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霊研の探偵さま  作者: とど
一章
2/74

1-2 親友の喪失


 その日のことを、千理は何度も夢に見る。


「相変わらず千理はすごいな」

「別に大したことないよ。一位でもないしね」


 全国模試の結果が返って来たその日、千理と愁は高校からの帰路を辿りながら話をしていた。愁の結果はクラスでも平均辺りを彷徨っているが千理は次元が違う。学年一位なのは当たり前で、全国でも一桁か悪くて二桁といったところである。

 千理は元々地頭が良いが、それを差し置いてでも特筆するべきはその記憶力にある。彼女は一度目で見たものは全て脳に記憶されるという瞬間記憶能力の持ち主だ。だがその能力は不完全でありとある欠陥がある為、千理は自信を持って全てを覚えていると断言できないのだが。

 しかしそれはそれとして、当然だが愁にとっては千理がとんでもなく頭が良いという事実に変わりはない。彼は毎度のことながら親友の頭脳に感心して彼女を称賛したが、千理はただ苦笑するだけに留まった。そんな彼女の態度に愁は無表情のまま「何故そんなに謙遜するのだろうか」と首を傾げる。


「私よりもすごい人なんていっぱいいるよ。ほら、全国模試だって一位の人は毎回同じでしょ?」

「そうなのか? 千理の順位しか見ていないから知らなかった」

「うん。天宮君って人がずっと満点なんだよ、すごいでしょ。あの人に比べたら私なんて全然大したことないんだから」

「別に他のやつと比べる必要なんて無いだろ。この小さな頭だって俺には途轍もない代物だ」

「あ、こら押すな! 縮む!」


 愁の大きな手が千理の頭を掴む。彼女はそれを押しのけようとするが、体勢や力の差のあってぴくりとも動かなかった。ただでさえ約40センチもある身長差が更に開きそうになるではないかと千理は不機嫌になる。見上げる度に首が痛くなるこちらを少しは慮って欲しい。

 ゴールデンウィーク明けの五月中旬、日中の暑さのピークは過ぎたと言っても夕日に照らされオレンジ色になった外はまだ暑い。頭に乗せられた手の所為で熱が籠もると千理が愁を睨むと、彼はようやく彼女の頭から手を退けた。





 ――次の瞬間、千理の目の前から愁の姿が消えた。


「……え?」


 彼女の耳が音を拾うのを拒絶したように、その瞬間何も聞こえなくなった。突如として背後から白い車が現れ、スピードを一切落とすことなく愁が撥ねられたのだ。

 大きな体がまるで人形のように軽々と宙を舞う。それが数メートル前方に落下するのと同時に、彼を撥ねた車はあっという間にその場から走り去り姿を消した。

 道路に俯せに倒れたままの愁の体は動かない。その代わりだとばかりに、彼の体から溢れた血がコンクリートの上をじわじわと這い出した。


「しゅう……愁!!」




    □ □ □  □ □ □




 それから二週間経っても、愁の意識は戻らなかった。


「……」


 白と静寂に支配された病室、その中でずっと目が覚めない愁の顔を眺めていた千理は立ち上がり病室の外に出た。


 愁を轢き逃げした犯人はとっくに捕まっている。周囲には千理の他にも目撃者が居たし、彼女が思い出したくない記憶をひっくり返して車の車種やナンバープレートを警察に報告すれば犯行に使われたボンネットの凹んだ車はあっという間に見つかった。

 犯人は近所に住む一人暮らしの三十代の男性である。彼自身は「自分は何もやっていない」と容疑を否認しているが、そもそも件の車が停められていたのは自宅のガレージである。隠す気も無かったのかすぐに修理に出すつもりだったのかは分からないが、そのお粗末な犯行に千理は「こんなやつの所為で愁が酷い目に遭ったのか」とやるせなさと強い憤りを覚えた。


 だが犯人が捕まったところで彼が回復する訳ではなかった。愁は元々かなり頑丈な体をしているが、ブレーキも掛けない車に撥ねられて無事であるはずもなく……いや、実を言うと体はかなり順調にそして驚異的なスピードで回復しているのだが、その代わりとでも言うようにまるで意識が戻らないのだ。


