29-1 見つかる
「お疲れ様です、若葉刑事」
「……来たか」
事件現場である火葬場を訪れた千理達が現場の指揮を取っている若葉に声を掛けると、振り返った彼は非常に苦々しい表情を浮かべた。
現場を訪れたのは記録係である千理と、事件当時の状況を知るために鈴子、そして今回の事件が榧木家の件と類似していることから櫟、悪魔事件の担当である英二とコガネだ。或真とイリスと愁は霊研で留守番だが、それでもいつもよりも大人数だ。
「民間人に協力を要請することも、ましてや現場に入れて捜査させることなど誠に遺憾だが、出向いてもらって感謝する」
「感謝するんならもう少しそれらしい顔をしたらどうかな……。で? 動く死体っていうのは何処に」
「……此方だ」
若葉が奥にある扉を示す。何やらそちらから騒がしい声が聞こえて来ており、櫟は眉を顰めながら一番にその扉を開けた。
「はっ、はははは! 五人! 五人も討ち取ってやった!」
その部屋に居たのは複数の警察官。そして、彼らに取り押さえられ床に這いつくばるように拘束された血塗れの男だった。高笑いをしながら叫ぶ男は右手に赤く染まった鏡の破片を握りしめており、必死に警察官達が腕を押さえつけて振り回すのを阻止している。
「まだだ! まだ! もっと沢山殺して首を献上してやるわ!」
「おい! もっと強く押さえろ!」
「やってます、が」
複数人で押さえつけているというのに男はまだ抵抗を続け、それどころか力尽くで起き上がろうとしている。一瞬の隙を突いて腕を振り解き自由になった手で鏡の破片を振り回そうとした男だったが、それよりも早く近付いた若葉が更にそれよりも強い力でその手を床に叩き付けた。
床を破壊して手を半分床の下に埋めた若葉は、疲れたように溜め息を吐いて眼鏡を押し上げた。
「この通り、犯人は未だに抵抗を続けている。拘束しようにも馬鹿力で抵抗し、途中で腕が折れてもこの状態だ。それに麻酔も効かない」
「そりゃあそうだろうね。何せこいつは死体だ。生命活動が止まっている体に麻酔を打っても効果なんて無いよ」
櫟が犯人――暴れる死体に近付く。彼はしばらく観察するように暴れる男を眺めると、「醜い魂だ」と非常に冷たい視線で見下ろした。
「コガネ、悪いけどこいつ引き摺り出してくれるかな。僕だと気に食わな過ぎてそのまま成仏させそうだ」
「了解しました」
「!?」
櫟がコガネに声を掛けると、彼はすぐに犯人に近付いてその頭に手を伸ばした。次の瞬間、犯人が分裂する。暴れる男の中から半透明の別の男が現れ、コガネの手に捕らえられたのだ。同時に今まで暴れていた犯人の体は突如として力を失って動かなくなる。
「な……なんだお主は!?」
「顔が違いますね。やはり中身が違いましたか」
「この前のやつと同じパターンだね。話し方からしてもかなり昔の人間のようだ。悪魔と契約したか贄になって魂を取られたやつってところだろう」
「!」
ひゅ、と呼吸などしない幽霊が息を詰まらせたような顔をした。
「あ……悪魔、あの、恐ろしい……化け物」
「当たりか。君は――」
「いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、もう、あのような恐ろしい目には――」
「あっ、ちょっと待て! ……あ」
悪魔という言葉を聞いて突然錯乱し始めた男がコガネの手を振り切って逃げようとする。咄嗟の事に手を放してしまったコガネが再び捕まえようとするが男は既に櫟の体をすり抜けて扉へ向かっている。
自分の体を通過された櫟は何も考えずとも反射的にその右手を伸ばしてしまい――。
「「「あ」」」
櫟を含めた霊研全員の声が重なった。
彼の右手に触れた幽霊は、言うまでもなくそのままさっぱりと成仏してしまったのである。
「……消えた?」
唯一状況が分かっていない若葉がぽつりと呟いたその瞬間、全員の視線が櫟の方へと向いた。その目に浮かんでいるのは呆れと、少しばかりの批難である。
「……櫟さん」
「おい、櫟」
「櫟君」
「……ごめん、つい……」
「いやごめんじゃないですよ! 折角今回は犯人捕まえられたと思ったのに」
「いやだって逃げようとしてたら反射的に捕まえてしまうだろう!? 職業病なんだよ止まらないんだ!」
また速水に苦言を呈される、と思わず千理が櫟を責めてしまうと、珍しく櫟が声を張り上げて反論する。確かに職業病といえばそうなのかもしれないが……と千理は頭を抱えたくなった。まだ殆ど何も聞けていなかったというのに。
「取り逃がした僕にも責任があります。すみませんでした」
