23-2 最悪の洪水
「鈴、ハルのやつはすごいんだよ」
視界に映ったのは、恐らく二十年近く前らしき光景。今は亡き男がとても誇らしげな表情で笑っている姿だった。
少し長めの茶髪を後ろで括った気弱そうな顔をした男。しかし彼が見た目通りの性格ではないことは自分が一番よく分かっていた。
「運動も出来るし頭もいい。医学部の俺よりもずっとだ。人付き合いも上手いし、それに何より――魔法使いだ」
ハル――深瀬春樹のことを熱心に自慢しているのは彼の腐れ縁である透坂尚だ。大学生くらいに見える彼はまるで小さな子供のように大きな手振りで「こーんな大きな物だって手も使わずに持ち上げるんだぞ」と自分のことのように嬉しそうに話す。
「だから鈴、もし何か困ったことがあったらあいつに……いや、もし俺に頼ってもどうしようもなかったその時はハルを頼るといい。絶対に何とかしてくれる。何せあいつは、俺の一番の親友だからな」
そう言って笑いかける男は幻覚か夢か、それとも死ぬ直前に見る走馬燈か。
――ああそうだ、とそこで彼、深瀬は自覚した。たった今自分は警視庁の前で狙撃され、今まさに死にかけているのだと。
「深瀬君!」
朦朧とする意識の中で唯一届くのは酷く焦った鈴子の声。彼はそれに返事をせず、倒れる体を強引に起こして背後を振り返った。
狙撃した犯人が銃を下ろして屋上から去ろうとする。彼が狙ったのは自分かそれとも鈴子か。分からないのなら聞けばいい、と深瀬は痛みを無視しながら右手を振り上げた。
『まさか鈴を殺し掛けた人間を逃がす訳ないよな?』
「……分かってるよ。そんなことするはずがない」
頭の中に過ぎった言葉に返事をしながら、深瀬はぼやける視界の中で狙いを定め、そして右腕を振り下ろした。
瞬間、遠くの屋上に居た男が叫び声を上げながら不自然な動きで地面に叩き付けられた。周囲で悲鳴が上がったが深瀬の耳には入らない。殺さない程度に勢いは調整した。何も吐かせないまま死んでもらっては困るのだ。
例えば、何故調査室を裏切ったのか、とか。
「深瀬室長! 一体何が――!」
「助けて下さい! 深瀬君が!」
と、警視庁の中から慌てた声と共に慌ただしい足音が複数聞こえてくる。すでに目を開ける気力も無かった彼は、馴染みのある部下の声が近付いてくるのを感じて「後は頼みます」とだけ告げて意識を手放した。
□ □ □ □ □ □
「え、」
シオンの会への潜入二日目。コガネは今日もツバキと共に施設内にいる会員達に話を聞いていた。この会に入った理由、活動内容、それからあからさまにならない程度に運営資金について。最後の一つは流石に殆ど分からなかったが、テロ行為を起こそうとしている以上、何処かに大口の資金源があると見て間違いない。
そうして午後二時を過ぎた頃、遅い昼食を取ると言って施設の外の飲食店で食事を終えたコガネは、英二から送られてきたメッセージを確認して思わず息を飲んだ。
「どーしたキンイロ」
「……いや、なんでもない」
万が一外でシオンの会の連中と遭遇して困らないように口調は変えたままだ。コガネは静かに首を振ってスマホをしまうと、今見たメッセージの内容を思い浮かべて歯を噛み締めた。
深瀬が狙撃され、意識不明の重体。まだ助かるかは分かっていないという。
当時現場には鈴子も一緒におり、彼女はショックで一言も喋らずにずっと病院で彼が目覚めるのを待っている。狙われたのが鈴子だったのか深瀬だったのか分からないので、念の為櫟が傍にいるという。
コガネにとって深瀬は英二の友人であると共に彼自身も元同僚だ。部門が違う為そこまで積極的に関わってはいなかったが、それでもただの同僚よりかは親しかった。彼が死にかけていることは非常にショックである。が、更に追い打ちを掛けたのはメッセージの最後に書かれた言葉だった。
『捕まった犯人は調査室の職員だった』
頭を金槌で殴られたような衝撃だった。警察組織内部の、調査室の誰かが裏切ったのだ。もしかしたらコガネだって面識があるかもしれない。
