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霊研の探偵さま  作者: とど
一章
16/74

8-1 鮮明に残る記憶


「相変わらず千理はすごいな」


 ああ、まただ。


「私よりもすごい人なんていっぱいいるよ」


 あの日の会話を、千理は一字一句違わずに覚えている。


「別に他のやつと比べる必要なんて無いだろ」


 否、会話だけではない。相手――愁の表情も仕草も、頭に触れられた感覚も、彼女は全てを覚えている。頭上を通過する鳥の数だって、空の色だって、全部。



 だからこそ、あの瞬間だって嫌という程鮮明に記憶されている。

 鼓膜が破れるような、爆発的な音と共にすぐ隣に居た親友が車に撥ね飛ばされたあの瞬間を。




    □ □ □  □ □ □




「――愁!!」

「何だ?」


 がばりと顔を上げて勢いよく目覚めた千理の叫びに、当然のようにいつもの静かな声が返事をした。


「どうした。何か夢でも見たのか?」


 目の前で浮く半透明の愁の言葉を聞いて、千理はたった今まで眠ってしまっていたことに気付く。今は霊研で書類の作成中だったというのに、気が付かないうちに転た寝していたのだ。

 周囲を見れば、千理の声に驚いたのかその場の全員――櫟、イリス、鈴子、そして愁が彼女を見ていた。


「急に叫ぶからびっくりしたじゃないの」

「ごめんイリス。櫟さん達もすみません、そもそも仕事中に眠ってしまって」

「別に気にしなくていいのよ。櫟君だってしょっちゅう居眠りしてるわ」

「そうそう」

「……イチイも少しは気にしたら?」

「別に仕事に支障が無ければその辺は緩くていいんだよ。人間楽に生きられるんならそれに越したことはないからね」

「単にイチイが楽したいだけでしょ?」

「それはそうだ、僕は楽しく生きていたいからね。無理して頑張るとか嫌いだ。向上心とか欠片もないから」

「教育に悪いなあ」


 肩を竦めて笑った櫟に千理は苦笑した。彼自身は大人なのだから自由にしていいと思うが、イリスの前で堂々とそう発言するのは如何なものか。


「それで千理、結局悪い夢でも見たのか?」

「……そうだね。愁が私のとっておきのチョコレート勝手に食べた夢」

「それはお前にとって最悪の夢だな。夢の中の俺がすまない」


 何が最悪なものか。そう心の中で強く思った千理だったが、誤魔化した以上何も言えずに頷くだけに留まった。

 千理が見ていた夢、それは数ヶ月前に起こったあの事件の瞬間だった。あれから何度も同じ夢を見てきたが、最近は殆ど毎日その夢を見る。違う夢でもそれはまた別の悪夢であり、千理はここ数日ろくに眠ることが出来なくなっていた。

 何か理由があるのかと考えたものの答えは出ていない。ただ単に運悪く悪夢ばかりを見ているだけかもしれないが、それにしたってこの頻度は少々おかしく思う。

 ただ夢の内容など自分の意思で変えられないので、彼女に出来ることと言えば健康的に暮らして体と脳をリラックスさせることぐらいだ。それをしたってちっとも効果はなく、今日もいつの間にか仕事中に眠ってしまった。


「えーっと、それで何処まで話したっけ」

「自殺した男が自殺じゃなかったって所よ」

「そうだった。流石イリスだ」

「……自殺したけど、自殺じゃなかった?」


 改めて仕事を再開しようとした千理の耳に矛盾した言葉が聞こえて来る。首を傾げて呟くと、それに気付いたイリスがふん、と腰に手を当てて偉そうにふんぞり返った。


「そうよ。自殺に見せかけようとしたけどちっとも見せかけられなかったバカなやつの話。仕方が無いから千理にも教えてあげる」

「どうも、イリス先輩」

「ふふん、センリもようやく私を先輩って呼ぶようになったのね!」


 楽しげなイリスが語り出すのを聞く限り、どうやら今回の彼女たちの依頼の話だったようだ。


 数日前、一人の男が自宅で死んでいるのが発見された。死因は刺殺で、体を包丁で複数回刺されたことによるものだった。それも、自らの手で体を刺した自殺だったというのだ。

 包丁には勿論彼自身の指紋しか付いておらず、複数ある傷口も自分で刺したとしか思えないもの。更に周囲に広がった血の状態も彼の傍に近付けた人間が居ないことを証明していた。自分でこれほど何度も自分を刺せるものかと不審な点はあったものの警察も当初は自殺で処理しようとしていたが――司法解剖の結果それはすぐに否定されることになった。

 なんでも刺し傷のうち、明らかに死んでから刺されたと断定されたものがいくつか見つかったのだ。言うまでもないことだが人間は死んだら動けない。すぐに殺人に切り替わり捜査が進められたものの、しかしどうしても他者が関与していないとしか思えない刺され方に早々に捜査は行き詰まった。


