24−6 終幕
「冗談じゃない! 話が違うぞ……!」
真っ白に化粧された雪山を数人の男が怒りと焦りを隠そうともせずに下りていく。
本当に話が違う。計画ではこのまま人間共を皆殺しにして新しい世界が始まる予定だったというのに。予定されていた爆破テロは何故か邪魔されて構成員が逮捕されたと連絡があり、更に本部までもがこの有様だ。
後ろを振り返ってみれば、本部があった山はぐちゃぐちゃにその形を変化させている。雪で覆われている為まだ見えにくいものの、これが溶けてしまえば山頂から中腹まで丸々山が削り取られ、崩壊した内部まではっきり見えるようになるだろう。
「薊との連絡は!?」
「まだ付きません!」
「くそっあの野郎肝心な時に役立たずで――」
「おや? 部長、そんなに急いで何処へ向かうおつもりですか?」
「!」
苛立ちを露わにしながら足を進めていた男達が不意に動きを止める――いや、止めざるを得なかった。
雪に紛れて気付くのが遅れた。いつの間にか前方には警察官がずらりと横に並び男達を取り囲むかのように動き始めていたのだ。そして何よりその中心部には、本来此処にいるはずのない人間が微笑みながら小首を傾げている。
「なんで……深瀬、お前は死んだはずだ!」
「殺したはず、の間違いでは?」
計画序盤で狙撃したはずの白髪の男が目の前でくすくすと笑う。あれだけ深手を追わせたというのに彼は今何事もなかったかのように立ち塞がっている。よく見れば周りにいるのは深瀬の部下達で、彼らは男達が動揺している間にもてきぱきと動き身柄を取り押さえていた。
「まさか調査室の重鎮ともあろうあなたが警察の裏切り者の代表だったとは、流石に私も気付きませんでしたよ。……ああ、そういえば櫟の調査を私に命じたのもあなたでしたね。あれも霊研の戦力を確認する為でしたか」
「っ、」
「ああ、当然ですが逃げられません」
警察の包囲網を無理矢理抜けようと男が動き出す。烏天狗の妖怪である男は一気に跳躍して包囲の外へ出ようとしたものの、すぐさま空中で不自然に身動きが取れなくなりそのまま雪の上に落下した。
落ちた後も上から押しつぶされるように見えない力が働いておりまったく体が動かない。そしてそれを行っているのは当然深瀬である。
「さて、全員確保しましたね? それでは身柄を警察へ――げほっ」
「深瀬室長! だから超能力はまだ使わないで下さいって言いましたよね!? あんた死にかけてんですよ!」
「裏切り者達と一緒に室長も拘束して病院に移送しろ」
「了解しました!」
突然微笑みながら顔を真っ青にして血を吐いた深瀬に、彼の部下が全員呆れて溜め息を吐いた。本来であれば絶対安静の状態だというのに無理をするからである。
「いや待って下さい、私はまだ平気で」
「透坂さん呼びますか?」
「病院に戻ります」
腹心の部下に告げられた言葉に、思わず深瀬も真顔で手のひらを返した。
何にせよこれにて、テロ組織シオン無事に壊滅である。
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「つか……れた」
「皆死んでるじゃないの」
数日後、霊研では未だに死屍累々とばかりに千理達がぐったりと転がっていた。唯一元気なのはイリスと愁ぐらいだ。此処数日怒濤の日々が続き、ようやくシオンが壊滅したかと思えばその後も事後処理でなんやかんやとやらなければならない事が続いた。
鈴子はまだ念の為入院しているし、櫟は所長としての雑務が多すぎて殆ど姿を見ていない。そして残った面子はようやく一息吐けたと肩を落としてソファなり自分のデスクなりでぐったりとしているのである。
そんな皆の様子を空中で眺めていた愁は、一通り全員を見回してから一つ頷いた。
「何にせよ全員無事でよかったな。あのツバキとか言う悪魔も大丈夫なんだろう?」
「うん。ツバキさんも華蓮さんも大きな怪我は無いみたい」
「後はまあ……或真の両親と実家か」
「……うむ。残念ながら二人とも入院している。家に関しては色々と調査室が手を回してくれるようだが」
英二の言葉に或真が静かに頷く。家はまだいい、どうにでもなる。だが後遺症は残らないとはいえ両親は大怪我を負い――そして或真との間に大きな溝を作った。