何故、一体何のために。頭の中で数々の疑問が過ぎるものの、今のコガネに出来ることなど何も無い。
「キンイロ、そろそろ戻ろうぜ」
「そうだな」
ひとまず今日の潜入が終わったらすぐに病院へ駆けつけようと心に決め、コガネは伝票片手に立ち上がった。
「お、天狗のおっさんじゃん。あいつ何て名前だっけ」
「神楽だ」
「あーそうそう」
施設に戻ると今日はまだ見ていなかった支部長の神楽の姿を見つけた。彼は慕われているのか昨日も沢山の会員に話しかけられていたが、今日も輪の中心になっているようだ。
釣られるようにしてコガネ達もそちらへ向かうと、彼は自分よりも更に大柄な男と楽しげに話していた。
「天狗のおっさーん」
「だから聞いた意、み……」
「ああ、二人とも。今日も来てくれたんだね。ちょうどいい、二人に……特にキンイロ君に紹介したい人が居てね。彼は鬼頭君。シオンの会本部の人なんだ」
「見たことのない顔だな! 新入りか?」
「ええ、昨日入ったばっかりなんです」
神楽と話していた男がコガネ達を振り返る。熊のように大きな彼は、しかしそんな体格とは裏腹に威圧感を与えない友好的な顔でにか、と笑ってみせる。
コガネは思わず言葉を失った。
「ふーん、あんたも何かの妖怪なのか?」
「キツネの血が入ってるんだ! あんたは何だ? いや待った折角だから当ててやるよ……うーん、間を取って人間とか!」
「!」
「ハズレー! 俺は悪魔だ」
「鬼頭君、此処に人間が居る訳がないだろう。そもそも何の間を取ったんだ」
「へー悪魔だったのか! 変身上手いな、普通の人間にしか見えなかった!」
「だろ? 褒めてもドーナツもでねーけどな!」
暢気な表情で会話をする二人に「何かこの二人同類だな」と苦笑いを浮かべる神楽。そして彼らを見ながらコガネは、必死に動揺しそうになる顔を誤魔化して俯いていた。
何故彼が――調査室の鬼頭が敵陣であるシオンの会に居る。しかも本部所属という肩書きで。
(僕と同じく潜入していた……と考えるのは流石に楽観的過ぎる)
だとしたら流石に本名を名乗ることは無いだろうし、本部にまで食い込んでいるとしたら相当前から潜入していなければならない。そして何より、先程見たメッセージの内容が思考を塗りつぶす。
調査室に、裏切り者。それが深瀬を狙撃した一人だけだなんてどうして言い切れる。
「キンイロ君」
「!」
不意に隣から掛けられた声に、思考に耽っていたコガネは酷く驚きながら顔を上げた。見るとそこに居たのは不思議そうな顔をした神楽で、コガネは鬼頭ではなくて良かったと安堵しながら呼吸を落ち着かせた。
「昨日言った例の悪魔の話、覚えているだろう」
「ああ」
「あれは本部の人間から聞かされたものでね。だから私と同じ気持ちを持つ君のことも上に紹介したかったんだ。本部は悪魔シオンを召喚したいらしくてね。もしかしたら君もそれに一枚噛めるかもしれないと思って。私はもう諦めてしまったけど、君の大切な人が戻ることを祈っているよ」
「……何故あんたは諦めたんだ」
「召喚には贄が居るだろう。妻は本当に優しいから、きっと見ず知らずの人間の命を代償に生き返ったと知ったら苦しんでしまう」
神楽はやはり嘘を吐いていない。本当に妻を大切に思っていて、そして善意で本部の人間である鬼頭をコガネに紹介しようとしている。その善意が裏目に出たとしても、コガネは彼を責めることは出来ない。
だが、見方を変えればこれはチャンスだ。
コガネは霊研で鬼頭と顔を会わせた時とは違い変身して別人になっている。この状態なら上手くやればシオンの内部まで一気に潜り込めるかもしれない。
「で、あんたが話に聞いたキンイロ?」
「……そうだ」
「暗いなぁお前! もっと人生明るく行こうぜ!」
「そーそー、明るく楽しく!」
いえーい! とツバキとハイタッチを交わす鬼頭にコガネは思わず肩から力が抜けた。前に霊研に来た時もそうだが、彼は英二が辟易するぐらい煩いしよく喋る。むしろ相手が鬼頭で良かった。相手の素性は分かっているし、色々と聞き出しやすそうだ。
