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霊研の探偵さま  作者: とど
二章
32/74

15 似たもの親子


 夏休みも終わり授業も再開された九月半ば、とある小学校の家庭科室では甘い匂いと楽しそうな子供の声があちこちに飛び交っていた。


「上手く出来てるかな」

「美味しそうな匂い……」


 三角巾とエプロンを付けた子供達がわくわくしながらオーブンの中を覗き込む。その中の一人である金髪の少女は腕を組んでふん、と偉そうにふんぞり返った。


「私が作ったんだから当然美味しく出来てるわよ」

「イリスちゃん手際良かったもんね」


 傍に居たクラスメイトがうんうんと頷く。

 今日はクラスの殆どが待ち遠しくしていた家庭科の調理実習の授業があった。作っているのはマドレーヌで、普段全く料理やお菓子作りを手伝ったことのない子供達も一生懸命泡立て器で生地をかき混ぜていた。

 そんな中、イリスは一際手慣れた様子で調理を行っていた。お菓子作り自体は殆どしたことがないものの、いつもコガネが料理をするの見ていたり、また手伝ったりしている彼女にとっては朝飯前である。


「イリスっていつもお母さんのお手伝いとかしてるの?」

「え」

「私は全然してないから何していいか分かんなかったけど、イリスは何でもさっささっさやっちゃうもんね」

「……別に、そういう訳じゃないわよ」

「イリスちゃんのお母さんって綺麗そうだよね。お兄さんだってすっごいかっこいいし!」

「私も! 前に見たことあるけどかっこよかったよね? あの人彼女いるの?」

「さあね」


 興味津々で尋ねてくる友人達を適当に躱すと、ピー、とオーブンが焼き上がりを知らせてくる。すぐさまクラスメイト達の視線はそちらへ向かい、イリスは一人ほっとしたように肩の力を抜いた。


「出来たー!!」

「早く食べてみよ!」


 歓声を上げてオーブンから取り出されたのは綺麗な焼き目の付いたマドレーヌだ。それぞれ紙のカップに入れられて均等に整列していたそれを、火傷しないように気を付けながら各々自分の分を確保していく。


「一人四つずつね。はい、イリスの分」

「ありがと」


 いい匂いが漂うマドレーヌがイリスのテーブルの前に置かれる。彼女はそれを見ながら、美味しそうだと喜ばしい気持ちと、そしてどうしたものかと悩ましい気持ちとで板挟みになっていた。

 周りは早速熱いマドレーヌに四苦八苦しながらも口に入れてその表情を綻ばせている。イリスもまたそれに習って、そっとカップを取り外すと一口食べてみた。


「甘い」

「ね、美味しいよね!」


 甘い。本当に、甘い。

 イリスは大好きな味を咀嚼しながらも、ずっと心の中で薄暗い気持ちを密かに膨らませていた。





「……どうしよう」


 そして、その日の帰り道。イリスは途中で友人達と別れてすぐに、いい匂いを放つ手提げ鞄を見下ろして嘆息した。授業中に食べたマドレーヌは一つ、残り三つは持ち帰ってきてビニール袋に包んで鞄に入れてある。


『家族の人にも渡してあげて下さいね』


 そう言った家庭科の先生は善意しか無かったのだろうが、イリスにとってはそれが悩みの種にしかならなかった。

 イリスの脳内に先月末の記憶が過ぎる。煎餅だと思って食べたのがチョコレートだと理解した瞬間真っ青になって吐き出した英二の姿を。

 英二は甘い物が嫌いだ。いや嫌いなんてものじゃない。全く体が受け付けないのだ。だからこそマドレーヌなど食べるはずもないしイリスも絶対に渡すつもりはない。


「コガネに渡したら、絶対エイジに見つかりそう」


 コガネは隠し事が苦手だ。優しすぎる性格で、誰かに隠し事をしようとすればすぐに罪悪感が態度に表れてしまう。かと言って残り三つ全て自分で食べ切るのは少し苦しい。

 イリスは少し悩んだ後、一つ解決策を思いついた。今日は英二達は霊研での仕事だったはずだ。ならば大丈夫だろうと、彼女はこっそり学校に持ってきていたスマホを取り出して目的の連絡先にコールした。