誰にも言ってはいないが、或真はもう二度と両親と会わない方がいいだろうと自分の中で考えていた。
「でも、コガネさんが帰って来てホントに良かったですね」
「ご心配お掛けしました」
「ホントよ! まったくお騒がせなんだから!」
「イリスも顔真っ赤にして号泣してたもんな」
「エイジうっさい!」
「ぐっ」
揶揄うように言った英二のみぞおちにイリスの拳が入る。普段ならば何とも無かったが疲れ切った今はイリスの拳ですら大ダメージになってしまう。
そんな二人の様子を見てコガネが笑う。本当に、もう一度この光景を目にすることが出来て良かったと。
「そういえば千理」
「ん? 何――」
その時、背後から愁に呼ばれた千理が彼を振り返ろうとした。が、突如金縛りにあったように体が動かなくなり、かと思えば何故か急に立ち上がってしまった。
体が勝手に動く。いつもよりも背筋が伸びている気がしたと思えば、千理の脳内で聞き慣れた声が響いた。
『見てくれ。俺はとうとう人に憑依できるようになったらしい』
「憑依……いや見てくれと言われましても」
体が自由にならないので見るに見れない。というか見たところで分からない。
千理が非常に困惑しているとあっという間に愁が体から抜け出して体の自由が戻ってきた。成る程、薊と戦っている時に若葉はこんな状態だったのかと千理はまじまじと自分の手足を見下ろした。
「なんとなく感覚は掴んだ。つまりこれで、いつ体が見つかっても元に戻れるということだ」
「……そういえば、そっか。前は体に入れなくて困ってたもんね」
「ああ」
上機嫌で愁が頷くのとは裏腹に千理の表情が僅かに陰る。愁がそれに気付いて不思議そうに顔を覗き込もうとしたものの、次の瞬間には彼女の表情は元に戻っていた。
「取り憑いたと言えば、若葉刑事も怪我は酷かったけど無事で良かったよ」
「ああ、あの男が一番重傷だったな」
「だが回復も早いらしい。流石鬼の血を引くってか」
「……若葉刑事って、立場的に大丈夫なんでしょうか」
知らなかったとはいえ彼の父親はテロ組織の幹部だったのだ。そうなれば何かしらの処分は免れないのかもしれない。
「どうだろうな。まあ俺の予想だと――」
「邪魔をする」
英二が口を開き掛けたのを遮るように入り口の扉が開いた。全員がそちらに視線を向けると、そこにはたった今話題に上がっていた若葉がきっちりとしたスーツ姿で立っていた。数日前の戦闘や怪我など一切感じさせないいつも通りの姿である。
若葉は入り口で足を止めると一度全員を見回す。そしてまるで手本のように綺麗な礼で深々と千理達に頭を下げた。
「先日は身内が本当に迷惑を掛けた。謝罪で済む話ではないことは分かっているが、それでも謝らせて欲しい。すまなかった。……それに、協力を感謝する。俺だけでは何もできなかった」
「若葉刑事、」
「俺はもう刑事ではない」
顔を上げた若葉が複雑な表情でつかつかと近付いてくる。やっぱり責任を取ったのかと思った矢先、彼は何故かその顔に徐々に苛立ちを混ぜながら胸ポケットに手を入れた。
そして、叩き付けるように机の上に警察手帳を置いた。
「俺は今……警視庁特殊調査室妖怪部門室長補佐、若葉誠一郎だ!」
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「若葉君、これは?」
「勿論辞表です。理由は言わずとも分かっているでしょう」
体が何とか動かせるようになってすぐ、若葉はすぐに自身の上司に辞表を提出した。この上司は特殊調査室のこともよく知っているようだし今回の大規模なテロ事件についても勿論話が行っているはずである。
うむ、と上司は一つ頷いた。
「十年以上交流が無かったとはいえ実の父親がテロ組織の幹部……そして実際に爆破テロを主導か。確かに君の立場は危うい、というよりも君が今回紛れ込んでいたスパイの一人ではないという保証も未だにない。君は鬼頭君とも同期だったようだしね」
「分かっています。俺はもう刑事として此処にいることはできません」
だから若葉は事件が終わってすぐに辞表を書いた。もう自分の刑事生命は絶たれた。しかしそれでいいのだ。父親を止めることが彼の人生の目標だったのだから。