「じゃーキンイロ、ちょっと向こうでしゃべろーぜ。ツバキ、また今度一緒に遊ぼうぜ!」
「おー」
ぶんぶんと手を振ったツバキから視線を背けたコガネは手招きをする鬼頭の後に続いて歩き出す。シオンの会のこと、それから上手くやれば深瀬を狙撃した犯人についても話を聞けるかもしれない。
案内された奥の扉をくぐる。その先は椅子と机などの家具が置かれた特に何の変哲も無い普通の部屋だ。鬼頭はずかずかと部屋の奥へ行くと、そこからオレンジジュースのパックを取り出してコップに注いだ。
「ほら、かんぱーい」
「……」
無理矢理持たされたプラスチックのコップが軽い音を立ててぶつかる。鬼頭がすぐに一気飲みしたのを確認した後少し口を付けたコガネは、座るように促されて彼と対面になるように腰掛けた。
「で、神楽のおっさんが言ってたけどあんたも悪魔なんだってな。変身上手いなー」
「どうも。それで、話は」
「あの人から聞いたと思うけど、俺達はシオンって悪魔を召喚したいんだ。それがめっっちゃくちゃつえー悪魔らしくてさあ」
「死者の蘇生も出来ると聞いたが」
「ああうん、そうらしいね」
「?」
「で、悪魔であるあんたに聞きたいんだけど、特定の悪魔を召喚するにはどうしたらいい? 何かいい方法でも教えてくれたら助かるんだけど」
死者の蘇生という話を口にしたところで、鬼頭は何故か不意に興味を失ったかのようにさらりと言葉を流した。何故だろうか。シオンを召喚する目的はそこではないのかとコガネは内心首を捻る。
「……特定の悪魔の召喚にはそれ専用の魔法陣が必要だ。ただしそれを作れるのはその悪魔本人に限られる」
「えー、なんで」
「パスワードのようなものだ。あらかじめその悪魔が『この魔法陣なら召喚に応じます』という鍵を決める。それが刻まれた魔法陣があって初めて成立する方法だ」
「他に方法はねえの? 何かこういう悪魔がいいってフィルターが掛けられる検索システム的な」
「ある訳がない」
そんな人間にとって便利なシステムがあるか、とコガネは思わず素で呆れた顔になった。
「じゃああんたが作ってよ。悪魔だし魔法陣の内容ぐらいちょちょいのちょいで変えられるだろ」
「ローマ字入力が出来る人間ならプログラム書けるだろってぐらいの暴論……」
「そんなことねーってあんたなら出来る出来る!」
「何を根拠に」
「だってあんた、随分古い悪魔なんだろ? 聞いたぜ、調査室に居た頃も悪魔の術について誰よりも詳しかったってな」
「……は、」
今、この男は何と言った。
言葉を失う。思わず立ち上がる。鬼頭を凝視するものの、彼は楽しげににやにやと笑っているだけだ。
「だから頼むってコガネ。俺達どうしてもシオンを召喚したいんだ」
自分の名前を呼ばれるのがこんなに恐ろしいと感じたのは初めてだった。
「な、んの話だ。俺はキンイロだ。間違えるな」
「それ随分雑な偽名じゃね? まあいいけど……キツネを誤魔化すには化け方が甘いんだよ。せめて体臭から変えて来いよ、霊研のコガネ君」
「!」
完全にバレている。コガネは咄嗟に踵を返して部屋から逃げようとしたが、その前に鬼頭に背後から首を掴まれた。正体を見破られて動揺した一瞬が運命を決めた。
「放して、下さい!」
「お、やっぱそっちの方があんたらしいな」
変身を解いて悪魔の姿で抵抗するものの、妖怪の血が濃いのか姿は見られている上に鬼頭の力は強い。
いや少し違う。確かに力が強いのは間違いないのだが、それよりもコガネの方に問題があった。いつの間にか体に力が入らなくなり、自力で立つことすら困難になってその場にしゃがみ込んだ。
「あのジュースか……!」
「ご名答。悪魔にだけ効果がある特別なやつ」
「どうして、調査室ですらそんな物を開発した記録は」
「だってあいつらぬるいもんな。もっと適当に悪魔召喚して実験しまくればいいのに」
「っ、お前」
「なあコガネ。ちょうどいいから霊研裏切ってこっちに付けよ。あんたは悪魔だし歓迎するぜ。そうだ、あの愁って幽霊も面白いやつだったしあいつも一緒でいい」
