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霊研の探偵さま  作者: とど
一章
7/74

2-2 霊研の切り札


 扉の向こうにあったのは長い廊下。今に床が抜けそうなくらいボロボロになっているその場所を越えて、ようやく辿り着いたその先はまたしても天井の高い大きな部屋だった。


「図書館……いや、どちらかと言うと研究所か」


 その部屋は今までの場所とは違って随分と物に溢れていた。沢山の机が置かれ周囲の壁の棚には隙間がないくらい本が敷き詰められている。いや本だけではない、よくよく見てみれば資料や分厚いファイルも数多く詰め込まれていた。

 そして何より、他にも見逃せない場所がある。


「やはりここでも悲劇が起こったようだ」


 或真が懐中電灯をくるりと回して辺りを照らす。彼の言う通り、この部屋にもいくつもの血痕が飛び散っており時折血だまりを作っている。机の上は何かが暴れたように壊れたパソコンの残骸があり、酷く荒れ果てていた。


「……やっぱり、足りない」

「センリ何か言った?」

「ううん、なんでもない」


 ぽつりと呟いた千理の言葉に首を傾げつつ、イリスは床に落ちていたファイルを拾い上げた。ぱらぱらとページをめくり中身をじっくりと確認した彼女は……ページを開いたままそれを愁のところへ持ってきた。


「シュウ、先輩命令よ! 読みなさい!」

「了解した、イリス先輩」

「……読めない漢字があったのか」

「イチイは黙ってて!」


 イリスが櫟に突っかかっている間に愁は開かれたページをまじまじと眺めて読み始める。そして一通り読んだところで顔を上げて、櫟を威嚇しているイリスを呼んだ。


「これはどうやら何かの被検体の観察記録らしい。読むぞ……十一月一日、被検体A、経過は前日と変化無し。α1、及びα2の乖離も見受けられない。被検体B、β1は問題無し、しかしβ2に乖離傾向あり。その他凶暴性が増しており職員一名が重傷を負った。被検体Bは処分するべきか判断する必要あり」

「どういう意味?」

「さあな。乖離というのはよく分からないが、実験体が暴れて危ないという話のようだ」

「その実験体って何?」

「此処には書いていないな」

「じゃあ他のも読んで!」

「了解した」


「これは……コガネに続いてイリスが顎で使う人間が増えてしまった」

「はは、まあ良いではないか。コガネも愁も嫌がっていないようだからね」

「あんまイリスを甘やかすなって僕が英二に怒られるんだよ」


「その被検体、どうやら動物のようですね」


 イリスが愁に資料を読ませ、少し離れた場所で櫟と或真がこそこそと話し合っていると、ふといつの間にか一人離れた場所に居た千理が少し大きな声を出して皆の注目を集めた。

 彼女は大きな本棚の前に居た。傍の机の上に綺麗に積み上げられている五冊の本に片手を置きながら、さらにもう片方の手で分厚いファイルを開いて読んでいるところだ。


「こちらの資料によると、一匹の動物に更に別の動物を掛け合わせる実験……キメラを作っていたようです」

「キメラ?」

「はい。どうにも機密情報には隠語や暗号が多く全ては分かりませんが、その被検体Bとやらはβ1とβ2を掛け合わせた生物……何でも牛と蜘蛛を混ぜた生き物だと」

「牛と蜘蛛? うわあ、何それ気持ち悪い……」

「『協議の結果被検体Bは凶暴性があまりに強く危険性が強い為処分を決定、早急に実行する』と書かれています。……ちなみにこの次のページですが」


 千理は読んでいたページを他の皆に見せるようにするとそのままページを捲る。そうして現れたのは、全てが真っ赤に染まったページだった。


「成程、返り討ちに遭ったということか」

「多分ね。さっきの幽霊達は皆体の何処かを欠損していたし傷口もナイフとか鋭利なもので切り裂かれたというよりかは咬み千切られたって感じだった」

「千理、きみ怖くて動けないと思ってたのにそんなところまで観察してたの」

「別にあの時しっかり観察した訳ではありません。後から思い出しただけですよ」


 千理は一度見たものは忘れない。だからあらかじめ“見て”記憶さえしておけば後からゆっくり思い出して考えればいいのだ。


「ふふ、君も中々規格外のようだ」

「それはどうも。ただ……そう考えると変なんですよね」

「変? 何が変なのよ?」

「血痕が少なすぎるんです。入り口近くの血痕も、それに此処の血痕も、あんな風に……頭半分掛けていた人だって居るのに血痕はあまりに少ない。人為的なものなら分かりますが、理性の無い生物が暴れて惨殺したっていうのに妙に綺麗なんですよ」


