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霊研の探偵さま  作者: とど
二章
22/74

10-1 調査室と霊研

「お前と一緒になったのは全てが間違いだった」


 ガラスが割れる音。母親の悲鳴。父親の怒鳴り声。


「お母さん!」


 打たれた頬を押さえて倒れ込んだ母親の元へ少年が駆け寄る。彼は酷く痛ましげに母親を見た後、きっ、とその幼い目を鋭くして元凶――父親を振り返った。


「なんでお母さんを叩くんだ!? お母さんは何も悪くないのに!」

「悪くないことなどない。それは――だ。それだけで罪だ」

「僕だって――だ!」

「それは違う。誠一郎せいいちろう、お前は出来損ないではあるが、それでも俺と同じだ。今はまだ分からずとも、お前にもいずれ分かることだろう。こいつのような存在がどれだけ愚かなものか」


 だから一緒に来るのだと父親が少年の手を引いて家を出て行こうとする。しかし彼はその手を無理矢理振り払って母親を庇うように両手を広げた。


「っ、分かるもんか。僕は一生お父さんの気持ちなんて分からないよ!」

「……そうか、なら今はそれでいい。だが、お前もいつか俺の気持ちを理解する日が来る。お前は俺と同じなんだから」







「――俺はお前とは違う!!」


 叫びながら勢いで寝ていた上半身を起こし、そこで彼は自分が今まで眠っていたことに気が付いた。


「……」


 荒い呼吸音と共にアラームの電子音が部屋の中に響く。彼、若葉誠一郎はくしゃりと前髪を押さえた後、のろのろとスマホに手を伸ばして耳障りな電子音を止めた。


 久しぶりに嫌な夢を見たと、忌々しげに表情を歪める。若葉は悪夢を振り払うように首を振ると起き上がり、いつもの出勤までのルーティーンの為に動き始めた。

 顔を洗い、髭を剃り、着替えて朝食を作る。――しかしその間にも夢の不愉快な残滓が思考の端にこびり付いて離れない。



 若葉の父親は彼が幼い頃に家を出て行った。母親に暴力を振るい、暴言を吐き見下すあの男のことを思い出すだけで若葉は苛立ちと吐き気を覚える。

 しかし最初からそうだった訳ではない。ずっとずっと昔は確かに穏やかで優しかったはずなのに、あの男はある日突然態度を豹変させたのだ。そう、知らぬうちにどこぞの宗教だかセミナーだかに傾倒し、それを妄信するようになってから。


 その宗教とやらに捧げる為に、父は家中にある金目の物を集めて家を出て行った。当時は何も分からなかったが、今なら分かる。あの男はきっとろくでもない宗教に騙されてマインドコントロールされていたのだと。

 だってそうだろう。あれだけ優しかった男が豹変するような宗教が真面なものであるはずがない。おまけに金まで巻き上げているのだからそれが酷く悪質なものであることは明白だ。

 だから若葉は詐欺が嫌いだ。自分の欲望の為に人を騙して甘い汁を啜る。そんなやつらがこの世に蔓延っているのをとても許容することはできない。あれから母は酷く苦労して生きてきた。しかし子供だった若葉が出来ることなどたかがしれていて、彼は自分の無力さを味わう度に昔の父親の姿を求めた。……しかし、求めたところで何も変わることはなかった。


 若葉はずっと父親の行方を探している。もし見つけ出したら母の分として一発殴って、それから力尽くで宗教から足を洗わせるつもりだ。そして件の宗教にも必ずメスを入れてやると、彼は固く誓っている。

 彼は出勤する前にそっとタンスの引き出しを開け、そこから小さなバッジを取り出した。シンプルな花のシンボルが描かれたそれは、唯一父親が若葉に残したものだ。


『お前にもいずれ分かる日が来る。その時はこれを持って俺の元へ来るんだ』


 そう言って父は居なくなった。現状、その宗教の名前すら知らなかった若葉にとって、このバッジは父を探す唯一の手がかりになっている。仕事で聞き込みをする合間に時々これについて知っているかと尋ねていたのだが、昨日になって初めて見覚えがあると口にした人物を見つけたのだ。

 彼によるとそれはとある山奥のロッジに泊まった時に、近くの小さな祠のような場所に同じマークがあったという。マークはシンプルな花なのでただ似ていただけかもしれないが、それでも若葉はほんの少しの手がかりでも欲しかった。若葉は今度の休みにそのロッジへ向かうことを決意した。


