第1話 月夜の盗人
形の無い物、目に見えない物、触れられない物。
綺麗なのか汚いのか、硬いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのか。
不確かで、けれど確かに存在している。
心という名の宝物。
その宝を盗むには……何が必要だろう。
恋か。愛か。
それとも───嘘か。
月が真上に昇る頃。
蒼銀の光はスポットライトの様に、舞台を演出している。
人口五十万人程の大国。
その中心に主役の如く佇む王城には、観客と言う名の警備が張り巡らされている。
そんな大舞台の中でも彼には関係ない。
高い城壁を越え、警備の目を掻い潜り、城への侵入を果たす。
目指すは今回お目当てのお宝が保管されている宝物庫。スポットライトから隠れる様に、彼は音も無く進んでいく。
途中、巡回している警備兵を見つける。無視しても良かったが、彼は茶目っ気を出して警備兵の背後に姿を現し、そのまま後ろを堂々と歩いた。さながら案内人と客人の様に。
ふと警備兵が立ち止まって後ろを振り返ると、彼は死角を縫うように警備兵を抜き去った。何事も無くそのまま巡回に戻る警備兵を彼は影から嘲笑う。その手には抜き去る際に警備兵から盗んだであろう純銀で出来た制服の装飾がキラリと光った。
そして彼は本来の目的を果たす為に再び暗闇の中へ消えていく。
彼が次に現れたのは月明かりの下だった。
見張りの為に高く作られた城壁塔。でもそこよりほんの少し高い場所、塔の屋根に彼は居た。灯台下暗しという言葉があるが、どうやら上にもその光は届いていなかったらしい。このすぐ下で塔番が寝ずに見張りをしていると思うと愉快で仕方なかった。
アリの様に働く警備兵達も、まさか自分達が守るべき物の一つである国宝が既に盗まれているなんて考えもしていないだろう。
「無駄なお仕事ご苦労様」
彼──盗人スティンは自分と違って仕事に失敗した警備兵達を嘲弄する。
漆黒の衣装を身に纏い、消音性に優れた靴や動きを阻害しない程度の革鎧、腰布には刺繍がされており何処か民族的な印象を与える。顔を隠す為のフードとスカーフは一仕事終えたと外されており、彼は気持ちの良い夜風を堪能している。
「期待した割に今回も楽勝だったな」
難しい仕事になるだろうと予想していた。何せ今回盗むのは国宝。しかし、実際のところ肩透かし気味に感じていた。
彼の手には数々の宝石で彩られた王冠が握られている。軽く投げたり、指に引っ掛けて回したり、頭に乗せて王様気分を味わってみたりと、城の者が見たら間違いなく卒倒する手つきで国宝を弄んでいる。
「これで九十九個目。いよいよだ」
彼にとってこの盗みは通過点に過ぎなかった。今回を合わせた過去九十九回もの盗みは次に行われる最終試験の為。
彼の故郷は盗人の隠れ里。いわゆる泥棒の里であり、里の住人全員が盗人である。里には敷きたりがあり、住人は幼少期から盗みの技術を磨き、成長すると里からの試験を受ける事になる。
その試験とは里から提示されるお宝を百個盗む事。これに受かって初めて一人前と認められる。今はまだ里から定められたお宝しか盗めないが、一人前と認められれば大きな仕事を任せて貰えるし、自分の裁量で自由に盗みができる様になる。
中には合格出来ずにずっと半人前でいる盗人もいるが、彼には最終試験に対する不安や恐れはなかった。自分なら間違いなく合格出来ると自負し、この時が来るのをずっと待ち焦がれ、いったい何度月を眺めただろうか。
「さて里に戻って頭領に報告だ」
感傷に浸たるのを辞め、おもむろに立ち上がる。
「それからコイツも──」
そう言って懐から取り出したのは警備兵からくすねた純銀のボタン。この国の象徴である月が模られている。
試験とは関係無い今回の戦利品。試験課題は全て里に提出する為、彼は自分の手元に残る様にいつも何かを記念に持ち帰っていた。そこに価値を気にする意図は無く、気に入った物を盗む。今回はそれがこのボタンだった。
指で弾いた純銀の月は、空に浮かぶ青い満月と重なった。
「──は? 頭領…。今、何て言った……?」
「もう一度言うぜスティン。お前ェさん──」
──女の心を盗んでこい。
自信という名の満月に罅が入る音がした。




