12 謎の男
「コガネではないか。久しいな」
警視庁特殊調査室。超能力、悪魔、心霊等それぞれの部署を持つ区画の通路を歩いていたコガネは、背後から名前を呼ばれて思わず飛び上がりそうになった。
彼が恐る恐る振り返ると、そこには彼の想像通り紅い髪と翼を持った中性的な麗人がいた。さらりとした長い髪を指で弄んでいた彼は言わずもがなコガネと同じく悪魔である。
「……お久しぶりです」
「調査室を辞めて以来か? まあ我もあまり此処に戻ることが無かったから中々会うことが無いのは当たり前か」
彼はコガネと英二が以前調査室に居た頃の同僚だ。悪魔憑きである相棒と共に仕事に出ていることが多く当時もそこまで顔を合わせていた訳ではないが……コガネはつい無意識のうちに彼から僅かに視線を逸らした。
コガネは彼のことが苦手だ。いやより正確に言うと自分以外の悪魔全てに苦手意識があった。特に調査室にいる彼らは自分とは違って人間と協力して戦い、職務と契約を全うしている。それに比べて自分は……と、当時は特に卑屈になって他の悪魔との接触を極力避けていた。
「速水から聞いたぞ。朽葉と何やら面白そうなことをしているようだな」
「面白そうなこと……ああ、あの銃弾のことですか」
「戦いを厭うていたお前が己の力を攻撃に使うことに納得するとはな。まったく朽葉もどう説得したのか」
「いえ、あれは僕からの提案です」
「なに?」
驚いた顔をした紅い悪魔の表情が同じく驚きの表情を浮かべていた英二と被って、コガネは少し笑ってしまった。
「対幽霊専用の銃弾だと?」
英二は酷く驚いた顔をしながらコガネの言葉を繰り返した。
自宅にてイリスが眠ったのを見計らってそう提案したコガネに、英二は不可解そうに眉を顰めて彼を見返す。
「英二が今使用しているのは対悪魔用の銃弾です。悪魔は勿論、犯罪者等物理的な身体がある存在には通用しますが、当然実体を持たない幽霊などには効果はない」
「その霊に当たる銃弾を作るって? どうやって」
「僕の力を使います。悪魔は霊体に影響を及ぼせる、ならばその力が込められた銃弾ならば効くはずです。僕は悪魔としての力はそう強くはありませんが、小さな銃弾にあらかじめ力を込めることぐらいはできます。実際イリスのぬいぐるみには同じようなことをしていますから」
「……」
話を聞く英二が無言でコガネを見る。
五年前、イリスの両親を殺した幽霊と対峙した時コガネは何も出来なかった。対抗する力があるにも関わらず、である。英二は彼らが死んだのを自分の所為だと思っているしイリスもうすうすそう考えているであろうことは何となく分かっている。だが実際に何か出来る力を持ちながら何もしなかったのはコガネなのだ。責められるべきは彼らではなく自分だと、コガネは内心でずっと考えている。
だからこそ、もう二度と同じ過ちを繰り返さない為にコガネは幽霊に対抗できる手段を考えた。実際に上手く行くかはやってみないと分からないが、試してみる価値はあると思っている。
「コガネ。一つ聞くが……お前はそれで大丈夫なのか」
「大丈夫とは? ああ、霊研で仕事をする分の余力は当然残しておきますのでご安心を」
「そうじゃねえよ。お前の力でその弾を作るってことは、お前の力が誰かを傷付けることになる。お前はそれに耐えられるのか」
ああ、やはり英二は優しいとコガネは苦笑した。彼は今までずっとコガネが戦わざるをえない状況を生み出さない為に気を使ってくれたし、たとえそのような状況になっても絶対に攻撃するなと言ってくれる。
だが、コガネとてそれに全て甘えたままではいけないのだ。
「僕は今までだって自分が攻撃しないだけで他の人間に戦わせていました。今回だってそうだ。実際に銃を使うのは英二、あなたです」
「だが今回はお前の力が直接相手を殺すことになる。いざその時になって止められたら困るから聞いてんだよ」
「分かっていますよ。勿論、この提案する時点で全て考えました」
そこで、コガネは何故か彼らしくない悪どい笑みを貼り付けた。
「僕は自分が直接相手を傷付けるのに耐えられない。だから代わりに他人を利用して身代わりになってもらうんですよ。たとえ僕自身の力だとしても、引き金を引くのは僕じゃない。それこそ僕が目を瞑っている間でも勝手に力は使われる。ならば何の問題もありません」
「……」
