第5話 骨を纏う頭領
頭領の家は里の奥に位置し、一戸建てでニ階もある屋敷だ。他の建物と違って所々に大きな動物の骨の装飾が目立ち、無骨で重厚ながらも攻撃的な印象を与えてくる。しかして、その印象を優しく包み込む様に後ろには巨木が鎮座し、少し歪な形ながらもその太い幹と根っ子で屋敷を守る様に寄り添っている。
「頭領。入るぞー」
入口の帳を潜り屋敷に入る。玄関を過ぎ、軋みそうな床板を音も無く歩くと、十五畳程の板の間がスティンを出迎える。蝋燭の灯りに照らされた仄暗い部屋には床の間があり、揺れる炎がかけじくを怪しく演出している。
部屋の片隅には使い古した囲炉裏がまだまだ現役とばかりに設置されており、藁で編み込まれた座布団は少しほつれつつも、その様相をしっかり保っていた。
上を見上げると、天井には円を描く様に吊るされた大蛇の骨が威嚇するかの様にこちらを睨み、ゆらゆらと不規則に揺れる蝋燭が生きてるはずも無い大蛇を静かに躍動させている。
「頭領?」
蝋燭がともっている事から留守ではないと思ったが、もう一度試しにスティンが頭領を呼んでも返事は無い。部屋から出たスティンが屋敷の中を捜索するも、頭領は影も形も見つからない。しかし、目を閉じて神経を研ぎ澄ませると、屋敷の中に僅かな気配を感じ取れた。
スティンは思った。これは頭領に試されているんだなと。俺を見つけてみろと。
そのままか細い気配を辿ると、一つの扉の前でスティンは立ち止まった。他の部屋の扉よりも年季を感じるそれは、廊下奥の物置部屋だった。この中から何か気配を感じるスティンはおもむろに物置部屋に入った。
物置の中はたくさんの動物で埋め尽くされていた。
様々な種類の動物達が微動だにせず固まったまま一堂に並んでいる。その目には生気が宿らず、生き物の命を感じさせない異様な光景だ。
それもそのはず。動かないそれらは全て動物の剥製だった。
中には剥製だけでなく骨格標本まである。これら全ては動物をそのままコレクションとする頭領の趣味。頭領は宝石や歴史的価値ある物よりも、こういった生々しい物を好む盗人だった。
(頭領のコレクション……。また増えたなぁ)
以前よりコレクションの数が増えている事に気づくスティン。世界中の動物達を全て収集する気だろうか。収まるところを知らないその収集欲は、さすが盗人の里の頭領といったところか。
その頭領を探して部屋の中を見回していると、剥製の内の一体。黒い毛皮の熊に違和感を感じた。その違和感の正体を探るべく、スティンは顔をそっと近づけて熊の剥製をジッと見つめる。
剥製の瞳に反射した自分が写った。
──その時。
剥製と思っていた熊が牙を向けて威嚇してきた。時間が一瞬弾けたかと錯覚させる程に突然の事だったが、スティンは冷静に距離を空ける。すると、熊が唐突に喋り出した。
「はっはー! 良い反応だ! よくぞ見破ったスティン」
熊が喋ったかと思えば、おもむろに毛皮を脱ぎ出す。どうやら剥製の中に入っていたのはワタじゃなく人だった様だ。
熊の毛皮から出てきた熊程の巨漢。しかし、ゴツいという訳ではなく、盗みの技術を損なわないスラっとしたしなやかさを兼ね備えた肉体。この大柄な男がこの里の長。盗人達の頭領である。
先程のアルチルの同様、子供のイタズラみたいな出迎えをしてくれた頭領にスティンはやれやれと肩が下がった。
(アルチルと同じ様な事して……)
口にしようとした言葉は思考だけに留めた。口にすれば頭領の機嫌が悪くなっていただろう。実を言うと頭領とアルチルの仲はあまり良くない。頭領はアルチルをよく邪険にするし、アルチルの方は頭領に何か言う訳ではないが、顔を合わせない様に無視している。二人の間にどんな確執があるのか。過去に何があったのか。スティンが物心ついた時にはもう拗れていた。
(仲悪いくせに変なところが似てるんだよなぁ)
「ガキみたいな事しないでくれよ」
「あーっはっは! すまんすまん!」
