テーブルの長辺で朝食を
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朝の準備をしていると、プティラがやってきた。プティラの腕の中にマティがいない。
「おはようございます」
それでも、リルラは疑問を口にせず、挨拶に留めた。
「一緒に……」
リルラはにこりと微笑んで「ご一緒に召し上がられますか?」と続ける。伏せ目がちだが、ちゃんとリルラを見ているところもある。
リルラは席一つ開けて朝食を並べる。
トマトのサラダに目玉焼き、ウインナーとベーコン。今朝はミルクのリゾットを作った。
プティラ用にはウインナーとベーコン、目玉焼きはない。
卵くらい食べられるようになれば、食事にバリエーションも増えるのだが、まだ食べられないらしい。
というのは、人化ウサギの中でも卵を食べる習慣を持つようになった者もいるそうなのだ。
「ミルクリゾットを作っていますから、お掛けになってお待ちください」
リルラがプティラに席を用意すると、プティラがおずおずと座った。ちょっと一安心だ。
お鍋を覗き、米粒の様子を見るとちょうど良いくらいに膨らんで、艶やかに光っていた。小さじで掬って味見をすると、ほんの少し利かせてある塩味が、食欲をそそった。
リルラはにこにこしながら、白いお皿二つにリゾットを掬い入れる。にこにこの理由は、お二人で朝食を摂られることが嬉しいから。
鼻歌を歌いながら、最後に黒胡椒をゴリゴリさせて、色と味にアクセントを添える。
人化したことで、一番嬉しいのは、『味』というものが楽しめるようになったこと。あまり良く覚えていないが、犬っころの頃は味のないものばかり食べていた。
それで充分だったし、その味になるものが毒になることもあるから、大人も誰も与えない。
他にも果物や野菜、木の実に香辛料などもそうだ。
人化する獣が出てきてずいぶん経つが、食べる習慣のなかった食べものを未だに嫌悪を示す者もある。
そして、人化する代償なのだろうか、ダイのように生肉を食べられない体質になってしまう者もあるし、本来あるはずの嗅覚や聴力、腕力なども、ほぼ全て一般オオカミに劣ってしまう。
しかし、オオカミの国の王族はその全てにおいて衰えない。
特異体質とも言えるのだろうが、月に一度、満月の度にオオカミに戻るのだ。惚れ惚れするような、立派な銀色のオオカミ。白に近い銀灰色の毛並みが満月の光を吸い込み、銀色に輝くそうだ。
この春からダイに仕えることになったリルラは、その姿をまだ見たことがない。ちょっと期待していたのだが、ダイは部屋に鍵を掛けて、籠もってしまう。満月の日は一般オオカミに向け、お城で遠吠えをされる日なのに。
きっと、プティラを想ってのことだ。
その時にオオカミ由来の性質が戻る。それを繰り返すから、どの人化オオカミよりも、優れている。さらには人並みの知恵もあるため、一般オオカミよりも賢く存在する。
そんなダイの残念なところを言えば、生肉を食べて腹痛を起こす王族だということだろう。
ダイの兄弟の一人に生肉を好む兄がいるくらいだ。もちろんダイに好んで食べて欲しいなどは思わないが、生肉くらいで腹痛を起こすオオカミは、正直言って格好悪い。
リルラはその王族の体質とダイの体質のことをプティラに伝えるべきかどうかを悩んだ末、結局伝えなかった。
リルラがマティを美味しそうな子ウサギと思ってしまうのと同じで、たとえ食べることはないにしても、『肉』と感じることはあるには、あるのだ。
プティラがオオカミを怖い臭いと感じるように、美味しそうな匂いには変わりない。それは、オオカミなら誰でも思う。
だから、ダイもリルラもプティラを責めない。
まして、捕食されていた側なのだ。オオカミが食べものを好き嫌いするなんてレベルではない。
でも、オオカミはそんなに恐ろしい存在ではない。食べものとそうでないものくらい、ちゃんと理解できているし、たとえ一般オオカミでも大切な者を食べたりしない。
ダイも一生懸命に怖がらせないようにしているし、プティラも一生懸命近づこうとしている。
だから、今朝プティラが食卓に着いたということが、とても嬉しかったのだ。もしかしたら、もうすぐ『奥様』と呼べるかもしれない。
いつもは使わない大きなお盆を取り出して、お皿を二つ並べる。銀色の上に白いお皿。同じもの。明日からはもう少しプティラの食の好みに合わせて、同じものを増やしてみても良いかもしれない。そう思うと、楽しかった。
「プティラ様、もうすぐ……」
ダイ様もやってきますよ、と伝えようとして、苦笑いをしてしまった。
最初にサラダを並べてあった場所が変わっていたのだ。
プティラとダイが向かい合わせになるようにはなっているが、テーブルの長辺に座って、身を縮こませているプティラがいる。
確かにこの距離なら、いくらオオカミでも、逃げ足の速いウサギを捕まえるのに、多少の手間が掛かるだろう。
『奥様』と呼べる日はまだ少し先かもしれない。
リルラはお盆を持ったまま、なぜか微笑ましく食事の準備を進めた。
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来月の子ども達の課題についての書き仕事に頭を悩ませているわけではない。それは、昨日キャナルさんと相談して決めたから、後は清書するだけなのだ。だけど、やはり悩んでいるとは思われたらしい。先輩のキャナルさんが僕に声を掛けてきた。
「ダイ君、悩み事かい?」
「はい、実に由々しき事態です」
そして、キャナルさんがふふーんと納得し、「満月だな」とニヤリとした。
そう、十三番目とはいえ、一応王族なのだ。
王族と言えば、オオカミの血が濃い。そのくせ、人化するというとてつもない特異体質。
満月が近づくと、体がむずむずしはじめて、オオカミに戻る。
オオカミのお嫁さんなら、それを見てうっとりしてくれることもあるのだろうけど。
「銀色オオカミだよね」
「はい、しかも普通の1.5倍と言われています」
実際のオオカミのリーダーと並んだことはないけれど、犬っころが成狼になった姿を見ても、僕たちが大きいのは確かだ。国王の父なんてほぼ二倍くらいの大きさに見える。
ただ、満月に輝く銀色の毛並みと、その威風堂々たる姿は、オオカミから見れば、本当にかっこいいのだ。
「大丈夫だ、きっと惚れ直してくれるさ」
やはり、キャナルさん。
突っ込み所満載の慰めをいただいてしまった。
はい、まず僕は一度も惚れられておりません。
そして、やっと少しだけ警戒心が緩んできたかな、と思っているところに、これです。
溜息しか出ません。
うん? なんで溜息なんて出るんだろう。
よく分からないけれど、とにかくまた警戒されて、くすんだ顔色に戻られるのは、嫌だった。