「偽善者どころでは無いでしょう? 実際僕は元々、自分が攻撃しなければ他人がどれだけ手を汚そうと構わなかったんです。どちらにしろ卑怯なら、せめて少しは役に立つ卑怯者になろうと思っただけですよ」
「ほう? それで朽葉は何と言ったんだ?」
「……声が」
「ん?」
「声が震えてるぞ、と」
「く……はははっ、コガネ。そなたはやはり悪党には成りきれぬようだな」
「でも言ったことは全て本当です。この力が英二の、イリスの力になれるのならこんなに喜ばしいことはないですから」
その為なら自分はいくらでも卑怯になれる。コガネがそう言うと彼は更に笑って「そなた、変わったな」と感心するように告げられた。
「思い切りがよくなった。閉鎖的な調査室を抜けて視野が広くなったのではないか?」
「そうでしょうか。自分ではいつまでも弱くて卑屈なままだと」
「うむ。そこは変わらんな」
「やっぱり……」
「だが弱く卑屈なままでも少し前向きになった。うじうじと一人落ち込んでいるよりも余程いい。さて、その銃弾とやらが完成した暁には我も製造方法を聞かせてもらうか。我ら悪魔はともかく悪魔憑きはただの人間だからな。身を守る術はいくらあってもいい」
「まだ完成するかどうか分かりませんけどね」
「何を言っている。悪魔の力の知識についてはそなたの右に出る者など早々居ないだろう。期待しているぞ」
そう言って彼は「相棒を待たせているのでな」とさっさとコガネの隣を通り過ぎて行ってしまった。
「……期待ですか」
卑屈な自分には重たい一言だが、それでも意欲が増したのも確かだった。
□ □ □ □ □ □
「アクマめ、アクマ――」
「はいはいはい。成仏しようね」
櫟が軽々しくそう言って酷く重たい空気を纏った霊体に触れると、あっという間にその姿は消えていく。
「いつ見てもすごいな」
「ホント……この前来た時は全力で逃げたのに」
「まあ向き不向きは仕方が無いよ。全てに対応できる人間など本当に限られているからね」
少し前に千理と英二とコガネで受けた依頼が上手く行かなかった為、今日は櫟と目が覚めたばかりの愁をつれて千理は再びこの場所を訪れることになった。
愁は病み上がりなのでリハビリがてら見学のようなものだ。本人は既に万全だと言っているが霊体について詳しい櫟と愁の嘘を見抜くのが得意な千理には全く通用しなかった為、大人しく着いてくるだけになっている。
「あれだけ恨み言を言っていたんだ。悪魔に殺されたのは確定だね。ただ全く話を聞ける状態じゃなかったのは残念だけど」
「幽霊の身体だからか魔法陣も無かったですしね」
「いや、そもそも彼が召喚者なら此処に幽霊なって縛られているはずが無いから、ただ悪魔に殺された人間ってことかな。そもそも契約できなかった場合はさておき」
「ん? どういうことだ?」
「だって契約が成立していれば魂は悪魔に奪われているはずだからね。現に此処で三人も殺されているはずなのに霊はただ一人だった。順当に考えれば残りの一人が契約者で、更にもう一人が生け贄ってところかな」
「……ちょっと待ってください」
櫟の何気ない発言に千理は少し混乱しながら思考を回転させる。
霊体とは魂そのもの。だから悪魔に奪われた魂がこの場に無いということは納得できる。ただ問題なのはその数だ。生け贄の魂が奪われるのは当然だが……千理はまさか、と勢いよく顔を上げて櫟を見た。
「もしかしなくても悪魔召喚って、生け贄だけじゃなくて契約者も魂奪われるんですか?」
「そうだよ」
「そうだよ?? そんな軽々しく……」
「自分の願いを叶えるんだから自身が代償を払うのは当然じゃないか」
「そんなこと本に書いて無かったんですけど」
「まあ悪魔達もわざわざ吹聴しないからねえ」
知っている人は限られているよとさらりと告げた櫟に、千理はじゃあなんで櫟はそんなことを知っているのかと疑問が湧いた。
「さて、次の依頼に向かおうか」
この依頼自体は元々千里達の仕事であった為、これから元々予定に入っていた仕事の方に行くことになっている。
その依頼は愁と櫟がよく受ける幽霊退治である為千理は行かなくてもいいのだが、愁の監視という名目でついでに着いていくことになった。
「櫟さん、少し聞きたいことがあるんだが」
「何かな」
「今の俺の状態で刀を持てるようになるにはどうしたらいい」
