20-3 赤いお守り
「此処は霊研。幽霊や怪異などの事件解決を請け負う霊能事務所だ。それで、君達がそうして霊体になっていることだけど」
「霊体……? 私、もしかして死んじゃったの!? 万理君も!?」
舞は目の前で半透明になっている万理を凝視して酷くショックを受けた。万理はずっと学校を休んでいて連絡が取れず、それに自分もずっと体調が悪くベッドから起き上がれなくなっていたのだ。もしや気付かぬ間に自分も万理も死んでしまったのかと顔色を悪くしている舞に、櫟は「大丈夫だから」と安心させるように言った。
「二人ともまだ生きてはいるよ。だが時間がないのは確かだ。英二、さっき彼女の名前がリストにあると言っていたね?」
「ああ、今日回った病院で入院している」
「病状は?」
「……かなり危険な状態らしい」
「!」
万理が舞を凝視する。舞はその視線を受け止めて、自嘲するように笑った。
「多分、自業自得なんですよね。私がこうやって嫉妬して万理君に当たったから、それで万理君の具合が悪くなった。だからきっとこれは罰なんでしょう」
「違う、君は何も悪くない」
「悪いよ。万理君を殺そうとしたんだから」
「針谷さん。君はこれまでこうして生霊として天宮君の元へ通っていた記憶はあるのかな」
「無いですけど……でも、私がそうしたから万理君は幽霊になっちゃったんですよね?」
「すまん。それは俺が手を滑らせた所為だ」
「え、手を?」
「……愁。ちょっとややこしくなるからその話はまた後で頼むよ」
「分かった」
愁の横やりで重たかった空気が少々緩む。いいんだか悪いんだか、と櫟は頭を掻きながら改めてこれまでの状況を説明し始めた。
「まず、君が天宮君を呪っていたのは事実だ。生霊になって彼に取り憑き、結果天宮君はあと一歩で衰弱死する所だった。同時に、無理矢理体から離れて他人を呪い続けた君もその影響が出ている。人を呪わば穴二つ。強力な呪いは自分に返って来るし、それが術の才能もない普通の女の子なら尚更だ」
「……はい」
「だが、全面的に君が悪いとするのには少々疑問が残るのもまた事実」
「え?」
「コガネ、君はさっき複数の被害者が同じお守りを所持していたと報告していたね?」
「はい、そうですが」
「そのお守りの写真なんかはあるかな」
「ちょっと待って下さい。……これですね」
コガネは机の上に積まれた資料を手早く捲ってそこに挟まれた一枚の写真を櫟に差し出した。どこにでもあるような普通の赤いお守りである。ただ一つ特徴的なのは、そこに刺繍されているのが御利益の名前などではなく簡素な花の模様だということだ。
写真を見た舞、そして……千理はその瞬間目を見開いた。
「これは」
「針谷さん、これに見覚えは?」
「……前に見たことがあります。確か、学校帰りに知らない男の人に話しかけられて、よく効く恋愛成就のお守りだから買わないかと言われたんです」
「え、舞。そんな怪しい男から買ったのか?」
「買ってないよ。三百円だって言われて安いなとは思ったけど怪しすぎるから」
「では、一度も触れなかった?」
「……いえ、一度手に取ってみてとしつこかったんでちょっと持ちましたけど」
「櫟君、つまりそのお守りが何かの媒介になってると考えてるの?」
鈴子の言葉に、櫟は大きく頷いた。
「そういうことです。そもそも彼らのことが一連の不審死と同様ならば、他の人間も生霊になって相手を取り殺している。そして生霊となった本人も同時に亡くなっている。全員からこのお守りが発見されていないのは、きっと半分は呪われた方だからですね。……だが、そもそもの話として、そんな簡単に普通の学生が生霊になんてなれないんですよ」
「……まあそうですよね。そんなほいほい他の人間に取り憑くことができたら今頃もっと沢山人が死んでいるはず。学校なんてそれこそ片思いの人間が腐るほどいそうですし」
「ああ。だからお守りの話を聞いてピンと来たんだ。これには誰か他者の介入があって起こっていて、その人物こそ今回の事件の黒幕だとね」
件の赤いお守りを手にした人間は無意識のうちに想う相手に生霊となって取り憑く。舞が見たというその男こそが、お守りを使って被害者達を無理矢理生霊になるようにと促した。そう考えれば辻褄が合う。
「待って下さい。私、そのお守りは買ってないんですけど……」
「本当にそうかな?」
「え?」