 それもあれだけの人間が殺されているというのに。この場所だってそうだ、暴れて壊されたものは多いのに血痕は不自然なほど少ない。


「更に言えば遺体が一つも無いのもおかしいです。入り口の血痕は外へ逃げるものだけ、中に戻ったものなんて無く遺体が引き摺られたような痕跡もない。……その被検体とやらが食料にしたというのなら分からないでもないですが、それなら余計に血が少ないのが気になります」

「はあー、センリは難しいこと考えるのね」

「私の意見としては後から人の手が入ったと考えるべきかと思いますが……その目的は分かりませ――」


 その時、突然地震のような衝撃が襲い床が大きく揺れた。ドン、ドン、と何度もそれは続き、千理はそれが地震ではなく別のものが原因だと確信する。傍にある棚からいくつか本が落ちそうになって慌てて離れると、櫟が手を引いて彼女を近くに引き寄せてくれた。

 イリスの周囲に集まってきた動物霊達も、一様に体を震わせて彼女を取り囲むようにする。


「皆が怖いって言ってる! 気を付けて!」

「これは……来てしまったかな」

「その被検体Bとやらか」

「恐らくね」


 愁も険しい表情で周囲を警戒する。徐々に強くなっていく衝撃が何処から来ているのか視線を配っていた彼は、不意にはっと千理を振り返った。


「千理、下だ!」

「え……」


 次の瞬間、愁の目の前の床が突如として大きく破壊された。大穴が開き、そこから何かが唸り声を上げて飛び出して来る。


 その光景に、千理の呼吸は止まった。

 

「ギャアアアアア!!」


 悲鳴のような耳を刺激する鳴き声を上げてそれは現れた。牛のような顔をして、しかし胴体は酷く短く、更に何本もある蜘蛛のような足がガサガサと揺れる悪夢のような生物。それが――縦も横も3メートルはあるかというほどの巨大さで姿を見せたのだ。


「な……に、これ」


 千理は全身の力が抜けて座り込む。牛と蜘蛛のキメラだというから何となく想像はしていたものの、実際に目にしてこんな巨大な生物だなんて予想もしていなかった。そもそも牛と蜘蛛を掛け合わせて何故こんな巨大化するのだ。本当に……元はただの牛と蜘蛛だったというのか。

 ガサガサ音を立てながら壁を登る怪物を見上げ、櫟は疲れたように息を吐いた。


「成る程ね。あんだけデカけりゃあ殆ど丸呑みされただろうからそりゃあ血痕も少ない訳だ」

「そ……そんなこと言っている場合ですか!? あんな! あんなのどうするって言うんですか! 人間が勝てるような相手じゃないです!」


 もしも愁が普通に生きていれば、と考えても無駄なことだ。今の愁は実体のある物に触れられない。彼に頼れないのにこの場をどうにかするなんて不可能だ。

 愁もそれを分かっているが、それでも無意識に千理を庇うように前に立った。


「こ、怖くなんて無い! 怖くなんて……」

「イリス……」


 ぬいぐるみを強く抱きしめたイリスが千理の服を掴む。気丈な態度を取ってはいるが体の震えは大きい。こんな絶体絶命の状態で気絶しないだけ十分に頑張っている。


「怖くなんてないんだから! だから……アルマ!」

「――無論だ。任されよう」


 ばさり、と千理の目の前で黒コートが翻った。


「或真さん……?」

「……ふふ、ふはははは!! とうとう私が力をふるう時が来たようだなっ!」

「悪いね或真、今回も頼めるかな」

「所長、何も悪く思う必要など無いとも。私が私である限り、この力は私の敵を打ち砕く為に存在する!」


 じゃらりと左腕に巻き付いた鎖が音を鳴らす。全員を庇うように巨大キメラと相対した或真はくくく、と喉で笑いながら右手でそっと眼帯に触れた。

 そのままちらりと、彼は千理を振り返る。


「千理、博識らしい君はこんな言葉を知っているだろうか。『怪物と戦う者は、自分が怪物にならぬように気をつける必要がある』」

「は? ニーチェ?」

「だが私はこう思う訳だ。強大な化け物と戦う為には、こちらも同じくらい――化け物になる覚悟もまた必要だとね!」


 そう言って笑った彼が、ずっと付けていた右目の眼帯を取り払う。前を向く直前、千理の目に映った彼の右目は――金色に輝いていた。


「出でよ我が僕、邪眼に眠る怪物共!」


 或真が叫んだ瞬間、勢いよく牛の顔が彼に向かって大口を開けて襲いかかってきた。思わず目を瞑りそうになった千里だったが、その直前に或真の目の前に現れた存在を見て逆に瞬きすら忘れた。