「……」


 彼は手にしたバッジを手のひらに食い込むほどに強く握りしめる。そうして脳裏に蘇る父親の言葉に、彼はぐっと強く歯を噛み締めた。


「一生、あんたの気持ちなんて分かるもんか」




    □ □ □  □ □ □




「……私が話せるのは以上です」

「ふむ。成程、よく分かりました」


 警視庁の中にあるとある部署の一室。そこで千理は白髪の男と向き合って話をしていた。

 例の悪夢の怪異が倒された後、ようやく体調が元に戻った千理は愁の轢き逃げ事件のことで警視庁を訪れていたのだ。そして対面する人間はその時に顔を合わせた男である、特殊調査室所属の警察官である深瀬だ。


 深瀬は千理の話を聞きながら手を動かして調書に文字を書き付ける。それが終わると彼は一つ頷いて「貴重な情報提供をありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。


「いえ。でも私の記憶だけですからちゃんとした証拠にはならないでしょうし」

「証言だって立派な情報です。現にあなたの言葉であの男の余罪が明らかになったんですから。ちなみにあの後彼の家を家宅捜索したのですが、押収された靴の底に小さな鏡の破片が刺さっているのが発見されました。そして試しに照合したところ、桑原君を撥ねた車のサイドミラーの破片だということが明らかになった」

「!」

「少なくとも彼が現場か、もしくは他の破片が落ちていたガレージに居たことは確実となりました。お手柄でしたね」


 にこりと優しい表情で微笑んだ深瀬を見て、千理はほっと肩の力を抜いた。自分の記憶が少しでも愁の為になったのなら何も言うことはない。後は彼ら警察に任せればきっと決定的な証拠を見つけてくれるだろう。


「それにしても、本当に素晴らしい記憶力ですね。櫟や朽葉からも君の話を聞いていたんですよ」

「英二さんとも知り合い……ってそうですね。元々調査室の人間って言ってましたから」

「ええ。朽葉とコガネは五年前まで調査室で働いていましたから、よく一緒に飲みに行ったりしてたんですよ。それに彼らだけではなく――」


「失礼する。霊研のやつが来ていると聞いたが」


 深瀬の話が不意に聞こえたノックの音に遮られる。千理と深瀬が扉の方に目をやると、開かれた扉の先に一人の男が顔を出していた。年は英二と同じか少し上くらいだろうか、妙に疲れた顔をしているその男は部屋の中を見回すと、すぐに向かい合って座っている千里達に目を向ける。


「はい、此処にいらっしゃいますよ」

「……初めて見る顔だな。てっきりコガネでも来てるかと思ったが」

「ほら、朽葉から聞いていませんか? 新人の天才探偵がいるって」

「あー……そういえば何か言ってたな」

「それ全部誇張なんですが」


 天才でもなければ探偵でもない。新人という所しかあっていない評価に千理は頭痛を覚えながら近寄って来る男を見上げた。


「調査室へようこそ。俺は速水だ。主に悪魔関連の事件を担当している」

「伊野神千理です。少し前に霊研に入りました。よろしくお願いします」


 速水という名前には聞き覚えがあった。以前銀色の悪魔の事件の際に英二が電話で協力を仰いでいた人物だろう。


「それにしても随分若いな。結構危険な仕事だと思うが大丈夫か?」

「はい。ちゃんと分かっていますから」

「ならいいが。……人手不足だと言っても最近はどうにも子供に頼ることが多くて大人としてはちょっとな」

「私なんかで思うところがあったらそれこそイリスはどうなるんですか」

「イリスか……」


 速水が苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。そして深瀬も「ああ……」と少し感慨深い表情で何かを思い出すように宙に視線を投げる。


「あの子が霊研に入りたいって言い出した時、随分騒ぎになりましたよね」

「そうだったな。朽葉は猛反対してたが所長の方が受け入れたんだったか」

「彼は実力主義ですから」

「にしても十歳はまだ早すぎるだろ」

「ご自分の娘のことは棚に上げて何言ってるんですか」

「だから余計に思うんだよ。……ああそうだ。伊野神さん、悪いがこれ朽葉かコガネに渡してもらえるか。部屋の使用許可が下りたって」

「はい。分かりました」


 思い出したように速水が小脇に抱えていた茶色の大きな封筒を千理に差し出して来る。彼女がそれを受け取ると「それじゃあよろしく頼む」と彼は早足で部屋を出て行った。


「忙しそうですね」

「ええ。どうしても人材が不足してしまう部署ですから年がら年中忙しいです。ですから尚更年齢でえり好みしている場合ではなくて。本人の意欲次第ですが十代半ばで調査室に入る人間もさほど珍しいものではないんです」