「はあ……」


 病院の外、周囲にあまり人気のないベンチに腰掛けた千理は、酷く重たいため息を吐く。目の前でその事件を目撃してしまった彼女は、息子が目覚めないことで憔悴する愁の両親にすら気遣われてしまうほどに酷い精神状態だった。

 あれから毎日病室を訪れているが、元気になるのは肉体だけで意識が戻らないことに医者も怪訝そうな顔をしている。


「随分と暗い顔をしていますね」

「!」

「大事な方を亡くされたんですか?」


 その時、俯いたまま動かなかった彼女の隣から突然女性の声が聞こえてきた。千理が驚いて反射的に顔を上げると、いつの間に座ったのだろうか、彼女の隣にスーツ姿の女性がおり千理を労しげな表情で見ていたのだ。


「……まだ、亡くなってません」


 随分とデリカシーの無いことを聞かれたと千理は怒りたくなったもののそこまでの気力がない。苛立ちを籠めるように女性を睨んでそう返すと、彼女は成程、と頷いて黒い鞄から一枚の紙を千理に差し出し、彼女の手に握らせた。


「気を強く持って下さい。大丈夫です、万が一その方が死んでしまったとしても手はありますから」

「……は?」

「私、少々“人を生き返らせる”お手伝いをしているんですよ。あなたが本当に強く死者の復活を望み、全てを投げ打つ覚悟がありましたらそちらの紙に書いてある通りに――」

「ふざ、けるな、ふざけるな!!」


 その瞬間、千理の手の中にあった紙はびりびりに破かれた。先程までまったく気力の無かった体が怒りに満ち、千理の右手が女の頬を叩く。


「何が人を生き返らせるだ! 愁はこんなことじゃ死なない! 絶対にすぐに目覚める! それに万一そんなことになってもあんたみたいなのに頼る訳ない!!」


 千理はそう吐き捨てると立ち上がりさっさとその場から離れた。それでも全く怒りは収まらない。こんな時にありえない程非常識だと、もう一度ビンタしてやれば良かったと何度も頭の中を思考が回る。

 しかしあんな怪しい宗教勧誘に引っ掛かる人間などいるのだろうか。……引っ掛かると思われたから声を掛けられたのだと千理の中で結論が出て余計に苛立ちが強くなった。


「愁は馬鹿みたいに頑丈なんだ。だから、そう簡単に死ぬはず無い」


 自分に言い聞かせるように呟いたが、それでも彼女の心が浮上することはない。ちらりと無意識に隣を見ても、そこにはいるはずの人間が居ないのだから。


 千理と愁は、本当に毎日と言っても過言ではないほどに一緒に居た。登下校は互いに予定がなければ殆ど一緒だったし、休日に遊ぶことだって少なくなかった。他の友人からは「何で付き合ってないの? むしろあれで付き合ってないって何??」と心底疑問だという顔をされているほどだ。

 彼女はそんな友人の言葉を思い出して再び俯いた。そうだ、千理と愁は付き合っていない。だが彼女にとっては大事な友人で、唯一無二の親友で、そして――。


「……こんなことなら、さっさと伝えておけば良かった」

「何をだ?」

「それは勿論、愁に……っ!?」


 突然独り言に割り込んで来た声に反射的に言葉を返そうとして……そこで、千理は絶句した。


「千理?」


 目を疑わずにはいられなかった。何せつい今し方まで誰も居なかった千理の隣に、ありえないものが存在しているのだから。

 首をぐっと上に傾けてそれを凝視する。あまりにも見慣れ過ぎたその男の、本当に見慣れ過ぎた仏頂面。千理はわなわなと震えながら彼を見上げ、そして恐る恐る口を開いた。


「……愁?」

「そうだが」

「桑原愁?」

「だからそうだと」

「なん、っで!! なんでそんなことに――半透明になってんのよ!!」


 千理は堪らず叫んだ。彼女の前に居るのは親友のはずだ。仕草も言動も全て桑原愁その人だというのに、何故かその男の体は半分透き通っており向こう側の景色が透けて見えるのだ。

 そして自分でそう叫んでから千理の脳内に最悪な想像が過ぎる。今の愁の姿を見たら誰だって考えるであろうその言葉を告げるのに、千理は酷く躊躇った。認めなく無かった。――だがそれでも、言わざるを得なかった。


