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霊研の探偵さま  作者: とど
三章
58/74

24-5 怖い


 若葉は一瞬意識を飛ばしていたのを自覚する。彼が目を開けるとやたらと体が重く、そして視界には一面銀世界が広がっていた。


「冷た……雪?」


 先程登った時は一切雪など無かったはずの山。だというのに辺りは一瞬にして雪だらけだ。シオン本部は山の中に隠されていたというのに、今はもう滅茶苦茶に破壊されて上から外の景色まで見える始末だ。

 重い体を無理矢理起こそうとした若葉だったが、しかし上半身を起こしたところですぐに背中から重さが無くなった。振り返ってそちらを見てみれば、そこにはついほんの少し前まで敵対していた男が倒れているのが見える。どうやら彼は若葉の背中に覆い被さっていたらしい。


「……体が動かないって言ったのは誰だよ。クソ親父」


 冷たくなっている体に触れてみればかろうじて脈が感じ取れた。そのことに内心ほっとしながらも、若葉は素早く立ち上がって状況を把握しようと視線を周囲に巡らせた。


「千理! 無事か!?」

「なんとか……」


 唯一雪崩の被害に遭うことが無かった愁は千理を守り切ったようで、彼女は不自然に上空に浮き上がっている。そして少し離れた場所では気絶していたはずのツバキが華蓮を抱きしめて倒れていた。華蓮の入れられていた牢も雪崩で破壊されており、部分的に出来た隙間に何とか滑り込んだようだ。


「おい、君達しっかりしろ!」


 若葉がツバキ達に呼びかけるものの意識はない。華蓮を守る為だけに起きたのかと半ば感動すら覚えながら、若葉は自分の上着で二人を包んだ。


「一体何が起こったんだ……?」

「この山で雪……もしかして」


 未だに宙に浮いたままの千理の表情が曇った。と、同時に若葉の脳裏にも夏にこの場所を訪れた時の記憶が過ぎる。この景色とよく似た、真夏だというのに吹雪に見舞われた事件を。

 もしやあの雪斗という少年にまた何かあったのか。


「あ!!」


 その時、千理が上空から離れた場所を見て叫んだ。


「ケルベロスとキマイラが!」

「は?」

「或真さんの怪物がいるんです! 愁、地面に下ろして!」

「了解した」


 若葉が首を傾げている間にも千理は白い地面に足を付けてすぐさま走り出した。愁もその後を追い掛け、若葉は混乱しながらも気絶した薊をまだ残っていた壁に寄り掛からせてから彼らに続いた。

 迷路のような通路も破壊されれば迷うことなど無くなる。千理達の後をまっすぐ足を進めるとどんどん雪が強くなっていくのを感じた。そしてやがて、三人は壊れても尚神聖な雰囲気が漂う聖堂のような場所に辿り着く。


 そして三人はその光景を見て思わず息を呑んだ。その開けた空間には六体もの怪物がひしめき合っていたのである。以前討伐したものに近い化け猫や見たことのない6本足の馬から、或真が召喚したのを見たことがあるセイレーン達、そして今し方千理が見たキマイラとケルベロスである。


「や、皆無事かな」

「櫟さん!」


 三人が怪物達に気を取られていると、不意に視界の端からひょこっと櫟が姿を現す。彼は千理達を見て無事を確かめると「よかった」と大きく息を吐いた。


「状況は」

「あんまりよくないね。予想通り向こうも或真と同じ怪物使い。雪斗という少年がその教祖らしい。けどあの子の両親が死にそうになった途端、一瞬にして吹雪は起きるわ怪物は暴走するわで手が付けられない状態だ」

「或真さんは……」


 櫟が視線をキマイラ達に向ける。彼らは二体揃ってぴたりと動きを止めて団子のように固まっていたが、彼らが体を動かすとその間から或真が姿を現した。


「二体とも、ご苦労だった」


 どうやら彼らは雪崩から或真を守ったらしい。右目の痛みを堪えながら或真が二体に礼を言うと、彼らは小さく鳴いてから或真の左右に陣取って目の前で暴れる四体の怪物達を威嚇し始めた。


