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霊研の探偵さま  作者: とど
三章
41/74

19-4 絶対に助けてみせる


『まったく、お前はこんな問題も分からないのか? 天宮の人間が聞いて呆れるよ』


『お前は本当に僕と同じ血を引いているのか? この家が望む義務すら熟せないのならいっそ出て行った方がいい』


『……ああ、まだ居たのか。もうとっくにこの家から追い出されたと思っていたよ』


『父様、あいつは所詮僕とは比べものにならない不良品です。とっととゴミ箱へ捨てたらいかがですか』



 兄から発せられた第一声を聞いて、千理の脳内に過去に兄から言われた言葉がいくつも過ぎった。

 あの頃から兄の言動は変わっていない。本当に幼い頃は優しく接してくれた兄だったが、千理が自分よりも劣っていると気付きどんどん二人の間に差が付き始めると、徐々に彼は千理に対して冷たくなりその目は嫌悪に染まっていった。

 家を出て行く直前に会った彼は最早口を開くことすらせず、どうでもいいとばかりに一瞥するだけで千理の目の前から去って行った。




「その不愉快な顔をさっさと僕の視界から、天宮から消せ。この家の敷地内にお前の居場所など一ミリも存在しないのだからな」


 体を起こさないまま苦しげに、それでもはっきりとそう突き放すように言った万理に自覚もないまま千理の目から一筋の涙が零れた。

 それを見て更に万理の目が軽蔑するように細められる。


「泣けば許されると? 昔から何も変わっていないのか。お前のような人間と同時に生まれた事実に虫唾が走るよ」

「お、に、」

「大方父様が僕の代わりにする為に呼び戻したのだろうが……天宮がお前如きに支えられると思ったら大間違いだ。あの人は直系の血を大事にしたいようだが、それにしてもまだ我が家に残っている親戚筋の人間に後を継がせた方がましだというもの」

「……」


 千理の両手が震える。手だけではない、体を震わせて嗚咽を必死に飲み込む。けれど、堪えきれずにしゃくり上げるような声が漏れた。


「すぐに言葉を理解出来ない愚かなお前の為にもう一度だけ言ってやる。出て行け。この家にお前はいらない。ゴミは大人しくゴミ箱に帰るん――」

「っお兄様あああー!!!」

「!?」


 もう我慢出来なかった。

 千理は静かに流れていた涙を一気に決壊させ、大声で叫びながら目の前で横になっている兄の体に縋り付いた。突然の奇行に万理も反応に遅れ、体調も相まって千理が抱き付いてくるのを阻止出来ない。


「おに、お兄様……あいたかった! 本当にずっと会いたくて会いたくて……」

「おい離れろ!」

「急にじいやが呼びに来て、お兄様がもう死んじゃってたらどうしようかと思って……っ」

「僕の服で涙を拭うな鼻水を付けるな!!」

「ううううお兄様……本物の、お兄様……生きてる」

「話を聞け! っぐ、ぅ」


 千理を引き剥がそうとしていた万理が不意に苦しそうに咳き込み始める。それに気付いた千理は我に返りようやく彼から離れると慌てて酸素マスクを付け直し、彼が落ち着くまではらはらとその姿を見守った。

 荒い呼吸が徐々に収まっていく。体調とは別の意味で体に疲労感を覚えた万理は大きく溜め息を吐くと、元凶である千理を睨み付けて再び「出て行け」と一言口にした。


「お兄様、もういいよ」

「もういいとは何だ。そもそもお前に兄と呼ばれる筋合いはない。僕に妹なんて居ないんだからな」

「じいやに人払いもしてもらってる。此処には他に誰も居ない。……だからもう、そんなに無理して私に嫌なこと言わなくていいの」

「は?」

「お兄様は優しいから、例え演技でも辛かったでしょ。もういいの」

「……お前は何を言っている。まさか本当は僕に好かれているとでもおめでたい勘違いでもしているのか」

「勘違いじゃないよ。お兄様は私のこと大好きだもんね」


 千理が優しく笑う。その顔を見て万理は意味が分からないと絶句した。一体何を言っているのか、幼い頃の記憶を持ち出してその後数年間万理から受けた罵詈雑言は聞き流したというのか。


