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霊研の探偵さま  作者: とど
一章
17/74

8-2 真犯人


 何度も何度も見た悪夢。それはまるで録画した映像のように寸分の違いもなく同じ光景を繰り返す。

 だからこそそれを目を逸らせずに見続けた千理は、一度では気付かなかったそれに気付くことが出来た。


「まず第一に、あの車。そもそも愁が車に全く気付かずに轢かれたことがおかしかった。今思えばあれだけスピードがあったのにエンジン音なんて全くしなかった。音が静かな車種でもなかった。そもそも……エンジンなんて掛かっていなかったんだ」


 千理は目の前の男――守川を見上げながら淡々とした口調で話し始めた。しかし握りしめられたその手は震え、目は射殺せそうな程に男を睨んでいる。

 そう、あの時愁を轢いた車はエンジンなど掛かっていなかった。ガソリンや電気ではない、全く違う力でもって動いていたのだから。

 現場にはブレーキの跡どころかタイヤ痕すら残っていなかった。今思えばそれは車が走っていたのではなく僅かに浮きながら動いていたからだったのだが、しかし当時はすぐさま犯人が逮捕されたこともあり、千理も混乱していて深く考えている余裕などなかった。


「第二。それを裏付けるように――車には誰も乗っていなかった」


 愁を撥ねた一瞬、それを頭の中で一時停止することで千理はようやくそれを知った。あの車は無人だったのに関わらずひとりでに動いて轢き逃げしたのである。そんなことが可能なのか……事件当時の千理が気付いていたとしても答えは出なかっただろう。


「そして最後に――あんたはあの事件の時、野次馬に紛れて現場に居た。青いジャケット、黒のインナー、右膝がすり切れたジーンズ、底の厚いスニーカー。電柱から数えて三番目……全部覚えてる」

「!?」


 その時、守川の表情が驚愕に彩られた。


「あんたはあの日、その超能力を使って無人の車を動かして愁を轢いた。それでその車を持ち主の男の家に戻し、犯人に仕立て上げた!」

「……」

「全部分かってるんだから! あんたが愁を轢いたんでしょ!?」


 とうとう抑えきれなくなった感情が爆発した。千理は目の前の男に掴みかかり怒りをぶつける。大事な親友を意識不明に陥らせた、言ってしまえば彼の体が誘拐される遠因を作った憎き犯人にいっそ殺意まで募らせて。

 彼は何も言わない。ただ驚きに満ちていた表情は徐々に収まり、真顔になった男は逃がさないとばかりに掴み掛かってくる千理を見下ろし、そして軽く右腕を振った。


 その直後、千理は一瞬にして地面に叩き付けられるように尻餅を付いた。守川に直接振り解かれた訳でもなく、勝手に体が吹き飛ばされたのだ。


「いきなり来てべらべらと好き勝手に喋ったかと思えば……悪いが訳の分からない話に付き合うつもりはない」

「訳の、分からない……!? 本気で言ってるつもり!? 今だって超能力使ったんでしょ!」

「ああ、確かに俺には超能力があるがそんな車を動かせるほどの力なんてない」

「嘘を……」

「嘘? じゃあ証明出来るのか? 俺にそんな力があるって証明、どうやってする?」


 不快そうな表情でそう言われ千理は押し黙った。確かにそんな証明出来っこない。彼女が出会い頭に鞄を投げつけて能力があることは確実となったがそれだけだ。どこまでの力があるかなんて、本人が自由に力を制御できるのであればいくらでも誤魔化しが効く。


「しかも何だ。突然人を轢き逃げ犯呼ばわりか? 超能力があるだけで犯罪者だって? 随分な偏見だな。証拠でもあるのか」

「……」

「馬鹿馬鹿しい。そもそも俺はそんな轢き逃げなんて知らない。俺を見たって言うのもあんたの思い違いだろ。全く不愉快だ」

「違う! あんたは確かにあの場所に」

「知らねえよお前の記憶違いだ。それだって証拠あんのかよ」


 ぎり、と千理は歯を強く噛み締めた。分かっている、今の自分の推理は全く理論的じゃない。彼を犯人だと証明できるものは無くて、千理の中の記憶がどれだけ正確だって証拠にはならない。

