満月の夜の白銀オオカミ・・・2
振り返ったその場所に白銀とも言えそうな、大きなオオカミが、目を光らせて私を狙っていた。
マティ……。
マティの震えが腕を通じて伝わってくる。しっかりしなくちゃ。マティが……。
そう思いながら、狙われているのは、大きな『肉』の方の私なのだろうかと、足が震える。
動けない。それなのに、オオカミがどんどん距離を詰めてくる。黒い鼻が月明かりにぬらりと光り、私の胸元に当った。怖い……そう思うと、膝から崩れた。マティ、動かないで。今、逃げたらマティが狙われる。
逃げるなら、私が囓られてからにして。
オオカミの鼻が尻餅をついた私に向けて下りてくる。心臓が爆発しそうなくらいに鼓動し続けている。
来ないで……。
声が出ない。
マティも守らなくちゃならない。反射的にマティに被さるようにして、蹲るが、熱い息が、その鼻音が耳元で、強くなる。私はマティがマントの中から出てこないように、やっとの思いで抱きしめていた。
……食べられる……。
大きなものがぶつかる音がした。そして、知っている匂いがする。恐る恐る、少しだけ顔を上げる。
「何してるのっ。サイ兄様」
ダイ様が、オオカミの前で、叫んでいた。
容はオオカミだけど、ダイ様だ。同じように満月の光りを吸い込んだ銀灰色の毛並みは、白銀色に輝いて、相手をじっと睨んで動かない。
ほっとして力が抜けてしまった私の腕から抜け出そうと、マティが顔を覗かせ、鼻をヒクヒクさせている。それで気づき、もう一度気を引き締める。
マティだめ。まだ、出てきては危ないの。
大きなオオカミは、オオカミになったダイ様よりも大きいもの。
サイ兄様と呼ばれたオオカミは自分がどうして跳ばされたのか、理解できないように一度だけ頭を振った。そして、自分の状況に気付き、唸り声を上げる。
続いてダイ様も唸った。深く、大地を揺るがすような。その響きが振動となり、私を震い上がらせる。ダイ様が怒っているんだ、と思った。先月の満月の日に怒っていると感じた、あのオオカミの気配なんか比じゃないくらいに、恐ろしい。
「勝手に人の家に入ってきて、勝手に何してるのっ」
ダイ様の声。
大丈夫だと、言い聞かせる。恐ろしいけれど、もう怖いとは不思議と思わなかった。
大きなオオカミ二匹の唸り声が、夜を震わせ、その睨み合いが、空気を凍らせているようだった。
私はただ、深く息を吸って、静かに吐き出す。音を立てないように、気を付ける。
ほんの少しの乱れが、何かの均衡を悪い方へ崩してしまいそうに思えたのだ。
その牙を先に収めたのは、サイ兄様の方だった。
「いや、散歩をしていたら旨そうな匂いがぷんぷんと……」
「ここにサイ兄様のご飯はないから、帰って」
ダイ様の牙はまだ収められていない。サイ兄様もまだ動かない。言い訳をしたい感じ。どこか引っ込みが付かない感じ。
「あぁ、悪い……まさか外にいるとは、思ってもおらず」
その答えに、ダイ様が大きく吠えた。燻っていた怒りが、一気に吐き出されたような。思わず声をあげそうになって、慌てて空いている方の手で口を押さえた。
「帰れッ」
私の心臓も飛び上がる。あんまりにも力を入れすぎて、マティが腕から飛び出してしまった。だけど、マティは私の傍から離れなかった。
「悪かった……」
ダイ様に謝った後、わざわざ私にも謝る。
「怖がらせて申し訳なかったな」
きっと、普段は悪い人じゃないんだろうな、後でちゃんとどんな人なのか訊いておかなくちゃ。
オオカミは元々怖い物だから、オオカミに戻るっていうことは、きっと、今はオオカミのサイ兄様なだけなんだわ。
だって、ダイ様のお兄様だもの。怖いだけなはずがない。
だけど、恐ろしいし、二度と会いたくないし、要注意人物ではある。
恐怖から目を逸らしたくて、そんなことを思おうとしていると「早くプティラから見えない場所に行ってよ」と少し柔らかくなったダイ様の声が聞こえた。
サイ兄様の姿が見えなくなると、マティがまた私の膝に乗ろうと、前足を載せてきた。でも、腕が思うように動かなかった。
忘れていた震えが、今頃になって全身に広がってくる。やっとダイ様を見上げる。声を出そうにも、唇が震えて言葉が出せない。
「怖がらせてごめんね。……明日ちゃんと説明する。僕も部屋に帰る。あ、もう大丈夫だと思うけど、プティラも部屋に戻って」
そう言ってダイ様が振り向こうともせずに、私を放って戻ろうとする。嫌だ、動けない。一人になったら、またオオカミが来るかもしれない。震える手を伸ばす。やっと掴んだのは、ダイ様のしっぽの先だった。
「動け……ません……」
そんな私に気付いたダイ様が、不思議そうに私を眺めていた。
「僕のこと、怖くないの?」
私は、こくこく頷いた。
満月の白い光が私を包み込む。
その満月の光を吸い込んだ神々しい銀色のオオカミが、そっと私に近づいて隣に座った。
ここまでのエピソードは
「新婚初日に『愛することは絶対にない』と言われたオオカミ殿下は、今日も元気に仕事をすることにしています」
https://ncode.syosetu.com/n5988ig/
でダイ目線を書いています。