「買ってないのはそうだろう。だが、一度無理に手にさせたという点が気になる。君が自ら手に取った時点でその呪いは成立していた可能性があるんだよ。そもそも道端で知らない男からお守りを買うという人自体が少ないだろうからね」
「そんな……」
「持っただけで効果があったか、でも所持していた人が全体の三分の一っていうのは多いですよね……勝手に着いてくるとはそういうことってあるんですか?ほら、呪われた物って一度捨てても戻ってくるってやつあるじゃないですか」
「割とよくあるね。今回もそのケースかもしれない。針谷さん、君が入院している病院に行っても構わないかな。所持品に紛れ込んでいる可能性がある。君も体に戻ってもらって、もう二度と生霊とならないように対処しなければならないからね」
「なら私も同行するわ。変に呪われたものだったら色々“見える”かもしれないから」
「あの、えっと……はい」
「もう遅いから面会は終わっているだろう。英二、警察に連絡して彼女の面会の許可をもらってくれ」
「了解」
「あとの子達は今日のところは解散かな。何か意見がある人は?」
いつになく櫟がてきぱきと話を進める。天宮万理と針谷舞、彼らのことはどうしても今日中に片付けておきたいのだ。櫟は顔を見合わせている二人を一瞥する。他に人間には見えない、その命の残量を見て僅かに顔を歪めた。
「僕も一緒に行っていいですか」
全員に確認を取るように見ていたその時、す、と万理が片手を上げた。
「舞が本当に無事なのか自分の目で確かめたい。勿論邪魔はしませんしその後は大人しく家に――自分の体に戻ります。家の者も心配しているでしょうから」
「うん、構わないよ」
「ありがとうございます。……千理」
軽く頭を下げた万理が千理に向き合う。そしてその頭にそっと手を置き、感触は無いものの彼女の頭を撫でた。
「その犯人について知りたい気持ちは勿論あるが、僕に出来ることはない。だから千理、後はお前に託してもいいか」
「お兄様……」
「家のことは気にしなくていい。念の為今日は伊野神に戻らない方がいいが、僕が無事に目を覚ましさえすればどうにでもなる。お前が今まで通り暮らせるように手配するから……だから、僕の代わりに舞を殺そうとした犯人を絶対に見つけ出してほしい」
「うん、分かった。任せて!」
千理は力強く頷いた。それを見た万理は、随分頼もしくなったな、と心の中で「変わっていない」と言ったことを密かに訂正した。
「センリ、家に帰れないんならうちに来なさいよ。コガネ、いいわよね?」
「ええ。是非いらして下さい。歓迎しますよ」
「ありがとうございます。じゃあお邪魔しようかな」
先程怒りまくってすっかり目を覚ましたイリスにそう提案されて千理はありがたく頷いた。最悪何処かの漫画喫茶にでも行けばいいと思っていたが、疲れているのできちんとした場所で眠れる方が助かる。
「なら俺も行っていいか。また千理が急に何処かに消えるのは御免だ」
「もう大丈夫だって」
「悪いがその大丈夫は信用ならない。今回だってお前の意思で居なくなった訳じゃないだろう」
「もしそうなっても今回みたいに何か手がかり残しておくから。そうしたらまた迎えに来てほしいな」
「そんな状況にならないように最初から見張っていた方がいいと思うんだが」
「はいはい! そこ、いちゃいちゃしないの! ……それと、べ、別についでだからアルマも来てもいいけど……」
「ん? 済まない。私は遠慮しよう。私が眠っている間に内なる力が溢れ暴走する可能性もある。危険だからな」
「はああ? ちょっと厨二病取っ払ってちゃんと返事しなさいよ!」
「いや待てイリス、眼帯を引っ張るんじゃ……自分で取るから! ……実際、俺が眠っている間にやつらが勝手に動かない保証なんて何処にもない。今までは大丈夫だったからって今後のどうなるかなんて分からないし、もしそうなった場合最悪怪我じゃ済まない。だから、イリスの気持ちは嬉しいけど今回はやめておくよ。誘ってくれてありがとう」
膝に座らされていたイリスが振り返り眼帯に手を伸ばす。無理矢理取られそうになった或真は諦めて自ら眼帯と腕の鎖を外してそう答えた。「……結局言ってること変わらないじゃない!」とイリスは憤慨したが、それはそうだ。言い回しが違えど言いたいことは変わらないのだから。
「すみません所長、少しだけいいですか」
「ん? 何かな」
そんな或真とイリスのやりとりを見守っていたコガネが、出て行こうとしていた櫟に気付いて慌てて呼び止める。コガネは早足で櫟の元へ行くと、何故か一度ちらりとイリス達を振り返ってから耳打ちするように小声でぼそぼそと何かを言った。