「或真の子達はともかく向こうの怪物は制御不能だ。それどころか味方同士でも関係なしに暴れている」


 吹雪の中、四体の怪物達が滅茶苦茶に周囲を破壊している。その姿は完全に暴走しており、人間が近付けばたちまち彼らの巻き添えを食らうだろう。

 櫟の脳内に五年前の光景が再生された。あの時は櫟の呼びかけで或真が我に返ったから何とか収まったが……今回はこの猛吹雪の中、雪斗の姿すら見えなくなっているのだ。


「やはり私がやるしかあるまい」


 櫟の声が聞こえたのか、右目を押さえた或真が振り返った。


「何とかあちらに近付き雪斗少年を保護する。あのままでは召喚者である彼自身すらその身が危ない。……最悪の場合、このままあの怪物達が山の外に解き放たれる可能性すらある。そうなってしまえば周辺への被害は爆破テロの規模にすら留まらなくなるだろう」

「なら先程のように僕がサポートに付こう」

「だが襲ってきたものを迎え撃つこれまでとは違い、こちらからあの乱戦の中に突入しなければならない。危険だ。俺一人で」

「だったら尚のことだよ。四体も相手取れば君の怪物達も確実に隙が生まれる。すでに右目への負担も相当なものだろう。なに、これでも僕は君達の上司なんでね。少しは格好付けさせてほしい」

「しかし」

「だったらその所長のサポートは僕がしましょう」


 その時、少し離れた場所から声が聞こえた。真っ白な景色の中にぽつんと落とされた金色と黒色。それはすぐに人の形となり、そして随分と見慣れたものになった。


「っコガネさん! 英二さん!」

「全員無事か?」


 コガネと彼に肩を貸された英二が雪の中を歩いてくる。

 彼が消えてしまったと聞いた時、千理はどうにも実感が湧かなかった。しかしこうして改めてコガネの姿を目にすると、なんだか一気に感情が溢れて涙が出てくる。


「僕なら離れていても二人への攻撃を防ぐことができます。所長はその隙に道を切り開いて下さい」

「……分かった。コガネ、頼むよ」

「ええ! 任せて下さい!」


 コガネが頷くと同時に或真と櫟はすぐさま動き出した。


「ケルベロス、キマイラ! 我が道を切り開け!」


 或真の隣に控えていた二体がその声を聞いて一気に敵の怪物に襲いかかる。左目だけで前方を見る或真が己の怪物に指示を出して囮にし、その隙間を縫って二人は雪斗の元へと辿り着こうとする。


「危ない!」


 巨大なタコが振り回した足が或真達に当たりそうになる。咄嗟に二人の前に障壁を張ったが、いつもよりも広範囲に強力な障壁を作った所為で一気に力が持って行かれる。

 櫟が手に持った槍でたこ足を振り払うと、壊れかけだった槍が真っ二つに折れた。

 彼は一つ舌を打つと槍の残骸を放り投げ、右目の痛みで動きが鈍くなっている或真を肩に担いだ。


「本当なら後ろで待っててもらいたいんだけどね」


 だがケルベロス達は主人は守っても櫟のことは守らない。ならば少しでも早く或真を雪斗の元へと運ぶ他ない。

 進む度にどんどん吹雪は強くなる。しかしそれはまだ雪斗が生きている証拠だ。視界が悪くなる中徐々にコガネのサポートも届かなくなるが、しかし雪に紛れて櫟達の姿も敵から見えなくなっているようだ。


「おと……さ」


 そして、吹雪の轟音の中から不意に子供の鳴き声が二人に届いた。はっと顔を見合わせた二人は更に急いで声のした方へ向かおうとする。ここまでで大丈夫だという或真を下ろした櫟は、膝まで雪に埋まった足を必死に動かして前に進む。

 ――真っ白な景色に中に、微かに赤が見えるのにそう時間は掛からなかった。


「雪斗君!」


 その赤は彼ではなく、彼が縋っていた血塗れの両親の姿だった。瓦礫の下敷きになっている夫婦は動かずに目を閉じたままで、或真はすぐに雪斗に駆け寄ると、錯乱して泣き叫ぶ少年を力一杯抱きしめる。まるで氷を抱えているような冷たさだ。それでも或真は彼を離さなかった。


「おかあさあああん!! 死んじゃやだああ!!」

「大丈夫だ! すぐに病院に運べば――」

「おとうさあん!!」


 或真が必死に宥めようとするものの彼の声は届いていない。櫟はさっと夫婦の怪我を確認するが、手足がおかしな方向に折れているものの出血は多くない。彼らは雪斗の両親なので同じく雪の妖怪である可能性が高く体も凍傷にはなっていない。むしろ雪に埋まっているからこそ体温が下がり出血が押さえられているのかもしれない。


