おとぎ話の願いごと
昨日、何か気に触ることをしたのかもしれない。オオカミのニオイが強くなってきていたし。お顔は優しかったから、大丈夫だと思っていたけれど、やっぱり、ご飯を食べるのが遅いから、待つのが嫌だったのかもしれないし……。
そもそも、でいえば、もともと嫌われているのかもしれないし。
あ、だから、大雨……。
一緒にいるのも嫌だったのかもしれない。
だって、果物屋さんが我慢しなくちゃならないって言ってたし。
出会って初日なんて、私……最悪だったし……。
リルラさんの声がする。あぁ、そうか。朝食の時間はとっくに過ぎているんだ。
「プティラ様、ご気分が優れないのですか?」
扉の向こうで、私を心配してくれる声。リルラさんも、ほんとうは我慢しているだけなのかもしれない。
掛け布団の中から、扉を窺う。床に黄色いドレスが落ちている。
あ、着替えるのもまだだった。
「開けますよ」
開けないで。だって、とってもみっともないの。
布の端切れだって、まだ片付けてないし。お部屋は散らかったまま。
それなのに、お腹が空いているマティが扉の傍まで行って、リルラさんを連れてきてしまう。
ご飯、まだだったものね。リルラさんの手にある銀のお盆には、二人分のご飯のお皿が載ってある。
「マティもお腹が空いてますね」
リルラさんはそう言うと、扉の傍の床、いつもの場所にマティのお皿を置いて、近づいてきた。
「お腹でも痛いのですか?」
くの字のまま転がっているから、そんな風に声を掛けられた。小さく首を横にする。
「じゃあ、……」
覗き込んだリルラさんが驚いたのが分かった。
慌てて反対側を向く。
だって、涙が止まらない。起きられない。
こんなにも、みっともないの。
やっぱり、ウサギはひとりぼっちで衰弱死するのよ。
アイティラ姉さまは間違っているの。
ベッドが軋んだ。
リルラさんが座ったのだ。
「何がありました?」
「何もありません」
何もない、ただ、私が浮かれて、沈んだだけ。
「そう、ですか」
リルラさんが黙ったので、マティのもぐもぐの音だけが聞こえてくる。キャベツのように柔らかな葉っぱを食べている音だ。しばらくその音を聞いていると、リルラさんの声が静かに聞こえた。
「ダイ様が『雨が降れば良い』と仰った理由、ご存じではないですよね」
私はただ肯く。知らない。でも、きっと雨が降れば、私と一緒にごはんを食べなくて良いと思ったんだ。きっと、昨日も楽しくなかったんだ。我慢してたんだ。だから、あんなに元気がなかったんだ。
「お節介は止めようと思っていたのですけど、オオカミの話をしても良いですか?」
今さら、どうでも良い。だって、このままひとりぼっちで死ぬんだもの。だから、返事はしなかった。
だけど、リルラさんはただ穏やかに話し始める。
「オオカミの王族が人化と一般オオカミの頂点であることは、ご存じですよね。他の人化動物がどのように統制を取っているのかは知りませんけど、オオカミは、序列が第一です。力と賢さが勝っていなければ、トップにはなれません」
そのくらい、オオカミ史に書いてあった。ちゃんと勉強もした。オオカミって、どんなの? ってちゃんと知っておこうとしたんだから。知れば知るほど、怖かったけど。
「人化すると獣時代に比べると、色々劣りますよね」
はい。私はマティよりも聴力がないです。多分、跳躍力も、体の大きさからすれば、劣っています。穴だって、あんなに器用に掘れません。
「では、どうして、一般オオカミの頂点にもなれるのか」
王様だからなのでは? ウサギの国は建国の王の血筋だからです。
「満月の日に、オオカミに戻るからです」
「オオカミ……?」
「えぇ、一般オオカミと同じ容の」
男は、満月の日に『力』を望みました。
大切なウサギを護るための。
ウサギは満月の日に『人であること』を望みました。
大切な人の傍にいるために。
「プティラ様は、とても頑張っておられます。何があったのですか?」
リルラさんが、布団の上からそっと、私を撫でてくれた。さっきまでとは違う場所が痛みはじめ、涙が溢れ出す。悲しいと、後悔と、助けてと。ほっとするのと。
「ダイ様が、部屋の前に来るなと言いました」
泣き止めずに、そのまま伝えたけれど、もうその理由は分かっていた。
「私は、ダイ様が一般オオカミの容になったとしても、怖くないです。だって、ダイ様の匂いは安心の匂いです」
ダイ様は私を嫌ってはいない。大切にしてくれている。やっぱり涙は止まらない。想えば想うほど、涙が止まらなくなる。
「何があってもダイ様はプティラ様を裏切りませんよ。だから、まずは朝食を召し上がってください。そして、昼食は、ちゃんと食堂まで。お約束ですよ。それから、お目々が真っ赤です。しっかり冷やしておいでくださいね」