「……という訳なんですが」
「は? ……分かった。そっちも調べてみるよ」
「お願いします」
千理達には聞こえないように喋ったコガネが櫟を見送って戻ってくる。あからさまに隠し事をされたイリスは不機嫌になり、千理も気になってコガネを見上げた。
「何かあったんですか?」
「ああ、いや……大丈夫です。ちょっとした報告を」
「なによ、こそこそしちゃって」
「それよりも皆さん、お腹空きませんか? これから帰って作るのも遅くなりますし、せっかくだから何処かで食べてから帰りましょう」
「……ハンバーグ食べたい」
「ええ。いいですよ」
分かりやすく話題を変えたコガネだったが、しかしイリスがそれを指摘することはなかった。
仕事の邪魔をしてはいけない、我が儘を言い過ぎてはいけない。そうしなければきっと捨てられてしまう。
それらの考えはこの五年間でしっかりとイリスの中に根付いてしまったもので、ちゃんと家族になった今でも簡単に忘れられるものではなかった。
「……眠い」
その後、イリスお気に入りのファミレスで或真も巻き込んで食事を取って、千理達は朽葉家へとお邪魔することになった。
車に乗った時点で体力が限界に近付いていた千理とイリスは揃って転た寝をしてしまい、家に着いて起こされたイリスはコガネに抱えられ、千理は半ば愁の力に頼ってようやく布団までやって来た。
「千理、おやすみ」
「おやすみ……」
半分くらい回らない口でそう言って、千理はようやく眠れると慣れない枕に頭を預けた。
長い。あまりにも長い一日だった。今朝突然天宮に連れ戻されたかと思えば数時間のテスト、紆余曲折ありながらも兄と再会して、彼を助ける為に奮闘した。
今日一日を振り返りながらほぼ閉じていた瞼を完全に下ろそうとした千理だったが、その記憶の中に引っ掛かるトゲを見つけて一瞬睡魔が去った。
「あのお守り……」
人を生霊に仕立て上げる赤いお守り。何の変哲も無い見た目だったが、そこに刻まれた模様は千理の記憶の引き出しにしまわれていたものだった。
以前若葉が見せてくれたバッジと全く同じ花のマーク。何故あれが今此処で出てくるのだろうか。
時間も無かったので気になったが口には出さなかったものの、この事件が落ち着いたら若葉にも話を聞いてみる必要がある。それに、犯人を見つければその人物からもきっと情報が得られるだろう。
とにかく何としてでも、兄達を陥れた犯人を見つけ出す。それが少しでも兄の助けになるのなら。
□ □ □ □ □ □
「おはようございます」
「千理、きみ……今日は平日だけど学校は?」
「休みました」
翌日、コガネと愁と共に霊研へとやって来た千理は随分と堂々とそう言った。学校よりも兄の事件の方が優先だ。彼に託されたのだから、千理はこの事件を見届けなければ気が済まない。
ちなみにイリスが文句を言いながら学校へ行き、英二は警察に行って昨日からまだ家に帰って来ていない。そして鈴子は昨日沢山の遺留品を見た為“目”を休ませる為に来ていないという。
今霊研に居るのは櫟と或真、そして千理と愁とコガネだ。先に来ていた或真は既に櫟から話を聞いていたらしく「では私はコーヒーでも用意しようか」と一人キッチンへと向かった。
「それじゃあ昨日の報告からいこうか。針谷舞さんの病室に行った訳だが、やはり荷物に紛れて例のお守りが紛れ込んでいた。既に燃やしたから現物は無いけど妙な力が纏わり付いていてね、これが生霊になる原因となったのはほぼ間違いないだろう」
「燃やしたってことは針谷さんももう大丈夫なんですよね?」
「ああ。魂も体に戻ったし、このまま順調に回復していくのを願うだけだね。さて、それでどうやって犯人を見つけるかということだけど……一番確実なのはお守りに込められた力を辿って行くということだね」
コガネが自分の力の込められたぬいぐるみを追跡できるように、呪いが込められたものはその力の源と繋がっている。呪い返しなどができるのもその為だ。だが件のお守りは燃やしてしまって無くなっているはずである。
「他の被害者の遺留品のお守りはもう完全に力を使い切っていて使えない。針谷さんのものもほぼ残っていなかったから同じだね。だから……これを使う」
櫟は手にしていた赤いお守りを千理達に示した。写真で見たのと同じ普通のお守りだが、そこにどんな力が込められているのか千理には分からない。
