表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊研の探偵さま  作者: とど
一章
12/74

5-1 嫉妬


 霊能事象調査研究所。一般人ならまず首を傾げるであろう看板を掲げるその建物に、一人の男が入っていく。とは言え入ると言っても扉を開けた訳でもない。彼はそんなことをする必要もないのだから。

 桑原愁は、扉をすり抜けて霊研の中に入ると誰も居ない室内をぐるりと見回した。呼び出されたはいいもののまだ相手は来ていないのかもしれない。

 平日の真っ昼間である現在、千理はまだ学校で授業を受けており此処に来たのは愁一人だ。ひとまず待っている間にまたポルターガイストの練習でもしていようかと考えていると、不意に書庫に繋がる奥の扉が開かれた。


「……あ、愁。もう来ていたんですね。待たせてしまいましたね」

「今来たところだから問題ない」

「ならいいんですが」


 現れたのは眩しい金髪が目を引く青年、コガネだった。彼は手にしていたファイルを傍の机に置くと、少し改まった様子で「呼び出してしまってすみません」と軽く頭を下げた。


「俺は霊研の仕事さえなければ暇だから構わないが、用とは何だ?」

「実は、愁に頼みたいことがありまして」

「俺に?」


 現在肉体が行方不明である愁に出来ることなど限られている。基本的に物には触れられない上、頭脳労働ならば当然千理の方が向いている。だというのにわざわざ愁一人を呼び出した理由とは一体何なのか。

 見当が付かずにコガネの言葉を待っていると、彼は少し迷うように視線を彷徨わせた後に真剣な眼差しで愁を見上げた。


「僕に……戦い方を教えて下さい!」

「戦い方?」


 愁は僅かに表情を動かして訝しげに眉を顰めた。確かに霊体の愁であっても悪魔のコガネならば触れられる。だから戦いを指導することは物理的には可能だろう。

 しかし可能だからと言って実際にできるかと言うと少し違う。


「悪いが俺は誰かに教えるのは得意じゃない。他の人……体術なら櫟さんに頼んだらどうだ」


 愁の家は道場だが、祖父のように指導できるとは到底思えない。幼い頃から習っている時ですら感覚で体を動かしており、それを言語化しろと言われても難しいのだ。そもそもそうでなくても普段の日常生活ですら「私は何となく分かるけどもっと思ってること喋って! 一人で納得するんじゃない!」と千理に怒られることもしばしばあるくらいだ。

 その点櫟ならば口が上手そうだし面倒見もいい。おまけに彼は実はかなり強いと愁はそれとなく感じ取っている。本気で戦っているところはまだ見たことはないが。


 しかし、コガネは苦い顔をして首を横に振った。


「いえ、所長ではなく愁に頼みたいんです」

「何故だ?」

「……何でもです。とにかく、お願いします。代わりに何か望みがあれば言って下さい。僕に出来ることなら何でもしますから」

「別に見返りが欲しい訳ではないが。……分かった。そこまで言うのなら指導しよう」

「ありがとうございます!」


 途端にぱっとコガネの表情が明るくなる。早速スーツの上着を脱いで地下にある訓練施設に向かう彼の後ろ姿を眺めながら、愁は指導中の祖父を思い出して軽く溜め息を吐いた。さて、どうなることやら。




    □ □ □  □ □ □




「……あ?」


 朽葉英二が霊研を訪れると、そこには誰の姿もなかった。

 今日は古巣である警視庁で銃の指導をしていた。それが終わり予定外に警察から受け取った依頼を手に戻ってきたのだが、部屋の中はがらんと静まりかえっている。


「コガネ? 居ないのか」


 今日は雑務があるからと先に来ているはずの相棒を呼ぶが返事はない。が、彼のスーツはソファに掛けられているので居るのは間違いない。


「……」


 英二はその黒い上着をじっと見つめた。悪魔は気温の変化に鈍い。よってわざわざ上着を脱ぐのは料理をしている時か、もしくは――。

 英二の目が地下への階段に繋がる扉へ向く。或真の怪物達の訓練にも使われる地下施設は広く頑丈に作られており、そして防音もしっかりしている。彼が扉を開けて階段を下り始めると、徐々に物音と人の声が聞こえて来るようになった。


「――踏み込みが甘い、もっと力を籠めて打て」

「はい!」


 そこでは、英二の想像通りの光景が広がっていた。

 広い地下室の真ん中でぽつんと立つ二人の男。半透明の男が繰り出した右腕を金色が間一髪で避け、そして反撃を加えようと腕を振りかぶる。しかしあっという間にその腕は掴まれて、足払いをされると共に地面に転がった。

