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霊研の探偵さま  作者: とど
二章
36/74

17 インターバル


「櫟」

「……ん?」


 とある平日の午前中、櫟は霊研で一人気怠そうに肩肘をつきながら書類を捲っていた。自分以外居ない空間では普段以上にやる気も出ず、文字を追うスピードも徐々に落ちてきている。

 しかしそんな時、不意に扉が開かれて英二が顔を出した。眠気で一拍遅れて顔を上げた櫟は、さっさと目の前にやって来た男を見てのんびり欠伸をしながら首を傾げた。


「あれ、英二は今日警視庁の方だったはずだけど間違えた?」

「ちげえよ、その前に寄っただけだ。……つーかお前は相変わらずだらけた仕事っぷりだな。普通の会社だったら速攻でクビになってんぞ」

「分かってるよ。だからこういう仕事してるんじゃないか。で? わざわざ来たってことは、やっと話し合いでも進んだのかな」

「そういうことだ」


 英二は一度自分の席へ向かうと椅子を滑らせて櫟の傍に腰掛けた。足を組んで少々不機嫌そうな顔をしている彼を見て、櫟は逆に楽しげに眉を上げてみせる。


「ふうん、説得失敗した?」

「嬉しそうに言いやがって」

「英二がイリスに言い負かされているのは正直面白いからね。“お父さん”の説得では駄目だった訳だ」

「……なんでお前がそれを知ってるんだよ」

「コガネがそれはそれは嬉しそうに一部始終を語ってくれたよ。『英二がようやく、ようやく! イリスの父親になったんですよ!』ってね」

「あいつは何を言いふらしてんだよ……」

「それだけ嬉しかったってことだろう」


 イリスと英二の間に壁があることは櫟も察してはいたが、部外者が立ち入るべきではないとあえてそのままにしていた。だが二人の板挟みになっていたコガネからはよく愚痴を聞かされたものだ。

 やっと収まるところに収まったかと櫟が口にすると、英二は気まずそうに頭を掻いた。


「それで、イリスはなんて?」

「危険だと説得したが、そもそも今更だと一蹴された。自分が直接戦う訳でも無いし、それに……ようやく“お父さん”と“お兄ちゃん”ができたのに何かあったら絶対に後悔するから自分が出来ることはやるって」

「へー、良かったじゃないか」

「ちっとも良くねえよ」

「でも説得出来なかったんだろう?」

「それは、あいつが」

「?」

「……霊研辞めたら或真にあんま会えなくなるから絶対に嫌だと」


 先程よりも更に渋くなった顔を見て櫟が吹き出す。正確に言えばそこまで直接的な発言はしていなかったのだが、あれこれ理由を付けながら『あいつはほっとくとどっかで無理して死んじゃいそうだし私が見てないと』と言い訳する娘を見て英二とコガネは微妙な表情で顔を見合わせた。


「あー笑った。お父さんも大変だね」

「全くだ」

「まあ僕としては勿論イリスが霊研に居てくれた方が助かるから嬉しいけどね」

「そりゃあそうだろ。お前はあいつの能力を重宝してるしな」

「それもあるけど、そういうことじゃないよ。霊研の職員なら、僕は絶対にイリスを守ることができるからね」


 櫟は手持ち無沙汰に捲っていた書類を置くと、伸びをするように椅子の背もたれに体重を掛けて上を向いた。「どういう意味だ」と英二が櫟を見ていると、彼は一つ嘆息してそのままの姿勢で口を開く。


「僕は霊研の所長だ。だから職員を守る義務がある。例えばイリスとその同級生が死にそうになっていてどちらかしか助けられないとした場合、僕は迷わずイリスを助ける。そういう線引きをしているんだ」

「……」

「僕が守れる範囲はそれなりに広いと自負しているけど、絶対に守ると決めているのは職員だけだ。そう決めておかなければいつか誰かを取り溢してしまいそうな気がしてね」


 勿論余裕があれば他人だって助けるが霊研の職員が最優先だ。きっぱりとそう言った櫟に英二は少々面食らった。博愛主義だと思ったことはないが、こうもはっきりと人を区別しているとは。