「二人とも無事だよ」

「雪斗君! 君のお父さんとお母さんはまだ生きてる! だから」

「うわああああ!!」


 それでも声は彼に届かない。いっそ意識を奪った方がいいのかもしれないが、主人の意識が無くなっても怪物達は消えない。五年前の事件の際、或真の意識は殆ど飛んでいたのに怪物が消えなかったのがその証拠だ。彼が制御するか、もしくは倒しきらなければやつらは消えない。

 雪斗の声に呼応して更に吹雪が強くなる。どうしたものかと或真が右目の痛みを感じながら唇を噛み締める。今も彼の怪物は戦っている。早くしないとあちらも保たないだろう。


「雪斗君! ゆき――」


 とにかく目の前の少年を正気に戻そうと声を掛け続けるしかない。しかしその時、吹雪の音に紛れて頭上で不穏な音が聞こえた。


「!」

「或真!」


 雪の重さに耐えきれなくなった建物が更に崩壊する。残っていた天井と土が落下し、大量の瓦礫が或真達の上に降り注いだ。

 逃げる間もない。それを理解した瞬間、或真は咄嗟に雪斗を庇う為に彼の上に覆い被さった。人一人が間に入ったところでどうにかなるものじゃない。それに或真が死ねばそれこそキマイラ達が制御を失って誰にも止められなくなる。だが、そんな理屈など咄嗟の判断には関係なかった。


 背中に落とされるであろう痛みに耐えようと全身に力が入り、次の瞬間吹雪をものともしない轟音と共に天井が落下した。……しかし、いつまで経っても背中に痛みはやって来ない。時折パラパラと小石が降ってくるものの覚悟したようなものとはほど遠いものだ。

 或真は恐る恐る顔を上げる。そしてすぐ傍に、自分達を守るように立っている櫟の後ろ姿を見た。


「無事……なようだね」


 振り返った櫟が微笑む。周囲を見れば或真の体に落ちるはずだった瓦礫は周囲に散らばっており、不自然に割れて転がっていた。

 まさか櫟がやったのかと或真は彼をまじまじと見つめる。そして彼は、槍が壊れてから何も持っていなかったはずの櫟が別のものを手にしていることに気が付いた。


「所長、それ」

「あー……見られちゃったか。いや、そんなことより雪斗君が」

「!」


 櫟の言葉に我に返った或真が腕の中を覗き込む。天井が落ちた音に驚いたのか泣き止んで呆けている雪斗を見た彼は、すぐに彼を安心させようと抱きしめる力を強くして微笑みかけた。


「大丈夫、君のお父さんとお母さんは無事だ」

「ほんとう……?」

「ああ。でもすぐに病院に行かないといけないんだ。だから雪斗君、雪を止めて怪物達を戻すことはできるかな」

「……」


 穏やかに語りかける或真の声を聞いて徐々に吹雪が弱くなっていく。しかし右目に感じる痛みが、怪物達がまだ暴れていることを彼に教えてくれた。


「こわい」

「怖い?」

「あれが……あの怖いのが僕の中にいるの。お父さんとお母さんは喜んでくれたけど、本当は……ほんとは、こわい」


 ひく、と今までの泣き叫ぶようなものとはまた違う泣き方で雪斗がしゃくり上げる。或真はこんな子供に夫婦がした仕打ちに怒りを覚えると共に、覚えのありすぎる雪斗の感情に思わず苦笑した。

 そっと僅かに血の残る少年の金色に光る左目に手をやった。


「そうだな。俺も怖いよ」

「お兄ちゃんも……?」

「俺も君と同じ目を持っているからね」


 顔を上げた雪斗が、まるで鏡に映ったかのように似ている或真の右目を見た。


「自分よりも大きくて、何を考えているのか分からなくて、出てくれば勝手に周囲を滅茶苦茶に壊す。怖いに決まってるよ。俺は五年経った今でも彼らが恐ろしくて堪らない。そう思うことは決して悪いことじゃないんだ」

「……じゃあ、どうしてお兄ちゃんは泣かないでいられるの? どうして怖いのに平気なの?」

「俺も沢山泣いたよ。怖くて眠れない時だって何度もあった。でも、それ以上に……この力で他の人が傷つくのが怖かったんだ。君だってそうだろう? お父さんとお母さんが死にそうになってとても怖かった」