「バカな事を言うな!」
コガネは何とか首を引っ張り上げていた腕を振り払った。しかし出来たのはそれだけで、手足に全く力が入らなくなった彼はそのまま床に倒れて動けなくなってしまう。
「あんたがシオンの召喚を手伝ってくれたら日本中の人間を殺しまくることが出来る。ああ勿論俺達の数より少ない程度の人間は残してやるよ。今度は俺達が法律を作って表に立って、人間達は影でこそこそと隠れて暮らせばいい」
「ふ、ざけないでください」
「薊さんは反対するかもしれねーけどお前の相棒の人間を残せば文句ないだろ? あとはあれだ、あのちっせえ子供。それでも嫌だっつーなら……それこそシオンに頼んで誰か生き返らせてもらうか? それならお前にも召喚のメリットはあるだろ」
「そもそも、シオンが死者蘇生が出来るなんて調査室の資料にも無かった」
「そりゃそうだ。当時の、三百年前のことをリアルタイムで知っているごく一部の妖怪の間でしか知られていないからな。そいつらが言ってたんだよ、その悪魔は死んだやつを生き返らせる力があるって」
「……死んだ人間は生き返りません。神様でも無理だそうですよ。うちの所長が何度も言ってました」
「所長ってあの櫟ってやつだろ? まあ俺もそれは同意する。神なんて存在しねーもんのこと当てにする方が馬鹿馬鹿しい。そんなやつよりも実在する悪魔の方がよっぽど信憑性があるってもんだ。まあ、俺達は別に死者蘇生が真実じゃなかろうがどうでもいいんだけどな。所詮はシオンの会を維持する為に使ってるだけの噂話だ。ここだけの話っつってこそこそと喋って、皆幹部になる為に資金提供を惜しまなくなるっていう寸法だ。さて……」
一頻り喋った鬼頭は懐から銃を取り出してコガネに向けた。調査室で支給されている特別なもので、中に入っている銃弾は恐らく。
「対悪魔用銃弾入りだ。これを撃てばあんたは魔界へさよなら。万が一また召喚されようとしても再召喚用の魔力すら残らず向こう五十年は魔界から離れられない、だろ? 俺は勤勉だからちゃんと他部門のことも勉強してるんだ」
「……なら言わせてもらいますが、まだ勉強不足なところがありますね。悪魔と悪魔憑きは魔法陣で繋がっている。咄嗟の危機ぐらいならば魔法陣を通して伝えられる上、僕は視覚ともリンクさせている。この会話は全部筒抜けです。あなたの裏切りはとっくに霊研にバレてますよ」
「……はっ、あっははは!! こいつは傑作だ!」
「!」
突然笑い出した鬼頭が発砲する。銃弾は動けないコガネの右手の甲を貫き、とんでもない激痛が襲いかかってきた。ただの銃弾でも痛いのに比べものにならないくらいの苦しみが訪れる。穴が開いた手を押さえても流れる血は止まらない。
「言ったろ? ちゃんと勉強してるって。その対策ぐらいとっくに終えている」
「な……」
「この部屋は外とは隔絶された空間になっててな、あらゆる術や魔力等を遮断する。大事な話をする場所を作りたいって言ったら詳しい事情なんて何にも知らねえ会員のじじいがほいほい作ってくれたよ。ま、つーわけで、だ」
驚くコガネの額に再び銃口が向けられた。手とは違い、脳を損傷すれば力の弱いコガネは一発で魔界行きであることは間違いない。
「召喚の協力もしない、仲間にもならない。ならもうお前はいらねーな。霊研への人質にしてもいいんだけど、それはもうあのちびっ子に決まってるんだ」
「! イリスに手を出すな!」
「やーだね。それじゃーバイバイ」
鬼頭の右手が引き金を引く。あまりにも軽々しく、それは発砲された。
乾いた音が空気を切り裂く。それは真っ直ぐ眼前の――コガネの額に吸い込まれていく。
彼は動けない。そして障壁で防ごうとしても、悪魔の魔力を用いた障壁では対悪魔用の銃弾は止められない。
頼りになる相棒は居ない。心配してくれる妹も、仲間も居ない。
だから。
「よーし、討伐完了。薊さんご褒美にまたご飯連れてってくれねーかなー」
――自分以外誰も居なくなった部屋で、鬼頭はそう言ってけらけら笑った。
□ □ □ □ □ □