「さっきまで話していたのはここまでよ」

「へえ……何か変な事件だね」

「それで念の為うちに調査依頼が来た訳だね。すぐに鈴子さんに見てもらいに行った訳だけど……どうでした?」

「それがね、どうにもこちら側の案件だったみたい」

「こちら側って言うと……」


 千理の脳内に様々な可能性が過ぎる。数ヶ月前までまず選択肢に上がらなかったいくつものそれを頭の中で比べ、最も可能性の高そうなものを選択する。


「悪霊に取り憑かれていた、とか?」

「いいえ。部屋の中に人を取り殺せるほどの強い悪霊が居た気配は無かったわ」

「それじゃあ」

「私が見た事件当時の部屋の状況は、被害者が自分で包丁を自分の体に刺していた。自由にならない体で何度も「止めろ」と叫んでいたわ。自我は保っていたけど体だけが言うことを聞いていなかった」

「……」

「そして何より、一度男の手から離れた包丁が一人でに宙に浮いて戻ってきた。勿論部屋の中には誰も居なかった。此処から推測出来る犯人は、恐らく私と同じような人間――超能力者ね」


 超能力者。鈴子が物の記憶を読み取るように、他者が行えないような特殊な力を持つ人間だ。離れた場所から被害者の体を押さえつけ無理矢理包丁を使わせ、自殺に見せかけるようにして殺した力。


「PK……念じるだけで物を動かしたりする力だね。成程、しかもかなり強力な力の持ち主のようだ」

「スプーンを曲げるのとは訳が違うものね。だからこそ出来る人間はかなり限られるわ」

「分かった。ならイリス、被害者周辺で強力な超能力者の調査を頼む。あの殺され方から考えても怨恨の線が強いから関係者のデータも警察から取り寄せよう」

「超能力者とは、そんな調べて分かるものなのか?」


 黙って耳を傾けていた愁が首を傾げる。千理もそれに同意だ。仮に自分が超能力者だったとしても、不用意に他人にそれを吹聴するだろうか。たとえそういう人間だったとしても、それを犯罪に使うのであれば人前で使うことはまず避けるはずだ。


「人前では確かにね。だが人前ではなく一人の時は? それほど強い力なら当然自分で訓練なりして何度も使っているだろう。そして幽霊達は強い力に敏感だ。力に引き寄せられることもあれば恐れて近付かないこともある。どちらにしても、その力の在処を知っている」

「……幽霊にプライバシーとか不法侵入なんて無関係ですしね」

「そういうこと。つまりこのイリス様に掛かれば犯人なんてちょちょいのちょいで分かっちゃうんだから! 皆集まってー!」


 その瞬間、千理はぞわっと寒気を感じた。それと同時に部屋の中をわっと半透明の動物達が埋め尽くし、実際はなんともないのに異様な圧迫感を感じてしまった。

 視界がごちゃごちゃする。寝不足なことも相まって気持ちが悪くなる。


「千理、大丈夫か」

「……うん」

「何かあればすぐに言え」


 すぐに彼女の異変に気付いた愁の心配そうな声に小さく返事をする。

 同じように半透明の彼が動物霊と重なりあって見えにくくなる。それを見たくなくて、彼女は途中掛けになっていた書類に意識を集中させた。




    □ □ □  □ □ □




「じゃじゃーん! しっかり見つけちゃったんだから!」


 翌日。結局昨日はろくに仕事が進まず、残りを片付けようと千理が学校帰りに霊研を訪れると、うさぎのぬいぐるみを掲げて自慢げにしているイリスの姿が目に入って来た。


「昨日の超能力者の話? すごいね、もう見つけたんだ」

「私に掛かれば当然よ」

「見つけたのは動物霊だけどね」

「私がちゃんと指示したんだから私の手柄なの! ……っていうかセンリ、また具合悪そうじゃない。なんで来たのよ」


 胸を張って威張っていたイリスが咎めるように千理を睨んだ。目の下に隈が出来ていることは彼女も自覚している。昨晩もあの事件ではないにしろあまり思い出したくない夢だったのだから。


「仕事終わってないし……」

「いやだから無理はしなくていいって言ったじゃないか」

「別にそこまで体調悪いって訳でもないですよ。昨日の残り片付けたらすぐに帰ります」


 呆れ顔の櫟に大丈夫だと言って席に着く。今日は愁が居なくてよかったと千理は心の中で安堵した。もし居たらやせ我慢がバレて無理矢理ポルターガイストで強制送還されそうだ。


