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霊研の探偵さま  作者: とど
三章
51/74

23-4 愛


「だから、俺がやったんじゃないです! 信じて下さい鬼頭さん!」


 酷く圧迫感を覚える狭い室内。所謂取調室と呼ばれるその場所で、或真は何度も繰り返した言葉を再度口にした。

 警察に連行されて拘束された翌日、この部屋へと連れて来られた或真は必死に自分の無実を訴えた。だが目の前に座る警察官、鬼頭は「信じろって言われてもねえ」と肩肘を付きながら或真の言葉を聞き流すだけで全く取り付く島もない。

 両手に嵌まったままの手錠が煩わしい。じゃらじゃらと音を立てる鎖はいつも身に着けているというのに、その音が今は随分と耳障りだ。


「調査室のデータベースで君の操る化け物の情報を見たけど、この現場写真とそっくりだった訳だ。流石に言い逃れは苦しいと思うけどなあ」

「だから何度も言っていますが、あれは見かけだけ同じなだけです。現に俺も同時に同じ姿の個体を呼び出して」

「同じやつを二匹呼び出したってこと?」

「違います。俺はあいつらを二体までしか同時に呼び出せません。三体同時なんて無理だ」

「で、それをどうやって証明する?」

「……それは」

「調査室っつっても一応警察だからさ、証拠が物を言うんだよ。客観的に考えてみなよ。現場は君の家、被害者は君の両親、そんでもって加害者は君の使役する怪物に瓜二つ。それで君は犯人じゃないっていうのは無理がありすぎると思うけど」

「……でも、本当に俺じゃないんです」

「まーまー、そんなつえー力なら暴走することもあるって。前にも近くにいたやつら全員皆殺しにしたことあんだろ? 一回も二回も変わんねーって」

「!」


 欠伸混じりに言われた言葉に或真は思わず椅子を蹴って立ち上がりそうになった。

 確かに或真は五年前、この目になった直後に力を暴走させて周囲に居た者達を全員殺している。あの時櫟が来なければ、或真は今頃己の内の力に翻弄され、もっと酷い被害を増やしていたかもしれない。

 だが、少なくとも今回はあの時とは違う。或真の力はきちんと制御されているし、第一例のケルベロスはダメージのリターンも来なかった。本当に或真が使役する個体では無いのだ。


 或真は目の前に置かれた黒い犬の怪物が映る写真に目を落とした。彼が扱う怪物の中でも大きさと尻尾が二本ある以外はそこまで異質では無い為呼び出す回数の多い馴染みの怪物だ。それは凶暴な顔で歯を剥き出しにして或真の家の窓を突き破っており――。


(……いや待て、この写真)


「どうして家の外から侵入する時の写真があるんですか」

「あー……そこ聞いちゃう?」

「家の外から現れたのなら尚更俺のものじゃ――いやそもそも、この瞬間を目撃していたのならどうして警察はその後何もしなかったんですか!」


 家の中に侵入する瞬間に現場に居たのなら、両親が襲われる前に助けることだって出来たはずだ。だというのに彼らが来たのは或真が自宅へ帰って怪物を撃退した直後。それはつまり、警察は両親が殺され掛けるのを知りながらただその場で待機していたことになる。

 ぐしゃりと手に持った写真が握りつぶされる。怒りに震える或真を見ながらも、しかし鬼頭は相変わらず緊張感の無い態度で「あーあ、バレちゃった」と暢気に呟いた。


「適当な仕事しやがって。撮影係のやつ、後で薊さんに叱ってもらわねーと」

「一体どういうことだ! これは、あんた達が仕組んで」

「まあ一応形式的な取り調べも終わったし、そろそろ受け渡し時間だ。俺も朝からあっちこっち行って疲れてるし、さっさと終わらせて一息吐くか」

「何を」


 肩を竦めた鬼頭がにやりと笑ったその瞬間、突然強い目眩が或真を襲った。自身の異変に気付くがもう遅い。体は自然と力が入らなくなって机に突っ伏し、視界がどんどんぶれていくのを大人しく受け入れるしかなかった。