「いえ。もう起きたことは仕方が無いですし、そもそも逃げようとする方が悪いんです」
「そうね、この為に私が来たんだもの。心配しないで。ちゃんと事件の状況は把握するわ」
「……皆コガネには甘くない?」
「日頃の行いの違いだろ。あいつに普段の生活態度で勝てるとでも?」
「無理」
櫟が真顔で頷くと英二は「だろうな」と鼻で笑った。櫟は普段「頑張らない、楽しくやる」ことが信条である。真面目で勤勉なコガネに勝てるはずもない。
「という訳で……若葉刑事、殺人現場の部屋へ案内してもらってもいいですか」
「……本当に来るんだな伊野神千理」
「はい。行きます」
「本当に」
「本当に!」
若葉の口がどんどんへの字に曲がっていく。何せ死体は運び出しているとしても五人も殺された殺人現場だ。未成年の子供に見せたいものではない。
五回ほどそのやりとりを繰り返した所でようやく諦めた若葉に連れられて、霊研一行はその部屋から出て二つ部屋を挟んだ所にある扉の前に来た。扉の前に立つ警察官が無言で敬礼する。
「この部屋だ」
扉が開かれた瞬間むわ、と不快な血の匂いが鼻に付く。密閉されていたその部屋の中は若葉が見せたくないのを理解せざるを得ないほどの血の海だった。
絨毯になっている床は元の色が分からなくなるほど殆どが赤に染まり、所々に白い脂がこびり付いている。床だけでなく部屋の中にあるものは粗方壊されており、凶器となったであろう鏡の破片があちこちに散らばっていた。
「ここで五人の被害者があの犯人に殺された。……被害者達はあの死体の遺族だったらしい。犯人の体を火葬しようと此処を訪れ、そして何故か死体に別の存在が入り込み遺族を殺害した」
「随分考え方が柔軟になったな」
「……目の前で事実起こっていることを否定するような真似はしないだけだ。以前桑原愁が俺に取り憑いたように何処からか来た幽霊が死体に憑依したんだろう」
「いや、それで済む話でもないね」
「何?」
「言っただろう、これは悪魔の仕業だよ。ただの一幽霊が好き勝手しただけじゃない」
「若葉刑事、遺体の何処かに魔法陣は残されていませんでしたか。事件が起きたばかりならまだ残っているはずです」
「……少し待て」
榧木家で行われていたことと同じだとすれば、遺族の誰かが死人を生き返らせようとして悪魔を呼び出したことになる。
若葉は少し考えるようにしてから何処かへ連絡を取り始めた。しばらく会話を続けた後にスマホを操作すると、彼はその画面を千理達の方へ差し出す。
「魔法陣とはこれのことか」
「これは……」
映し出されていたのは血塗れになった手だ。左手の甲に描かれているのは中に複雑な模様の施された円であり、間違いなく悪魔を呼び出す為の召喚陣であった。
ただしそれは不完全だ。魔法陣は部分的に血に塗れており、おまけに薬指から左部分の手が欠けている為元の魔法陣がどんなものだったのか完璧に窺い知ることはできない。
「やはり特定の悪魔を呼び出す魔法陣です。ただ……欠けているのでその悪魔を呼び出すことはできませんね」
「この無くなっている部分の手は……」
「現場には残っているはずだ。ただ……細かい肉片が多く完全に繋ぎ合わせるのは時間がかかる。何せ遺体が五人分あるからな……」
若葉が頭痛を押さえるように額に手をやった。これだけの血の海だ。遺体の状態を見ていない今でもとんでもない惨状だったことは窺える。鏡の破片でそれだけのことをやった、そしてあのパワーを考えると、やはりただの憑依ではないだろう。
だが時間さえ掛ければ魔法陣は完成する。一週間かそこらで効力を失った魔法陣は消えるのでそれまでの勝負だが、逆に言えばそれさえあれば確実に犯人に辿り着くことはできる。
「……でもこの模様、何処かで見たような気が」
「本当ですか!?」
「全部判明してる訳じゃないから確実じゃないですけど」
千理の脳が微かに刺激される。一体どこで見たのか。少し前に調査室で大量の資料を見たのでその時かもしれない。
少なくとも今までの経験で分かることは、これは思い出すのに相当苦労しそうだという予感だった。
「すみません、思い出したら言います。それよりもまずは現場を」
「それじゃあ私が“見て”みるわね。何か良さそうなものはあるかしら」
「うーん、あまり血が付いてないもの……この隅っこにあるパイプ椅子とか」
折りたたまれて壁に立てかけられているパイプ椅子はここまで被害が及んでいなかったようで無事だ。ところどころ血しぶきは飛んでいるが許容範囲内だろう。
「伊野神千理、彼女が超能力者だと名乗っているのは耳にしたが一体何を」