「意外だな。てっきりお前は守れるものは全員守ろうとするタイプだと思ってた」

「まさか。僕は結構好き嫌いはっきりしてるよ。目の前で殺されそうになってたらともかく、嫌いな人まで無理に守ろうとは思わないかな」

「嫌いなやつ居るんだな」

「うん。家族とか」

「は?」

「いや別に嫌いでもないか。まあ邪魔だなとは思うけど」

「ちょ、ちょっと待て」


 先程まで朽葉親子の誕生を喜んでいたとは思えないほどのドライな表情に、英二はちょっと椅子を引いて距離を取った。普段は柔和で怒ることなど滅多に無い櫟がこんな冷めた顔をしているのを初めて見る。


「いいよね英二は、可愛い長男と長女が居て。僕は昔から家族に恵まれない体質でね、大体物心付く前に死んでるか、もしくは殺そうとしてくるやつばっかりだよ」

「……お前大丈夫なのか?」

「うん? 別に返り討ちにするから平気だけど」

「いやそうじゃなくて」

「……今回もハズレだったし、一体いつになればまともな家族に出会えるんだか」

「今回? どういうことだ」

「いやこっちの話。とにかく僕の家族運は最悪なんだ。まあその分、家族以外には結構恵まれてるけどね。本当にさっさと家出て霊研作って良かった良かった。皆いい子ばかりだから」


 ふっと表情を緩めた櫟を見て英二も妙な緊張感から解放される。一体どんな家庭で育ったんだと思っていると、そういえば深瀬が櫟の戸籍やらなんやら調べていたなということを思い出した。それと同時に彼から頼み事をされていたことも。


「櫟、この際だから色々聞きたいことがあるんだが」

「何かな」

「お前って何者?」

「……そこまでド直球に尋ねて来たのは君が初めてだよ」

「どーせ遠回しに探ろうとしても話逸らされんだろ。ほら、お前の大切な霊研職員からの質問だぞ。深瀬が過労死する前に答えとけ」

「少し前に何か探られてるなとは思ってたけどやっぱり警察あのこか……。深瀬君も大変だね」

「で、回答は」

「秘密」


 にや、と笑った櫟が口元に指を一本立てると「おっさんが可愛い子振るな気持ち悪い」即座に切り捨てられる。


「冷たすぎない? というか皆僕に対して当たりキツイよね」

「自業自得だろ。さっさと答えろ」

「はいはい。何者って言われてもね、人間だとしか言えないけど」

「お前のその力……そういや鈴子さんから聞いたが、貰い物らしいな」

「え? 鈴子さんに言ったかな。……覚えてないけどその通り。これは本来僕が扱えるような力じゃないよ」

「そんな力誰に貰ったんだよ」

「追求するなあ。まあいいけど、師匠だよ」

「ん?」

「だから僕の師匠。力だけじゃなくて、この世の常識も生き方も、全部あの人に教わった。親みたいなものだ」


 椅子から立ち上がった櫟が窓を開ける。ちょうどそこに漂っていた殆ど力の無い幽霊を、彼は指先で触れてあっという間に成仏させた。

 この飄々とした櫟が誰かに教えを請う、という姿が上手く脳内で咀嚼できない。


「……お前の師匠、か。何か想像できねえな」

「そう? 見た目はともかく言動なんかは結構近いかもね。僕の見本だったから」

「そいつは今どこに居るんだ」

「あの世」


 ぴたりと英二の動きが止まった。あまりにもさらりと言われて言葉に詰まっていたが、しかし櫟は気にした様子もなく椅子に戻ると気まずそうな顔をしている英二を見て訝しげになった。


「別に気にする必要はないよ。死ねば会えるからね」

「いや……お前、おい」

「そういう訳で質問タイムは終了! そろそろ行かないと遅刻するんじゃないかな」

「げっ」


 英二が慌てて時計に目を落とすと思っていた以上に時間が経っていた。急いで警視庁に向かわなければと慌ただしく霊研を出て行った彼は、しかしすぐに鞄を忘れたことに気付いてもう一度戻る羽目になった。


