おまけ②「取扱注意のお妃様」
さてリルラは目の前にいるオオカミの娘二人を見つめて困っていた。
薄茶の毛先を綺麗に遊ばせているショートカットの子がココ。
黒い毛をしっかりひっつめている、純メイドな真面目そうな子がフーラ。
「おはようございます」
ココははっきりした性格のようで、フーラはここに来た当初のプティラに似ている。
二人とも住み込みで働くらしい。
そして、リルラはメイド頭となる。
いきなりの出世に頭が痛くなった。それもこれも、ダイが序列4位に上がってしまったから。ダイが申し訳なさそうに一週間前に伝えてきたことは、こうだった。
「リルラさん、本当に申し訳ないんだけど……。僕ね、公務優先の4位になってしまいまして……。もっと犬っころ達と一緒に過ごしたかったのに……」
大きな溜息が落とされた。
プティラがお嫁に来て3年の歳月が経っていた。もともと前向きに頑張るプティラが、お妃様として自覚したのだ。頑張り方はもう他の草食獣と比べては申し訳ないくらいだった。
他の殿下の伴侶と比べてもプティラは引けを取らない働きをする。
もちろん、どうしても会食会場には出向けないという点は残っていたが、リルラやダイがいれば他のオオカミとの会話も滞りなく進められるようになっている。
時々、本当は一人でも大丈夫なんじゃないかと思えるほどだが、ちらちらと後ろを振り返るプティラを見ていると、そうでもないのだろうな、とは思っている。
だけど、そんな彼女の噂が王様に届いた。
役に立つと思われたのだ。
「やっぱり慣れた場所の方がプティラにとっては良いかなって思うから、今まで通りここに住むんだけど、でも、新しくメイドの働き口としての役割も申しつかってて……その…二人いるんだけど……リルラさんにメイド頭を頼みたくて」
「えっ」
おめでとうございます、と続けるだけかと思っていたリルラは、やはり、ダイと同じような大きな溜息を付きたくなって、やっと堪えた。
「分かりました」
旦那相手なら、こんないきなりの人事を告げた口を捻りあげていただろう。そんな一週間前を思い起こし、オオカミ娘達を見つめた。ダイよりもプティラよりも若い子だ。食事の作り方を覚えてくれれば、朝ゆっくりでもよくなるかもしれない。3人で回せば、公休日以外の突然の休みも取りやすくなるかもしれない。
子どもの熱やらで、突然休みが欲しいこともあるのだ。今までは家のこともある程度出来るプティラ様に甘えて休ませてもらってはいたけれど……。
そんな時は、純肉なしメニューしか提供されなかっただろうけど。
悪いことばかりではないかもしれない。
そして、新しい職場に期待と不安が混じるそんな彼女たちの瞳に、リルラはにっこり微笑んだ。
「リルラです。よろしくお願いしますね」
まずは、ここでの注意事項を伝えなくてはなるまい。
「まずは、雇い主はダイ様ではありますが、ここでの私達の主人はダイ様ではなく、プティラ様であると思っておいてください」
リルラは背筋を伸ばし、プティラに関する注意事項をひとつずつ丁寧に伝えていった。
※
「キャナルさん、今までお世話になりました」
ダイが先輩のキャナルさんに頭を下げていた。
「いやぁ、大抜擢。草食獣との外交担当官らしいね。良いお嫁さんをもらったね、ダイ君」
その言葉にダイはむすっとする。
そもそも上昇志向のあまりないダイだ。良いお嫁さんをもらったとは思っているが、別に出世したかったわけでもないし、王家と付かず離れずが叶ってちょうどよかったし、どちらかと言えば、この職場が気に入っていたのだ。
「ほぼ、プティラ同伴でしか動けない仕事です」
そこは、良かったと思う。公務中心となれば、家に帰られないこともある。遠吠え会の時も危惧したけれど、非参加の王族や王族除籍オオカミだっているわけだし……留守中に事故も、という不安がなくなるわけだから。
除籍オオカミは五年ほどでオオカミ化しなくなって、不思議だけど、現在でも満月の日にオオカミになる王族除籍組は十名ほどいる。
みんな悪いオオカミではなく、普通に働いている人達だけど。サイ兄様みたいなのはいないけど。
屋敷の中のオオカミも二人、増えているし……。
信頼しないわけじゃないけど。
ただ目立たず大人しく過ごしておこうと思っていたのに。そう思えば、キャナルを睨みたくもなる。
「寂しくなるねぇ……もう、惚気が聞けなくなるなんて」
ニヤニヤ笑うキャナルに、ダイはほんの少しだけ文句を言いたくなる。
「キャナルさんのせいですよ」
元々プティラは真面目で頑張り屋だったから、彼女の変化自体は、自然と喜べる。オオカミの国のことを知ろうとしてくれるのも、嬉しい。プティラが認められたということも、事実だけなら喜ばしいと思っている。
だけど……。
しかし、オオカミの国のことをもっと知って、もっと頑張らなくちゃと焚き付けたのは、誰を言おう、キャナルだ。