 寝不足で頭が回らない。目の奥が熱い。だけどそれでも――千理は目の前の男が犯人だと疑っていなかった。あの車は確かに無人で、だけどもかなりのスピードで動いていた。そしてこの男は確かに現場に居て、周りが騒ぐ中一人冷静にその場に立ち尽くしていたのだ。

 先程顔色が変わったのが何よりの証拠だ。だがそれは、警察を納得させられるような物理的な証拠には到底なりえない。


「……」

「これ以上意味分かんねえこと言うつもりなら警察呼ぶぞ。さっさと帰れ」


 いっそ、この男を車で轢こうとすれば力を使って止めるだろうか。そうすれば車を動かせるほどの力があるという証明にならないか。

 浮かび上がった殺意の感情が囁く。愁を轢いたのだから、自分だって同じ目に遭ったって因果応報だ。千理の視界に、駐車場に停められている車がちらついた。


 どうせ超能力で止められる。だったらもっと徹底的に――。


「千理、此処で何をしているのかな」


 あらゆる想像が彼女の頭を駆け巡ったその時、しかしその思考は突然肩に置かれた手によって引き戻され、千理は我に返った。

 はっと勢いよく振り返る。そこに居たのは訝しげな顔をした櫟と、そしてもう一人警察官が佇んでいた。


「櫟、君の知り合いですか」

霊研うちの期待の新人」

「成程。では例の件で我々よりも先にやって来たのではなく?」

「いや、この子はこの事件の担当ではないからね」


 若いのに真っ白な髪の優しげな警察官が櫟に問い掛ける。彼は一度首を傾げて千理を見た後、「それはともかく」と守川に視線を移した。その守川はというと、突然警察が来て家に入るに入れずに居心地の悪そうな表情を浮かべている。


「警察を呼ぶぞとおっしゃっていましたが何かトラブルでも?」

「……別に、そいつが突然押しかけて訳の分からないことを捲し立てて来ただけだ」

「で? 千理は何を言ったんだ? イリスから君が突然血相を変えて飛び出して行ったと連絡があったけど」


 いつもとは全く違う様子の彼女に危うさを感じとったらしい櫟は千理の肩に置いた手をそのままに尋ねる。すると彼女は櫟を見ていた目を守川に向け、再びに心に憎しみを宿らせた。


「……こいつが、愁を轢き逃げした犯人なんです」

「なんだって?」

「今捕まってる人に罪を擦り付ける為に、超能力を使って車を動かしたんですよ。……それで愁を撥ねたのに、全く認めなくて、それで」

「聞きました? 超能力ですよ? 一体何を馬鹿馬鹿しいことを言ってるんですかねこいつは」

「……は?」

「そんなものこの世にある訳がないじゃないですか。なのに突然鞄を投げつけて来るわ掴み掛かって来るわ、挙げ句の果てに人を車で轢いて殺し掛けたなんて言いがかりを付けて来る。早いところ補導してもらえますか? 空想と現実の区別も付かないみたいですし、クスリでもやってるんじゃないですか?」

「っこの!」

「千理!」


 カッとなった千理が再度男に飛び掛かろうとしたが、その前に櫟が押さえつけた。先程まであっさりと超能力を認めていた男が手のひらを返して冷めた目で千理を見下ろしている。


「怖い怖い。さっきもこうやって俺を殺そうとするくらいの勢いだったんですよ。それこそ殺人未遂じゃないですか?」

「愁を殺そうとしたのはお前だろうが!」

「千理落ち着け! いつもみたいに冷静に」

「なれる訳ないじゃないですか! だってこいつは――」


「はい、まあ彼女の話は後にしましょうか。先にこちらの用があるのでね」


 パン、と白髪の警察官が軽く手を打った。それは然程大きな音でもなかったというのに何故か途端にその場は静まり返り、千理も一瞬気が削がれた。


「申し遅れました。私は警視庁特殊調査室超能力部門室長の深瀬ふかせと申します」

「は、超能力……」

「ええ、超能力を使った犯罪を取り締まる部署です。そして守川さん、あなたには殺人の容疑で署まで同行願います」


 深瀬は警察手帳と一枚の紙――令状を取り出して守川に見せた。彼は一頻り驚愕の表情を浮かべた後、酷く困惑した様子で乾いた笑いを浮かべてみせる。


「……冗談でしょう? このガキはともかく警察が超能力だって? 世も末……いや、詐欺ですか?」

「そう思うのは勝手ですが話は聞いてもらいましょう。あなたには数日前に亡くなった神谷さんに対する殺人罪の容疑が掛かっています。彼は複数回体を刺されて……いえ、自ら刺して自宅で死んでいるのを発見されました」