「鈴子さんは物の記憶を読み取れるんです。簡単に言うと、どんなものでも監視カメラにすることができるんですよ」
「……」
「疑わしそうに見られても事実ですよ。受け止めて下さい。というか鈴子さん大丈夫ですか、かなり酷いもの見そうですけど……」
「平気よ。あの人が死んだ光景よりも酷いものなんてこの世には無いから」
鈴子はそう微笑んで隅のパイプ椅子に手を伸ばす。するとその瞬間、もう何も見えないはずの瞼の裏に鮮明な光景が映し出された。
『おじさん、何を馬鹿なことをしてるんだ! 狂ったのか!?』
『俺は狂ってなどいない。ただやるべきことをしているだけだ』
見えてくるのは言い争いをしている五人の男女だ。胸ぐらを掴んで叫ぶ男と、彼の言葉を涼しい顔で聞き流す別の男、他の三人はまた別に口論をしており、そして――少し離れた場所には棺桶に入った死体が安置されていた。
『火葬前の遺体を盗んでくるなんて!』
『兄さんはこれから生き返るのだからこれは遺体じゃなくなる。何の問題もない』
『そうよ、それとも何? あんた達は兄さんが生き返るのに何か不都合でもあるの? もしかして……あんた達が兄さんを殺したんじゃない?』
『言っていいことと悪いことがあるぞ!』
『本当のことは言うなって?』
『お前っ』
『別にやましいことが無ければ生き返らせるのに文句はないはずだ。やるぞ』
今にも口論から殴り合いに発展しそうになっていたその時、一人の男が動いた。ポケットから小さな果物ナイフを取り出したその男は、何の躊躇いもなく自分の指先を浅く切る。じわじわと溢れ出す血をもう片方の手で拭い、そしてそれを――左手の甲に描かれていた魔法陣に塗りつけた。
『は、はははは! これで呼び出せるはずだ! 兄さんを生き返らせる悪魔が!』
『ちょっと、何を』
魔法陣を持つ男が笑い出したと同時にその手の甲が光り出す。一瞬でその光に気を取られた全員がその光景に釘付けになる。部屋中を照らしていた強い光は徐々に収束し、そして一つの人型を形作る。
いや正確に言うと人型ではない。何しろそれには蝙蝠のような大きな翼が生えていたのだから。
『私を呼んだのは貴様らか。我が名は――』
現れた悪魔は、髪と瞳を美しい紫に染めた女だった。彼女は目の前で泣いて喜ぶ男をゴミでも見るかのような視線で見下ろしたかと思うと、何故か不意に顔を上げた。
悪魔は特に誰も居ないはずの場所を見る。
――その瞬間、鈴子は大凡七年ぶりに……誰かと“目”を合わせた。
「っ、」
「鈴子さん……?」
椅子に触れて目を閉じていた鈴子が、不意に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。自分の体を抱きしめるようにして、カタカタと震える彼女を見て誰もがその様子に驚愕した。
鈴子が何かに怯える姿など、誰一人として見たことがなかったのだから。
「鈴子さん、何を見た!?」
「英二君……」
真っ先に英二が彼女の前にしゃがんで様子を窺う。顔色が悪い。やはり酷く凄惨な殺人現場を見たからか、それとも。
「……ごめんなさい。少し取り乱したわ」
「無理をしないで下さい。少し向こうで休みましょう」
「いえ、記憶が薄れないうちに聞いて。被害者達は確かに死体を蘇らせようとして悪魔を呼び出していたわ。そして現れた悪魔は――私に気が付いた」
「っなあ!?」
「鈴子さんに気付くって、だって記憶を見ただけですよね? その場に居た訳じゃないのになんで」
「ほんの僅かな繋がりですら見逃さないほどの悪魔……そんなの余程強くない限りありえません」
「ええ。物の記憶越しに見た私でも、その悪魔が本当に強い力を持っていることは分かったわ」
話すにつれて少しずつ冷静さを取り戻しつつある鈴子は、そこで一度見た記憶を整理する。部屋の状況、その場に居た人間、そして現れた悪魔とその言動を。
「悪魔は紫色の髪や翼を生やした女の悪魔。その悪魔の名前は――シオンよ」
□ □ □ □ □ □
「まったく、彼奴は一体何処をふらついているのだ」
コツコツと音を立てて薄暗い室内を歩きながら、その女はぶつぶつと不満げに独り言を吐き出した。
「あれは弱いくせに昔から好奇心が強く危なっかしい。早く私が見つけねば」
女の目には誰の姿も映っていない。例え傍に動かぬ人間が数人横たわっていようと、彼女がその目に入れたい人間はただ一人だ。
ふと、女の足が止まった。それと共に足音が止み、完全な静寂が訪れた。
女はその場から動かない。ただ、頭を持ち上げて真っ暗な空間を見つめるだけだ。
「何か、」
「――見ているな?」