「ずっと知ってたよ。この家に居た頃から、お兄様が私のことを思ってああやって接してくれてたこと。外に出たいって願う私の為に、そうやって私をこの家から逃がそうとしてくれた。ずっとありがとうって言いたかったけどこの家では誰が聞いているか分からなかったから言えなかった」


 抑圧されて成績を落としたとはいえ千理の記憶力は有用だ。万理が父に千理は必要ないと切り捨ててくれなければ、彼女は一生天宮に縛られて利用されていたかもしれない。


「馬鹿じゃないのか。いや、馬鹿だったな。自分に都合良く事実をねじ曲げて現実から逃げているだけだ」

「馬鹿なのはお兄様だよ」

「……僕が、馬鹿だと?」

「チョコレート」


 その瞬間、万理の眉がぴくりと動いた。


「『大きくなったら千理の為にチョコレートのお店を作ってあげる』って、昔……五歳の時、初めてチョコを食べた時に感動してた私にお兄様が言ってくれたよね」


 千理のような瞬間記憶能力などは無いが、それでも常人よりも優れた記憶力を持つ万理が忘れているはずがない。彼女はそう確信している。

 天宮は元々和菓子店から始まった。だから洋菓子を食べる機会はあまりなく、余計に初めて食べたチョコレートに千理はとても心を奪われた。貰い物だったチョコレートのアソートは幼い彼女の目にはキラキラした宝石のように見えていた。


『千理はどれが好き?』

『こ、これ! 柔らかいの!』

『それは生チョコって言うらしいよ』

『おいしい! 毎日食べたいなあ』

『うちは和菓子屋だしそれは無理かな。……でも』

『?』

『伝統に固執し続けるだけじゃなくて新しいものにも目を向けないと商売は長く続かないからね。僕が大きくなったらお前の為にチョコレートの店を作ってあげるよ』

『お兄様それホント!?』

『ああ、約束だ』

『約束!』



「本来ならもうずっと……少なくともお兄様が家を継ぐ時までは再会するつもりはなかった。だからあんなに分かりやすいことをしてくれたんでしょ?」


 伊野神は天宮に関わってはいけない。万理が家を継いでその仕来りを壊してくれるまでは会えないと思っていた。だけどその間に彼は昔の約束を果たしてくれた。千理の一番好きな生チョコを店の看板商品にしたチョコレート専門店を。


「お兄様。私ね、すごく嬉しかった。お兄様が私の為に作ってくれたチョコレートだから誰よりも先に食べたくて、開店前日の夜から並んだりして……本当に美味しかったよ」

「……お前は」

「でもやっぱり先にテレビ局の人に食べられたのは許せないかも。勿論生産する過程でもっと色んな人が食べてるだろうししょうがないのは分かってるけど、それでも」

「やっぱりお前は馬鹿だよ、千理」


 はっと言葉を止めて千理が兄を凝視する。

 名前を呼ばれたのは一体何年ぶりだろうか。横たわって千理を見上げる万理の目にはいつの間にか嫌悪も軽蔑も消え去り、どこか呆れたような表情で彼女を見上げていた。


「夜中に外に居るなんて何を考えてるんだ。そんな危ないことをするんじゃない」

「……それ、友達にも怒られた」

「当たり前だ馬鹿。それにわざわざ別に一番に拘る意味なんてないし他のやつを妬む必要もない」

「それは嫌。だってあれは」

「何番目に食べようがあれがお前の為に作られたものだという事実は変わらないよ」

「!」


 呆れた顔が、柔らかく綻んだ。双子というにはあまり似ていない二人だったが、それでも笑い方は何処か似通っていて、まるで鏡でも見ているかのようだ。

 兄の意図には気付いていた。酷い言葉も態度も全て千理の為だ。けれどだからと言って全く傷つかなかった訳ではなく、こうしておよそ十年ぶりに優しい言葉を掛けられれば千理も堪らなくなって再び涙が出てきてしまう。