「自分で刺したんなら自殺に決まってるでしょう。なんで俺が」

「簡単な話です。あなたは超能力で被害者を操り無理矢理自死させたんですよ」

「……アホらしい。真面に話を聞く必要なんてなかったな」

「おや、では容疑を否認すると?」

「否認も何も、超能力なんてバカな話に付き合うつもりなんてねえ。さっきこのガキにも言ったが、それこそ証拠なんてあるのかよ」

「ええ、あります」

「証拠もねえのに……は?」

「ですから、証拠。ありますが何か」


 にこりと微笑んだ深瀬に守川も千理も呆けた顔で彼を見た。超能力を使った犯罪に証拠なんて残るのか。何か特殊な方法があるのかと深瀬の言葉を待っていると、彼は守川に向けて非常に呆れた表情を浮かべた。


「あなたに超能力があるか云々は後回しで構いません。そもそもそれ以前の問題ですから」

「それ以前……?」

「あなたは自分の力を驕り、つまらないミスをしたんです。凶器となった包丁ですが……そもそもあの家、包丁どころか皿一つだって無い、キッチンなんて物が積み上がって到底使えないものでした。だというのにわざわざ自殺する為に包丁を選択しますか? 彼の自宅にはサバイバルナイフだって何本もあったというのに」

「!」

「そしてその包丁を購入したのもあなただと既に調べが付いています。あの包丁を近隣の店で購入したあなたの監視カメラ映像も、クレジットカードによる購入履歴もあるんですよ。あの包丁は随分と売れ残って値下げされていたもので、店主もそれを買った人間を覚えていた。……無駄にケチってしまったのが運の尽きでしたね」


 守川の顔色がさっと青くなった。しかし深瀬はまったくそれを意に介さず、更に追求するように一歩前に出た。


「さて、あなたが購入した包丁が今どこにあるのか教えて頂いても?」

「……はは」


 諦めたように守川が肩を落とした。超能力など全く関係のない証拠、それを突きつけられた彼は俯きながら小さく笑い、そして自然な動作で右手を持ち上げる。


「っ危ない!」


 その瞬間、千理の顔面すれすれに植木鉢が勢いよく横切った。咄嗟に櫟が引き寄せなければ顔面に衝突していただろう。

 しかし安堵するのはまだ早い。守川を見れば、彼はいくつもの植木鉢を操り千理だけではなく深瀬や櫟にも向けて投げつけていた。二人はそれを避けたものの、守川は植木鉢に意識が向いていることをいいことにその場から逃げ出した。


「待て!」

「このガキ、離せ!」


 千理は咄嗟に櫟を振り払って守川に飛び掛かる。絶対に逃がすかと力を込めて男を掴むものの、しかしたった数秒でその手は超能力によって引き剥がされてしまう。そして逆に千理の体は強い力で弾き飛ばされ、家の壁に激突する――。


「千理」

「!」


 かと、思われた。ところがその直前、壁まであと数センチのところで彼女の体は宙に不自然に停止した。

 強引に止められた所為で体にぐっと負担が掛かった。強い圧迫感を覚えて思わず吐きそうになった彼女だったが、千理はそれを気にするよりもまず顔を上げてその先を見た。


「コロ先輩に言われて急いで来たが、どうにか間に合ったな」

「コロ先輩って誰??」


 安堵やら何やらより思わず先に口から出た言葉に、千理はどうやら自分がほんの一瞬にして落ちついたのが手に取るように分かった。

 唯一無二の親友――愁の姿を見た瞬間、千理の体から力が抜けた。それと同時に体が地面にゆっくりと下ろされて、千理は座り込んだまま半透明の彼と、その先に倒れ込む守川の姿を視界に入れた。


