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十四夜のお客様

長くなってしまいました。


 満月に近い白い月を見上げ、キャナルはふと思った。

 ダイ君はプティラちゃんがとても大切なんだろうな……と。

 だけど、大丈夫だと思っていても、時に失われることもある。


 あの時のように。

 とても仲のよい兄弟だった。

 あの日、あのタイミングで人化するとも思っていなかった。


 じゃれ合っていただけだろう。

 獣のままだったら深い毛皮が守ってくれたのだろう。


 兄弟達が、血を流し、倒れているあの子を心配そうに、鼻をくっつけながら、匂っていた。

 その時の『くーん』という泣き声の共鳴は、随分と昔のことなのに、キャナルの耳にこべりついて、新しい。


 そう、何が起きるか分からない。

 ダイ君に限らず、王家の考えだって代が変われば、変わることもある。


 それに、もし、遠吠え会に参加しないオオカミが、王族であり続けることが難しくなれば……。


 もう一度、白い月を見上げる。

 様子を見ながらにはなるだろう。

 でも、……。


 キャナルは大きなお屋敷の前で、大きく息を吸った。そして、いつものように笑ってみる。

 チャイムを押すと、珍しいオオカミに出会った。小型のオオカミ。


「お待ちしておりました。キャナルさんですね。どうぞ、主からお通しするように申しつかっておりますので」


 丁寧にお辞儀をした彼女の後を追いながら、やはりそれとなく、伝えようと心に決めた。

 ダイ君なら、きっとやっていけるだろう。そう思ったのだ。



 以前から言われていたお客様、キャナルさんがダイ様の公休日を利用して、遊びに来ることになった。この日は犬っころ達も親と一緒に一日たくさん甘えて過ごすんだそう。だから、何にもできない私は、朝からダイ様の好きなりんごのおやつを作って、待っていた。


 いつも美味しいって言ってくれるから、きっとお客様に出しても大丈夫。


「大丈夫、プティラのお菓子はいつも美味しいから」

「はい……」

だけど、ダイ様はりんごがお好きですから……そう思い、俯く。


 扉が叩かれると、リルラさんが部屋から出て行き、お客様をお迎えに行った。私はソファに身を埋めて、ちんと下を向く。


 大丈夫。だって、ダイ様の先輩の方だもの。


「キャナルさんは優しい人だからね」

そう言ったダイ様の瞳が、だけど不安に揺らぐ。

「無理そうだったら、全然、部屋に帰ってもいいからね。途中で部屋を出てしまっても、キャナルさんは絶対に笑って許してくれるから」

「はい……大丈夫です」


 お客様が入ってきたら、ご挨拶をして、少しお喋りをしたら、お茶の用意をリルラさんと一緒にして……。とりあえず、そこで深呼吸して、ケーキを切って、お皿に入れて……

 扉が叩かれると、リルラさんの声が続いた。


「お客様がいらっしゃいました」

「お通しして」

そう、応接室でホストが座って待っていることはない。これだって、私のせい。気にするなって言ってくれるけれど、この場合、本来ならお出迎えすべきか、先にお客様にお部屋に入っていただくか。


 この方は王族へのご機嫌伺いでやってきたわけじゃないのだから。


「やぁ、ダイ君」

「わざわざご足労させてしまいまして」

扉が開くと、ダイ様がすくっと立ち上がる。拠り所が遠くなる。一緒に立ち上がらなくちゃと、後に続くと、目の前に薄茶の髪の知らないオオカミが立っていた。息を呑む。


「いやいや、ご招待嬉しかったよ~。そちらがプティラちゃん?」

朗らかな笑顔を浮かべたオオカミが、言葉遣いに反してとても綺麗にお辞儀をした。

「私、キャナルと申します。どうぞお見知りおきを」

「妻のプティラです。こちらが僕の先輩のキャナルさん。それから、いつもお世話になっているリルラさんはこちら」

紹介されて慌てて頭を下げる。リルラさんは静かに頭を下げるだけ。


「どうぞ、お掛けください」

促されて、キャナルさんがテーブルを挟んだ向こうのソファに座る。


 私達も座る。一度目のお茶はリルラさんが持ってきてくれる。そして、キャナルさんの開口大一番に目を大きくしてしまった。


「いやぁ、いつも可愛い可愛いってダイ君が言うから、どんな子なんだろうって思ってたけど、本当に可愛いお嫁さんだね」

「キャナルさんっ」

ダイ様が慌てると、キャナルさんがにやりと笑う。私もちょっと恥ずかしい。


「あぁ、ごめん。大きい口を開けて喋らない約束だったね」

と続けた。

 あ、そっちだったのか。


そう思うと、勘違いが恥ずかしくなる。ウサギさんってかわいいものだよね、ってマティを見て言っているから、きっとそっち。


「プティラちゃん、ごめんね、小さい声で話すから」

ダイ様はキャナルさんを睨んだまま黙ってしまっているが、キャナルさんが両目でウインクした。


「だ、だいい、じょうぶ、です。お気を、つかわず」

一生懸命、大丈夫なことを伝えたけれど、ありがとうって言った方が良かったのだろうか。そう思って、ダイ様を見上げると、お顔が真っ赤になっていた。


「ダイ様?」

「気にしないで」

ダイ様が苦虫をかみ潰したように笑うので、「ありがとう」を言った方が良かったのかもしれない、と後悔した。


 リルラさんがお茶を運んできた後、私の横に座ってくれて、ほんの少し落ち着いた。だけど、キャナルさんはお喋りで、ずっと話が止まらない。


 職場でのダイ様のことや、犬っころのこと、自分の奥さんのことや、その奥さんの家系のこと。

 奥さんは白い髪をしているらしく、遠い祖先は、とても寒い場所にいたオオカミなんだということも話してくれた。本当は、私自慢のアイティラ姉さまの白い髪のことも話したかったが、口を挟むなんてこと出来なかった。

