満月の夜の白銀オオカミ・・・1
窓の外の逆さ坊主が寂しそうに夜風に揺れる。伝わらないけど、足元にいるマティに呟く。
「雨……降りませんでしたね」
願う必要がなかったから降らなかったのか、それとも私の願いが足りなかったのか。
窓を開けると、オオカミのニオイが、その夜風に乗ってやってくる。ダイ様ではない臭い。
オオカミの王様がオオカミになっているのかしら……。
リルラさんの言葉を思いながら、それでも満月を探した。
「お月さまも見えないわ」
マティが鼻をヒクヒクさせた。
「マティ……お庭に出てみます?」
雨が降らなければ、満月が見える。夜空は雲一つなく、星が輝いている。今の時間なら、東の空の斜め上辺り。ウサギの国では、当たり前のように、満月の夜に外に出ていたが、オオカミの国へ来てからは、一度も満月を見ていない。満月どころか、窓に映るもの以外はほとんど知らない。
家族のいるリルラさんは、住み込みではないから、今はいないけど。
お庭は安全ってダイ様も言っていたし。
もし、マティが人になれば、野性に返されるかもと心配しなくて済むから。心細くないから……。
それに、夜の冷たさはなんとなく好きだ。何かが叶いそうな気がして。
満月の蒼白い光に映し出される深い緑を持つ木々。照らされて、深みを帯びる淡い緑。花片は光を吸い込み、輝きはじめ、夜の虫が鳴き始める。
太陽の光では映し出されることのなかった、淡い色が広がる。
ウサギの国の満月の夜は、そんな魔法に満ちていた。
だから、ウサギは満月の夜に人になるんだ、と信じられるほど。
オオカミは魔法が解ける日なのだろうか。
そっと、クローゼットを開ける。薄手のマントを羽織り、肌を護る。
夜露は体を冷やすから。
夜露は星の流した涙だから。
悲しいことが体に入ってはだめ。
ウサギは悲しいと死んでしまうのよ。
満月の夜以外に出歩かないように、子どもの頃から言われること。夜というものは、やっぱり危険でもある。夜行性の生き物が目を光らせて、待っているのだ。
一般なら肉食獣とされ、人化は悪魔やおばけが攫ってしまうとされる。おそらく、遠い過去に人族に攫われていた頃の人化達が謂われだろう。
「マティ」
小さなマティを抱き上げ、そのマントに包み込み、そっと扉を開く。
薄暗いけれど、リルラさんが灯りを灯して帰ってくれているから、廊下は歩ける。ダイ様の匂いがきつくなる。玄関と反対側へ続く廊下の向こうに、ダイ様はいる。
オオカミになるって大変なことなのかしら。
人になった時は、白い光に包まれて、ふと人として母親に抱き上げられたことくらいしか覚えていないけれど。
苦しかったりするのかしら。
今夜は、部屋の前には行ってはいけない約束だけれど、痛いところがあれば、擦って差し上げるのに。
もう、傍にいても怖くないってちゃんと伝えなくちゃ。満月ごとに、あんなに元気のないダイ様は、見たくない。
マティをしっかり抱きしめて、玄関の扉を開く。
リルラさんと一緒に初めて出た外。あの時は、扉が開いた瞬間にリルラさんに凭れかかってしまったけれど、今は大丈夫。外にあるオオカミの臭いは、怖いけれど、オオカミの国なんだもの。オオカミの臭いがして当たり前。
そう言い聞かせて、外へ出る。
夜風が、髪を撫でていく。東は、あっち。そう思い、玄関から門とは反対へと向かう。どちらかと言えば、ダイ様の部屋の方向が東だ。
昨日お昼を一緒に食べた場所。
大きな木の麓に辿り着く。マティはあの辺りでもぐもぐしていて、私はここで座ってて、ダイ様はここで座ってて。
空を見上げる。
少し広い空。ダイ様の部屋の方向からは、やっぱりダイ様の匂いがしている。
空に大きな白い穴が開いているような、大きな満月。
マントからマティを出して、その白い大きな満月へと掲げた。
そして、自然と笑ってしまった。
「やっぱり、マティは普通のウサギなのね」
分かっていたけれど、試したかったのだ。
野性に返してしまった子達の子ども達が、どこかで人になって困っていたらどうしようとか。家畜になっている子達が、突然人になって、私みたいに『怖い』を考え続けなければならなくなっていたら、どうしようとか。
良くも悪くも、人化していない一般達は、単純に素直。今だけを見て生きている。
だから、一緒に暮らせなくなる。人化に飼われた時点で、一般は自分で生きていけなくなる。
何十年もかけて証明されたことなんだもの。偶然見つけたマティが、そんな特殊な子だったなんてこと、あるはずがない。
「お部屋に帰りましょう。夜は……」
言葉に詰まった。
オオカミの臭いが、すぐ近くにある。
振り返ったその場所に白銀とも言えそうな、大きなオオカミが、目を光らせて私を狙っていた。




