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市場へ!

 ★

 

 その日の朝、プティラが朝食をひとりで食べに来た。彼女の中で大きな葛藤があったのだろう。それはダイが恒例の「行ってきまーす」と叫んでしばらく後のことだった。


 リルラは本当に驚いたのだ。いや、昨日からひとりで食堂へやっては来ているのだが、いつもなら、リルラがダイの朝食の片付けを終え、その後プティラの朝食を準備し、それでも出てこないプティラを迎えに行っていたのだから。


 あのちょっと美味しそうな茶色のウサギが良かったのだろうか。もちろん、食べる気はさらさらない。ちょっと、調理方法などを考えてしまうだけで……。

 そのウサギはマティと呼ばれ、昨日は一日中ずっとプティラが抱っこしていたものだ。


「お、お、おはようござ、い、ます」

今朝はプティラの茶色い瞳とリルラの黒い瞳がちゃんと合う。


「おはようございます」

内心驚いてはいたが、リルラはプティラを驚かさないように、優しく挨拶を返した。


「朝食の後、人通りの少ない時間を狙って、市場へ向かいましょうね」

プティラが「はいっ」と元気に答えた。


 そのプティラの返事を聞いたリルラは、ウサギの匂いがプンプンするプティラを、しっかり護り抜こうと心に決めた。



 さて、帽子で耳を隠し、市場へと勇み出たのは良かったが、リルラさんからまったく離れられなかった。リルラさんの背中にくっつき、及び腰で歩く姿は、きっとみっともなかっただろう。リルラさんも恥ずかしいかもしれない。ビクビク周りを見回しながら、「リルラさん……」と声を掛けると、「どうされましたか?」と、振り返らずに答えてくれた。


「ごめんなさい……」

「大丈夫ですよ。プティラ様は頑張っておられます。もうすぐ果物屋ですから」

「美味しいりんご、ありますか?」

「ありますよ」

そんな会話をリルラさんの背中として、また周りをきょろきょろ見回した。


 なんとなく、不思議そうな表情のオオカミたちがいる。

 ふと、何かに気付いたように、匂いを嗅ぐオオカミたちがいる。

 「ウサギがあるの?」と言う声が聞こえる。見なければ良かった。そこにはたくさんのお肉が並んであった。切り身になっているから、何の肉かは分からないけど。


「いや、さすがに家畜でもまだ出せないよ」と肉屋が言う。

 じゃあ、もう少ししたら、あそこにウサギの肉が並ぶの?


 そう思うと、胸の奥が凍り付きそうで、吐きそうだった。『家畜』の扱いは草食動物もちゃんと理解している。絶対に人化しない獣を自分たちで食べるために育てる。経営者だっている。私がここに嫁いだから、その経営が成り立たなくなるのも良くない。


 もちろん、肉食獣に食べるなとは言えない。

 彼らが私に肉を食べろと言わないのと同じ。

 野生のウサギが食べられないようにするだけで、精一杯。

 目が回りそうだった。


「プティラ様、着きましたよ」

リルラさんの声が聞こえなかったら、しゃがみ込んでいたかもしれない。

 ほっと息をついて、リルラさんの背中の後ろから、店主のオオカミに尋ねた。

「美味しいりんご、探してます」

「どれも美味しいです」

目も合わせない私の態度に不機嫌な声が届く。だから、説明のできない私に代わり、リルラさんが説明する。


「ウサギのお姫様なの。肉屋の前も通っているでしょう? だから、ちょっと怖がってて」

「あぁ、どうりで匂うと思った。悪いな、事情も知らずに、不機嫌な態度取っちまったよ」

そう言った店主がにかっと笑う。

「この国はそっちと違って、肉屋が多いだろう?」


 歯が……光った。

 思わずリルラさんの背中を掴む手に力が入る。


「自分で……選びたいの、です……でも……」

オオカミの店主がしばらく黙り、答えを見つけたように、目を輝かせた。まるで、獲物を捕捉したように。


「今までの草食姫さんの中では一番勇気がある姫君だな。よし、何個か見繕ってから、俺は隠れておくから、選べば良いさ」

「ありがとう」

リルラさんが朗らかに言った後、「あ、あ、ありがとう、ございま、す」と私の声がたどたどしく喉から出てきた。


 果物屋はけらけら笑いながら、赤く甘い匂いのするりんごを4つほど籠に入れ、リルラさんに渡し、そのまま宣言通り店の奥に入ってくれた。


 店主の選んだりんごはどれも美味しそうで、とても良い匂いがした。何度も匂って、一番美味しそうな色と艶を探し、見比べ、なんとか一つ選んだ。

 すでに立つことすら儘ならず、しゃがみ込んでしまっていたから、リルラさんが一緒にしゃがんで選ぶのも手伝ってくれ、私だけが目立たないようにしてくれる。


 リルラさんは本当に優しい。あの果物屋も優しい。あの最後の一言さえなければ……。


「しばらくは家畜のウサギも我慢だなぁ、姫さんの顔がちらついてしまうよ」

 しばらくしたら、食べるんだ……。


 だから、お屋敷に戻るともうどんな気力も残っていなかった。

 本当は、りんごのお菓子も作りたかったのに。

 お菓子が無理でも、ちゃんと自分で切って、お皿に盛るくらいはしたかったのに。

 何も出来なかった。

 屋敷の入り口でへなへなと崩れ落ちると、リルラさんが「よく頑張りました」とひょいと私を担ぎ、やっぱりベッドにコロンと転がされた。


「りんごはちゃんとダイ様にお渡ししておきますから。お食事は……こちらの方がよろしいかしらね」

肯くしかできなかった。だって、動けないんだもの。

 リルラさんが出て行くと、今度は睡魔が襲ってきて、マティがお腹にぴょんと飛び乗ってくるまで、意識を失うようにぐっすり眠ってしまっていた。

 でも、久し振りにぐっすり眠ったおかげで、なんとなく体はすっきりしている。お腹の上のマティが私を見つめて、鼻をひくひくさせた。


「あ、ご飯がまだなのね」

そう思って、扉の方を見つめると、空っぽのマティのお皿と、料理を載せた私のお皿が、扉の傍にあるテーブルに置いてあった。体を起こして、マティを抱き上げる。


「リルラさんにもらったのね、良かった」


 マティって満月に人になったりしないのかしら。

 まだ小さな体だから、一年経っていないと思うのだけど……。


 そんな時に、ダイ様の声が聞こえてきた。


「プティラ、りんごありがとう。とっても美味しかった。えっと……ウサギの子が元気になったら、お庭で遊ばせてあげたら良いから。庭は他のオオカミは入ってこない場所だから、ね? リルラさんにも伝えておくね」


 あれ? 


 ひとつも怖くない。


 それどころか、喜んでくれたことが嬉しい。


「マティ、ダイ様が『ありがとう』って言ってくださいましたよ」

抱き上げたマティが、鼻をヒクヒクさせて、不思議そうに私を見下ろしていた。


 ありがとうの言葉が、こんなに嬉しいだなんて。


 マティ、どうしましょう。


 そう思い、マティを抱きしめた。


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