第6話 忘却の霊薬
「──は? 頭領…。今、何て言った……?」
「もう一度言うぜスティン。お前ェさん、女の心を盗んでこい」
「…………?」
スティンは自分が何を告げられたのか理解できずにいた。
理解する為に全身に血液を駆け巡らせ、脳に全力で酸素を叩き込む。今スティンは自分の脳が爆発的に活性化しているのを感じた。しかし脳は凄い勢いで右往左往するばかりで、答えの出ない堂々巡りにスティンは間抜けなほど固まっていた。
「あー。要はあれだ。嫁連れてこいって話だ」
「はぁ!?」
見かねたのか頭領が言葉を噛み砕いて伝えると、スティンは素っ頓狂な声をあげた。
「言ってみりゃこいつは成人の儀みてぇなもんだろ。お前ェもそろそろ所帯を持っても良い年頃だしな。誰か気になる奴とかいねぇのか? ソラとかどうなんだ?」
「何でソラ!? 関係ないだろアイツは!」
「昔から仲良いじゃねぇか。結構意識してたりして──」
突然出てきた幼馴染の名前に慌てて否定する。鼻奥がムズムズして、背中に変な違和感を感じてならなかった。そんなこそばゆい不快感を今すぐに払拭したくて言葉を並べあげる。
「ただの幼馴染だっての! そもそも結婚なんて興味無いからな俺!」
「カッ〜。初心だね〜、お前ぇさんも」
ニヤニヤしてる頭領。揶揄われているのだろうと感じたスティンは上りつつある怒りを飲み下し冷静に詰め寄る。
「頭領。いつまでも冗談言ってないで、さっさと本題に入ってくれ」
「へぇへぇ。せっかちな奴だ」
頭領はこちらの圧に押されたのか、仕切り直す様子で頭を掻いた。やっぱり頭領の冗談だったかと安堵する。
「確かに嫁云々って話はお前ぇの言う通り冗談だ。だがまったくの噓ってわけじゃねぇぞ。最終試験のお宝はさっき言った通り女の心だ」
「なんだって?」
と思いきや、舌も引かぬうちに予想を裏切る返答。二転三転する会話にスティンは顔をしかめるしかなかった。冷え込むような疑いの眼差しを向けるも、頭領は意にも介さず、それどころか煙管を蒸し始める。
「盗むってのは何も形ある金品だけじゃねぇ。ある意味お宝より価値があるもの。そいつは情報だ。盗む前の下準備にも情報は欠かせねぇだろ? 警備の数、潜入ルート、お宝の在処。情報をどれだけ仕入れるかで盗みの成功率は跳ね上がる。これまでの試験では里から前もって情報を与えられていたが、これからはその情報も盗まなきゃならねえ。いや何よりも盗むべきお宝もお前ェ自身が探さねぇとな」
煙を吸い込んだ事で頭が冴え渡ったのか、雄弁になる頭領。吐き出された煙は役目を終えたとばかりに空中で離散していく。
「特に神の忘れ物なんかは唯でさえ情報が少ねぇ上に信憑性にかけるもんが多い。世界中で集めた情報を里で共有して精査していかねぇと見つけるのも難しい。それだけ情報ってのは重要っつー話だ」
情報が重要だという事はスティンも理解していた。しかし成程、それを盗む物と捉える事はこれまでになかった考え方だった。
「人を欺き、騙して、隠してる情報を奪い取れ。それが出来てこそ真の盗人ってもんだ」
説明を終えて一服する頭領。反対にスティンの曇り顔はまだ晴れない。説明に対しある程度納得はしたが、まだ根本的な疑問が残っていたからだ。
「要は人を騙す技術を示せって事か。話は分かったが、それがどうして女の心になるんだ? そもそもな話、形の無い物をどうやって盗んだと判断するつもりだ。何かしらの情報ならともかく、心なんて情報より不明慮だろ」
「それはコイツを使って判断する」
「何だそれ?」
スティンの疑問を予想していたと言わんばかりに頭領はある物を取り出した。
「────忘却の霊薬」
ガラスの子瓶に詰められた怪しい薄青色の液体。頭領がいうには薬らしいが、見る者を惑わす妖艶な雰囲気を感じる。
「なあ、心で一番強ェ感情って何だと思う?」
「?」
「愛だ。愛は何よりも優先される。愛っつう免罪符があれば人はどんな事でも出来ちまう。この薬はな、その愛を奪う薬だ。この森の奥地で自生しているフェーレンの花で精製された特殊な薬で、飲むと手前が愛した相手の全てを忘れさせちまう魔法の薬。これもまた神の忘れ物って奴だ」
「フェーレンの花? そんなのがこの森に……」
この森で生まれ育って十五年。初めて聞く花の名前に驚きを隠せない。まさかこんな身近に神の忘れ物があるとは知りもしなかった。頭領も「かなり入り組んだ場所にあるからな。知らねぇのも無理はねぇさ」と補足していた。
「この薬を使って最終試験の合否を判断する。お前ェの為に手前の全てを捨てても良いと考える程に、女の心を奪ってみせな。真の一流ってのは分野問わず相手を魅了しちまうもんだぜ」
「女の心を盗めってそういう事かよ……」
最終試験の全貌がようやく明らかになる。予想の斜め上をいく内容であった為か、スティンはすっかり気勢をそがれていた。そんなスティンの心情を察してか頭領が冗談を一つ加える。
「まぁそれになんだ。これから大人の仲間入りするってぇ奴が女の一つも知らねぇのはカッコがつかねえだろ」
「余計なお世話だっての」
スティンの言葉にケタケタと笑う頭領だったが、急に真剣な面持ちになって釘を刺す様な事を言ってくる。
「だが忘れんじゃねぇぞスティン。お前ぇさんはあくまでも盗む側、くれぐれも本気にならねえようにな」