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霊研の探偵さま  作者: とど
一章
13/74

5-2 相棒


 魔界という場所がある。人間界とは異なる次元の、通常の生物では到底生きてはいけない闇の世界。そこに存在するものは悪魔や魔獣が殆どである。

 悪魔は魔界でそれぞれ自身の領域を持ち、手に入れた魂の管理などをしている。時にそれらは奪い合いになり、悪魔同士での戦いは魔界では日常茶飯事だ。そもそも他にろくに娯楽も無い為、悪魔にとって闘争とは何も珍しいことではない日々の生活の一部なのである。

 さて、そんな悪魔の中にも変わり者も存在した。闘争を好まず、攻撃されても反撃もしない、弱い弱い悪魔が。




    □ □ □  □ □ □




「お前……悪魔?」


 はっと顔を上げた先にあったのは、左腕に淡い光を放つ魔法陣を有したまだ幼い子供の顔だった。

 魔界とは全く違う眩しい空間に目を細め、金の悪魔は周囲を見回し、そしてぼんやりとしていた頭を少しずつ動かした。

 確か自分は、いつものように他の悪魔にいたぶられ、怪我を負いながら逃げていたはずだ。しかしそんな時突然覚えの無い魔力を感じ、気が付けばここに居た。


「……召喚、されましたか」

「って、お前ボロボロじゃん! 何だよその怪我!」


 人間に召喚されたのだと理解した直後、目の前の少年――自身を召喚したその子供は悪魔の体をまじまじと見て驚いたように声を上げた。

 この子供も運が無い。どんな理由で悪魔召喚なんてしたのか知らないが、よりにもよってこんな弱い悪魔を引き当ててしまったのだから。

 けれども悪魔自身にとっては幸運という他無かった。何せあの地獄よりも地獄の場所から逃げることが出来たのだから。


「ちょっと救急箱持って来るから待ってろよ!」

「いえ……そのうち治るので気にしないで下さい」

「そのうちって」

「人間とは違いますから。……それより、あなたが僕の召喚者ですね?」

「そうだ。お前名前は?」

「ありませんので好きに呼んで下さい」

「無い?」

「ええ。呼ばれる機会もなかったので」


 強いて言うなら他の悪魔には虫けらや雑魚など好き勝手に呼ばれていた。


「悪魔を召喚したということは契約したいことがあるんでしょう」

「けいやく?」

「違うんですか? 何か願いがあったのでは」

「ああそうだ! お前、俺の相棒になれ!」

「は?」

「俺は大きくなったら親父みたいに悪魔を相棒にして悪いやつを捕まえるんだ。だからお前、俺に力を貸してくれ」


 悪魔を相棒にするとはどういうことなのか。彼の父親がそうだというのがますます分からないと思い、金の悪魔は少年に説明を促した。

 少年曰く、人間界に召喚された悪魔や召喚した悪魔憑きが事件を起こした場合、それを捕まえる為の専門家がいるらしい。彼の父親もそうで、彼自身は悪魔憑きではないが、同じ部署にいる悪魔とバディを組んで仕事をしているらしい。


「少ししか会ったことないけど親父の相棒の悪魔はすげーらしくて!」

「……」

「だからお前、俺の相棒になれよ。けいやくでもなんでもいいから――」

「無理です」

「は?」

「すみません、僕は期待に添えませんよ。……弱いので」


 恐らく自身は悪魔の中で最弱だろうと金の悪魔は思っていた。魔力も多くなく、戦闘技術もない。他の悪魔に一方的に攻撃され、それに抗うこともしない。一度反撃しようとした時にもう二度と起き上がれなくなりそうな程に酷い目にあってから、抵抗することすら怖くなりひたすら逃げることしかしなくなった。


「それに……契約という言葉すら知らないということは、その代償も分かっていないのでは」

「だいしょう? って何だ」

「……むしろどうやって召喚を成功させたのか疑問なんですが」

「親父の部屋にあった本に書いてあった通りにやっただけだ!」


 胸を張ってそう言った少年に悪魔は頭が痛くなった。この子供は何も分かっていない。もし他の悪魔だったら早々に殺されていたか、良いように酷い契約を結ばされていただろう。

