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霊研の探偵さま  作者: とど
一章
8/74

3-1 悪魔


麗美れいみさん、行って来ます」

「行ってらっしゃい千理ちゃん」


 あの衝撃的な初仕事から数日、学校もない日曜日に千理は霊研へ向かうべく朝早く家を出た。


「千理」

「ん」


 門の外で待っていた愁に軽く声を返しながら歩き出す。霊研に行くには最寄り駅まで行き、そこから電車で数駅かかる。駅までの短い距離を愁と並んで歩いていると、通りがかりにある彼の家の前で一人の老人が打ち水をしているのが見えた。


「おお、千理」

「おじいちゃんおはよう」


 年の割に背筋が伸び、体もがっしりとしているその老人は愁の祖父である。剣術道場の師範でもある彼は指導の際は酷く厳しいが普段はとても穏やかな人間だ。千理のことも昔から本当の孫のように接してくれている。

 彼は水を撒いていた手を止めると、やや目を細めてじっと千理を見つめた。


「顔色がいい。少し元気になったようで良かったよ」

「あ……。その、色々と心配掛けてごめんなさい」

「ああ全くだ」

「……」


 ふてぶてしく頷く愁を、お前が言うなとばかりに千理はちらりと睨み付ける。


「君が元気じゃないと私もだが、何より愁が心配してしまう」

「……そうですね」

「千理、こんなことを聞くのはどうかと思うのだが……愁は、無事だと思うか」

「!」

「息子も嫁も表面上は気丈に振る舞っているが、内心では相当参って諦め始めている」


 それはそうだろうと、千理は小さく俯いた。隣に浮かぶ愁が見える彼女だって、櫟に会うまでは彼がまだ生きているのかずっと疑っていたのだから。失踪してから一度も彼の顔を見ていない愁の家族がそう考えてしまうのもよく分かる。


「だが、私はまだ愁が生きていると信じている。いや信じたいのだ」


 しかし彼の祖父は、そんな千理の考えを否定するように首を振った。


「千理、私が愁に受け継いだ刀のことは知っているね」

「うん。愁がおじいちゃんに初めて勝った時に上げた物だよね。愁が珍しく分かりやすく喜んでた」

「昨日の夜、私は忘れ物を思い出して道場に行ったんだが……その時あれが突然刀掛けから床に落ちたのだ」

「……それは」

「その時に目が覚めたようにはっとしたよ。私は多分、あの瞬間まで愁のことを諦めてしまっていた。他の被害者と同じようにあの子がもう二度と戻らないものだと」


 祖父は昨夜の光景を頭の中で思い出す。まだ明かりも付いていない部屋の中で、己の存在を主張するかのように月明かりの下に落ちた刀の姿を。


「あの刀は愁の目標だったんだよ」

「そりゃあおじいちゃんに勝つことは昔から目標にしてたけど」

「それは少し違う。愁は私に勝てるくらい、あの刀にふさわしいくらい強くなることで――千理を守れるようになりたかったんだよ」

「……私を?」

「それなのに君を置いて愁が死ぬ訳がない。私はあの刀を見てそう確信したんだ」


 千理は無意識に宙に視線を投げた。その先に居る男と目を合わせて……彼がはっきりと頷いたのを見た。


「おじいちゃん。私も、私だって愁がまだ生きていると思ってるよ。だから……私が絶対に愁を取り戻してみせる」

「……千理は賢いからな、私が思いもよらないことを沢山考えているんだろう。だが無茶をするんじゃないぞ。君が傷ついて苦しむのは愁だからな」

「うん。それじゃあ行くから」


 祖父が千理の頭を撫でる。それに少し照れくさそうに笑った千理は軽く会釈をしてから少し早足でその場を去った。

 五十メートルほど歩いたところで歩くスピードを緩めた千理は、何処か呆れたような表情で斜め上を見上げる。


「それで? 道場でポルターガイストの練習で刀を浮かせてたら、おじいちゃんが来てびっくりして床に落としたって?」

「流石千理。だが何故分かった」

「隣であんだけ気まずそうに目泳がせてたら分かるに決まってるでしょ。ちょっと居たたまれなくなったわ」


 祖父はいい話感を出していたのに色々と台無しであった。千理は見せつけるようにはあ、と大きくため息を吐くとそっと手を伸ばす。


「でもまあ、ありがとね」

「何がだ?」

「分かんないならいいよ」


 伸ばした手は愁の腕を掴みかけて空を切った。




    □ □ □  □ □ □




「おはようございます」

「今日もよろしく頼む」


 千理達が霊研の扉を潜ると、室内に居たのは三人の人物だった。頬杖を付いて暇そうにしている櫟、ぬいぐるみをクッションのように前に抱えながら本を読むイリス、そしてもう一人はソファに腰掛けながらテレビを見ている男――千理達が初めて霊研を訪れた時に居た人物だ。