「……お前は相変わらず泣き虫だな。本当にちっとも変わってない」

「じいやは、変わったって言ってた」

「そんな訳あるか。お前はいつまでも変わらず、泣き虫で馬鹿な……僕の可愛い妹だよ」

「お兄様……」

「千理、ごめん。……僕はもう死ぬ」


 万理は重たい体を無理矢理動かしてベッドに置かれていた千理の手を握った。先程とは違い意識して握りしめているというのに、その手には殆ど力が籠もっていない。


「なんとか死ぬ前に父様に言ってお前をまた伊野神に戻してもらう。他のやつを推薦して僕の後釜に据えてもらって、どうにかしてみせる」

「お兄様、待って」

「お前の為に怒ってくれる友達も出来たんだろう。大丈夫だ、お前をもう二度とこの家に閉じ込めさせたりは」

「聞いて!」


 やつれて細い白い手を必死に握りしめた千理が叫ぶ。彼女は真剣な顔で兄を見下ろすともう一度改まって「聞いて」と繰り返した。


「私ね、この家を出てから学校に通えるようになったよ。友達もできて、好きな人もできて、楽しいことも目一杯知った。それは全部、お兄様が私を逃がしてくれたから」

「……そ、か。よかった」

「私はお兄様に助けられた。だから――今度は私がお兄様を助ける番だよ」

「それは……僕の代わりにこの家に残るってことか」

「ううん、違う。もっと根本的に。……お兄様が生きられるようにする」

「は、」

「実際私が治せる訳じゃない。私にできることは殆どないけど、でも治せる人とお兄様を繋ぐことぐらいはできるから――っ」


 だから、と言葉を続けようとしたその時、突如として家が揺れた。ドン、と大きな衝撃で照明が揺れ、続けて何かが壊れるような音が立て続けに聞こえて来た。

 明らかに地震とは違う揺れににわかに家の中が騒がしくなっていく。もう一度強い衝撃を感じたその時、何が起こったのかと困惑している万理とは裏腹に、千理はあちゃー、と言わんばかりに片手で額を押さえていた。


「あー……あっちから先に行っちゃったか」




    □ □ □  □ □ □




「櫟さん、此処で待っていてくれるか。俺はこのまま千理を探してくる」


 車に櫟を残して、愁は目的地に着くとすぐに外へと飛び出した。目の前には中々お目にかかれない豪邸がそびえ立っていたが、彼は構わず壁をすり抜けて家の中へ侵入する。


「千理! 何処だ!」


 声を張り上げて無駄に広い廊下を進む。勿論愁が大騒ぎしていようが道中すれ違う人々は何も気付かない。千理が何処にいるかこれっぽっちも見当が付かないので手当たり次第見つけた部屋に顔を突っ込み確認していくが、広すぎるが故に全て見て回るのにはかなりの時間が掛かるだろう。


「千理! せ――」


 虱潰しに家の中を飛び回っていたその時、愁は不意にとある一つの部屋に首を突っ込んだまま一瞬静止した。


「伊野神千理……っ、伊野神千理!! あのクソガキが!」


 部屋の中に居たのは手にした本を床に叩き付けて金切り声を上げる一人の女だった。忌々しげに、呪うように千理の名前を口にするその女の顔を見て、愁はただでさえ乏しい表情を完全に無にした。

 す、と無言で全身を室内に入れる。無意識に両手に力が入るのが分かる。愁は真っ正面から女の顔を改めて確認すると、途端に一気に感情が乱れた。


 その瞬間、女の傍にあった壁に拳大の穴が開いた。


「は……?」

「間違いない。……お前だな?」


 大きな音と共に突然壁に開いた穴を見て女――草薙は言葉を失った。しかも続けざまに照明が不自然なほど大きく揺れ、本棚に入っていた本はばさばさと残らず床に落ち、壁時計は中途半端な時間に鳴り始める。


「な、なに、何なのこれ」


 腰が抜けてずるずると床に座り込んだ彼女は、まったく止まらないどころか増え続ける怪奇現象に混乱と恐怖でいっぱいになった。それと同時に、無意識に先程聞いた言葉が彼女の頭を過ぎる。


『精々呪い殺されないように気を付けて下さい』


 呪いなんてあるはずがない。……ならば、目の前の光景は一体なんだというのか。

 そんな彼女の正面で、彼女の目に映らない愁は酷く冷めた目で草薙を見下ろしていた。本当は一発ぐらいは直接お礼参りをしてやりたい。けれど千理が事前に、もし現実で会っても暴力を振るうなと言っていたのを思い出して愁は突き出そうとした拳を大人しく下げた。