「来いキマイラ、ケルベロス!」

「ガルウウウウッ」


 大きく口を開けたキメラに向かって現れたのは何処かライオンに似た――いや似ているのはタテガミがそれっぽいだけで実際のライオンとは似ても似つかない――大きく醜悪な黒い怪物と、これまた同じように黒い、犬に似た頭を持ち尻尾が2本ある巨大な化け物だった。その二体はキメラほど大きくは無いが、同時に勢いよく突撃して牛頭を背後の壁へと吹き飛ばした。


「……夢?」

「現実よ」


 意識を飛ばしたくなった千理にイリスから無慈悲な答えが返ってくる。

 更に追い打ちを掛けるようにキメラにキマイラと呼ばれた怪物が襲いかかり鋭い爪を振るうが、キメラは沢山の足を使って器用に逃げる。しかしそこを狙うように犬――ケルベロスが足を踏みつけて妨害した。

 なんだこの怪獣大戦争は。恐怖よりも困惑が勝り、千理は同じようにぽかんと呆けていた愁と顔を見合わせた。


「百聞は一見に如かず、だったろ」

「櫟さん」

「或真は色々あってね、右目にあんなやばいものを住まわせている。ちなみに一度に出せるのが二体なだけでまだ他にもいるよ」

「本当の、本当に……演技というかある種の病気じゃなかったんですね」

「面白い人だとは思っていたが、想像以上にすごい人だったんだな」


 いくら霊研に居るからって誰があの厨二病がガチなやつだと思うのだ。千理はもう深く考える気力もなく相変わらず座り込んだまま櫟を見上げた。


「どうでもいいこと聞いてもいいですか」

「何かな」

「あの、ケルベロスとか言ってますけど頭一つしか無いですよね?」

「ああそれは……ただ単に或真が呼びやすいように名前を付けているだけだからね。実際に神話の生き物って訳じゃないよ」

「じゃあむしろあれ何……?」


 逆にあの怪物が何者なのかという疑問が強くなる。千理の理解のキャパシティを軽々と越えて来る存在のオンパレードに、彼女は現実逃避して映画を見るかのように目の前の光景を眺めた。


 足を押さえていたケルベロスが振り払われて壁に激突する。それに構わず爪を振るったキマイラだったが、牛の口から太い糸が吐き出されて前足が拘束されてしまい、逆に噛み付かれた。


「ぐっ、」

「或真! 大丈夫か」

「問題ない……ははっ、これくらい何ともないさ!」


 それと同時に右目を押さえて苦しみ出した或真を見て、千理は怪訝な顔をした。彼自身は無傷だが、この状態を見るに何か影響があるのか。


「あいつらが攻撃を受けると或真にもダメージが来るのか?」

「その通り。まあ勿論一部ではあるけど、それでも結構キツイみたいでね。おまけにやつらは攻撃しろとか簡単な命令は聞くけど細かい指示までは出せない。だから狙って攻撃を避けろとかそういうことを言っても聞かない訳だ」