「それで犯人はどうだったの?」

「イチイ、写真!」

「はいはいお嬢様。守川もりかわ――この男が件の超能力者だ」


 櫟が一人の男の写真と個人情報が書かれた資料を千理に見せる。至って普通の痩せた体の男性だ。とても強力な超能力者とも――人を滅多刺しにする人間とも思えない。

 だが何故か、千理はその男の写真から目が離せなかった。


「被害者とはどうやら金銭トラブルがあったらしい。とはいえそもそもこの被害者が闇金の取り立て屋らしくてね。彼みたいな人は沢山いるようだが」

「……櫟さん。ちょっとその写真よく見せてもらってもいいですか?」

「? いいけど」


 千理は鞄を適当に置いて差し出された資料を食い入るように見つめた。顔色の悪い眉間に皺を寄せて、険しい表情で長い時間その男を見つめ続ける。その様子に当然櫟もイリスも訝しげになった。


「どうしたんだ?」

「……思い出せない」

「は?」

「絶対に何処かで見たことがあるんですけど、思い出せないんです」

「千理が忘れることなんてあるの?」

「忘れてはない。頭の何処かにはしまってあるはず。けど、それがいつ何処だったか思い出せないだけ」


 千理は見たものを全て脳に詰め込む。しかしその記憶力には欠陥があり、それがいつの記憶かという情報が無い限り、脳内の引き出しから探し出すのが困難なのである。記憶している量が常人よりも遙かに多い弊害だろう。「ストレージは驚くほど膨大なのにメモリが壊れている」と以前言われたことが千理の頭に過ぎった。


「ただ単に何処かですれ違っただけとかじゃないのかな」

「そうかもしれないんですけど」


 しかし、何かが引っ掛かる。

 千理の直感がこれを見逃してはいけないと警鐘を告げている気がしてならないのだ。彼女は写真を持ったまま自分のデスクに座って、残った仕事のことも忘れて只管頭を回した。絶対にこの男を見たことがある。それもとても最近、見たことがあるはずなのだ。


「……まあいいや、とにかくこれから一度警察に言って裏付け調査と打ち合わせを――」


 何処だ。片っ端から最近の記憶を引っ張り出しては漁る。学校ではない。駅だろうか……違う。ならコンビニで……いや、これも違う。


 周りの声が聞こえなくなるほど写真に集中する。思い出せ、何処でこの男を――。










「相変わらず千理はすごいな」


 やめて。


「私よりもすごい人なんていっぱいいるよ」


 この先を見せないで。


「別に他のやつと比べる必要なんて無いだろ」


 後ろを振り向いて、逃げて。そうどれだけ願っても、千理の口はまったく別の言葉を吐き出す。


「あ、こら押すな! 縮む!」


 来るな来るなくるなくるな――!




 ――爆音。そして目の前から愁の姿が掻き消える。あっという間に走り去る車と、地面に落ちた愁と、誰かの悲鳴。どんどん周囲に人が集まって、まるで見世物のように愁を遠巻きに見ている。

 鮮明過ぎる記憶が彼女の眼前に突きつけられる。白い車が愁を……白い車、彼を撥ねたその車は。



「……っ!」


 自然と目が開いた。それと同時にまた眠ってしまっていたことを自覚する。静かな室内ではただ時折ぱらぱらと本が捲られる音だけがしていて、無意識にそちらへ視線を向けるとイリスがぬいぐるみを抱えて本を読んでいるところだった。彼女以外の人は居ない。


「あれ? いつの間にセンリ起きたの?」

「……」

「センリ?」

「そう……そう、だったの」


 何かに納得したように呟いた千理がふらりと立ち上がる。手にしたままだって資料がくしゃりと握り潰された。そのまま返事も返さずに霊研の外に出た彼女はおぼつかない足取りを徐々にしっかりしたものに変え――そして走り出した。


「センリ!? ちょっとミケ! センリを追っかけて!」




    □ □ □  □ □ □




 聞き慣れた音が鳴った。

 彼の家のインターホンはもう十年来変わらないもので、カメラが壊れているが直すのも面倒で放置されたままだ。誰かが来たことさえ分かればいいと音が鳴らなくなるまで買い変えるつもりはない。

 何か荷物を頼んでいただろうか。男は頭の中でそんなことを考えながら玄関へ行き、サンダルを履いていつものように何の警戒もせずに扉を開いた。


 ――その瞬間、目の前に勢いよく何かが飛んで来る。


「は!?」


 思考が追いつく前に脊髄反射で男はそれを受け止めた。……手も使わずに、それ――学生鞄が顔に直撃する前に宙に浮かせて止めてしまったのだ。



「こんばんは、超能力者さん」


 彼と鞄を隔てた先には、一人の小柄な少女の姿があった。制服を身に纏い、眼鏡を掛けたショートカットの彼女は無表情のまま、酷く歪な笑みを浮かべる。


「いや……」


 その目に、ドロドロとした憎悪を滲ませながら。




「――愁を轢き逃げした真犯人」


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