「ハヤミのおじさま、マドレーヌ食べない?」




    □ □ □  □ □ □




 警視庁特殊調査室、そこは許可された限られた人間しか入ることが許されず、一般の警察官はそもそも存在すら認知していない特別な部署だ。


「美味い」

「でしょ」


 しかしそんな特殊な場所の一角――悪魔部門とプレートに書かれたその一室では暢気にマドレーヌを食べる二人の姿があった。一人はこの場にふさわしくない金髪の少女、そしてもう一人は僅かに目の下に隈を作った中年男だ。


「クラスでも私が一番手際が良くて先生に褒められたんだから」

「へー、いつもコガネを見てるからか?」

「別にそれだけじゃないし。私が器用だからよ」


 宙に浮いた足をばたつかせて椅子に腰掛けているイリスは自慢げに胸を張って隣を見上げる。その視線の先にいる男――速水とは数年前から知り合いだ。

 五年前の事件の後英二に引き取られたイリスだったが、子育てなど全くしたことのない英二は分からないことだらけであり、同じように義理の娘――のような存在――を持つ速水を頼ることが多かった。その関係で速水と交流することも多かったイリスは、彼のことを親戚のおじさんのように思っており、深瀬と同様に親しく接している。


「将来はいい嫁さんになるかもなあ」

「おじさま、それセクハラ」

「はあ? 最近は厳しいな……まあとにかく、朽葉は今からでもイリスを嫁に出す覚悟をしとかねーとな。子供なんてあっという間に大人になっちまうから」

「……違う」

「ん?」

「私はエイジの子供じゃないから。だからエイジはそんなこと気にする必要ないの」


 イリスはマドレーヌを食べ終えるとゴミを捨てて椅子の上で膝を抱えた。イリスと英二は血こそ繋がっているが親子じゃない。あくまで叔父と姪という関係はこの先一生変わることはない。


「同じようなもんだろ。現にあいつはイリスを本当の娘のように」

「思ってないわよ。……エイジは一度だって、私のこと娘だって言ったことない。いつだって絶対、間違われたら否定するの」


 親子だと勘違いされる度に、英二はどんな時でも必ず一言否定を口にした。頑なに叔父と姪であることを強調して父親であることを否定し続ける。

 だがそれは仕方の無いことだとイリスは思っている。だって自分は彼に疎まれているのだから。


「おじさま、エイジ……甘い物、本当は好きだったんでしょ」

「!」

「何となく覚えてるの。私の四歳の誕生日にエイジがケーキを買ってきて、皆で食べたこと。パパから私の誕生日ケーキなのに取り過ぎだって怒られてたこと」


 幼い頃の微かな記憶だが、それでも確かに覚えていた。あの時はイリスと両親、英二とコガネの五人でケーキを分け合って食べた。小さいからそんなに食べないだろうと英二がイリスの分は小さく切ったのが酷く不満で、だけどその代わりにチョコレートのプレートを独り占めしたこと。あの時の英二は確かに美味しそうにケーキを食べていた。


「でも食べられなくなった。……私の所為で」

「違う、イリス。お前の所為じゃない」

「同情なんていらない。分かってるもん、私がパパとママを殺してしまった所為でエイジは色んな物を失った」


 四歳の誕生日だけじゃない。あの時――その一年後に起こった事件のことだって、全てとは言わないがイリスの記憶に刻まれている。


 当時、イリスは数日前から悪夢に悩まされていた。黒い化け物に追いかけ回される夢ばかり見て、いつも捕まる寸前で目が覚めるのだ。そしてそれは、すぐに現実になってしまった。

 突然家に入ってきた夢で見た黒い化け物。その大きな口には血塗れになった母親の上半身を咥えて、イリスを見つけると嬉しそうに大きな口を動かしてそれを飲み込み、彼女を捕まえようと手を伸ばした。イリスの父が彼女の前に立ちはだかると、化け物はそのまま大きく口を開いて、父を――。