「妖術って便利だよな。俺も親父と一緒で本物の妖怪に生まれたかったよ」

「き、と」

「……ホント、なんて親父は人間なんかと結婚したんだか」


 酷く冷めた声を頭上に聞きながら、或真の意識は落ちていった。






「――さて、と。準備準備」


 欠伸をしながら鬼頭は立ち上がる。今日は本当に忙しい。朝から各所の爆破の為の準備、それからシオンの会に忍び込んだネズミを駆除し、その足で警察署へ戻り或真を手に入れる為に準備だ。

 ツバキはどうやら逃げ切ったようだがもう放って置いていいだろう。あの会話を聞かれたところで大した問題にはならない。人質予定だったイリスの誘拐も阻止されたようだが、ならば別の人間に変更すればいいだけの話。


「ったく、それにしても状況最悪だな。こっちが圧倒的に人数が少ないのは分かってるけど、流石に仕事が多いっつーの」


 更に困ったことに深瀬を狙撃した仲間が捕らえられたらしい。鬼頭達の最優先事項は或真だった為にそちらに人員を割くことは出来ておらず、今現在捕らえられた仲間がどうしているのか鬼頭は把握出来ていない。

 まずいな、と彼は頭を抱えたくなった。向こうには透坂鈴子がいる。彼女がやつの所持品に触れたらこちらの情報がいくらか漏れてしまう。


 一つ溜め息を吐いた鬼頭は部屋の隅に置いておいた大きなスーツケースを持って来るとそれを開け、意識を失った或真をその中に詰め込んだ。殺してしまわないように慎重にだ。適当に折り畳んだ結果開けたら死んでましたでは話にならない。彼には生きてこちらへ来てもらわないと困るのだ。幸い彼はそこまで高身長でもなく細身だった為、然程苦労せずにしまうことができた。

 よいしょ、と呟きながら鬼頭はスーツケースを引きながら取調室を出た。

 これから或真を本部に送らなくてはならないのだが、その為に配送担当にこのスーツケースを引き渡す必要がある。……だが、その配送担当だったのがよりにもよって今日捕まってしまった仲間だったのである。薊に報告したところ、彼は電話越しで嘆息しながら「代わりの人員を送る」と言っていた。


「こんな忙しいタイミングで手空いてるやつは誰……お?」


 待ち合わせ場所であるあまり人気の無い廊下に佇む男を見つけて鬼頭は目を瞠った。驚いていた顔には次第に喜色が混じり、疲れていた体は自然と動きを早くしてその男に急ぎ近付いていく。

