外のニオイは危険な臭い
結婚して一ヶ月と少し。
食堂に私が来ないと、リルラさんが心配して部屋まで迎えに来てくれる。手を引き、食堂へ私を座らせる。
空腹だから『ごはん』をイメージしながら、食堂までは一応歩ける。だけど、空腹であるが、お皿を前にすると、お腹がいっぱいになる。リルラさんが心配して声を掛けてくれるが、余計にお腹がいっぱいになる。無理矢理に一口頬張って、そのまま部屋へ戻る。
それを一日三回繰り返す。
やっと、一人で食堂まで辿り着いた時に、リルラさんは「頑張ってますね」と褒めてくれた。
でも、まったく嬉しくなかった。
全然頑張れていないのに……。
暗い部屋の中、お月さまを眺める。
満月だった。
なんだか、今日は嫌にオオカミの臭いがきつい。
布団を頭から被り、ぎゅっと目を瞑る。
もしかしたら、いい加減ダイ様が怒っているのかもしれない。
なんにもせずに、ただ飯食らいのお嫁さん。
必要ない、と怒っているのかもしれない。
そう言えば、昨日と今日、「行ってきまーす」の声は聞こえなかった。それに、「あのね、プティラ」から始まるダイ様の独り言もない。
やっぱり、怒らせてしまったのかもしれない。
遠くで遠吠えの声が聞こえる。その声に答える、さらに遠くにある声。
そして、噛み殺されるかもしれないと、やっぱり思ってしまう自分が、とても悲しかった。
私が死んでしまえば、次のお嫁さんだってもらえるのだろうか。
だけど、そんなことを思った次の日から、また「あのね、プティラ」から始まる、独り言が始まった。
さらには、私に新しい目標が与えられてしまった。
リルラさんがこう言った。「少しお屋敷には慣れてきていますよね」
だから、こんな事態になっているのだ。
確かに、扉の外からだとリルラさんとお喋りができる。お屋敷に慣れたというか、自室と食堂までの廊下には慣れたとも言えそう。
でも、こうして後ろに控えて、リルラさんの背中に縋って歩き出すと、お喋りもできなくなる。
「プティラ様、立場上、本当はプティラ様が前を歩いていただかないと……」
ぶんぶん頭を振るが、もちろん、リルラさんには見えていない。
後ろからオオカミが……いいえ、リルラさんが付いてきているなんて……信頼していますが、まだ怖いです。
「いえ、良いんですけどね。今日は玄関の扉までは頑張りましょうね」
今度は大きく肯く。
目標が食堂からお庭へと変わった。体を動かせば、お腹もちゃんと空くのでは? というリルラさんの言葉からの目標だった。
お庭には、行きたい。
窓から眺められるけれど、芝生の上に座ると気持ち良さそう。まだ柔らかな毛に覆われていたちっちゃい時は、柔らかな葉っぱをもぐもぐしていたから、葉っぱの匂いは懐かしいのだ。
窓を開ければ、青い匂いが空腹を刺激するし、ちゃんと眠気もやってくる。
もしかしたら、草の上ならぐっすり眠れるかもしれないし。
「開けますよ」
玄関扉の前、リルラさんが声を掛ける。私は、リルラさんのエプロンの端っこを握りしめ、外に備える。
明るい光が、目に染みて、思わず目を閉じると、嗅覚が研ぎ澄まされた。
色んなオオカミの臭い……
「大丈夫ですか?」
こくこく頷いてはみるが、すでにリルラさんに凭れかかっていた。
ダイ様とリルラさんのニオイには少し慣れてきているから、大丈夫だと思っていたのに……。無理だった。
「お部屋に戻りましょうね」
やっぱり、こくこくと肯くしかできなかった。
ベッドにコロンと横にされて、そのまま寝かされる。リルラさんは小さな体に似合わず、力持ちだ。やっぱり、オオカミだからだろうか。ひょいと抱き上げられてしまう。
「お食事はこちらに持って参りますね」
リルラさんは、腰砕けの私を気遣いながら、やさしく布団を掛けてくれる。
「リルラさん……」
「どうされました?」
どうして呼び止めたのか、一瞬自分でもよく分からなかった。
ダイ様は怒っていらっしゃいますか? と尋ねたかったのだ。でも、そんなことを尋ねては、リルラさんを困らせてしまうことは分かっていた。
「ダイ様はどうして毎晩扉の外から声を掛けてくださるの?」
リルラさんが、ふふふと笑った。
「プティラ様、ダイ様のお声、お怖くなくなられましたでしょう?」
「はい」
「だからです」
まだほんのちょっと怖い、とは言えなかったが、自分の頬を抑えてリルラさんから目を逸らせてしまった。
でも、お喋りがないと不安になる。
そう思って、ほんのちょっと、頬が熱くなった。リルラさん、気付いていなければ良いのだけれど。