「しっかりしなよお父さん」

「お前みたいな息子はお断りだ」




    □ □ □  □ □ □




 つかつかと小気味の良いテンポで靴音が響く。警察署内を早足で歩く男――若葉はその顔に苛立ちと疲労を抱え、視線だけは忙しなく辺りを見回しながら進んでいた。


「本当にどういうことだ……」


 こめかみに触れる眼鏡の弦が痛くて頭痛を覚える。そろそろ眼鏡を調整に行かなければと思いつつ、彼は先程渡された重たい資料が入った鞄を抱え直して一つ舌を打った。


「調査室め……余計な仕事を押しつけやがって」

「お、久しぶりだな若葉!」


 忌々しげに鞄を睨んでいた若葉の背中に突如として大声が叩き付けられた。その声の大きさに驚いて大きく肩を跳ね上がらせた彼は、一体誰だと不愉快そうに眉を顰めながら背後を振り返った。

 そこに居たのは熊のような体格の良い大男だった。若葉よりも縦にも横にも大きく、肌は健康的に焼けて一見何かのスポーツ選手のように見えるその男は、随分と懐かしい人物だ。若葉も思わず苛立ちを忘れて目を瞠る。


鬼頭きとう

「警察学校の卒業以来だな! 元気にやってたか?」

「まあな。お前も相変わらず煩いほど元気らしい」

「おう。それが俺の取り柄だからな!」


 にか、と爽やかに笑った男は若葉の警察学校時代の同期である。成績は座学は下から数えた方が早かったが、体を動かす実技になると非常に優秀な男だった。

 体力テストでは若葉と張り合ってくるくせに勉強となるところりと変わって泣きついて来る彼は学生自体から騒がしく、静かな空間を好む若葉とは正反対の人間であった。

 しかし真逆な性格がむしろ良かったのか、若葉と鬼頭はそれなりに馬が合った。というよりも妙に鬼頭が若葉に懐いてきたのだ。助けてくれと教科書片手に突撃してくる彼を面倒見の良い若葉は見捨てられず、結局卒業まで一緒に過ごすことが多かった。


「お前の噂は結構聞いてるぞ、捜査一課の出世頭だってな。親友として鼻が高いな」

「止めてくれ。大体誰が親友だって? お前が問題起こす度に何度も俺が呼び出されて保護者扱いされてたんだが」

「まーまー細かいことはいいじゃねえか」

「ちっとも細かくない。……第一、俺はさっさと捜一から異動したいんだ。それなのにあれこれ言いくるめられてずっとこのままだ」

「そうなのか?」

「出来ることなら早く二課か、もっと言えば公安に行きたい」

「へーなんでまた」

「……色々事情があるんだよ」


 二課で大嫌いな詐欺犯罪の事件を追うか、望めるのなら公安で父親を唆した宗教について手がかりを見つけたい。勿論警察官である以上事件のえり好みはするべきではないが、警察官になろうと思った目的を果たしたいという気持ちも強い。

 生きているのか死んでいるのかも分からない父親を見つけ出し、やつを変えた宗教を徹底的に捜査する。その為にもいずれは一課から異動しなければならない。


『――病院内連続失踪事件、知っていますか』


 ……ただそれは、あの事件を絶対に片付けてからだと決めている。




「そういうお前はどうなんだ。全然話を聞かないが」

「俺はまあぼちぼちってとこだな! 一生懸命やってるぜ!」

「それは結局何処の部署に」

「それよりもさ、一昨日の河川敷の遺体、捜査見送るって本当か? お前の管轄だろ」


 言葉を遮られていらっと来た若葉だったが、直後続けられたそれに思わずぐっと歯を噛み締めた。

 鬼頭の言う通り、一昨日の早朝河川敷で身元不明の一人の遺体が見つかった。中肉中背の四十代から五十代と思われるその遺体は全身を鈍器のようなもので殴られて亡くなっていた。明らかに他殺だと分かる遺体だったが、何故か上は捜査本部を立てるどころか早々に捜査を取り止めた。若葉もちらりとも資料に目を通す暇もなかったのである。

 何故だと食い下がった若葉にも上司は取り付く島もなく、彼はその時のことを思い出して沸々と怒りが蘇って来た。


「その通りだ。全くもって理解できない。被害者の身元は明らかになっていないものの付近で生活していたホームレスだということは証言が取れている。だというのにあのクソ……あの警部、そんな生産性もないゴミよりももっと国民に利益のある事件を追えとかなんとか……!! ふざけるなよ!」