「イリス!」


 大きな声で名前を呼ばれて我に返る。気が付けば速水が焦った顔でイリスを覗き込んでおり、そして彼女の目からはボロボロと涙がこぼれ落ちていた。

 酷く荒い呼吸音が他人事のように聞こえてくる。


「……ごめんなさい」

「イリス、お前が謝ることなんて何もない」

「違う、全部私の所為なの。私があの化け物を連れてきた。私の所為でパパとママが死んだ。だからエイジは……一生私のお父さんにはなってくれないの」


 以前、イリスは寝ぼけた振りをして英二に抱き付いたことがある。「お父さん」と言いながら。


『……やっぱ、兄貴が恋しいよな』


 父のことをパパ以外で呼んだことなんて無いことは英二だって知っていたというのに、彼は呼ばれたのが自分だとは全く思いもしていなかった。

 この人はきっと、一生自分の父親にはなってくれない。そんな風に考えることなんて永遠にないのだろうと、イリスはその時に全てを諦めた。


 だからこそ霊研に入るのを反対された時も売り言葉に買い言葉で「父親でもないのに口出しするな」と言ってしまった。お父さんにはなってくれないのにこんな時ばかり父親面するのかと、勝手に怒って勝手に恨んでそう言った。

 霊研に入るのは英二の力になりたかったからなのに、少しでも役に立って罪滅ぼしをしたかったからだというのに。


「おじさま」


 イリスは涙を拭って速水に寄りかかった。

 彼には娘のような存在がいる。イリスと似たような境遇で速水に引き取られ、若くして彼と同じように仕事をする子供が。

 血は繋がっていないが、それでも速水は彼女を本当の娘のように思っている。血が繋がっていても親子になれないイリス達とは違って。


「私も……おじさまの娘になれたら幸せだったのかな」


 彼らの関係が羨ましくて堪らない。




 ――彼の娘じゃないければ、何の意味もないけども。




    □ □ □  □ □ □




「イリス、帰るよ」

「駄目です。完全に寝ていますね」


 目元を赤くして寝息を立てるイリスを見て、コガネと千理は顔を見合わせた。

 速水から連絡を受けてイリスを迎えに来たのはちょうど警視庁に書類を提出しに来たこの二人だった。


「速水さん、イリス泣いてたんですか」

「ああ。……相当参ってたぞ。例の事件について、自分の所為だって言い張ってた」

「……」

「コガネ、なんとかフォロー頼む」

「難しいことを言いますね。でも何とか出来るように頑張りますよ」


 イリスを背負ったコガネが苦笑いを浮かべる。そのまま出て行こうとしたのだが一度速水に呼び止められ、目の前に一つのマドレーヌを差し出された。


「イリスが家庭科の授業で作ったんだと。本当は俺じゃなくてお前と朽葉に食べてもらいたかっただろうからな」

「ああ……成程、だから珍しく警視庁まで来てたんですね」


 コガネはマドレーヌを受け取ってその場で口に入れた。素朴な味で形だってカップそのままのシンプルなものだが、イリスが一生懸命作ったものだと思うといくらでも食べたくなる。

 礼を言って外に出る。駐車場まで行く道すがら、コガネは時折ぐずるように唸るイリスを肩越しに見た。安心するような、しかし何処か苦しみを覚えるようなどちらとも取れる複雑な表情を浮かべる。


「コガネさん? どうしたんですか」

「いえ……こうやってイリスを背負っているとつい昔を思い出してしまいましてね」

「昔っていうと」

「例の事件……あの時、僕はイリスを抱えて逃げることしか出来ませんでしたから」


 今回イリスが泣いていたのもその件だ。フォローしろとは言われたが、正直難しい。それが出来ていれば五年も引き摺っていないし、そもそもコガネだって当事者なのだから。


「あの事件、イリスは自分の所為だと思っていますが……でも僕は、自分にも罪の一端があると認識しています」

「それは、英二さんの足に後遺症が残ったからですか」

「ええ。あの時僕が英二を守れていたら、少しでもイリスの罪悪感が軽くなったかもしれません。……だけど、罪を感じているのは僕とイリスだけじゃない。英二だってそうです」

「英二さんも? それは、イリスの両親を守れなかったからですか?」

「こういう言い方はよくありませんが、それだけだったらまだましでした。あの日……英二はお兄さんに呼ばれてあの家に向かっていたんです。イリスが悪夢を見続けているから何か原因は分からないかと言われて」