「これはほぼ力が使われていない、いわば新品のお守りだ。これを使えば犯人の元へ行ける」
「え、そんなのどうやって手に入れたんですか? 渡されたばかりの人の接触できたんですか?」
「……」
櫟はちらっとキッチンの方へと目を向ける。ただコーヒーを入れるだけなのに高笑いが聞こえるのに少々呆れた表情を浮かべながら、僅かに声を落として「或真には言わないで欲しいんだけど」と前置きをした。
「昨日コガネから報告があったんだ。別件で……死んだり衰弱はしていないものの精神に異常をきたして病院に運ばれた子が同じお守りを握りしめていたって」
「え……」
「僕も警察でたまたま聞いたんです。症状は違ってもお守りが同じである以上無関係であるはずがない。ですから詳しく話を聞いたんですが……」
「単刀直入に言おう。その人物は或真のストーカーだった」
はっ、と全員の視線が櫟に向かう。あまりにも精神が不安定になっている少女に事件性を――恐らく当初は麻薬等の疑いだっただろうが――感じた警察が彼女の部屋を捜索すると、壁一面に或真の写真が貼られていたのだという。或真がもらったという手紙の筆跡を調べれば彼女が送ったという証拠も出てくるだろうが、現状ストーカーの被害は止まっている。
「恐らく彼女も今回の黒幕にお守りをもらったのだろう。勿論狙いは……或真だ」
「だがなんで力が使われて居ないんだ? 或真も元気だろう?」
「彼女はろくに話もできないほど精神を病んでいる。これは推測だけど、恐らく生霊になって或真に取り憑こうとした時に邪魔されたんだろう。すでにあの子に取り憑いていると言っていいやつらによってね」
「あっ」
「結果生霊になることもできず力は使われなかった。……もう一度言うけど或真には内緒にしておくよ。自分を狙った所為で精神崩壊が起こったなんて知ったらあの子は傷ついてしまうからね」
「さて、コーヒーでも飲んで気を引き締めてくれたまえ。今日はこれから強大な敵と対峙することになるのだから!」
千理達が頷いたと同時に或真の大きな声が深刻な空気を吹き飛ばした。「今日は自信作だ」と言ってコーヒーを配り始める或真にお礼を言いながら、千理は気付かれないようにそっと或真を窺う。
最近分かって来たのだが、或真はその格好とは裏腹にコガネと張るくらいには優しく繊細だ。普段は人目を憚らず厨二病全開だが、それだって彼自身の心を守る為の鎧だ。千理とは違って加害者にまで気に掛けてしまう或真が真相を知ってしまったら櫟の言う通り深く傷ついてしまうだろう。
千理はコーヒーを冷ましながら口に含む。相変わらず何とも言いがたい味だ。
「……話を戻すけど、今日はこのお守りを使って犯人の所まで行く。だがひとつ問題があってね。そもそもこの霊研に力を辿れる人員が居ないってことなんだ」
「? 櫟さんはできないのか」
「できないよ。僕は幽霊を強制的に成仏させるくらいしか出来ないからね」
「それは十分すごいことなのでは……? じゃあコガネさんは?」
「悪魔の力ならともかく他は専門外ですね。お役に立てなくてすみません」
「期間が短ければ鈴子さんに頼ることも考えたんだけどね。そういう訳だから、今日は調査室から人を借りれないか打診してある。そろそろ来るんじゃ……来たようだね」
外で物音がした。バタン、と車のドアが閉められる音がして、大きな足音も聞こえて来る。
それが扉の前までやって来たと思った瞬間、「此処が霊研か!」という馬鹿でかい声と共に勢いよく扉が開かれた。
「中は思ったより普通ですね! 市民に過度な不安を抱かせないという点で素晴らしい!」
「いや待て急に入るな、あと煩い」
「元気なのが俺の取り柄なので気にしないでください!」
「気にするのはお前の方だ……」
嵐のような勢いで入ってきたのは大柄な男だった。焼けた肌も快活そうな顔もエネルギーに満ちあふれており、縦にも横にも大きく熊のような大男はきょろりと室内を見回すと一切音量を落とす気のない大きな声で喋り続ける。
そんな彼の後ろから入ってきた英二は酷く疲れた表情で、頭を押さえながら「こいつ、例のやつだ」と櫟に向かって溜め息交じりに言った。
大男は櫟を見て「あなたが櫟さんですか!」といたく感激したように彼の前にやって来て力強く敬礼した。
「警視庁特殊調査室、妖怪部門から派遣されました。鬼頭月火です! あ、あと妖狐と人間のハーフなのでよろしくお願いします!」
「うるっせえ……」