そのまま物置を出た二人。先程の囲炉裏がある板の間に戻り、頭領が「よっこらせぃ」とかけじくが飾られている床の間に座る。ふつう床の間は神聖な場所とされ、座ってはいけなのだが盗人にそんな常識を気にする奴はいない。スティンも特に気にした様子もなく、そのまま対面して腰を降ろす。
物置を出る際に動物の毛皮を脱いだ頭領だが、今度は動物の頭蓋骨を頭に冠っている。頭蓋骨には大きな角があり、宝石や美しい刺繍を施された布などで装飾されている。これが頭領にとっての王冠なのだろう。
王様に限らず、人の上に立つ者は王冠を被りたがるのだろうか。自分には不要だと言わんばかりにスティンは課題である王冠を提出する。
「ほら、今回のお宝」
「おー! 流石だスティン。今回の獲物は熟練の盗人でも難しいものだったが。いや大したものだ」
箱の中を確認した頭領はスティンを手放しで褒めちぎる。
「あれくらい楽勝だったよ。少し期待してたけど、てんで話にならない。ガッカリだ」
スティンの返事に気を良くして頭領は笑い声を上げる。
頭領は何がそんなに嬉しいのか「そうかそうか!」と拍手する様に、自身の太腿をバシバシと豪快に叩いていた。
「そうだスティン! お前飯はまだか?」
「ん? まぁ、軽く摘んだくらいだ」
「実は良い熊肉が手に入ってな。どうでぃ? これから熊鍋でも」
先ほど幼馴染から盗んだパイの一切れ。食べ盛りのスティンの胃袋には物足りないものだったが、スティンの今の心は食べ物より最終試験で満たされていた。
「いいよ。それよりも最終試験について詳しく……」
「遠慮すんなって。ほれほれ、こっち座れ」
そんなスティンの返事を強引に遮って、頭領は鍋の支度をし始める。
(聞いといて聞かないのかよ……)
人に尋ねておきながら、最初から聞く気のないそのスタンスに少し苛立ちを感じるスティン。しかし、空腹なのもまた確か。大人しく御相伴にあずかる事にした。
頭領と熊鍋を突き合い、腹も膨れてきたところで頭領が陶器瓶から酒を注いでこちらに進めてきた。
「いや、俺酒は……」
「まぁそう言うな。お前ももうすぐ成人なんだから。ほれ一杯」
大人が酒も飲めないんじゃカッコがつかないかと、スティンは酒を口にした。すると慣れていないアルコールの味よりも別の事に驚いた。
「んんっ? 冷たい?」
「はっはっはー。驚いたか? 実は最近面白ェもんが手に入ってな。ほれ」
頭領が酒の入った陶器瓶から取り出したのは少し太い筒状の金属容器。そしてその中から出てきたのは掌サイズの氷だった。
「氷?」
「こいつはただの氷じゃねぇ。大昔、魔法使いが作った溶けない氷ってやつだ。火を近づけても溶けずにずっと冷気を放ち続ける代物で。これさえありゃ暑い日も快適。いつでも冷てぇ酒が飲めるってもんよ」
魔法の氷を興味深く観察するスティン。
「神の忘れ物か……。最終試験はいよいよその手の類なのか?」
囲炉裏の薪がパキっと音を立てたのを最後に、糸を引っ張った様な静寂が走る。
スティンのその挑戦的な笑みに、頭領はこれまでの試験をしみじみと振り返り始めた。
「感慨深ェな。お前ももう最終試験か。試験が始まって三年。お前が生まれて十五年。早ぇもんだ。俺はこれまで色んな盗人を見てきたが、お前程盗みの才能に溢れた奴を見た事がねぇ」
──俺はお前にこそ跡を継いで欲しいと思ってる。
吐露された頭領の本音。その言葉にどれだけの期待が含まれているのか、長の座を継ぐ事に乗り気じゃないスティンには分からなかったが、頭領は構わず話を続ける。
「これまでお前には敢えて難しい課題を出してきたが、それは全部お前が次期頭領として相応しいかを見定める為だった。そしてお前は見事、その期待に応えてきた。実力に疑い様はねぇ。次でいよいよ最後。これに受かれば晴れて一人前だ」
跡を継ぐ事はともかく、合格を目指しているスティンはその言葉に気を引き締める。どんな困難なお宝でも盗んでやるという絶対の自信の元。スティンはいよいよ語られる最終試験の内容に耳を傾けた。
「いいか? 最終試験で盗む最後のお宝。そいつは……」
──女の心だ。