 はー、と大きく大きく溜め息を吐いた。自分が言うことではないかもしれないが、この少年はあまりに危うい。


「ならばちゃんと全て目を通すべきですね。悪魔との契約とは即ち破ることが許されない約束事です。一度契約を交わせば果たされるまで我々悪魔は必ずそれを守ることになる」

「? 別にいいじゃん。何が駄目なんだ?」

「そして僕が契約を守る代わりに、君は僕に代償……代金のようなものを支払う必要があります」

「え……それ、お年玉で足りるか?」

「渡すのは実際にお金ではありません。魂です。……誰か、君以外の人間の魂を僕に差し出す覚悟はありますか」


 そう尋ねた瞬間、少年は大きく目を見開いた。ここまで来てようやく事態の大きさを理解したのだろう。


「……魂を差し出すと、その人はどうなるんだよ」

「魂が無い人間は生きられない。死にますよ」

「っそんなの駄目に決まってるだろ! あ、俺がじいさんになって死にかけたらその時に魂をやるよ! それなら」

「駄目です」

「何でだよ。死んだ後のことなんて知らねーしそれでいいじゃん」


 あっさりと自分の魂を差し出そうとする少年にやはり溜め息が出る。悪魔によっては死後、未来永劫苦しみ続けることさえあるというのに、無知というものは恐ろしいものだ。

 だがしかし、そもそも問題はそこではない。


「駄目です。君の腕に書かれた魔法陣は契約書だ。僕がそれによって召喚された以上、その契約書に反する契約は結べません。必要なのは契約者以外の魂です」

「……」

「どちらにしろ、僕は弱いのでおすすめしませんよ。諦めて魔界に送還した方が――」


 ぐっと悔しそうに歯を噛み締める少年にそう言いかけた時、彼はふと我に返った。

 契約が結べないということは、此処にいる理由が無くなる……つまり魔界に帰るということだ。あの、永遠と続く地獄にまた戻らなければならないということに他ならない。


 嫌だ。

 そう思った瞬間、怪我をした体の痛みが急に強くなった。慣れたと思っていた痛みがじくじくと体を蝕み、その存在を主張する。耳元で、他の悪魔の嘲るような笑い声が囁いた。


「お、お前大丈夫かよ。急にどうした」

「っ、」


 突然絶句して酷い絶望の表情を浮かべた悪魔を見て、少年が心配そうに彼を窺った。怪我が痛むのかと再び救急箱を取りに行こうとする少年を呼び止めて、悪魔は少し迷った末に口を開く。


「……戻りたくないんです」

「ん?」

「僕は弱いから、魔界に戻ったらまた酷い目に遭う」


 だが、契約は行えない。言動からして正義感の強そうなこの少年は、どれだけ悩んだところで他人の魂を犠牲にするとは思えないからだ。

 そこまで口にしてから、悪魔は疲れたように肩から力を抜いた。こんな弱音、彼に言ってもしょうがないことだ。こうしてごく普通に会話が成立する相手なんて久しぶりで少し浮かれていたのかもしれない。

 ほんの少しでも心を休めることが出来た。それだけで十分だと思わなくてはと悪魔は自分に言い聞かせる。


「すみません、無駄なことを言いました。さて、送還の仕方は分かりますか?」

「戻りたくねえなら戻らなきゃいいじゃん」

「……ですから言いましたが、君が代償を払えない以上契約は」

「じゃあ契約なんてしなきゃいいだろ?」

「?」

「?」


 少年の言った意味が分からず悪魔は首を傾げたが、その態度を見て同じように少年も首を傾ける。


「別にそんな契約とかしなくても此処に居りゃーいいって」

「僕は悪魔ですよ? 契約も行わないのに人間界に居る意味などない」

「でも帰りたくないんだろ?」

「……ええ」

「じゃあうちに居ればいい。親父だって悪魔のことなら詳しいから不審者だと思われねえし……それに! 此処にいるんならそれこそ俺の相棒になれよ! ほら、これでお相子だし此処にいる意味が出来ただろ! 全部解決するじゃん」


 あっけらかんとして言われた言葉に、彼は一瞬思考を停止させた。契約もしないのに人間界に残る。契約もしないのに取引する。どちらも悪魔の常識には存在しない考え方だ。悪魔とは契約の為に存在するものなのだから。