 倒れた金色――コガネは大きく肩で息をしながら立ち上がり、腕を離した半透明――愁に向き直る。


「もう一度お願いします」

「構わないが……コガネ、お前は」

「止めとけよ」

「!」


 急に割り込んできた声にコガネが肩を飛び上がらせる。慌てて振り向いた先に見えた英二を捉えた瞬間、彼の表情が大きく崩れた。

 それはまるで、悪いことをしているのが見つかった子供のような。


「英二……」

「コガネ、何度も言っただろ。お前に戦いは無理だってな」

「ですが! ですが、僕が戦えるようになれば戦術も大きく変わるはずです。銃を持つ英二の前衛として敵を牽制して、守れるようになれば」

「だから何度も言わせんな。無理だ、お前は絶対に戦えない。いい加減諦めろ」

「っ僕が……僕が、戦えていたら、あの時だって――!」


 その瞬間、コガネはっと口を閉ざした。そして英二の表情が僅かに歪んだのも同時だった。どちらも酷く気まずそうに黙り込み、両手をぐっと握り込む。

 広い地下室が沈黙で満たされること数秒、先にそれを破ったのはコガネの方だった。


「すみません。そういえば買い出しに行かなければならないのを忘れていました」

「おい待て、コガネ」

「愁、指導ありがとうございました」


 二人の言い争いを黙って見ていた愁にコガネが頭を下げて早足で歩き出す。英二が止めるものの彼は足を止めず、つかつかと出口へと向かっていく。


「櫟にも言われただろ! お前はお前の出来ることをやればいいんだ!」


 英二が言い終えると同時に扉は閉められた。結局一切返事をしなかったコガネに溜め息を吐くと、彼は何を考えているのか分からない顔で静観し続けていた愁を振り返る。


「面倒に巻き込んで悪かったな。だがもうあいつに頼まれても相手をしなくていい」

「英二さん」

「何だ? 言っとくが口出しは」

「俺が言うのもなんだがもう少し言葉を選んだ方がいいと思う。それがたとえ事実だとしても」


 淡々と発せられた言葉に英二が軽く目を見開いた。てっきりコガネへの態度を非難されると思った――いやされてはいるが言われた言葉は少々予想外だった。


「……お前にも分かったのか」

「一度組手をすれば分かるに決まっている。先に誰かに教わったのか基礎はよく出来ている。身のこなしも速さも申し分ない。特に動体視力と反射神経がずば抜けている。身体的に言えば文句なしだ。だがあくまで身体的には、だが」

「ああ、あいつは……敵だろうと何だろうと、根本的に他人を傷付けられるようなやつじゃない」


 愁は先程のコガネの動きを思い出す。動きだけで言えば中々の逸材だった。動きにくい服装だというのに目を瞠る素早さと咄嗟の判断能力。だが肝心の攻撃に転じた瞬間、一気に動きがぎこちなくなり拳に力が乗らなくなった。


「うちの道場でも、人を攻撃するのに躊躇いを感じるやつは初心者に多い。そこからおいおい慣れて行くものだが」

「あいつのあれはもう治らねえよ。何せ何十年も年季が入っててな、前にも何度か他のやつに教わっていたが全員に匙を投げられた」


 櫟もそのうちの一人だ。霊研に入ってすぐに教えを請うたがたった三日で無理だと判断された。だからこそ櫟は「人には向き不向きがある、苦手はことは任せて得意なことをすればいい」と諭していたのだ。……だが、その言葉は残念ながらコガネに届いて居なかったようだが。


 英二は再度大きく溜め息を吐くと、完全に閉まった扉を見ながらぽつりと呟いた。


「コガネは、あまりにも優しすぎるんだよ」




    □ □ □  □ □ □




「出来ること……」


 去り際に英二から言われた言葉を小さく呟きながら、コガネは奥歯を強く噛み締めた。

 あの場から逃げ出したかったとはいえ買い出しがあったのは本当だ。事務用のコピー用紙からはたまた悪霊を追い祓う為の札に使う特別な和紙まで、紙ならば何でもそろう専門店。霊研御用達であるその店に向かいながらコガネは重たい体を動かした。

 何度も何度も無理だと言われた。自分は戦いには向かないのだと、他人を傷付けることに心底躊躇いを覚えるコガネに戦闘は不可能だと、調査室に居た頃から嫌というほど耳にした。