 鬼頭が近付くにつれて、男もそれに気付いて顔を上げた。はっきりと見えたその顔がやはり想像していたものだったと理解した途端、鬼頭は思わず満面の笑みを浮かべていた。


「うっそだろ! 代わりのやつってお前だったのかよ若葉!」





    □ □ □  □ □ □




「尚君、お願い。私を置いて居なくならないで」

「鈴……俺も、出来ることならお前を一緒に連れて行きたいよ」


 病院のベッドで手を握り合う男女。横たわる男はやせ細り枯れ木のような手で傍に座る女性の手を握りしめ、そしてその女性は大粒の涙を流しながら嫌だ嫌だと首を振っている。


「でも駄目だ。お前が死ぬのは、いくら俺の為だとしても許せない」

「尚君が居ない世界なんて、死んでるのと同じよ。だったら一緒に死んだ方が」

「それでも、駄目だ。頼む、生きてくれ」


 握られた手に力が籠もる。しかしそれだって元気だった頃とは比べものにならないくらいの弱さで、女性――鈴子は更にしゃくり上げながら涙を流し続けた。


「ほら、そんなに泣いていたら目が溶けてしまう」

「それでいいわ。尚君が居なくなった世界なんて見たくない」

「……ああ、でもそうだな。俺が死んだ後、他の男を見る鈴のことは……確かに、見たくな、いな」

「……尚君?」


 病室に耳障りな電子音が鳴り響く。いつの間にか握られた手から力が無くなり、ベッドの上にぽとりと落ちた。

 瞼が降りて動かなくなった尚を鈴子は呆然と見続けた。思考は止まり、一生動かなくなってもいいとすら思ったのに、無情にもそれは勝手に動き始めて鈴子に現状の理解を促す。


 死んだ。最愛の人が、たった今、この世から居なくなった。


「い、いやあああああああっ!!!」


 金切り声を上げながら頭を掻きむしる。死んだ、死んでしまった。尚が、鈴子の何より大切な人が。

 目の前で動かなくなった彼を信じたくない。嘘だ。嫌だ。見たくない。


 見たくない見たくない見たくない見たくない。

 鈴子は慟哭しながら、両手の指を己の目の前に――。




 ーー



「っ!」

「深瀬君!」


 はっと目を開けた深瀬の視界に真っ先に入って来たのは、白い病室の天井と酷く不安げな顔をした鈴子の姿だった。

 自分の状況が分からず混乱したのも一瞬、彼はすぐに脇腹に感じる激痛で今までのことを思い出した。


「透坂、さん」

「良かった……このままずっと、意識が戻らなかったらどうようって」


 ベッドサイドの椅子に座っている鈴子は目を閉じたまま微笑んだ。彼女の両手は祈るように深瀬の片手を握りしめており、彼は無意識にたった今夢と現実が重なって変に視界がぶれたような気がした。

 今ベッドに寝ているのは自分で、尚ではない。鈴子は目を閉じていて、その目が開くことはもうない。


「ごめんなさい。深瀬君一人だったら、私が居なければきっと避けることだって出来たのに」

「……そんなことはありませんよ。むしろ撃たれる直前に気付いただけでも運がよかった。私の方こそ、すみません。あの狙撃は恐らく私を狙ったものです。透坂さんを巻き込んでしまった」


 狙撃して来たのは調査室の人間、そして狙った場所は警視庁。鈴子を狙うのならばわざわざこんな人気の多い場所は選ばないはずだ。深瀬はずっと庁内で仕事をしていたから、外に出るタイミングはあの時ぐらいしかなかった。