「千理、愁、おはよう」

「時間通りにちゃんと来たわね! 褒めてあげるわ」

「お前のそれは誰目線だ」

「勿論二人のセンパイとしてよ!」

「まーたちびっ子が調子に乗ってやがる」


 イリスの言動に呆れた顔をした男はソファから立ち上がると千理達の元へ歩いてくる。


「よう、この前振りだな」

「確か英二さんでしたよね?」

「お、よく覚えてるな天才少女」

「天才ではないですが、伊野神千理です。名前の方が呼ばれ慣れているのでよければそっちで」

「俺は桑原愁だ。好きに呼んでくれ」

「じゃあ千理と愁、俺は朽葉英二くちばえいじだ。まあ一つよろしく」


 英二はポケットに手を突っ込んだまま緩い口調で名乗った。イリスへの接し方から見ても随分とフランクな性格らしい。


「朽葉……というとイリスのお父さんですか?」

「いや、俺は叔父だ。イリスは兄貴の子でな。なあイリス」

「あー喉渇いた! コガネ! ジュース!」

「話聞いちゃいねえな」


 英二がイリスに話しかけるものの、彼女は全くそれを無視して立ち上がり奥――キッチンの方へと走って行く。扉が閉められてイリスの姿が見えなくなると、英二は小さくため息を吐いて「我が儘に育っちまったなあ」と苦笑した。


「あいつ最近反抗期でな、色々迷惑掛けることもあると思うがよろしく頼む」

「いや、イリス先輩には既に世話になっている」

「……無理しなくていいんだぞ?」

「無理とは?」

「英二さん、愁はいつも自然体なので気にしないで下さい」

「はー、成程。こういうやつな。大体理解した」

「?」


 千理と英二が頷き合っている中、愁は一体何を理解されたのか分からずに首を傾げる。そしてそんな光景を黙って見守っていた櫟は「まあそのうち慣れるよ」と小さく笑った。


「そういう訳だから英二、今日はその二人のことよろしく」

「おー。まあぼちぼちやるわ」

「今日の仕事は英二さんとですか?」

「ああ。俺ともう一人――」


「イリス、腕を掴まないで下さい! 零れますから!」

「はーやーくー!」


 その時、キッチンの扉が開いて二人の人影が姿を現した。一人は言うまでもなくイリスであり、彼女はもう一人の片腕を引っ張って千理達の方へ歩いてくる。そしてもう一人、イリスに連れられているのは片手に五つのグラスを乗せたトレーを持った若い男性だった。


 彼は困ったような顔をしながら傍までやって来ると、テーブルにトレーを置き千理達に向かって柔らかく微笑んだ。


「千理と愁ですね? 話はイリスから色々と聞いていますよ。僕はコガネと言います」

「あなたが……」


 時折名前を聞いていたが初めて会ったその人物を、千理は失礼の無い程度に観察した。背は平均的だが体は少々痩せ型、黒いスーツをきっちりと着こなし、髪と目は輝くような金色だ。整った甘い顔立ちは女性受けが良さそうで、一見するとホストのように見えてしまう。


「今日の仕事は僕も同行しますのでよろしくお願いします」

「そういう訳だ。早速今日受ける依頼について説明するからこっちに座れ。で、イリスはジュース持って向こう行ってろ」

「……ふん、仕方ないわね」


 イリスは少し不満げな顔をしながら、二つのグラスを持ってその場から離れていった。一つを櫟のデスクに置き、もう一つを両手に抱えて飲み始める。

 千理がソファに座るタイミングでコガネが彼女の前にアイスティーを置く。その隣にももう一つ置き、そして最後の一つを英二の前に置いてからそのまま彼の隣に座った。その様子を見た千理は不思議そうな顔で隣を示す。


「あの、愁は飲めませんけど」

「分かっています。けれど一人だけ無いのは気分がよくないでしょう?」

「そういうお前の前には無いがな」

「いいんですよ僕は別に」

「ったく……こいつはいつもいつも」


 コガネが静かに首を振ると、英二は少し苛立ったように眉を顰める。……と、その時不意に一つのグラスがふわりと宙に浮き、中身を零さないようにゆっくりとした動きでコガネの前に着地した。


「愁?」

「俺が飲めないのは当然だから気にしなくていい。むしろ無駄になるくらいならあんたが飲んでくれ。勿体ない」

「……」

「ふっ、そうだな。おいコガネ、自分で用意したもんなんだから余り物は自分で処理しろよ」

「……分かりました」


 コガネは驚いたように愁を見返すと、少し躊躇うようにしてから頷いてグラスを手に取った。千理はそんな様子を見ながら彼らの性格や関係性について頭の中に情報を書き込んでいく。