 それでもその瞬間、悪魔の中で困惑や動揺よりも何より期待が勝った。


「い……いいんですか、それは」

「俺が許すからオッケー!」

「君が許すんですか。……ですが言った通り僕は弱いですよ。それでも本当にいいんですか」

「弱かったら強くなればいいだけだし」

「簡単に言ってくれますね……」

「じゃあ今日からよろしくな! 俺は朽葉英二だ。んでお前は……」

「だから名前は無いと」

「よし、お前の名前コガネにする」

「コガネ?」

「お前髪の毛も目も金色だし。コガネは金色の別の言い方だってこの前国語の教科書に書いてあったんだ。こうやって書くんだけど……ほら、きんより黄金こがねの方が一文字多くてお得だろ」


 にっと笑った少年――英二が見せて来た紙を手に取り、金の悪魔はその字を食い入るように見つめた。これが自分を表す言葉なのだと、一生忘れないようにその目に刻み込む。

 無意識に手が震えた。魔界から助け出され、まともに言葉を交わせる相手に出会えて、その人が自分を必要としてくれて、そして名前まで貰った。こんなに都合の良いことばかり起きてもいいのだろうか。


「コガネ……はい。僕は今日からコガネです。よろしくお願いします」

「おう!」


 だからせめて、彼に少しでも報いなければならない。黄金色こがねは心に強くそう誓って、英二に向かって手を伸ばした。




    □ □ □  □ □ □




 起きる度に、そこが魔界ではないことにコガネは酷く安堵する。


「ここは……」


 しかし今日はそうも言ってはいられないようだ。くらくらする頭を押さえて体を起こせば、途端にじゃらりと首元で音が鳴った。

 そちらを見てみればなんと首から鎖が垂れ下がり、それが傍にある柱に繋がっていることが分かる。首を触って見れば冷たい金属の感触がして、自分の状況を嫌でも理解することとなった。

 そして分かりやすく状況を示しているのはそれだけではない。どうやらコガネは檻の中に閉じ込められているらしく、そして目の前にはもう一つ別の檻が存在している。


「っ、千理!」


 そこに、磔のように手足を固定され立った状態で拘束されている少女を見つけたコガネはようやく眠る前の記憶を蘇らせた。

 千理と共に買い出しに行った店で突然体が動かなくなり意識を失ったのだ。慌てて檻の格子を握って千理を呼ぶと、まだ意識が戻っていなかったらしい彼女の頭が緩慢に動くのが見えた。

 そしてややあって、垂れ下がっていた頭が重たげに持ち上げられる。


「コガネさん……?」

「千理、大丈夫ですか」

「一体何がどうなって……ああ、そうか。多分あのお茶か。この待遇の差から考えて、あの女の人コガネさんに気でもあったのかな」

「……」

「っていうか腕痛いな。座りたい……」


 起きて早々瞬時に状況を把握し、コガネよりも随分先に思考が行っているらしい千理にこんな状態だというのに劣等感が刺激される。

 いやそんなことを考えている場合ではないと首を振る。とにかく今はこの状態を打破しなければ。


「コガネさん、持ち物は?」

「全部無くなっています」

「困ったな……とにかく外に連絡しないと」

「それは今しました」

「え?」

「いえ、連絡というほど詳細ではないですが……魔法陣を通じて英二に緊急事態だということは伝えられました」

「魔法陣ってそんなことも出来るんですか」

「とはいえ伝えられるのはそれくらいです。買い出しに行くとは言ってますからそんなに時間は掛からないとは思いますが……」

「十分ですよ。コガネさんが居てよかった」

「……無理に褒めなくてもいいんですよ」


 ほっとした顔をする千理にコガネは苦笑を浮かべた。先程役に立たないと落ち込んでいたので気を遣ってくれたのだと思ったのだ。


「千理、先程は八つ当たりをしてしまってすみませんでした。その上こんなことに巻き込んでしまって」

「巻き込まれたのはコガネさんも同じでしょう。それにあの人、多分私が来たから何か嫉妬して行動したんだと思いますし」

「でも、それなら尚更僕が原因ですよね?」

「……あのですねコガネさん。失礼ですけど、私そういうの大っ嫌いなんですよ」

「え?」


 怒っているという程ではないがむっとした表情で軽くコガネを睨む。何が気に触ったのかと悩んでいると、「そもそも前提がおかしいじゃないですか」と千理が苛立たしげに言った。


「薬入りのお茶を客に飲ませ昏倒させた上、監禁して拘束。明らかに犯罪です。そして私達はその被害者です。分かりますか?」

「そうですね?」

「なのになんでコガネさんが悪いって話になるんですか。学校のいじめでいじめられる方にも理由があるだとか、詐欺で騙される方も悪いだとか……百パー向こうが悪いに決まってるでしょうが! 自分を正当化できるとでも思ってんのか馬鹿野郎!」