「ああ! そんなの絶対に許せないよな!」


 拳を震わせる若葉に鬼頭は力強く同意する。彼は怒っている若葉を見下ろして「やっぱりお前は信用できる」と頷いて笑ってみせた。


「なあ若葉、今度ちょっと時間あるか? お前に聞いて欲しいことがあるんだよ」

「今度? 今じゃ駄目なのか」

「会わせたい人達がいるからな。近々ちょっと大きめの集会があるんだけど、お前もどうかなと思って」

「集会?」

「あんま外で言う訳にはいかねえけど来てみりゃあ分かる。お前も絶対気に入るからよ!」

「……それは」


 嫌な予感がして若葉は思わず興奮気味に話す鬼頭から僅かに身を引いた。会わせたい人、集会、外で言えない。何やら後ろ暗い予感がバシバシと伝わって来る。


「お前は俺より少ねえけど、半端モンの俺だって受け入れてもらえてんだ。きっと大丈夫だぞ!」

「少ない? 一体何の話を……いや悪いが俺は遠慮しておく。最近ろくに休暇も取れて無いしな。久しぶりにゆっくり寝たい」

「あ、そうなのか。駄目だろちゃんと寝なきゃ。だからいつまでもそんなヒョロガリなんだよ」

「ヒョロガリは余計だ。筋肉ダルマめ」

「まあ暇になって気が向いたらいつでも言えよ。教祖様には会えねえだろうけど他のやつらなら沢山居るからさ」

「……やっぱ、宗教なんだな」


 肩に掛かる疲労が更に酷くなった気がして若葉は重たい重たい溜め息を吐く。


「失礼を承知で聞くが……その宗教、大丈夫なんだろうな」

「あ、もしかしてやべえカルト教団だとか思われてる? だったら所属しねえよ!」

「ならいいんだが……」

「俺は警察官だぞ? 犯罪者を捕まえるのが仕事なのになんで自分が犯罪者にならなきゃいけねえんだよ!」

「いや、すまん。変に疑って悪かった」


 むっとして怒り始めた鬼頭に若葉は素直に頭を下げた。すると彼はすぐに機嫌を直し「分かってくれたならいいぜ!」と笑顔になった。


「まあそういう訳だからまた連絡してくれよなー。番号は変わってねえから」

「ああ分かった」


 じゃあな! と呼び止められた時と同様に大きな声を出しながら意気揚々と去って行った鬼頭を見送っていた若葉は、そういえば彼が何処の部署に居るのか聞きそびれたことを思い出した。


「……まあ、また今度聞くか」


 親しみやすい彼ならば市民と接触する機会の多い生活安全課か、それともマル暴でヤクザ相手に臆せず向かっているか……。そこまで考えたところで視界に何かがちらちらと映り込んで来るのに気付いて彼は反射的に手で目元を覆った。


 くすくす、と微かに誰かの笑う声が聞こえる。鬼頭と話している間には寄って来なかったのは、やつの圧倒的な明るいオーラに存在を掻き消されると思ったからか。


「……頭がおかしくなりそうだ」


 若葉誠一郎は自分にも他人にも厳しい。ヒョロガリなどと言われたもののそれは単に比較対象が悪いだけで警察官である以上日々体を鍛えているし、仕事で徹夜することはあれどきっちり睡眠時間を確保して体調管理に気を付けている。つまり、こうも疲労を蓄積し睡眠不足な状態など殆ど陥ったことがないのである。

 彼がこんな状態であるのには理由がある。仕事がそれなりに忙しいのはそうだが、何よりも自分ではどうにもならないストレスが日々積み重なっているのだ。


 そろそろ、と手を退けて顔を上げると彼の視界を邪魔するものは居なくなっており若葉は小さく安堵した。が、気を緩ませたのもつかの間、前方を横切った男の背中に恨みがましくしがみつく半透明の女を見つけてしまい思わず顔を引き攣らせた。




 一ヶ月ほど前、彼は己の知らない世界が存在することを知った。まるで現実味の無い化け物がこの世に居ることをその目で知り――それ以降、若葉の目には人ならざるものの姿が見えるようになってしまっていた。


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