「確かに、うちも一番年上なのが多分鈴子さんなので平均年齢は若いですね」


 まあ、櫟はそもそも何歳なのか分かっていないのだが。千理は以前思い立って彼に尋ねてみたことがあったが「いくつに見える?」などと楽しそうに聞き返された挙げ句結局はぐらかされたので不明だ。

 櫟のプロフィールだけちっとも埋まらないな、と千理が脳内で人物図鑑を開いていると、ふと深瀬が神妙な表情で黙り込んでいることに気が付いた。


「深瀬さん?」

「……そういえば透坂さんはお元気ですか?」

「え? はい。昨日霊研に顔を出した時はいつも通りでしたけど」


 いつも通り編み物をしていた鈴子は機嫌良さそうに綺麗な模様が入った帽子を作っていた。……ちなみに彼女が編んでいるものは全て夫へのプレゼントだという。


「鈴子さんとも仲が良いんですか?」

「仲が良いというほどでは。ですが私は彼女の後見人なんです。元々はあの人の旦那の方と腐れ縁でして……彼の亡くなった後超能力を発現させた彼女を保護して、霊研に紹介したのが私です」

「そうなんですか。でもなんで霊研に? 調査室だって忙しいんじゃないんですか」

「彼女の能力はあまり権力に近付けていいものではありませんから。透坂さんの超能力を駆使すれば警察内の知ってはならない情報まで容易く手に入れられてしまう。逆に彼女の能力を利用しようとする権力者も後が立たない。……伊野神さん、霊研に入って日の浅いあなたに一つだけ忠告しておくことがあります」


 深瀬が真剣な顔をして千理に向き合う。一体何を言われるのだろうかと彼女も居住まいを正して言葉を待つと、彼は一言「いいですか」と再度前置きをした上で話し始めた。


「透坂さんだけは決して怒らせてはいけません」

「鈴子さんを怒らせる……あの人が怒るところ全然想像できませんけど」

「だからです。彼女は滅多なことでは怒りません。ですがなお……夫に関することだけは違います。あいつのことだけは彼女は地雷原になる。ほんの少しでも彼女の気に触るようなことを言ってしまえば本当に手が付けられなくなります」

「暴れるってことですか? 鈴子さんが?」

「そうだったらどれだけましだったか」


 手当たり次第物を壊したりするんだろうかと千理が想像していると、深瀬は重たい溜め息を吐いて額に手をやった。


「過去にあいつを侮辱した人間が居ました。彼らは軒並み……たった一晩にして人生が終わっています」




    □ □ □  □ □ □




「あら千理ちゃん、お帰りなさい」

「……はい。ただいま戻りました」


 霊研に帰って真っ先に迎え入れてくれた人物を目にして、千理は僅かに引き攣った口元を隠した。

 そんな彼女の様子には気付かなかったのか、鈴子は相変わらず穏やかな表情で編み物を続けている。……こんなに安穏とした人物が容易く人の人生を壊したのかと、千理は驚き半分納得半分で鈴子を窺った。

 千理だって鈴子の夫への思いがどれだけ重い物かある程度察している。だがいくら悪口を言ったからってそこまでするものなのか。少し前に優しい表情で千理の話を聞いてくれた彼女を思い出して余計に疑問が浮かんだ。


「センリお帰り!」

「ただいまイリス。……なんか随分ご機嫌だね」

「ふふん、そう見える?」


 と、千理が考え込んでいるところに妙に弾んだ声が聞こえてきた。この場で一番年下の少女は、いつものウサギのぬいぐるみを抱えて楽しげに鼻歌を歌っている。

 ちなみにこの場には鈴子とイリス、それからパソコンに向き合っている英二と怪しげな表紙の本を読む或真がいる。キッチンの方で音がするのできっとコガネもいるだろう。


「何か良いことでもあったの?」

「よく聞いてくれたわね! 実はね、今度キャンプに行くことになったの!」

「キャンプ?」

「キャンプっつっても別にテント張る訳じゃねえがな。山奥のロッジで二泊三日の旅行だ」


 パソコンから顔を上げた英二がイリスの言葉に補足する。


「へー、いいですね」

「いいでしょ! この子達ともいっぱい遊ぶんだから!」

「みー!」


 イリスの足下で毛繕いをしていたミケ先輩が嬉しそうに鳴く。そういえば千理は噂に聞く象の幽霊を未だに見たことがない。イリス曰く本人達の自由であちこち動き回っているようなので一度くらい見てみたいものだ。