「私としては、優秀で勤勉な君が辞めるのは非常に残念だ」
「過分な評価です。俺はやれることをやっただけです」
「しかし本当にいいのかな。君には刑事として何の未練も残っていないと?」
「……残っていようがいまいが、変えられないことですから」
まるで試すようにそう問いかける上司に、若葉の脳内で様々な事件が頭を過ぎった。
父親を探すつもりで選んだ職業だったが、それは想像以上に若葉の天職だった。犯罪者を取り締まり、健全な市民を守る。そのことに誇りを持っていたのも確かだ。
『私は何があっても、どんなことをしてでもこの事件を暴いて愁の体を取り戻すと誓いました』
……そして、思い浮かぶあの未解決事件。
未練などあり過ぎる。あの事件だけじゃなく、若葉の力不足で解決できなかった事件は他にもある。だが結局、若葉がどう思おうが結論は変えられない。
上司が顔を歪める若葉を見て、ちょっと楽しそうに笑みを浮かべた。
「私としても、優秀な人材がいなくなるのはとても惜しいのだよ。だから辞めずに、刑事としてではなく別の形で警察に貢献してくれないかと思ってね」
「別の形、ですか」
「君が来るのは分かっていたから彼を呼んでいたんだ。入ってくれ」
「彼……って」
きい、と若葉の背後の扉が音を立てて開かれた。同時にそちらを振り返った彼は、以前何処かで見たような白髪を見て思わず顔を引き攣らせる。
「成程、君があの若葉刑事だった訳か。前に勧誘したのは間違いじゃなかったね」
「あんた……特殊調査室の」
「超能力部門室長、ああそれと調査室全体の指揮も取っている深瀬だ。まあ、そういうことでね」
「ああ、そういうことでな」
深瀬と上司が顔を示し合わせたように笑った瞬間、若葉は自分の処遇を理解した。
「はいようこそ若葉君、我らが調査室へ!」
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「あの男……! 無理矢理特殊調査室へ連れて来たかと思えば入って早々室長補佐にするわ、ついでに霊研への連絡係に任命するわ、おまけにすぐにいくつかの現場に引っ張り出されたかと思えば血を吐いてぶっ倒れたぞ!? 何なんだあいつは!?」
「あー……なんだその、ご愁傷様だな」
「流石にちょっと可哀想なので鈴子さんに密告しておきます」
英二と千理が同情を込めた視線を送る。英二も深瀬の性格上恐らくこうなるだろうなとは思っていたがあまりに予想通り過ぎて笑えない。
「まあ今回の事件で特殊調査室も再編が必要になっててんてこ舞いだからな。あんたは鬼の血も引いてるしちょうどいいと思ったんだろ」
「そもそも俺はまだスパイの疑いが晴れてないって言ってるのに何でだよ……!」
「いや多分それは表向きの話だからな。あいつの中じゃ99%お前無実になってると思うぞ」
「実際あんたはスパイじゃないんだから別に問題は無いだろう。何が問題なんだ」
「問題しか無いだろう!? 俺はあいつの息子だぞ! だから辞めようとしたというのに……」
はあ、とでかでかと溜め息を吐く。もっと田舎に左遷された方がましだったかもしれない。よりにもよってあの調査室である。
「……そもそも、名前が気に食わないんだ」
「名前?」
「何が“特殊”調査室だ。……こうなった以上仕方が無いし仕事で手を抜くつもりはないから全力で職務に当たるが、俺はいつかこの特殊調査室を潰してやる」
「は?」
「特殊なんて扱いにせず、妖怪も悪霊も怪物も、言うまでもなく人間も、全部刑事課で事件を取り扱えるようにしてやる。そして霊研! 貴様らもだ! あんたら外部の人間に事件を委託するなんて状況、近いうちに絶対に変えてやるからな! 覚悟しろ!」
「……結局そこに行く着くんですね」
コガネは苦笑しているが、千理は彼が父親に放った言葉を思い出して少し感慨深くなった。世界を変えると言った。ひとまずこれが、若葉のその一歩なのだろうと。
甘いかもしれないが、この世界はちょっと変わるかもしれない。そのちょっとが、また次のちょっとを生むかもしれない。
千理はそんな未来を想像しながら、ひとまず深瀬に「こら」と怒ってもらうべく鈴子に連絡を入れるのだった。