あれからのプティラはオオカミの国のことを積極的に知ろうとするようになった。
一応安全のために六ヶ月未満の犬っころ達の見学をするようにはしたが、ダイの仕事先にいる犬っころを見学したり、親戚の集まりがあると言えば、ご挨拶だけでもと付いてきたり。
断る理由もないから仕方なく、連れて行く。
付いてきても、親戚が増えてくると、リルラさんを呼んで帰らなくちゃならなくなるけど……。
そういう日が増えてくると、嫌でも父王の耳にプティラの噂が入ってしまったのだ。
そもそも上昇志向しかない父が、草食獣との足掛けに……と考えるのは目に見えていた。
お互いにストレスを感じながら、気を使いながらの日々で、お先真っ暗かと思っていたウサギのお嫁さんとも上手くやれるようになって、これからはずっと穏やかな日常を……と思っていたのに……と天を仰いだ。
お庭でぼんやり過ごす時間。リルラさんのお弁当を持って、プティラが隣にいてマティが草を食べていて……。大変なこともあるけれど、犬っころがころころしている姿に癒されて。
ダイの穏やかな日常はすっかり天の向こうだ。
あの大魔王イチ(父)と、大怪獣サイ(兄)は、ダイ最大の天敵であり、厄災しかもたらさないし、関わりたくない存在である。それなのに、彼らと仕事上も関わっていかなければならないと思うと、本当にうんざりしてしまう。
そして、目の前にいる先輩兼部下のキャナルも、現状のダイの状態を鑑みれば、三番目の天敵と思って良いのではないだろうか。
うん、ニヤニヤ笑いながら人を陥れるのだから、きっと大妖怪キャナルだ。
じとぉとした視線をキャナルにやったダイが、「でも、草食獣さんとの話が進まない間は、まだ兼務らしいのでこちらにも顔は出しますから。まだお世話になると思います」
と、口を尖らせながら事実を伝え、どうして、関わりたくないのに、関わってくる天敵が増えていくのだろうと思ってしまった。
だいたい、一般オオカミと一般草食獣の協定の抜本的見直しが、最終目的だなんて、プティラに言えるわけないじゃないか。
せっかく仲良くなったのに。
もちろん、預言者ニコ(母)が、大魔王を意図せず操っていることに気付くことはないのだろう……。
※
一応の挨拶を律儀にしに来たダイを思い出しながら、休憩中のキャナルは思い出し笑いを堪える。
ダイの面白いところは、とても丁寧に接してくるくせに、心の声がダダ漏れなその表情だ。さっきは、本当に迷惑そうな顔をしていたものだ。さらにダイがそんな表情を見せてくると、なんとなく父親になった気がしてふと構いたくなる。
以前キャナルは上司の先輩から聞いたことがあったのだ。
王族なのに、オオカミの血が薄い子が生まれていると。
あの子は可哀想だけど、すぐに手放されるよ。
でもね、人懐っこくて可愛い犬っころなんだよね。
好奇心旺盛で、よく走り回る元気な子。
人化しなければ、犬族に預けた方が良いんじゃないかなって思うくらいに、弱くて、優しい子なんだよ。
人化、して欲しいんだけどね。一応、俺も親戚筋だから心配してる。王族だから大丈夫だとは思うんだけど。
その後キャナル自身も色々あってダイが配属されるまで、上司の戯言など気にもしていなかったのだけど。
「ふふふ」
キャナルは思う。
面白いオオカミに育ったもんだ。
指導員に心配されて、生肉で腹を壊し、ウサギの嫁をもらい、ひとしきり惚気て、まさかの序列逆転。手放されるどころか、引き寄せられている。
初めは、『万が一』を心配して遠吠え会の参加を促そうと思っていた。
『万が一』王家除籍となった場合。
『万が一』オオカミの力をコントロール出来なかった場合。
しかし、リルラというあの小型オオカミを見て、ダイが自分自身を完全に信用していないことが分かった。だから、あの時、屋敷の主の意味合いでダイを『主』と言ったのだ。リルラの主人はプティラだ。
リルラはダイのためではなく、プティラのために動くオオカミ。しかも比較的穏やかで、裏切りを嫌う種だ。
身の回りを世話させるメイドを一人付けると言われ、リルラを所望し、プティラに付けるように『駄々を捏ねた』のがダイ。これは長兄カイの言だ。
もしかしたら、伸し上がれるんじゃないかと思えた。
オオカミを前に話をしようとするプティラを実際に見て、このふたりが何かを変えていくのではないだろうか、そんな期待すら覚えた。
オオカミにとってもウサギにとっても。延いては肉食と草食にとって一番良い関係を探り合えるのではないだろうか。
だからの一押し。除籍を考えるのではなく、掴むを考える。
「キャナルさんのコップってこれで良かったですよね」
ダイに代わりここで働き始めた新しいオオカミの男の子。
「あぁ、それそれ。そうそう、今日はこれがおすすめなんだよね」
そう言いながら、キャナルはマグカップを受け取り、代わりに甘いお菓子を彼に渡した。
月曜日に完結予定です