「もし」

「ひっ、」


 けれどその代わりに、愁は座り込んだ草薙のすぐ隣の床を勢いよく振り下ろした足――そこに纏った力で破壊した。


「もう一度千理に手を出したら――今度こそ容赦しない」


 聞こえないと分かっていても言わずにはいられなかった。

 ぱらぱらと床板が崩れ落ちるのを目の当たりにして、女は今度こそ耐えきれずに悲鳴を上げる。すでに彼女から興味を失っていた愁がさっさと部屋を出ると、異変に気付いたらしい人々がわらわらと部屋の前に集まって来たところだった。


 しまった、余計な騒ぎを起こしてしまった。しかも怒りに任せて人の家を壊した。

 頭に上っていた血が下がり急に冷静になると、愁はその場からそそくさと逃げ出す。まだ千理を見つけていないのに無駄なことをしてしまった。早く彼女を見つけなければと考えてとりあえず騒ぎの部屋から遠ざかるように進む。


「……愁!」

「!」


 しかし不意に、人が集まってざわざわと騒がしい声に混じって探していた声が聞こえた。咄嗟に止まって辺りを見回してみると、廊下の奥の方から身を隠すようにしながら愁を見ている千理の姿を見つける。


「千理!」


 全速力で彼女に近付きすぐさま全身を確認する。見る限り怪我を負っている様子はないが、見た目だけでは分からないこともある。


「無事か。何処か怪我とかは」

「ごめん話は後で。すぐにこっち来て!」


 そう言い捨てると千理は背を向けて走り出した。何があったのかは分からないが愁がそのまま付いていくと、彼女は一度階段を上って迷い無くとある一室の中に入っていく。追いかけた先には一人の男がベッドに横たわっていた。

 髪色、そして千理を見るその目の色は彼女にそっくりだ。


「千理、さっきの音は一体……」

「ごめんお兄様、ちょっと待ってて! 愁、ここまでどうやって来た?」

「櫟さんの車に乗せてもらった。あの人は外で待機してもらっている」

「よっし計画通り! ごめん、来てもらって突然で悪いんだけど愁に頼みがある」

「ああ、何でも言ってくれ」

「この騒ぎが収まる前にお兄様を外に連れ出して櫟さんの所へ連れて行きたいの!」

「了解した。兄とはそこのやつでいいんだな」

「そう! 万理お兄様!」

「……千理、お前誰と喋ってるんだ」


 理由も聞かずに頷いてくれる愁を千理がとてもありがたがっていると、万理が酷く困惑しながら口を挟んだ。それはそうだ。何せ今彼の目から見た妹は何も無い空間に向かって一人で喋っているのだから。


「ごめんなさい、後でちゃんと説明するから今は大人しくしてて! 愁、こっちの窓からなら裏庭に出られるから!」


 此処は三階だ。だから誰にも見つからずに万理を外に連れ出すには千理一人では不可能。だが愁の力を使えば難なくそれが可能になる。愁は頷いて万理の体に手を伸ばす。人一人浮かせるなど慣れたものだ。

 しかし、その油断がとんでもないハプニングを引き起こすとは誰も想像していなかった。


「ああ、すぐにこいつを連れて……あ」


 体を浮かせようとした矢先に酸素マスク等を外すのを忘れたことに気付いた愁。一度力を止めればよかったものの横着して片手間に力を使って外そうとした所為か――のちの彼曰く、手が滑った。


「は?」


 それは誰の声だったか。ずるりと万理の体から“万理”が抜け出した。彼を掴んだまま、愁はぽかんとした表情で彼と目を合わせる。

 そう、目が合った。万理にはたった今愁の姿が見えた。何せ……彼は霊体になっていたのだから。


「え、ええええ!? お兄様が幽体離脱してる!?」

「すまん千理、勢いで引っこ抜いてしまった」

「誰だお前!? 一体いつからこの部屋に!?」


 全員が全員混乱している。その中でも特に一番状況が分かっていない万理は目の前の男を見て、何故か浮いている体に気付き、そして極め付けにベッドに横たわっている自分を俯瞰で見ることになって言葉を失った。


「いや引っこ抜いたで済ませるな! すぐに元に戻し――」


 その時、千理の言葉が中途半端に途切れた。彼女は霊体になった兄を凝視して「何、それ」と口元を押さえる。


 現在彼女の視界には兄が二人居る。一人は当然横たわる兄の肉体。そしてもう一人はその上で宙に浮いている半透明の存在だ。だが同じ人間だというのに彼らの見た目に決定的な違いが存在している。