「……」

「って個人的に思う訳です。だから悪いのは全てあの女です。まあ誰かを殺された復讐とかなら分からないでも無いですけど……とにかくそうやって余計に罪悪感背負う必要なんて無いですよ。誰の救いにもなりませんし」

「そういうものですか」

「そういうものです。コガネさんはむしろどうしてそこまで自分を追い込むんですか。正直最初に会った時から随分卑屈な人だなとは思ってましたけど」


 さらっと本人に直接そんなことを言った千理にコガネは自嘲した。確かに自分は卑屈で、英二にも度々苦言を呈されている。

 だって仕方が無いのだ。あの日の約束を守りたいのに、コガネはいつまでも弱いままなのだから。


「昔、英二と約束を交わしたんです」

「約束? 契約ってことですか?」

「違います。僕と英二は悪魔と悪魔憑きですがずっと契約はしていない。英二は他人の魂を差し出せる人間ではありませんから」

「……確かに、言われてみればそうですね。普通に悪魔憑きなら何かしら契約してると思ってました」

「ええ、それが普通です。ですが、僕たちは契約を交わさずに取引をしました。僕はどうしても魔界に戻りたくなかった。英二は悪魔の相棒が欲しかった。だから僕が人間界で暮らせるようにする代わりに、あの子の相棒になって力を貸すと約束したんです。……まあ、英二は当時今のイリスよりも幼くて、悪魔を相棒にしたいというのも父親に憧れたというのもありましたが、その時やっていたゲームの影響も強かったんですけどね」


 今思えば名前すらゲームのキャラクターにニックネームを付ける感覚だったのではないだろうかと思う。が、今となっては何でも構わない。コガネが救われたのは事実なのだから。


「だから僕はどうしても強くなって英二の役に立たなければならないんです。でなければ人間界に僕が存在していい理由はない。……そうでなくても、相棒と呼んでくれる彼に全く報いることが出来ないのが悔しくて堪らない」


 コガネの脳裏に幼い頃の英二が過ぎった。小さな子供がいつの間にか大きくなって、逆に自分が守られる立場になってしまっている。



『コガネ! イリスを連れて先に逃げろ!』

『しかし英二、』

『早くしろ! イリスに傷一つ付けたら承知しねえからな!』



 だからあの時も。


「英二の足に後遺症が残ったのも、僕の所為なんです」

「え?」

「英二が囮になって敵を足止めして……何とか生きて帰っては来ましたが足に酷い怪我を負っていました。あの時だって僕が戦えていれば少しは何か変わったのかもしれないとずっと考えていますし、また同じようなことが起こった時に今度こそ守りたいと思って……でも、お前は絶対に戦えないって英二に言われてしまいました」

「絶対に戦えない……?」

「他人を攻撃しようとすると、どうしても手が止まってしまうんです。痛みを想像して恐ろしくなってしまって、震えが止まらなくなる。……僕は悪魔なのに、ですよ?」


 戦うのが当たり前の悪魔だというのに、戦えない。銃ならどうだと持たされたこともあったがそれも無理だった。どうしても想像してしまうのだ。昔自分が魔界で散々受けた仕打ちを、痛くて痛くて堪らないあの苦しさを。どんな相手であれあんな痛みを与えることを躊躇してしまう。


「そうやって人の痛みを想像出来るってことは、コガネさんは本当に優しい人なんですね」

「僕はただの卑怯な臆病者ですよ。結局他人には戦わせるんですから」

「……うーん、コガネさんの卑屈振りは私では治せなさそうなんでとりあえず置いておきますけど、要はコガネさん、攻撃が嫌なだけで戦えないって訳ではないですよね?」

「は? それはどういう」

「だから、私みたいに運動神経が悪いとか壊滅的に戦闘センスがないとかそういう訳じゃないなと」

「え、ええ。身体能力は抜群だと以前訓練を付けてもらった方からも言われました。だからこそ生かせないのが勿体ないと」

「だったら別に攻撃しなくてもいいじゃないですか。守りに専念してみればどうです?」

「……守り?」

「サッカーだってディフェンダーとかキーパー必要じゃないですか。英二さん両手に銃持ってて明らかに攻撃極振りなんですからコガネさんが守ってあげた方がいいでしょ。この前だって咄嗟に走り寄って回避させてましたし」