 そこで、リルラさんに水を向けたキャナルさんは、リルラさんの遠い祖先の話まで始めた。


 とても物知りな方なんだよ。

 それは、ダイ様も言っていたことだ。


「リルラさんは、あれだね。小型のオオカミの末裔かい?」

「えぇ。随分昔に一般はいなくなったと言われていますけれど、よくご存じでございますね」

「えっと、ハイブリットな感じかな?」

「えぇ、母方がそうなので」


 遠い昔、種として絶滅したもの。主に、人族によって。

 オオカミ史を思い出し、そっとリルラさんを眺めた。リルラさんは、私の視線に気付くと、柔らかい微笑で、私の手の上に掌を載せた。リルラさんの手も温かい。


「気にしていませんけれどね」

「それがいい」

キャナルさんは穏やかに微笑んだ後、ほんの少し静かになった。キャナルさんは何かを思い出しているようにして、少しの間、空を眺めた。それを合図にリルラさんが立ち上がった。


「そろそろ、お茶を淹れ直してきますね」

立ち上がったリルラさんはいつもよりも少し、寂しげだった。掌を掴み損ねて、リルラさんを視線で追いかける。


「奥様、大丈夫ですよ」

なんだか、ずんと胸の奥が重たくなった。きっと、私と一緒。今は、ひとりになりたい時。どうして、キャナルさんはそんなことを言ったのだろう。そのまま、諦めてソファに座る。


「失礼、しました……」

「いや、不謹慎だったかなぁ。でも、『種』を失ったことのある彼女がここに付けられたっていうのは、偶然じゃないんだろうね」

キャナルさんがダイ様をじっと見つめる。


「偶然ですよ。偶然、よく働いてくれる、王家で手の空いたメイドがリルラさんだったんです。プティラのことも良くしてくれていて、とても助かっています」

キャナルさんの声はずっと穏やかだ。そして、その穏やかさをその瞳に映して、にこやかに私に話しかける。キャナルさんも、怖いオオカミには思えない。


「プティラちゃんは、オオカミの話も怖くない?」

「……はい。オオカミ史、知っています」

リルラさんがそのオオカミだったとは知らなかったけど。


「流石、ダイ君の奥様だ。私達もね、たくさん殺された歴史がある。だから、君の抱く恐怖もちゃんと分かっているつもり。でも、君は、それもちゃんと知っているから、今日ここに出てきてくれたんだよね」

そう、歴史の中で、オオカミは、食べるためにではなく、恐怖のために殺された。自分たちの財を護るために、迫害されてきた。ちゃんと知っている。


 でも、オオカミは、人族との付き合いを対等にしている。怖がったりしていないし、怖くないものだと認識させている。

 ウサギにはないところ。


「リルラさんの小型オオカミは、その人族達に神様として祀られていたんだ。だけど、裏切られた。彼らは神様から急に悪魔にされたんだ。だから、彼らの末裔はオオカミの中でも一番に裏切りを嫌うし、裏切りの怖さを知っているから絶対に裏切らない。プティラちゃんは知ってる?」


 それも、知らない。だから、そのまま頭を振る。


 神様が裏切られるだなんて。悪魔にされて殺されてしまうだなんて。リルラさんの祖先が人化しなかったら、いなくなっていたかもしれないだなんて。

 リルラさんがいない今があったかもしれないなんて思うと、とても辛い。


「裏切られると思っていなくても、時にそんなことが起きる。もしかしたら、相手は裏切ったとすら思っていないかもしれない」

だけど、どうしてその話が出てくるのか、よく分からなくて、きょとんとしていると、柔らかなダイ様の声が続けられた。


「プティラが、キャナルさんのために朝からおやつを作りました。それをリルラさんが持ってきてくれますよ。美味しいんです。是非召し上がってください」


 話を切り上げてしまったダイ様を不思議に思い、首を傾げて見上げる。ちょうど扉が開かれた。リルラさんだ。リルラさんがお皿に載せたタルトタタンをそれぞれの前に置いてくれる。良かった、リルラさんの分もある。


「それは楽しみだなぁ。プティラちゃん、ダイ君はとても優しくて頑張り屋なんだよ」

「はい」

ダイ様が頑張っていることはよく知っている。リルラさんもたくさん教えてくれた。


「良い笑顔。ダイ君もね、君の話をしている時はとても良い笑顔だ。だから、もう少しオオカミの王族として、頑張らせてあげてくれないか? きっとプティラちゃんなら頑張れると思うから」

そして、私の作ったタルトタタンのお皿を持ち上げて、「美味しそう」と匂いながら、それでも続けた。


「毎月、遠吠え会っていうのがあってね。オオカミに戻る王族が、一般オオカミに決まり事を伝えるんだよ。ダイ君も参加できる立場にいる。だから、参加させてあげて欲しいんだ」

遠吠え会は初耳だった。それに、ダイ様がそんな行事に参加することが出来ることも。それに、ダイ様は今まで一度も出掛けていない。


「キャナルさん、ご心配なさらなくて大丈夫です。だから、来月は必ず出席しますし、役に立つオオカミとして王家にも仕えておりますから」

その言葉の理由を聞いても、分からないことだらけだったが、ダイ様が私の手をしっかりと握ってくれたのは、確かだ。



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