 警視庁特殊調査室悪魔部門。あの場所に英二と共に所属していた頃は他にもコガネと同じように人間と契約した悪魔が居た。彼らはコガネとは違い強く、自らの主を立派に守っていた。

 コガネは弱い。攻撃できないこともそうだが、魔界でも指折りの古い悪魔だというのにそもそもの悪魔としての力が弱いのだ。それもこれも、彼の気質の問題であるのだが。


 あの銀色の悪魔にも、悪魔の癖に人間に守られていたことを蔑まれた。だから尚更、英二と共に戦い悪魔を拘束した愁に憧れと嫉妬を同時に抱き、やはり自分も戦えなければと強く焦燥を覚えたのだ。

 それに、焦りを感じたのはそれだけが理由ではない。


「あれ、コガネさん」

「っ!」


 歩いたままぼんやりと沈んでいた思考が一気に浮上する。勢いよく俯いていた頭を上げると、そこには友人らしき人間数人と連れ立って居た制服姿の千理がコガネを見ていた。


「千理……」

「ね、ねえ千理。もしかして……その、桑原君を忘れる一心でホストに走った……?」

「失礼! 私にも愁にもコガネさんにも失礼! あの人はバイト先の人だよ!」


 一瞬身を強張らせたのもつかの間、千理の隣に居た女子が躊躇いがちに彼女の腕を引いてそう言った瞬間、色んな意味で気が抜けた。

 更に追い打ちを掛けるように逆隣に居た少女もコガネを窺いながら「千理のバイト先ってホストクラブだったの?」とこそこそ聞いている。……そんなにホストに見えるのだろうかと、コガネは思わず自分の姿をまじまじと見下ろした。


 そうこうしていると友人に手を振って千理がコガネの元へとやってくる。


「外で会うなんて珍しいですね。今日は休みですか?」

「いえ、ちょっと備品の買い出しに」

「成程。じゃあ私も着いていってもいいですか?」

「え?」

「霊研の買い出しなんてどんなのか気になりますし、私が行く時の参考に」


 細いフレームの奥にある目を興味で輝かせながらそう言う彼女に、コガネは一瞬返答に詰まった。思わず口に出しそうになった言葉を喉の奥に引き戻し、冷静に考えろと心の中で自分に言い聞かせる。


「霊研の、と言っても特別珍しいものはありませんよ。精々札に使う紙くらいです」

「十分珍しいと思いますけど」

「そうですか?」

「価値観の違い……! でもまあ邪魔だったら別にいいんですけど」

「……いえ、構いませんよ」


 此処で自分の気持ちを優先すると負けのような気がして、コガネは静かに頷く。実際たかだか買い出しに邪魔もないのだから、彼女の言葉を断る正当な理由など無いのだ。

 コガネはできるだけ千理の存在を意識ないようにしながらいつも通りの道を辿って紙屋に向かった。裏路地の目立たない場所にある『紙代用具店』と小さな看板を掲げるその店にはすぐに到着し、中の様子を窺うことの出来ないしっかりとした作りの引き戸を開けた。


「――あら、小金井こがねいさん。いらっしゃい」


 ふわりと紙特有の匂いが広がった瞬間、店の奥から声が掛けられる。落ち着いた女性の声は馴染みのあるもので、コガネは店内に入りながら奥から姿を現した和服姿の女性に会釈した。

 此処ではコガネは小金井という名前の人間で通している。一瞬首を傾げた千理はすぐにそれを理解して特に反応はしなかった。


「どうも、紙代かみしろさん。注文していた商品を取りに来たんですが」

「いつもご贔屓にありがとうございます。それに……今日は珍しくお連れ様もいらっしゃるんですね」

「ええ。うちの新人です」


 紙代と呼ばれた女性は、如何にも大和撫子という言葉を体現したような凜とした美人だった。年の頃は英二と同じくらいだろうか、彼女は千理に目を向けると、美しく微笑んで「今お茶をお出しますね」と店の奥に入っていった。


「綺麗な人ですね」

「ええ。来る度にもてなして下さる親切な方です」

「それにしても……ホントに紙ばっかりだ」


 千理は物珍しげに店内をぐるりと見回した。何処を見ても紙、紙、紙。コピー用紙、厚紙から包装紙、和紙、中には布なのか紙なのか判別に困るものなど、あらゆる種類の紙が天井から床までぎっしりと積み上がっている。ある意味壮観である。