「な、何だこれ!? 体が動かねえ!」

「自分も同じような力を持っているというのに随分と動揺していますねぇ。まさか自分以外に超能力を持つ人間など存在しないとでも思っていたのですか?」


 にこりと、先程と同じはずなのに何処か威圧感のある微笑みを浮かべた深瀬が守川の前に立つ。彼は「公務執行妨害もプラスしておきますね」と言いながら守川の手に手錠を掛け、そのまま踵を返した。


「櫟、そちらの方も怪我は無いようですね。では私はこれで。今回もご協力感謝します」


 深瀬が歩き出すと、倒れ込んでいた守川が勝手に宙に浮き、彼の後に追随する。止めろと叫び抵抗して暴れようとするが指先一つ動かせず、守川はそのまま家の前に止められたパトカーの中へ放り込まれる。


「――待って下さい!」


 さっさと運転席に乗り込んだ深瀬がエンジンを掛けたところで、車の外から聞こえて来た声に彼は手を止めた。そちらを見れば千理がパトカーの傍まで走ってくるところで、その後ろには櫟と半透明の幽霊の姿もある。


「ああ、すみません。そう言えば君も何か言いたいことがあったようでしたね。後日また警察署でお話を聞かせて頂いてもいいですか?」

「はい。ですが少しだけ」


 千理はパトカーに縋り付くように後部座席に近付き、転がされている守川を見た。その目に僅かな憎しみは宿っていたが、しかし先程の強い殺意はなく何処か冷静に見えるものだった。


「あんたはさっき私にこう言った、轢き逃げなんて知らないって、現場に居たのも私の見間違いだって」

「……はっ、だったら何だ? もう一度言っておくが俺はお前が言う事件には関わって」

「そしてこうも言った。『突然鞄を投げつけて来るわ掴み掛かって来るわ、挙げ句の果てに人を車で轢いて殺し掛けたなんて言いがかりを付けて来る』と。――何故、轢き逃げされた愁が死ななかったって知っていたんですか?」


 千理を挑発するように嘲笑っていた守川の表情が固まった。後部座席からそれを見ていた深瀬は「ふむ」と一つ頷いてそのままエンジンを掛ける。


「そちらの事件についてもきっちり調べさせて頂きます。それでは今日はこれで」


 千理が離れたのを見計らってパトカーが動き出す。それを見送った千理は一つ息を吐くと、そのままずるずると地面にしゃがみ込んだ。


「一矢報いたってところかな」

「そうですね……だと、いいんですけど」


 櫟の言葉に頷きながらも、千理の表情は完全に晴れなかった。




    □ □ □  □ □ □




「ただいま」


 家に帰って口にした言葉に返事はなかった。靴を脱いだ千理は家の電気を付け、ちらりと廊下に設置されているホワイトボードに目をやる。最近寝不足であまりしっかりと見ていなかったが、どうやら今日も明日もこの家に居るのは千理だけらしい。別に珍しくも無いが。

 重たい体を引き摺って何とか制服から着替えると、千理は夕飯を食べる気力もなくベッドに倒れ込んだ。


 酷く疲れた。体調の悪い体を目一杯走らせて……そしてろくに証拠も無いくせに感情のままに犯人を問い詰めた。言動から考えて結果的に間違ってはいないだろうが、もし全く無関係の人間を犯人に仕立て上げようとしていたら霊研にも迷惑を掛けてしまっていただろう。


「……役立たずだなあ」


 誰も居ない家にぽつりと声がこぼれ落ちた。記憶力しか取り柄が無いくせに、それすら上手く活用できず、証拠にはなりえない。櫟は一矢報いたと言ったが、あんなのはただの揚げ足取りのようなものだ。自分はいつまでも欠陥品のままで、あの逃げ出した頃から何も変わっていない。

 コガネの事を卑屈だと言っておきながら全く人のことを言えないなと自嘲して、千理は目を閉じた。








「本当にどうしようもない子ね。少しはお兄さんを見習ったらどうなの?」


「覚えるだけなら機械で十分。あなたの記憶力に価値なんて無い」


「仕方が無いですよ。だってこれは僕の劣化コピー……いやコピーですらない欠陥品ですから」




「だから――千理なんて必要ないと思うんです。もう捨ててしまってはどうでしょうか」




 悪夢は、まだ鳴り止まない。


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