廃墟の外に出て車に乗り込むとすぐに愁がそんなことを尋ねる。彼は自分の手を握ったり開いたり繰り返し、最後にぐっと手を握り込んだ。
「イリス先輩がミケ先輩にも聞いてくれたがどうにも上手く行かなくてな」
「愁……君まだ強くなるつもり? 今でも十分強いと思うけど」
「だがあの化け猫にはちっとも歯が立たなかった」
「或真の領域まで相手にするつもりなのか……」
「いつどんな状況に追い込まれるか分からないからな。現に今回だって刀さえ使えれば多少は何とかなった……言い訳に過ぎないが」
愁は自宅へ帰ると祖父の目を盗んで毎日道場で刀を操る練習をしていた。だが浮かせて動かすことは出来ても実際に生身の頃のように振るうことは出来ずずっと試行錯誤しているのだ。
櫟は少し考えた後、車を発進させながら一つ愁に謝った。
「悪いけど、僕自身はポルターガイストなんて使ったことが無いからね。コツなんかを聞かれてもちょっと分からないかな」
「まあ普通はそうですよね……幽体離脱なんてそうそう起こることもない訳で」
「そうか……」
「でも包丁とか持ってる幽霊とか居そうじゃないですか?」
「あれはそもそも実物じゃなくて生前の記憶から作り出されたものだからちょっと違うかな。そうだ、いっそ槍投げのように刀をぶん投げて攻撃するのはどうだい」
「駄目だ。刀が折れるし、そんな雑な扱いをするくらいなら適当にその辺の物を投げた方がましだ」
でもできれば刀が使いたい、と愁が小さくぼやくと「武士は大変だね」と妙に感慨深そうな声で櫟が頷いた。
「……懐かしいね」
「何がですか」
「ん? 口に出していたか。いや少しね、懐かしい人を思い出しただけだよ。……昔、愁と同じように刀に拘っていた人が居たんだ」
「それはどんな人だ?」
「え、聞くのかい」
「駄目なら別にいいが、次の目的地まで結構あるからな」
「暇つぶし扱い……」
少ししょっぱい顔で櫟が呟く。そんな彼の心中を察して「うちのがすみません」と助手席に座っていた千理が謝った。
「まあいいけど……別に面白い話じゃないよ。ただそういう人物が居たって話」
「どんな人だったんですか?」
「年はちょうど愁と同じくらい。だけど背は低くて体も細くてすぐに消えちゃいそうなぐらい儚い感じの少年だったよ。あと滅茶苦茶顔が綺麗だった」
「そこ大事なんですか」
「大事だよ。見た目に反して結構強かでね、自分の顔の良さを使ってよく年上の女の人に頼み事してた」
「それは……なんというか」
「はは、まああれはお互い様みたいなところあったから。その子は代々家に受け継がれてきた刀を大層大事にしていてね。彼自身も立派な侍になるって毎日刀を振るっていたよ。ただ彼は病弱で、すぐにへばってしまっていたからそこも愁とは違うね」
「そこもというか刀のこと以外大体違いますね」
愁は儚い美形というよりかは男前(千理視点)であるし、容姿を利用するなんて小細工はしない。共通点はそれこそ刀ぐらいだ。むしろよくそれで思い出したなと思うくらいである。
「その人はどうなったんだ?」
「さあね」
「知らないんですか?」
「僕は彼の最期に立ち会えなかったから」
「……え」
重たくもなく、軽々しくもなく淡々と告げられた事実に千理と愁は思わず押し黙った。
「……すまなかった」
「ん? 謝る必要なんてないよ。人は誰だって死ぬものだから」
「達観してますね」
「まあ君達よりかは長く生きてるからね」
櫟はへらっと笑ってみせる。そんな彼の横顔を見ながら、千理はそもそもこの人は何歳なのだろうかと疑問が過ぎった。
そもそも年齢だけではない。櫟という名前だって名字か名前かすら教えてもらっていないし、そもそも本名ではない可能性だってある。やはり霊研一謎が多い人物である。
「櫟さん、道中まだまだありますよね? 櫟さん自身について少し質問してもいいですか?」
「僕自身?」
「面白そうだな。俺もしたい」
「僕のことなんて特に面白いことなんてないけど、それでいいならどうぞ」
「じゃあ本名は?」
「知っているだろう、櫟だよ」
「前にも聞きましたけどそれは名字と名前どっちなんですか」
「どっちでもある」
「ん? つまり名字も櫟で名前も櫟なのか」
「いや流石にそんな酷い名前はないでしょ!」
愁がすっとぼけて納得してしまったのに思わず千理が突っ込む。そんな二人に櫟は楽しそうに笑っているだけだ。