「こんなことが知られたら尚にぶちのめされますね」


 彼が深瀬を信頼して最愛の人を託してくれたのに、危うく自分の所為で彼女を死なせるところだった。


「これでは私は、親友にも魔法使いにもなれないな」

「深瀬君、それ」

「……ああ、あれは夢でしたか。すみません。あの時……撃たれた時に夢のようなものを見たんです。あいつが私を褒めちぎって、魔法使いだなんて言うデタラメな夢でした」

「……」

「やつが私を褒めたことなんて一度も無かったのに、随分と都合のいい夢ですよ。でもあいつを思い出したからこそ、意識を失う前に犯人を捕らえることが」

「それ、夢じゃないわ」

「え?」

「あの時、私も思い出していたの。深瀬君が私を守ってくれた瞬間、あの人が言っていたことを」


 何かあれば、深瀬が絶対になんとかしてくれる。実際にそうだった。鈴子を守り抜き、重傷を負いながらも犯人まで確保した。


「あなたのことを魔法使いだって言っていたのも本当よ。尚君はよく私に言ってくれた。ハルはなんでも出来る、すごい魔法使いなんだって」

「……そう、だったんですか」

「あの時、いつも物を見ている時のような不思議な感覚がしたの。もしかしたら私、自分の記憶をあなたに」

「待って下さい」


 深瀬はその瞬間、恐ろしく嫌な想像が過ぎった。僅かに視線を傾ければその手は繋がれている。


「私が今目を覚ます前にも、同じような感覚がしませんでしたか」

「……そうだったかもしれないわ。必死だったからあんまり覚えて居ないのだけど」

「ならその時思い出していたのは――あいつが死ぬ瞬間ですね?」


 びく、と鈴子の肩が揺れた。恐らく彼女は、意識を取り戻さない深瀬と死にゆく尚の姿を重ねてその時のことを思い出していたのだ。

 深瀬は尚の死に際に立ち会えなかった。だから彼がどうやって死んだのか、そしてその時鈴子がどうしていたのかは知り得ない。

 しかしあの夢が彼女の記憶だったとすれば。


「透坂さん、あなたはあいつの死後一ヶ月ほど私の前に姿を現さなかった。そしてその後、急に目が見えなくなったと言いましたよね。まさかあなたは、自分で」

「……ふふ、」


 目を閉じたまま、鈴子は静かに笑う。それは深瀬の悪い想像を肯定しているようにか見えなかった。

 彼女が盲目になってから、深瀬はその瞼が持ち上がった瞬間を知らない。


「深瀬君には怒られると思って隠していたのに、バレちゃったわね」

「怒られるとかそういう問題じゃない! 透坂さんあなた」

「だって、尚君以外の男の人を見る訳にいかないじゃない。あの人が最後に願ったことだから」

「だからと言って――っぐ、」


 声を上げた瞬間、体の痛みに堪えられなくなって深瀬は鈴子の手を放して体を丸めた。鈴子はそんな深瀬を見ながら「あなたが目を覚ましてくれて本当に良かった」と優しく微笑んで立ち上がった。


「それじゃあ私は行くわね。やらなければならない出来たから」

「っ、透坂さん、何を」

「大丈夫よ。ちょっと……こらっ、て怒りに行くだけだから」


 激痛に苛まれながら自分を止める深瀬の声を振り切って鈴子は病室から出た。扉の前の廊下で壁に寄り掛かっていた櫟は、彼女の姿を目にすると少し驚いたような顔をして一瞬躊躇った後口を開く。


「鈴子さん、深瀬君は……」

「目を覚ましたわ。少し話も出来たし、意識もはっきりしてる」

「そうか、よかった」


 起きたのか、それとも逆か。緊張しながら尋ねた櫟は鈴子の返答にほっと胸を撫で下ろした。


「すぐにお医者様に来てもらわないとね。それから……少しやりたいことがあるの」

「やりたいこと?」

「少し前に深瀬君の部下が来たでしょう? 私に狙撃犯の所持品を見てもらいたいって」


 深瀬の意識が戻る前に彼の部下が鈴子を訪ねて病院までやって来た。話によると現在調査室は裏切り者が出て混乱状態にあるらしく、彼らも少しでも情報を得ようとしていた。


「でもあまり情報は得られなかったの。1、2週間の記憶と言ってもそれをずっと持ち歩いていた訳でもなくて、殆ど当日狙撃するまでの足取りぐらいしか分からなかった。これから家宅捜索をすればもっと情報は入るかもしれないけど、今はその時間も惜しいわ」

「うん、都内の爆破事件なんかもあるし、手が足りなさ過ぎるね」

「だから、やらなきゃいけない。櫟君、悪いけど千理ちゃんを迎えに行ってもらえるかしら」

「千理を?」

「ええ。あの子の頭を借りたいの」

「……具体的に、何をするつもりかな」


 櫟の問いかけに、鈴子はにっこりと笑った。




    □ □ □  □ □ □




「ごめんなさいね千理ちゃん、急に呼び出して」

「それはいいんですけど……」


 霊研に迎えに来た櫟に連れられた千理は、警察署の近くのとある雑居ビルまで来ていた。車を降りるとすぐに鈴子が入り口で待っており、彼女の先導でビルの中を進んだ。


「あの、此処は一体」

「今警察の中は混乱してるでしょう? だから信頼出来る人だけを集めてひとまず此処を拠点の一つにしてるみたいなの」


 鈴子を信頼してそれを教えてくれたのは先程病院へやって来た深瀬の部下だった。長年彼の下で働いている超能力者である彼は鈴子ともよく交流があり、彼女に力の使い方を教えてくれた一人だ。


「此処に、深瀬君を撃った狙撃犯が捕まってる」


 こつ、と固い床を歩いていた鈴子の足が止まった。彼女は視線の先にある扉を見て、そして千理に向き直る。


「今から私はその男の記憶を読み取る。それを千理ちゃんに渡すから、全部記憶してほしいの」

「……は?」

「普通の物とは違って脳みその記憶は膨大でそれぞれが酷く密接に繋がっているわ。一週間、二週間なんてはっきりと記憶は分かたれている訳じゃない。一つの記憶はまた別の記憶に繋がって、そして更にまた別の記憶に。だから一人の記憶を丸々コピーするようなもの。当然負担は私が普段見ているような証拠品とは比べものにならないわ」