「そんなの……或真さん大丈夫なんですか」

「戦わなくていいって何度も言ったんだけどね……」

「バカなのよあいつ。『我が力は闘争の為にある』とか何とか言っちゃって。こっちが何言っても聞かないんだから」

「イリスも心配してるのにねえ」

「べ、別に心配なんてしてないんだから!」


 話をしている間にも事態は動く。何とかキメラを振り払ったキマイラが糸を噛み切り、更に糸を吐いてこようとする口を長い爪で上から串刺しにして床に縫い止めた。

 戻ってきたケルベロスも唸り声を上げ、二体は揃って大きな口を開けて飛び掛かる。


「まあそういう事情だから或真には他の手がない時に限り右目を使ってもらうことになったんだよ。あいつはうちの最終兵器……いや兵器って言葉は良くないな」


 膝を付いていた或真が立ち上がり、右目を押さえながらにやりと笑った。


「――食い千切れ」


 次の瞬間、左右からキメラを頭に噛み付いた二体はそのままの勢いよく頭を真っ二つに咬み千切ったのだった。



「或真は、霊研の切り札だ」




    □ □ □  □ □ □




「――以上から、当該研究所で作成させていたキメラは通常生物の牛と蜘蛛ではなく、妖怪の牛鬼と土蜘蛛を融合させたものであることが判明した。詳しくは資料Eを参照、と」


 千理はそこまでパソコンに文字を打ち込むとぐぐ、と大きく背伸びをした。ようやく昨日の調査報告書を書き終えたのだ。


「いやーホント千理が来てくれて助かるよ。警察に出す報告書とか色々面倒だから僕苦手で」

「けど本当に疲れましたよ。昨日からあの研究所の本根こそぎ読み漁って暗号解いて……しかも妖怪とか色々名前出てくるし。流石に休みたいです」

「じゃあそんな千理にケーキを出そうか。さっき買って来たんだ」

「ケーキ!」

「好きかな?」

「甘い物は何でも! チョコレートケーキあったら下さい!」


 まだ自分のデスクが無い千理にパソコンを貸していた櫟が立ち上がると、千理は両手を上げて喜んだ。瞬間記憶等、普段から常人よりも多く頭を使う千理にとって糖分は非常に重要だ。昨日クレープが食べられなかったこともあって非常に嬉しい。


「或真とイリスはどうする?」

「では私はショートケーキを頂こう」

「私タルト!」

「あータルトは無いなあ」

「何でよ! コガネはいつもちゃんと買ってきてくれるのに!」

「はいはい。じゃあミルフィーユでいいね?」

「……仕方が無いから我慢してあげる」


 まだ会ったことは無いが、たまに名前を聞くコガネという人物はどんな人間なのだろうと千理は疲れた頭でぼんやりと思考を巡らせた。

 ちなみに愁はというと部屋の隅で居眠りをしている。幽霊に睡眠が必要だとは初耳だが、どうやらあの後ポルターガイストの練習をしていて疲れたとのことだ。


 それにしても、と千理はちらりとケーキを受け取る或真に視線をやった。まさか彼の役割があんなものだとは全く想像もしていなかった。今の或真は暢気にフォークを握って苺をイリスから死守しようとしており、昨日との温度差があまりにも酷い。


「はい千理、チョコレートケーキ。……或真を見ていたのかな」

「そうです。なんだか昨日の衝撃が忘れられなくて」

「まあそうだよね。というかそうでなくては困る」

「困る?」

「君達の初仕事になんでわざわざ或真を引っ張り出さなきゃいけないくらい危ない仕事を選んだのかってことさ」


 千理の前にチョコレートケーキを、そして自分の前にチーズケーキを置いた櫟は、肘を着きながら行儀悪くケーキを突いた。


「一言で言えば君達の固定概念をぶっ壊す必要があった」

「固定概念?」

「そう。『常識ではこうだ、普通そんなことありえない』そういう凝り固まった考えを吹っ飛ばしたかったんだ。此処では何が起こっても不思議なことなんて無いからね」

「……確かに、あんなのがこの世に存在するなんて考えたことありませんでしたけど」

「だろう? 実際或真の出番があるかどうかは行ってみないと分からなかったが、もし今回そうでなくても何回か或真の仕事に付き合わせるつもりだったよ。あればっかりは口で言っても伝わらないからね」

「それはそうですね」


 荒療治だが確かに効果的だ。あんなこの世とは思えない光景を見せられたら常識の範疇では考えていられなくなるだろう。

 千理が頷きながらケーキを口にしていると、ふと彼女は櫟が窺うように自分を見ていることに気が付いた。


「櫟さん?」

「怖くなったりしたかな。やっぱり霊研なんて入るんじゃなかったとか」

「……まさか、そんなこと言う訳ないです。それに私、どんな手段を使ってでも愁の体を取り戻すって決めていますから」


 だから彼の事件を扱うこの場所から抜ける訳には行かないと、彼女は気持ちよさそうに眠る愁の顔を見た。


「愁は愛されてるねえ」

「……親友ですから」

「親友ねえ。まあそれでもいいけどね」

「と、ところで櫟さん! ちょっと聞きたいことがあるんですけど!」


 千理は少し大きな声を出して無理矢理話題を変えた。聞きたいことがあるのは本当だ。彼女は再び或真をちらりと見た後、やや声を顰めて櫟に尋ねる。


「あの、或真さんの右目って本当に邪眼……怪物がいるじゃないですか。ということはつまり、あの鎖が巻かれた左腕にも何か」

「ん? ああ、あれはただ単に或真の趣味だ。別に普通の人と同じで特別な力なんて無いよ」

「……」

「……」

「……えっ」


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