 英二達の父親は調査室で働いており、英二と同じく悪魔を相棒にして事件を追っていた。だがイリスの父親である兄は一般人で、精々強い力を持つ幽霊がいくらか見えるくらいだった。


「俺には何も分からないし、万が一のことがあったら困るからちょっとイリスを見てほしい」


 娘が毎日悪夢を見ると知って彼は、父が既に他界していたこともあり弟を頼ることにした。それを快く承諾した英二は仕事帰りに兄夫婦の家を訪れようとして……そこで少し寄り道をしてしまったのだ。


『英二? 道が違いませんか』

『ちょっと手土産持って行こうと思ってな』

『そう言ってあなたが食べたいだけでしょう』

『バレたか。まあ別にいいじゃねーか、イリスだってシュークリーム好きだろ』

『まったく……ほどほどにして下さいよ』


 あの頃の英二は今と真逆で随分と甘党だった。何かに付けては甘い物を買って、健康診断の結果に苦言を呈しても「好きなもん食べてる方が長生きする」と言い訳するだけだった。

 その時も結局道すがら買ったばかりのシュークリームを待ちきれずに運転しながら食べ、最後の一口を放り込んだところでイリスの家に着いた。


 そして――その惨劇を見たのだ。


「あんな寄り道をしなければ間に合ったかもしれない。……英二はずっとそう思っています」

「……もしかして、甘い物を受け付けなくなったのって」

「ええ、その時からです。真っ赤になった玄関を見て急いで家に入るとお兄さんの体が食い千切られ、その血を全身に浴びた時から」


 口の中に残った甘いクリームの味と混ざり合った兄の血の味。事件後に最初に甘味を口にした時に胃の中の物を全て吐き出した程に、英二の中であの時の味が忘れられないものになっている。


「三人とも、自分の所為だって思ってるんですね。悪いのはその化け物なのに」

「千理はそう言うでしょうね。……けど、理屈で分かっていても心は納得してくれないんです。だからこそ、特にあの二人はお互いに遠慮して素直になることができない。二人とも望んでいるくせに親子になることができないんです」


 コガネの背中でイリスの寝言が聞こえてくる。お父さんと、確かにそう言ったのを聞き取った彼はイリスを背負い直して一つ息を吐いた。お互いが本音をぶつけ合えば簡単に解決できる問題でも、人間のしがらみがそうさせてくれない。


 車の後部座席にイリスを寝かせ、コガネは車を発進させる。

 悪魔だというのに特別に免許が支給されているのも、彼が一時期公務員であったおかげだ。だが五年前の事件の後英二とコガネは調査室を辞めた。あまりに忙しい調査室で働くには英二の足の件も引き取ったイリスの面倒を見るのも難しかったからだ。


 助手席に座った千理がしきりに背後を振り返ってイリスのことを気にしている。


「親子って難しいですね」

「ええ、本当に。……そういえば千理、君の家族は」

「うちは特殊ですから何の参考にもならないと思いますよ。両親とはもうずっと会っていませんし、別に会いたいとも思ってませんから」

「……仲が悪いんですか?」

「そういうレベルでもないんです。お互いどうでもいいとすら思ってますよ。いやそもそも忘れられてるかもしれないですね」

「それは……大丈夫なんですか」

「はい」


 至極平然と頷いた千理にむしろコガネの方が困惑した。イリスとは違い全く強がっている様子もない彼女は、「まあ私のことなんていいんですけどね」とさらりと話を流してしまう。


「こういう家庭だってありますけど、三人は違うでしょう?」

「三人? 僕は」

「コガネさんだって立派に二人の家族ですよ。髪色も相まって、イリスとは年の離れた兄妹のように見えますから」

「英二よりも僕の方がずっと年上なんですけどね……」


 コガネは苦笑しながらも少しだけ嬉しそうに表情を緩めた。


「長男は板挟みで大変でしょうけど、頑張って下さいね」

「本当に大変ですよ。どちらも妙に卑屈で意地っ張りな所ばかりが似るんですから。……まったく、似たもの親子なんですから」

「それはコガネさんもですよ」

「……ま、家族は似るものですから仕方がありませんね」



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