 珍しくご機嫌にはしゃぐイリスを見て英二が僅かに口元を緩めた後、彼は肩を回して仕事を再開する。


「ま、その為にはさっさと仕事片付けねえとな」

「……あ、そうそう。英二さん。警察で速水さんから預かってきたものがあるんですけど」

「速水から?」

「はい。なんでも部屋の使用許可が下りたとかなんとか」

「……」


 千理が鞄から封筒を差し出して英二に渡す。彼がすぐに中身を取り出して内容を確認すると、徐々にその表情が変わっていくのが分かった。

 それも、途轍もなく気まずそうな表情でイリスを窺っている。千理はそれを見てなんとなく状況を悟った。


「あー……イリス、ちょっといいか」

「なあに?」

「悪い。……旅行、行けなくなった」

「ふんふんそうなの……は?」


 にこにこ笑っていたイリスの顔が途端に凍り付く。


「なんて、言ったの?」

「仕事が入って行けなくなった」

「……」

「俺もコガネも必要な仕事だ。本当に悪いが――」

「っっエイジなんてだいっきらい!!」


 イリスが手に持ったウサギを英二に向かってぶん投げる。英二がそれを甘んじて顔面で受け止めるのも見ずに、彼女は顔を真っ赤にして外に飛び出して行った。

 その直後、キッチンから不思議そうな顔をしたコガネが顔を出す。


「英二、何か騒がしいですが一体何が……」

「……例のあれ、申請が通ったらしい」

「ああ、あれですか。良かったじゃないですか」

「研究室の使用許可日が旅行と見事に重なった」

「……」

「で、イリスがぶち切れて飛び出してった」

「それはそうでしょうね……」


 コガネが困った顔で半開きになっている扉に目をやる。イリスがとても旅行を楽しみにしていたのは嫌と言うほど分かっているが、だからと言ってそちらを優先する訳にはいかない。どうご機嫌取りをしようかと頭の中で思考を巡らせた。


「それだったら他の人に頼んでみたらどう?」


 ふと鈴子がそう言って編み物の手を止めて首を傾げた。


「櫟君なら喜んで行ってくれそうじゃない」

「元々俺とコガネが有給取ってたからその分あいつは仕事だったんですよ。鈴子さんは……」

「ごめんなさい、私も頼まれていた仕事があるわ。それに私じゃ自然の中でイリスちゃんと遊ぶのは難しいから」

「それでは……」


 考え込んでいたコガネの視線が千理に向く。彼女はまあそうなるだろうなと思いながら「いつですか」と手帳を開いた。英二が旅行の日程を伝えると運良く予定は入っていない。


「或真、お前はどうだ?」

「ふむ。ちょうど古代ルーン文字についての文献を読もうと思っていたが問題ない。私も同行しよう」

「え、或真さんも来るんですか」

「何か問題でもあるかな? 君も来るのなら愁も来るだろう。四人で楽しく親睦を深めようではないか」


 パタンと本を閉じた或真がコートを翻して立ち上がる。「大自然の龍脈から力を得るにも絶好の機会だ」と相変わらずの言動をしている彼をスルーして、英二が詳しい行き先やロッジについて説明を始める。


「一応麓までは電車とバスで行けるが、そこからは悪いが徒歩になる。結構歩くぞ」

「体力持つかな……ちなみに或真さんは運転免許持ってたりとか」

「ふっ、私は移動の際は我が僕達を利用するのでな。そのようなものは必要としていない」

「そもそもこいつ人前で眼帯外せねえから視力検査が通らねえんだよ」

「……そういえばそうですね?」


 片目でも一定の視力があれば視野検査に通れば問題なく免許は取れる。が、そもそも眼帯が外せないのでその視野検査も通らないのである。

 結局山登りか……と千理は今から筋肉痛になりそうな体を思って少しだけ気が重くなった。


「まあそういう訳だから……二人とも、あいつのことを頼む」

「分かりました」

「ああ、大いに期待して任せたまえ」


 だが旅行が楽しみではない訳では無い。千理は久しぶりの遠出を密かに楽しみにしながら英二達に頷いて見せた。


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