 攻撃せずに、守るだけ。そんなあまりに単純な答えにコガネは絶句した。目から鱗が落ちるとはこのことだ。今まで誰も指摘せず、そして自分でも気が付かなかったのはコガネが“悪魔”だからだろう。

 基本的に攻撃が最大の防御だとばかりの悪魔ばかりで、攻撃せずに守りに徹するという悪魔は見たことがない。守っているだけでは勝てないし、そもそも闘争意識が強い種族なのだから。

 

「この前何かやってませんでした? 魔獣に攻撃されて時に」

「ああ、ちょっと魔力で障壁を張ることは出来ますが、正直殆ど使えたものでは」

「ちょうどいいのあるじゃないですか。障壁の範囲と強度は? それに継続時間と、あとそれって他人にも使えるんですか?」

「え、あの……全身を覆うと脆くなりますが範囲を狭めればそれなりの強度にはなります。時間はもって一分程度で、一応任意の場所にも使えますけど……」

「コガネさん動体視力は?」

「普通の人間よりは良いです」

「成程。つまり攻撃が来た瞬間にピンポイントで攻撃部位だけを守れば十分有用ですね。範囲が広い攻撃は回避すればいいし、そもそも人一人いるだけで敵の意識が分散されるのでそれだけでかなり変わって来る」

「……」


 あまりにとんとん拍子で進められる話に思わず置いて行かれそうになる。そんなに上手く行くだろうか。しかし訓練すればあるいは……戦うことが出来るようになるかもしれない。


「まあ机上の空論ですが、ここから脱出したら試してみる価値は――」

「あらあら、随分と楽しそうですね」

「!」


 僅かな期待がコガネの胸に宿ったその時、不意に扉が開いて女性――紙代が姿を現した。上品に微笑む彼女は先程の和服から着替え、白いワンピース姿でコガネの居る檻に近付いて来る。


「店を閉めて着替えもして、小金井さんも随分怯えてるんじゃないかって思ってたのに……残念。まだ状況がよく分かっていないようですね」

「紙代さん……何故こんなことを?」

「そんなの決まってるじゃないですか。わたし、あなたのことが好きなんです。初めて会った時からずっと――その可愛らしい顔が恐怖に歪む姿が見たくて見たくて堪らなかったんです」


 上品な微笑みが次第に恍惚としたものに変わる。それを見てコガネは喉の奥で引き攣ったような声を上げたが、それすら彼女を喜ばせるものにしかならなかった。


「いつ此処へご招待しようか考えていたんですが……ちょうどその子が一緒に来たものだからちょうどいいと思って。目の前でこの子が殺される姿を見たら、小金井さんはどんな顔をしてくれます?」

「や、止めて下さい!」

「ね、このワンピースもいいでしょう? 返り血がよく映えると思って着替えて来たんです」


 紙代は千理のいる檻の扉を開けると中へ入り、いつの間にか手に持っていたナイフを千理に向ける。それを見て彼女を止めようとしたコガネだったが、間にある檻の格子や鎖が邪魔で助けに行くことは不可能だ。そして千理もまた、磔にされ手足を固定された状態で逃げることなど到底無理である。

 千理は抵抗せずにじっと紙代を見つめて黙っている。それからナイフをじっと見つめ、そして最後に彼女は何かを訴えるようにコガネの方を見た。


「!」

「それじゃあ小金井さん、よく見ていて下さいね」


 紙代が心底嬉しそうにナイフを振り上げる。わざわざコガネに見せつけるように、彼の死角にならないような位置で千理の胸にナイフの刃が振り下ろされた。


 瞬間、ガキンと酷く固い音と共にナイフは弾かれる。


「な」

「……っ!」


 危ない。酷く緊張して体を震わせながら、コガネは一度深呼吸をした。こんなぶっつけ本番でやれ、とは千理も酷いことをさせる。失敗したら彼女の命は無いというのに。

 振り下ろされるナイフに合わせて千理の胸元に最大強度の障壁を張り、そしてすぐに解除する。これならば確かに使う魔力は少なくて済むが……その代わりに神経の消耗が激しい。