 霊体となった万理の体には、全身隈無く赤黒い手形のような跡が付けられていたのだ。妹の視線を辿った万理も自身の体を見下ろして目を見開く。何をどう考えても普通ではない、明らかに彼の体調が一変した原因に他ならなかった。


 千理はちらりと万理の肉体へと視線を向ける。そちらはやはり先程変わらない様子で――しかし一つだけ異なる点があった。


「脈が、正常になってる」


 千理の言葉に万理も愁もベッドサイドの機械を見る。画面に映し出されている波形は彼女が部屋を訪れた時よりもずっと安定していて、医療に詳しくない彼女にも分かるほど回復していると理解する。


「……愁! 体はいい、そのまま霊体だけ連れて行って!」

「分かった」


 千理が窓を開ける。そこから下を見下ろせば随分と高いが、彼女は迷わず窓の桟に足を掛けて外へと身を乗り出した。


「お嬢様!」

「!」


 そのまま愁のポルターガイストで地上に降りようとしたその時、ノックも無しに部屋の扉が開かれた。


「不審者が侵入したようですがご無事で――」


 血相を変えて部屋に入ってきた老人は目の前の――千理が今にも窓から飛び降りそうになっている光景を目の当たりにして一瞬動きを止めた。


「な、お嬢様何を!?」

「ごめんじいや見逃して! お兄様は絶対に助けるから!!」


 言うだけ言って返事も待たずに千理は窓の外に飛び降りた。体に重力が掛かったのもつかの間、すぐにふわりと体は宙に浮いてゆっくりと降下を始める。


「いきなり飛び降りるな! 心臓に悪い!」

「ごめんでも信じてた!」


 慌てて力を使った愁の文句にそう返して、千理は地に足を付けた途端走り出した。櫟の車の場所は大体想像が付く。後ろに愁と彼に引っ張られている万理が付いてきているのを確認して、千理は日も落ちて暗い裏庭を突っ切り天宮の敷地を飛び出した。


「一体何なんだ……」


 愁に空中で引き摺られ続ける中、万理がぽつりと呟いた。一人状況に取り残されたまま事態が進んでいく。彼が何も分からないまま自分の腕を掴んで疾走する無駄に背の高い男を見上げていると、ちょうどこちらを見た男と目が合った。


「お前は、誰だ」

「俺は桑原愁、千理の親友だ。よろしく頼む」

「親友……」


 どう見ても妹とは何もかも正反対に見える男だ。だが先程から聞いていた会話で千理が随分とこの男に気を許しているのを感じ取った万理はそれが嘘ではないとすぐに分かった。それと同時に彼を少しでも信用する気になる。


「櫟さん!!」

「お、千理。やっと会えた……って、」

「お願いしますお兄様を助けて下さい!」

「いや待って分かったから! そんなに揺らさなくても分かったから!」


 見慣れた車を見つけた千理が突撃すると、開けられた運転席の窓に手を突っ込んで櫟の肩を勢いよく揺さぶり始める。それを必死に宥めて止めさせると、櫟はやれやれと頭を押さえながら愁に連れて来られた霊体に目を向けた。

 全身を見て、心臓の辺りをじっと見つめ納得した顔で頷く。


「へー、君が千理のお兄さんか。また随分と盛大に憑かれちゃってるね」

「……あなたは」

「櫟さん早く!」

「ま、そう言う訳だからちょっとこっちに来てくれないかな」


 ちょいちょいと指で手招く櫟の元に愁が万理を引っ張っていく。まだ自力で上手く動くことが出来ない彼が手を引かれるまま見知らぬ男の前に辿り着くと、櫟は徐に万理の顔に向かって片手を突き出した。


「ひとまず応急処置ってことで」


 その額に、軽いデコピンを一つ。その瞬間彼の体中にあった手形が全て一瞬にして吹き飛んだ。

 途端にずっと全身に感じていた苦しみが無くなって万理の表情が驚愕に染まる。それに構わず、櫟はいつものペースでのんびりとハンドルに手を伸ばした。


「とにかく一旦霊研に戻るとしよう。話はそれからだ」


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