「うん……」

「だからやつらを制御することにしたんだ。不用意にこの力が暴走しないように、誰も傷付けないように」

「……そんなことできるの?」

「ああ。大丈夫、一緒にやろう」


 気が付けば雪は止んでいた。天井もなくなって太陽の光が降り注ぎ、少しずつ周囲の雪を溶かしていく。雪斗は或真に手を引かれてゆっくりと歩き出した。

 来た道を少し戻れば吹雪が止まって開けた視界にあっという間に怪物達の姿が映った。と、同時に雪斗の体が固まり或真の手を握る力が強まった。


「雪斗君、大丈夫だ。――キマイラ、ケルベロスご苦労。戻れ」


 雪斗の隣にしゃがみ込んだ或真の右目が光る。次の瞬間、戦っていた二体の怪物は瞬時に姿を消し、攻撃しようと爪を掲げていた化け猫が不思議そうに首を傾げた。

 残るは雪斗の怪物だけだ。隣に居る或真を見た雪斗は、血塗れになった両親の姿を思い出して泣きそうな顔で怪物達を見た。


「みんな……戻って」


 どんなことをされようが雪斗にとって彼らは大事な両親だ。もう傷ついたところなど見たくない。そんな思いを込めて雪斗が声を上げると、好戦的に呻っていた怪物達はすぐにその姿を消して雪斗の中へ消えていった。

 途端に彼の体が震え出す。今、あの恐ろしい化け物達は自分の中にいるのだ。


「こわい」

「ああ、怖いな。よく頑張った」


 或真が雪斗の頭を撫でる。そして彼は、ふと思い立ってポケットに手を入れ、持っていた黒い眼帯を雪斗の左目に着けた。


「これはお守りだ。あの怪物達が勝手に出てこないようにしてくれる秘密兵器だよ」

「そんなことできるの?」

「ああ、俺もずっとこれに助けられてきた」


 ちっとも制御できなかった五年前から、もう完璧にコントロールが出来る今でも、この眼帯は或真の精神安定剤だった。これがあれば大丈夫だと、そう思えるだけでずっと救われていた。


「ありがと……おに、」

「おっと」


 ずっと泣き顔しか見ていなかった雪斗がほんの少しだけ笑った直後、彼は糸が切れたかのように或真の方へ倒れ込んできた。

 呼びかけても意識はないが眠っているだけだ。或真は一気に体から力が抜けるのを感じて、雪斗と共に倒れ込んだ。


「或真、ありがとう」


 べちゃべちゃな雪の上でも構わず眠りそうになっている或真に声が掛かる。何とか瞼を押し上げると疲れた顔をした櫟が彼を覗き込んでおり、或真は無意識のうちに櫟の両手に視線をやった。そこには何もない。


「所長、さっきの」

「悪いね或真。詳しいことは言えないけど皆には内緒にしてもらえるかな」

「……」

「或真さーん!!」


 或真が返答に迷っているうちに千理達が大慌てで彼の元へ集う。わっと囲まれて心配されている或真を一歩離れて眺めた櫟は、少し困ったように頬を掻いた。


「……あの眼帯がほぼ気休めだったとか言わない方がいいな」


 そもそもあの怪物達や或真の目のメカニズムなど分かっていなかったのだから制御装置など作れるはずもない。ただ眼帯をしている間は大丈夫だと無意識に思い込ませればいいと思い渡したのだが……流石に幼い雪斗が使うのであればもう少し改良しなければまずいだろう。

 幸い彼の両親や薊がいるので色々と聞き出すことは可能だ。まだまだ忙しいままだな、と肩を落とした彼は、急に喉からこみ上げてくる衝動に耐えきれずに思わず咳き込んだ。


「っは、」

「櫟さん?」

「いやごめん、ちょっと咳き込んだだけだ。寒いし風邪引いたのかも」


 振り返った千理にへら、と笑って見せた櫟は「さて、僕は周囲の状況を確認してくるよ」と雪道を転ばないように気を付けながら歩き始めた。


「霊研所長」

「ん?」

「手が血塗れだぞ」

「あれ、ホントだ。槍を持ってた時かな」


 若葉の隣を通り過ぎたところで櫟は彼に呼び止められる。が、立ち止まることなくそのまま通り過ぎた。「おい! ちゃんと応急処置をしろ!」と叫ぶ若葉の方がぼろぼろなのだが本人は気付いているのだろうか。


「人の心配するような状態じゃないよね……けはっ、」


 呆れながらも再び咳き込んだ櫟はすぐに何事もなかったかのように足を進める。

 口を押さえた手からこぼれ落ちた血が、点々と水混じりの雪に溶けて滲んだ。



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