「何、あなた服の下に鉄板でも入れてるの?」

「さーてどうでしょうね」

「っ腹が立つわねこの小娘」


 千理がにやっと笑ってみせるのにコガネは頭を抱えたくなった。いくら上手く行ったとはいえ余計な挑発はしないで欲しいと。

 案の定紙代は苛立った様子で弾かれたナイフを拾い、今度は千理の首にナイフを滑らせた。咄嗟に障壁を首に展開すると再びナイフは通らず、紙代は困惑の表情でナイフと千理を見比べた。


「どうして」

「すごいでしょ? 私にはコガネさんの加護がありますから」

「加護……ですって?」

「そうです。あなたには見えない絆ってやつ」


 見えないのは絆ではなく壁なのだが、そんなことを知る由も無い紙代は困惑の表情から一変、一気に憎悪を露わにした。


「惨たらしく死になさい!」

「死にませんよっと!」


 ナイフを両手に持った紙代が勢いよく千理の額にナイフを振り下ろす。しかしその瞬間、千理は待ってましたとばかりに頭を後ろに仰け反らせ、そして一気にナイフに向かって頭を前方に振ったのだ。

 瞬間、ナイフは障壁と頭突きの勢いに遠くに吹き飛ばされ、そして全体重を掛けるようにしてナイフを持っていた紙代は、そのまま千理の頭突きに巻き込まれて額に強烈な衝撃を受けた。

 大きく体をぐらつかせた彼女は額から血を流して仰向けに倒れる。それを見て千理は「よっしゃ」と小さく呟いた。


「コガネさんありがとうございます。ホント助かりました」

「冷や冷やしましたよ……! あんなに煽らないで下さい」

「だって頭の届く範囲に来て欲しかったので。手足固定されてるから頭突きしかないですし」

「それにしたって――」

「千理!!」

「おわっ!?」


 その時、突如として千理の真横の壁から人間が生えた。


「愁」

「無事か」

「大丈夫だよ」


 否、ただの――ただのと言っていいのか不明だが――霊体の愁が通り抜けて来ただけである。続いて部屋の外でばたばたと足音が聞こえ、コガネは思わず体から力が抜けて床に座り込んだ。


「ようコガネ、千理。元気そうだな」


 程なくして扉から入ってきた来たのはやはり英二だった。しかし彼は愁のように焦った様子はなく悠々と二人の元へ歩いて来ると、床に倒れて気絶している紙代を一瞥して舌を打った。


「ったく、こんな変態がいる店に今まで買い出しに来てたとか冗談じゃねえな。千理、災難だったな」

「全くです。けどコガネさんが守ってくれたので本当に助かりました」

「ああ、見てたぞ。頑張ったな、コガネ」

「……え? 見てた? どういうことですか」

「なんだお前、忘れたのか? この前言ってたろ、緊急信号だけじゃ心許ないから視覚を共有して情報を伝えられるようにしたいって。一度試すから術に組み込んでおくっつって」

「……完全に忘れてました」


 コガネは頭を抱えた。そういえばそんなことを言っていた。視界からの情報を得ることができれば緊急事態でもより正確に事態を把握できるだろうと思い術を改良し、今度実際に試してみるつもりだったのだ。


「視覚共有って、悪魔ってそんなことも出来るんですか?」

「ただの悪魔は出来ねえよ。うちの相棒はすげーからな」

「!」

「古い悪魔だからこそ膨大な知識を持ってるし、それを生かして悪魔関連の事件の手がかりを掴んだり、新しい術を生み出したり。んでもって、今回は他のやつを守った。ホントにすげーやつだよ」

「……英二」

「悪かったよ。お前に戦い以外の方向に目を向けさせようとしてわざとキツい言い方をした。結果的に俺がお前の可能性を潰していただけだったな」

「謝らないで下さい。僕が意固地になって周りが見えなくなっていただけですから」


 愁がポルターガイストで無理矢理紙代から引きずり出した(腹いせに空中でひたすら体をシェイクされていた)鍵で檻と首輪の鍵を開けるとようやく自由になる。一息吐いて立ち上がったコガネは、英二が警察に連絡し終えるのを待ってから話しかけた。


「英二」

「あ?」

「僕もこれから戦いに加わってもいいですか。勿論無理はしません。攻撃もしません。ですが英二を、皆を守らせて下さい」

「……」


 英二を、イリスを……そして他の霊研の職員を守る。コガネがそう決意したが、英二はしばらくじっとコガネを見た後、答えることなく踵を返した。


「霊研に戻るぞ」

「英二」

「地下に来い、俺の銃弾全部防げるようになったら許可してやるよ」

「! 望むところです!」


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