「じゃあ年は?」
「いくつに見える?」
「そういうのいらないんで」
「いくつに見えるか聞いてくるやつに限ってどんぴしゃで当てると不機嫌になるから面倒だって親父が言ってたな」
「ええ……? 厳しいなあ。少なくとも成人はしてるよ」
「でしょうね。霊研って少なくとも五年以上前からあるみたいですし」
「正直言うとあんまりはっきり覚えてないんだよね」
「自分のことなのにか」
「覚えてる必要特にないからね」
「いや色々書類とか書きますよね?」
「それはその時になって確認すればいいから……」
「千理、思ったんだが。免許証を見ればいいんじゃないか」
「あ」
「そうだ! 流石に無免許ではないはず。愁、櫟さんの荷物探して」
「了解した」
「いやいやいや了解しないでもらえるかな!?」
車が停止して櫟が焦ったように振り返る。愁は好奇心が爆発してすでに櫟の荷物を浮かせており、千理はそれを期待しながら見ていた。
後に千理は「あの時は何か変なテンションだった」と語る。普通は勝手に人の荷物を漁るような真似はしないのだが、質問をはぐらかされてばかりで意趣返しをしたくなってしまったのだ。
しかし運転席を下りてまで妨害した櫟によって結局分かったのはぎりぎり手で隠しきれなかった年齢だけだった。
「三十二、なんですか。何か思ったより普通……」
「何だろうなこの、浮き世離れした雰囲気が急にただのおじさんに見えて来た気がする」
「君達あまりにも酷過ぎるんだが……」
酷く疲れて脱力する櫟に、流石に申し訳なくなって千理達は謝った。
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「ひとまず報告は以上です。引き続き調査を続行します」
上司に頭を下げて部屋を出て行く。手に持った書類に目を落としながら、深瀬は大きく溜め息を吐いてその白い髪を掻き上げた。
調査室所属、更に超能力部門の室長である深瀬は多忙を極めている。日々、運良く授かった力を悪用しようとする輩を調査し逮捕し送検する。しかも超能力が関わる案件は起訴するにも他方への根回しが必要で、深瀬は毎日多くの仕事に追われていた。
そして此処に来て、更に追加の仕事を言い渡されてしまったのである。それが超能力犯罪に関わる仕事ならば深瀬も文句は言わない。だが実際には超能力者でもない一人の人間の素性調査である。何故自分にと言いたい。彼に関わりのある人物など自分だけではないだろうと声を大にして言いたかった。
深瀬は手に持った資料に目を落とす。そこには随分と顔馴染みの男の写真が貼り付けられている。しかし名前はちっとも聞き覚えの無いものだ。
霊研の所長であるこの男の出身などの素性は警察で調べればすぐに判明した。だが上司が知りたがっているのは彼の年齢でも出身校でもない。あっという間に霊を成仏させるあの力をどうやって得て、そしてああも使いこなしているのか、である。
彼と共に仕事をしたことのある心霊部門の男が以前零していたのを聞いたことがある。彼の、櫟のあの力は一体どういうことなのかと。
単に霊を除霊するだけならば出来る人間は意外といる。だが彼は全ての霊を強制的に“成仏”させる力を持っているのである。それも、手のひらで少し触れただけであっという間に。
名家の庶子として生まれ、小中高と特に目立った動きはしていない。しかし高校を卒業と同時に実家と縁を切ったかと思うと突然霊能力者を名乗り始める。数年間フリーで仕事をして警察にも顔を売った後、霊研を設立。そして今に至る。
幼い頃から霊が見えた等の言動は調査した限りでは見受けられない。だというのに突然高校卒業と同時に霊能者として働き始めるなど不可解な点が多い。急にその能力が発現したのか、そして誰かに力の使い方を教わったのか、まだまだ調査不足だ。
「櫟……いや、榧木一夜」
いっそ本人に直接聞いたら素直に答えてくれないだろうかとも考えたが、調べないと本名すら言わない男に無理な話だな、と深瀬は即座に諦めた。
櫟(本名:榧木一夜)
年齢:32歳
職業:霊能事務所所長
能力:対霊浄化 ※詳細不明、引き続き調査の必要あり
好きな物:白米
苦手な物:味が濃いもの全般
好ましい人物:霊研の職員
嫌いな人物:自分を殺そうとする人間
上司「いや、それはそうに決まってるだろ」




