンは練習には丁度良いと思った。
(女を口説く……。試してみるか)
スティンはソラの顔をじっと見つめる。
「スティン? ど……どうしたの?」
恥ずかしがるソラをよそに、スティンはどんどん顔を近づける。無言で迫るスティンにソラは思わず後ずさり、そのままベッドに押し倒される形になる。
「……ふぇ?」
静かな部屋の中、不思議とソラの鼓動が聞こえてくる気がした。
(女を口説く……女を…………ソラを…ってできるか!?)
言葉を探していると、急激に心臓と背中がむず痒くなったスティン。その感覚から逃げる様に部屋から飛び出してしまう。
自分のベッドで放心するソラを残して……。
「…………なんなの……?」
残されたソラの体は真夏の夜みたく熱がこもり、熱くてジンジンする耳は心臓の鼓動と重なっていた。
思わず部屋を飛び出したスティンは、そのまま里の外にまで飛び出していた。
風呂上がりのソラの体温がこっちにまで移ったのか、無性に体が熱かった。その火照りを冷ます為に森の中を彷徨った後、スティンは高くそびえる木の上枝に腰を下ろす。
(女を口説くか……)
「はぁ……バカらしい」
女を口説く事が思っていた以上に気恥ずかしいと思い知ったスティンは珍しく自嘲気味に呟いた。
落ち込んだ気持ちで空を見上げると、そこには雄大な満月が浮かんでいた。
今の自分とは程遠い、どこ一つ欠けることの無い完璧な存在に思わず手を伸ばす。しかし、決して手は届かない。それどころか雲に隠れ陰っていく。
虚空を切った手はその虚しさを紛らわす為か、懐にしまっていた月を模った純銀のボタンを弄ぶ。
「今日はあっちで寝るか……」
何となく帰りづらいスティンは里とは違う方向を目指す。
「ん?」
枝から枝へ跳んで森を進んでいる最中、マングローブの様に入り組んだ大量の木の根に足を取られて動けなくなってるシカを見つける。
「間抜けな獣もいたもんだな。干し肉にでもするか」
地面に降り立ちナイフを取り出して近づくと、こちら気づいたシカはその視線をスティンに向けた。シカは近づいてくる死神をただ見つめる事しか出来ずにジッとしている。
人間の眼にはその人の感情が強く現れるが、人間とは違うシカのその瞳からは感情が何一つ読み取れなかった。恐怖で怯えているのか、死を悟り諦観しているのか。
そんな暗い瞳を見ていると、頭領のコレクションを思い出してしまう。獣の皮を文字通り剥いで作る剥製だが、本物の眼球は使用できない。なので義眼を使用しているのだが。
これから死を迎えるこのシカの瞳が、剥製の無機質な義眼と重なって物悲しく感じた。
「……」
気付けばスティンはナイフをしまい、シカを助けていた。
木の根に挟まった後ろ足を掴んで引き抜くと、自由になったシカはスティンから少し距離を空けてこちらを一瞥する。そしてそのまま森の奥へと消えていった。こちらを見るその瞳にはどんな感情が宿っていたのか、助ける前と後で何か変わったのだろうか。スティンには結局、獣の心は読み取れなかった。
(なに無駄な事してんだろ。あんな間抜けな奴。ここで助けてもどうせすぐ死ぬだろうに……)
自分の意外な行動を奇妙に感じていると、今度は草木を激しく蹴る音が聞こえた。何かが凄い勢いで森を駆け抜けている様だ。
「何だ?」
様子を見に行くと狼の様な獣二匹が茂みに向かって吠えている。黒と白銀の美しい毛並みを持った体長一メートルくらいの獣だ。
(狼? あんな獣この森にいたか? どこからか移住してきたのか)
獣達は茂みにいる何かにうるさく吠えている。
咆哮は森に響き渡り安眠を妨害する騒音と化す。これから眠るスティンにはとても迷惑な獣達だった。
ナイフを持ってその騒音元を狩ろうとも思ったが、先程のシカ同様に命を奪う気持ちになれなかった。スティンは木の枝から降り立ち、そのまま獣達の前に姿を見せる事にした。
こちらに気づいた獣達はスティンをひと睨みした後、そのまま逃げていった。不思議とその瞳からは先程のシカと違い、獣達の敵意や警戒といった感情がハッキリと伝わってきた気がした。
(何に吠えてたんだ?)
獣達を見送った後、スティンは先程の獣達が吠えていた茂みに目を移す。月が陰って暗くなった森では、その茂みに何がいるのかわからなかったが、丁度良く雲の切れ間から月明かりがこぼれた。
月光に照らされ、茂みの中の正体が姿を現す。
────それは、とても美しい少女だった。
月の光を宿した腰まである美しい銀髪、神秘を化粧の様に纏った白い肌。見ているだけで沸騰する様な赤い瞳は怯えつつも、こちらを貫くかの如く睨みつけている。
「…………ッ」
スティンは手を伸ばしても決して届かないあの満月から天女が降りてきたかと思った。
天女は一糸纏わず、全身の所々に獣に引っ掻かれた様な傷があり、血を滲ませていた。
しかし、それで彼女の神秘的な美しさを損なわれる事はなく。むしろその赤い血が、幻の様な彼女を現実に実在している命ある存在なんだと強く認識させてくれる。
現実離れした美しさに言葉を忘れていると、天女は力尽きた様に気を失った。
「あ、おい!」
慌てて駆け寄るスティン。近くで見ると、より際立つその美しさに生唾を飲むも、まずは命に別状は無いか確かめる。呼吸はしているし、出血もそこまで酷くないが、何も着ていないぶん体温が低かった。
対応に困ったスティンだったが、傷の手当する為に彼女を抱き抱え、場所を移動することにした。