「お待たせしました。注文の品は後ほどお持ちしますのでごゆっくり」


 店のあちこちを忙しなく観察していると、ほどなくして湯飲みを持った紙代が戻って来た。かと思えばまたすぐに奥に引っ込んでしまい、忙しそうだと思いながら千理はコガネの元へ戻った。


「頂きましょうか」

「はい。……あ、何か珍しい味」

「僕もこれは初めてかもしれません」


 設置されていた椅子に腰掛けて茶を啜ると、初めて飲む味がした。まずくはないが、特別美味しいという訳でもない、何とも言えない味だ。

 何のお茶なのだろうかと千理が頭の中の引き出しをあちこち引っ張り出していると、ふと傍に座るコガネが湯飲みを手にしたまま俯いて黙りこんでいるのに気が付いた。その表情は、随分と暗いものに見える。


「コガネさん、どうかしましたか?」

「……千理。聞きたいことがあります。あなたは、戦えませんよね」

「? はい。護身術とかもやってないですね。そもそも運動神経もあんまり良くないですし」

「戦いたいと思ったことはありますか。こうして霊研に入って、危ない事件にも首を突っ込まざるを得なくなるかもしれません。そういう時の為に自分も戦えるようになっておいた方がいいと思いませんか」

「……んー、何というかですね」


 千理は言葉を選ぶようにしながら少し悩んで口を開く。


「確かにそういう場面、これからあるかもしれません。でも私が下手に付け焼き刃で戦おうとするのも危険ですし、それに愁に任せた方が上手く行きますから」

「愁が居ない場合はどうするんですか」

「そこはまあ、出来るだけ戦闘にならないように色々手を回します。なったらなったで、直接戦わずに罠に嵌めたり、とにかく逃げて隠れたりとか。私は頭脳労働の方が得意なんで、戦闘は出来る人に頼みますよ」

「……」

「コガネさん?」

「もし……もし、自分が戦わなければ仲間が死ぬ。そんな場面でも同じ事が言えますか」

「え、」


 コガネが顔を上げて千理を見つめる。暗い表情なのに目だけはぎらぎらしていて、そのアンバランスさが少し不気味だった。


「僕は戦わなければならない。英二に守ってもらうんじゃない、誰かを守れるようにならないと……そうじゃないと、またあの時のように」

「コガネさん」

「でも駄目だ。そう決意しても、僕はずっと駄目なままなんです。憎らしい敵すら殴ることができない臆病者で、無力で、何にもできない役立たずのままで」

「役立たずなんかじゃないです! 霊研の皆だってコガネさんのこと頼りにしてます!」

「嘘だ、ろくに戦えもしない僕なんて」

「戦えなくたっていいじゃないですか! 私もイリスも鈴子さんだって戦えません。コガネさんはコガネさんが出来ることを――」

「僕は君とは違う!!」


 コガネが立ち上がって叫ぶと同時に椅子が倒れた。その衝撃で傍にあった紙の山が崩れ、ばさばさといくつもの紙が宙を舞う。

 驚いてコガネを見上げる千理を睨み付けて、彼は吐き捨てるように声を上げた。


「君のような類い稀な頭なんて無い、イリスや鈴子さんのような力もない、誰にでも出来るような雑務しかこなせない出来損ないだ! そんな雑務すら……千理、君が来てからどんどんお役御免になってしまう」


 霊研に新人が来た。最初にそう聞いた時は新たな仲間を歓迎したが……彼女が作成した報告書や、自分がやる前にいつの間にか綺麗になっていた書庫を見て、コガネは歓迎の気持ちよりも危機感や劣等感が勝った。自分の役目が奪われる。今まで皆あまり得意だと言えず「コガネが居てくれて助かる」と言われていた報告書の作成も千理の方が出来がいい。

 居場所がなくなる。このままでは霊研に……この世界に居ていい理由がどんどん無くなってしまう。


「役に立たなければ……そうしなければ僕に――」


 存在する価値なんて無い。そう言おうとした刹那、急に口が回らなくなった。口だけではない、全身が痺れたように力が入らなくなり、コガネは崩れるように床に倒れ伏す。


「こが、ねさ……」


 ほぼ同時に、千理が椅子から転げ落ちた。何が起きたのか分からず目を白黒させていたが次第に意識すら強制的に失われそうになり、コガネは抵抗するように傍にあった紙を握りしめて意識を保とうとした。

 しかしそれももって数秒だった。店の奥から人の足音が聞こえてくるのを微かに聞きながら、コガネは握りしめていた手から力が抜けていくのを感じた。





「……ふふ。小金井さん、あなたが悪いのよ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