「愁……死んで、幽霊に」

「違うが」

「違うの??」

「俺はまだ死んでいないぞ。さっき自分で見てきたからな」


 平然とそう言いのけた男に、一瞬で深刻な空気が霧散した。自分と愁とのあまりの温度差に千理は唖然として、体から力が抜けるのを感じる。ずるずるとその場にしゃがみ込むと、すぐに心配するように上から「大丈夫か」という声が降ってくる。他人の心配をしている場合か。

 そう、そうだった。桑原愁という男は妙にずれたところのある人間だった。


「待って自分で見て来たって何? というか全てが分からない」

「千理でも分からないことがあるんだな」

「心底驚いてないでさっさと全部説明しろ!!」

「説明と言ってもな。まず、気が付いたらこうなっていた」

「説明する気ある?」

「いや、本当にそうだとしか言えない。俺は車に轢かれたんだろう? それで目が覚めたら病院に居て、目の前に自分の体があったんだ」

「……幽体離脱?」

「よく分からないが何故だか自由に動けるみたいだったんでな、こんな体験滅多に出来ないと思って三日ぐらいそこら中動き回っていたらお前が居たから話しかけた訳だ」

「……バカ、バーカ!! 愁のバカ野郎!!」

「確かにお前より遙かに馬鹿だが」

「そういうこと言ってんじゃないわこのお気楽男!」


 この二週間人がどれだけ心配したと……と千理は頭を抱えた。しかも本人は大真面目に言っているのだから始末に負えない。理由は分からないが愁は幽体離脱をしてしまい、そして好奇心が爆発してあちこち飛び回って楽しんでいたのだろう。昔からその冷静そうな無表情とは裏腹に誰よりも好奇心が強く、いつもふらふら何処かへ行こうとするのを千理が引っ張って押し留めたものだった。


「さっさと体に戻れ! どれだけ周りに心配掛けたら気が済むの!?」

「いや、そろそろ戻りたいのは山々なんだが」

「が?」

「さっき自分の体を見て来たと言っただろう。だが戻ろうにも戻り方が分からなくてな。千理は知っているか?」

「オカルトは専門外! ……って本当に戻れないの?」

「体の中に入ろうとしてみたがすり抜けただけだった」


 そんなことを言われても困る。千理は記憶力は常人以上だがそう言った方面はまったく関わったことなどないのだ。今こうして愁が実際に半透明に見えなければ一生非科学的なことなど信じなかったに違いない。


「……とにかく、こうしていても埒が明かない。もう一度病室に戻って色々試してみるべき」

「ああ、分かった」


 一気に疲労感が肩に乗るのを感じながら、千理はそう言って病院の中へ戻ろうと歩き出した。隣には歩いているのか浮いているのかよく分からない状態の愁が並び、千理はその姿を再度見上げて喜んだらいいのか怒ったらいいのか分からない感情で混乱していた。

 愁ともう一度会話が出来た。それは勿論嬉しくて堪らないのに、何故だか幽体離脱とかいう訳の分からない状態である。

 そもそも何故千理はこの男の姿が見えるのだろうかと疑問が浮かんだ。病院の中に入ると人が増え、当然彼女とすれ違う人間も居た。そして彼らは一様に千理の隣――愁の体をすり抜けるようにして通って行くのである。どうやら愁の姿は千理以外には見えないらしい。


「……ん?」

「何か騒がしいな」


 愁が居る病室に近付くにつれて、何故か看護師や医者の数が増えていく。急患でも出たのだろうかと首を傾げて更に進むと、静かなはずの病院内だというのに喧噪は大きくなるばかりだ。

 その人集りの元が愁の病室であると理解したその瞬間、千理は全身から血の気が引くような感覚を覚えた。


「っ! 愁!」


 彼女はすぐさま他の人間を押しのけるようにして病室に飛び込んだ。今度こそ最悪の事態が起こったのかと焦燥に駆られた彼女がその視線をベッドに向けると、千理は信じられないとばかりに大きく目を見開く。

 先程まで愁が寝ていたはずのベッドは、もぬけの殻になっていたのだから。


「俺の体何処行った?」


 妙に間の抜けた愁のそんな声を聞きながら、千理はその場に膝を着いて崩れ落ちた。


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