マティ
ダイ様のお仕事は、犬っころと呼ばれるオオカミの赤ちゃんのお世話だ。赤ちゃんと言っても、授乳は終わっている子ども達らしい。ウサギと違い、群れの序列を大切にするオオカミだから、小さい頃から教え込むのだそうだ。
誰がリーダーであるのかや、群れでの狩りの仕方や……。
無事に人化すれば、狩りの意味はほぼないらしいが、とても大切なことなのは、分かる。ウサギだって食べられる葉っぱと、そうでないものを母親と父親から教えられるんだから。それで、匂いで覚えていく。
安全な匂いと危険な臭い。
だけど、リルラさんに詳しく尋ねる勇気はなかった。
危険な臭いしかしない。
その夜もいつも通り、ダイ様の足音がした。ウサギは耳が良い。だから、彼の部屋を出た時点で、来る、と分かる。その音で、部屋の端っこや掛け布団の中に隠れていたこともあったが、もう掛け布団を被らなくても、ダイ様の声なら聴いていられるようになった。
しかし、今夜は匂いが混じっていた。ウサギ?
「ごめん、プティラ……ちょっと、話があって……」
たぶん、リルラさんの言葉も大きい。そろりと立ち上がり、扉の傍で、そのダイ様の声を聴いていた。
しかし、今日のダイ様は、いつものように軽い口調ではなかった。
「気分のいい話じゃないんだ。本当にごめんね。今日、課外授業でうちの犬っころのひとりがね、……」
ダイ様にしては、まどろっこしい話し方をする。
だから、課外授業とその雰囲気で不安が大きく膨らんでいく。
もしかしたら、……
私がずっとこんなだから、
誰かの子が、犠牲になっちゃったんじゃ……。
「間違って……」
胸が張り裂けそうになってしまう。私のせいだ。
そうよね、だって、私、お嫁さんらしいこと何もしてないんだもの。約束の意味だって軽くなっちゃうよね……。
「手当てはしたから大丈夫だと思うんだけど、多分、僕じゃ元気にしてあげられないと思うんだ。だから、ちょっと入れてあげて欲しくて」
手当て?
ほんの少し、視線が上がる。扉の向こうに耳をそばだてる。そっと、扉を開けてみる。
ダイ様の腕の中に茶色い子ウサギが眠っていた。
「ごめんね。約束なのに」
しっかりしなくちゃ。自分を鼓舞する。一気に言葉を吐き出す。
「いいえ。子どものすることです。助けてくれてありがとうございます」
茶色い子ウサギが、私の腕の中に収まる。温かかった。息も深い。大丈夫、ただ疲れているだけ。傷が治れば、元気になれる。
「ううん、怪我をさせて申し訳ないと思う」
そんなことありません。だって、助けてくださいました。事故なのに。放って置いてもオオカミにはどうって事のない約束なのに。
私は頭をぶんぶん振って、扉を閉めた。
ほっとして泣いてしまいそうだったのだ。子ウサギを抱きしめたまま、そのまま扉に凭れ、座り込んでしまう。ダイ様は、そのまま扉の前にいたようだが、しばらくすると、気配もなくなった。
食べずに連れてきてくれた。黙って食べてしまっても良かったのに。それが嬉しい。そんな気持ちも合わさって、子ウサギのふわふわの毛皮の上に涙がポタポタ落ちてしまった。
茶色の子ウサギはマティと名付けた。
本当はウサギ型に名前は付けないのだけれど、オオカミの国にいるのだから、別に名前を付けて一緒にいても構わないと思ったのだ。
この子は、マティ。オオカミに拾われて、私と一緒に過ごすんだもの。名前がないと不便だわ。
きっと、ダイ様が連れてきた子だから、家畜から逃げてきた子でもないはず。ずっと一緒にいてもいいよね。
だから、リルラさんも私の分とマティの分の葉っぱも持ってきてくれる。
それに、きっと、ダイ様は野性に返せとは言わない気がする。
ウサギを2匹も家に飼っている変な王子様と言われるかもしれないけれど……。
そう思うとなんだか可笑しくなった。ダイ様は怖くない。
マティが来た次の日のお昼から、私はマティと一緒に食堂へと歩いて行けるようになった。マティが葉っぱを食べる姿を見ていると、私もご飯が食べられるようになった。ダイ様に何か、お礼がしたい。
「リルラさん、わ、私、市場でりんごが買いたいです」
言葉に躓いて、目を瞑った私は一気に言葉を吐きだした。
リルラさんの驚いた声が耳に届く。「オオカミいっぱいですよ?」と返されるが、「でも、行って、美味しいりんごを探したいです」と押し切った。