「都内で複数の爆破事件!? どうなってやがる!」
苛立たしげに叫んで電話を切った英二は、忙しなく霊研の中を歩き回りながら「シオンのやつら、一気に動き始めやがった」と苦々しく毒突いた。
「その事件はシオンの連中の仕業で間違いないのか?」
「ああ。例の男が近隣の防犯カメラに堂々と映っていた。……もはや隠す気もないらしいな」
霊研で一人待機していた愁が問うと、英二は髪をぐしゃぐしゃに掻き乱しながら頷いた。あの男については霊研も調査室も調べているが、薊と呼ばれていること、そして恐らく鬼系統の妖怪であること以外何も分かっていない。
「警察も動いては居るが、相手が人外だということを知らなければ後手に回るしかねえ。調査室が主導で動ければまだましになる可能性もなくはないが、全体の指揮を取るはずだった深瀬が居ねえ上裏切り者も出て混乱状態。速水が押さえには行ってるがどうなることやら」
「英二さん、俺も外に出る。俺なら救急隊の邪魔にならずに人を助けられるし、先回りして爆破されそうな場所を見張ることだってできる。どうせ此処に居たって電話番すらできないからな」
「分かった。行って来い」
「もし千理に何かあればどんな手を使ってでも伝えてくれ」
それだけ言い残して愁はあっという間に壁をすり抜けて行った。「いや無茶言うな」という英二の突っ込みも聞こえていないらしい。
「……千理は学校だったか? この騒ぎじゃとっとと家に戻されるかもしれねえが」
シオンの件を最優先する為に元々霊研自体にあまり仕事は入っていなかった。だから今日、愁以外の学生組は普通に学校に行っているはずだ。だがテロを鑑みて家に帰されるとすれば、そろそろイリスから迎えに来いと連絡が入ってくるかもしれない。
イリスの動物霊達にも協力してもらうか、と考えたところで幼い娘を利用している事実を実感して嫌な気持ちになる。だが彼女が居れば更なるテロを未然に防げる可能性があるのも確かだ。大勢の命と本人の覚悟、それらと英二の親心を天秤に掛けている場合ではない。
「……っと、また速水か。絶対悪い知らせだな」
しかしイリスから連絡が来る前に今しがた電話を切ったばかりの速水から再度コールが来た。逐一新たなテロ行為が行われる度に連絡してくるとは思えない。ならば一体何があったのか。
「速水、また何か悪い方向にでも……は? いや、え?」
電話を取った英二は、耳元から聞こえてくる困惑の色を含んだ報告に更に困惑した。いや意味が分からないのだ。正面から構えていたら剛速球が真横から飛んできたような気分だった。
「いやいやいやどういうことだよ。意味が分からねえ」
『俺もだ』
「或真が逮捕されたって……は? 罪状は?」
『悪い、調査室内が混乱していて正確な情報が中々伝わって来ないんだ。もっと詳しい状況が分かったら報告する、取り急ぎ外村君が逮捕されたという確実な事実だけ伝えておく』
英二は思考のキャパが上限に達したのを何となく感じ取った。しかしすぐに速水に返事をして電話を切ると、この場に誰も居ないのをいいことに大声で叫んで感情を爆発させた。
「ああああああもう!! ほんっと訳分かんねえ!! 深瀬は撃たれて裏切り者は出て、テロが起きたかと思ったら今度は逮捕!? 或真のやつ何やってんだよ!!」
本来なら友人が撃たれた時点で混乱してしかるべきだというのにどれだけろくでもない事態を重ねるつもりなのか。
「もうこうなったら何が起こっても驚かね……え、」
そして、まるでやけくそになった英二の言葉に答えるように、それは訪れた。
一瞬、頭の血管が切れたようにぷつんと英二の中で何かが途切れたのを感じた。思わずよろめいた彼は傍にあった棚にぶつかったが、今はそんなことを気にしている余裕などない。
一瞬の時間の遅れすら惜しいとばかりに彼は即座に左腕の袖をまくり上げた。そこにあるのは幼い自分が書いた少々不格好にも見える魔法陣で、いつもは淡く光り続けていたそれが……更に弱々しく明滅したかと思うとその後すぐにふっと光を消す。
「……コガネ?」