「い、いやちょっと待って下さい! 人の記憶を見る? いやその前に記憶を渡すってどういうことですか!?」

「ああ……ごめんなさい。説明が唐突だったわね。実は私、記憶を読み取るだけじゃなくて自分の記憶を他者に渡すこともできるようになったみたいなの」

「はい!? ちょっと櫟さんどういうことですか??」

「どうもこうも、僕も今さっき聞いたばかりなんだよ……」


 櫟は疲れたようにがっくりと肩を落とした。深瀬の病室から出て来たと思ったら「何か出来るようになってたの」とあまりにもさらりと告げられたのである。


「……僕も超能力のことは専門外だからねえ。でも鈴子さんができるようになったと言ったからにはそうなんだろう。まあ力の系統も似たようなものだしね。能力が拡張しても別にそう不思議な話でもない」

「超能力がすでに不思議なんですが……。えっと、とりあえず理解しました。私は鈴子さんからその犯人の記憶を受け取ればいいんですね?」

「ええ。私では覚えきれないし、きっと活用しきれないわ。千理ちゃんには負担を掛けてしまうけど、あなたしか居ないの。お願い」

「私はいいんですけど……でも鈴子さん。そもそも人の記憶を読み取るのはまずいんじゃ……前にやって死にかけたって聞きましたよ」

「ええ。だから千理ちゃんに頼んでるのよ。あの時は死んでもいいとさえ思っていたけど、今は死ぬ訳には行かないから。だって私が死んだら深瀬君が怒られちゃうもの」


 以前鈴子が人の記憶を読み取ったのは七年前。まだ超能力のコントロールも覚束ないころに自分のことなど一切省みずに憎い人間の記憶を読み、そして社会的に彼らを抹殺した。

 あの時と今は違う。彼女は自分のことなどどうでもよかったし、超能力も覚えたてで無理をしては行けないラインなんて分からなかった。何より最愛の夫のことであったからあれだけの無茶が出来たのだ。


「ごめんなさい千理ちゃん。私はあなたに、自分が死なない為に代わりに人一人分の記憶を脳に詰め込めって言ってるの。最低なことを言ってることは分かってるわ。嫌だったら断ってくれてもいいし、途中で無理だと思ったらすぐに手を放してくれていい。私はそれでも、最後まで記憶を読み取り続けるわ」

「鈴子さん……」

「勿論尚君ほどじゃないのは確かなんだけど……千理ちゃん。私ね、自分が思ってた以上にずっと、深瀬君のことが大切だったみたい」


 だから今だけは、あの時のように己のリミッターを外せるような気がした。

 彼を害した人間を、そしてその背後に居る者達を決して野放しにはしない。夫が生きていたとしたらきっと同じように考えたはずだ。彼は何だかんだ言っても、深瀬のことがとても好きだったのだから。

 そう言って鈴子はとても綺麗に微笑んだ。そしてそれを見た千理は、一瞬にして自分の中で覚悟が決まったような気がした。


「――分かりました。どんと任せて下さい! 何せ記憶容量だけは誰にも、お兄様にだって負けませんから! 人の記憶の一つや二つ、全然空き容量残ってますよ!」

「……僕は正直反対なんだけどね。鈴子さんにも千理にも負担が大きすぎる。下手したら二人揃って廃人だ」

「櫟君、心配掛けてごめんなさいね。でも……私はやるから」


 鈴子が立ち止まっていた足を動かして部屋の中へ入る。既に連絡をしていた為、中に居た深瀬の部下は心得たように頷いて彼女を部屋の奥へと促した。

 その先には椅子に縄で全身を縛り付けられている男が居た。猿轡を噛まされて喋れない男は何かを呻いていたが、鈴子はまるで気にせず千理に向かって手を差し伸べた。


「千理ちゃん、手を」

「……はい」

「鈴子さん、絶対に無茶するんじゃ……いや既に無茶なことなんだけど」

「ふふ、櫟君は本当に優しいわね。でも大丈夫よ。私はいつも通り触れるだけ」


 右手で千理の手を握り、左手で男の頭に手を伸ばす。抵抗するように頭を動かす男が深瀬の部下に押さえつけられるのを見ながら、鈴子はその手で男の頭をしっかりと掴んだ。



「いつも通りよ。だって、これは(・・・)ただの置物だもの」



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