「今回の依頼だが、殺人事件だ。三日前の夜に一人の男が殺された」

「死因は刺殺、体中を滅多刺しにされていたそうです。そのことから怨恨の線が強いと判断して警察は身近な人間を中心に捜査を進めているとのことです」

「……それだけ聞くととても霊研に依頼するような事件には思えないんですけど、勿論他に何かあるんですよね?」

「ああ。調査室の話によると被害者の手の甲に“魔法陣”が残されていたらしい」

「……魔法陣?」

「なんだそれ」


 千理と愁が訝しげな顔をしていると、英二は軽く笑って「ま、見た方が早いな」と自身の左腕の袖を捲った。

 そこにあったのは円の中に様々な線が描かれた文様だった。それだけ見れば千理の脳内に高笑いをする或真が過ぎったが、それは摩訶不思議に僅かな光を伴っている。


「これは」

「悪魔を呼ぶ為の魔法陣だ」

「あくま」

「これと似たような物が被害者の手に刻まれていた。つまり、調査室はこの事件に悪魔が関係しているのか調べて欲しいっつーことだ」

「……」

「驚いたか? この世には幽霊なんかよりももっとややこしい存在もいるってこった」

「いえ、大丈夫です。ただ、櫟さんの言った通りになったなと」

「所長が何か?」

「私達の固定概念を吹っ飛ばす為って言って、最初に或真さんの仕事に同行させられたんですよ。……まああんなのが居る世界なら悪魔ぐらい居ても不思議ではないかなと」

「或真の……ああ、あれ見たのか」

「すごかったぞ」

「あれは流石に例外も例外だがな。悪魔はもうちょい現実味がある。なあコガネ?」

「そこで僕に振りますか……」


 コガネはそう言って苦笑すると「実は、ですね」と改まった様子で二人に向き合った。


「僕も悪魔なんです」

「は?」

「そうなのか? 普通の人間に見えるが」

「人間に擬態しているだけですよ。本来悪魔は普通の人間には見ることすらできない存在ですから。……そうですね、証拠としては」

「うわっ、消えた」


 次の瞬間、千理の目の前からコガネの姿が消失した。彼女が驚いていると、愁が首を傾げて「消えた? そこにいるだろう」と不思議そうに口にする。


「まあ姿は変わったが。翼もあるし、本当に悪魔みたいだな」

「みたいも何も本物だがな」

「え、愁はコガネさんの姿が見えてるの?」

「ああ」

「霊体なら見えるだろうな。ま、普通は波長が合うやつか、もしくは俺みたいに魔法陣を持つ人間――悪魔憑きにしか見ることができない」

「これで僕が普通の人間では無いことが分かりましたか」

「あ、」


 再び千理の目にコガネの姿が映った。彼はいつの間にかソファを回り込んで千理の背後に来ており、そして彼は――徐に彼女の隣、愁の肩にぽんと手を置いた。

 先程彼の腕をすり抜けた千理とは違い、その手はしっかりと彼に触れていたのだ。流石の愁もそれに驚き、大きく目を見開いてコガネを見つめた。


「俺に、触れてる」

「悪魔は契約に生きる存在です。そして基本的な代償は魂――僕達が魂である霊体に触れられない理由は無いでしょう?」


 コガネはそう言うと愁から手を離してソファに戻る。千理は彼が悪魔であることよりも、何より愁に触れられたことの方が余程衝撃だった。あまりのことにしばらく頭の中が真っ白になる。


「千理? ぼけっとしてるけどいいか」

「……あ、すみません」

「それでこれから事件を調べに行く訳だ……が、その前にこれを渡しておく。悪魔について基本的な知識はそこに大体書いてあるから、酔わねえなら移動中に軽く読んでおくといい」


 英二は千理に文庫本サイズの本を差し出す。表紙こそタイトルが書かれただけのシンプルなものだが、そもそもタイトルが『悪魔・魔法陣入門書』である。千理が普段絶対に手に取らないジャンルの本であった。

 しかし今は、真面目にこれを読んで知識を吸収しなければならないのである。


「俺は運転するから何か質問があればコガネに聞け」

「ええ。僕なんかでもそれくらいならお役に立てますから気軽に聞いて下さい」

「……はい、よろしくお願いします」


 妙に卑屈な物言いをするコガネに少し引っ掛かりながらも、千理は返事をしながら手にした本に視線を落とした。これらの知識がいずれ、愁を取り戻す手がかりになればと期待しながら。


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