3-3 金色と銀色
「一、十、百、千、万、十万、百万……」
お世辞にも綺麗とは言いがたい、沢山の物が散乱した部屋の中。その中央で座り込んでいる男は通帳に記載された数字を指でなぞりながらにたにたと笑みを浮かべていた。
沢渡という名前のこの男は成人済みの元フリーターだ。数ヶ月前に仕事を辞めて以来、しかし通帳の数字は不思議なほど右肩上がりに増え続けている。
「またそれ見ているのか? まったく飽きないものだな」
「……シルバー」
ふっ、と背後から聞こえてきた声に沢渡は通帳から顔を上げて振り返る。そこにいるのは薄暗い部屋にはまったく似つかわしくない銀色に輝く髪と目が特徴の男が腕を組んで立っていた。いや、一番重要な特徴はそこではない。彼を見て一番に目を引くのは勿論、彼の背後に広がる銀色の翼の方である。
シルバーと呼ばれた男は、所謂悪魔と呼ばれる存在だった。……そう、彼と出会ってから沢渡の人生は一変してしまったのだ。
大学を出てからもふらふらと適当にバイトを転々としながら実家で暮らしていた沢渡は、ある日母親から「たまには家のことも手伝いなさい」とせっつかれ嫌々庭にある倉庫の整理をすることになった。
その時に偶然、何やら如何にも怪しげな内容の書物を発見したのだ。中身は英語だったが手書きで全て翻訳されており、気になって読んでみればそれはなんと悪魔召喚の本だったのである。
思わず笑ってしまった。家族の誰がこんなオカルト本を買って、しかも丁寧に翻訳までしたのかと。しかもその本は相当古く、もしやあの堅物の祖父の遺品かもしれないと思うと余計に笑えてくる。
掃除に飽きていた沢渡は暇つぶしに床に転がっていた水性ペンを拾い上げて、本に掻かれていた魔法陣を手の甲に書いてみた。意外と難しくて苦戦したが完成すると妙な達成感があり、彼は満足してから休憩しようと立ち上がり倉庫の外に出ようとした。
しかしその瞬間、沢渡の足が傍の棚を軽く蹴ってしまい上から何かが降って来たのだ。
「い、ってぇ……」
反射的に顔を上げた所為でそれは彼の顔面に直撃した。何かと思えばそれはあちこちがささくれ立った古い木の板で、沢渡は痛みに呻きながら鼻を押さえる。と、鼻血まで出てしまったようで彼は舌打ちしながら手でそれを拭った。
――その瞬間、突如として鼻を押さえていた左手が光り出したのである。
「は?」
慌てて手を顔から遠ざけて見てみると戯れに描いたはずの魔法陣が光っている。唖然としてそれを見ていると更に何も無かった目の前にも光が溢れ、そしてそれは人型になった姿を現した。
「俺を喚んだのは貴様か。俺はギン、さっさと契約を行うぞ」
「……マジで?」
鼻を押さえるのも忘れて血塗れになりながら、沢渡は目の前の銀色を見てそう呟くことしか出来なかった。
結果的に、ギンと名乗った男は本当に悪魔だった。いや本望の悪魔かどうか彼が判断することはできないが少なくとも人間ではない存在だったのだ。
すぐに契約をと迫る銀色の悪魔だったが沢渡には何の知識もない。それを知った悪魔は大層呆れた表情を浮かべていたが、仕方が無さそうに彼に最低限の悪魔についての知識を叩き込んだ。
なおその時に「ギンって名前だせえな」と呟いた沢渡の発言によって悪魔はシルバーと名乗ることにした。どっちもあまりに安直だがまだ英語の方がましらしい。
そもそも悪魔は真名を隠す為に適当に名前を付けているだけなので彼自身にこだわりなどはない。というよりも翻訳の関係でその国の言語で銀色を名乗っているだけなので実際何も変わらないのである。
「金なんぞただの紙切れに固執する人間は理解できんな」
「俺達にとっての金はお前らにとっての魂に等しいんだよ。つまり力だ」
「……まあ、貴様との契約は俺にも十分利益がある。精々末永く付き合ってやるさ」
通帳を閉じながら沢渡はシルバーを軽く睨む。人間所詮金が全てだ。今まで定職に着かない生活にさんざん苦言を呈してきた両親だって、彼が「株で稼いだ」と一ヶ月十万円を家に入れたら態度が一変した。どんな方法だろうと金があればそれで人生上手く行くのである。
沢渡がシルバーと交わした契約がシンプルに『金』だ。それもただの金ではなく、定期的に楽して金が手に入る手段を提示し、それに協力することだった。
それに対して悪魔はこう提案してきた。人を殺害するまじないだと言って自分を呼び出す魔法陣を他者に売り、人を殺す契約をさせる。シルバーが目的の人間を殺害し、その間に契約者はアリバイを作って完全犯罪を作り上げる。契約完了後、シルバーは沢渡の元へ戻り、契約者は効力を失った魔法陣が完全に体から消え去るまで大凡一週間ほど隠し通せばいい。
沢渡は一銭も損せずに金を得、シルバーは契約時に生け贄の魂を得て、契約者は憎い相手を殺せる。誰もが得する契約だ。そして万一警察に嗅ぎ付かれても沢渡がやったことはとある模様を望む人間に売っただけ。それによって人が死のうと証拠もなければ、そんな紙切れに力があるなんて誰も本気にしない。
売る人間には最初はタダで渡してやればいい。そしてシルバーを召喚した時点で金を要求する。本物の悪魔が目の前に現れれば流石に詐欺ではないことが分かるのだから。そして金が支払われた段階で契約を実行するのだ。
実に楽で完璧な計画だった。沢渡自身の契約に必要な魂は路地裏で疲れ切った顔をしていたホームレスを使った。社会に必要ない物を活用するだけなのだから誰も文句はないだろうし、ろくに捜査もされないだろうと踏んだのだ。実際ホームレスが一人死のうがテレビにも新聞にも一切報道などされていない。
「さて、そろそろ売る場所を変えた方がいいな。むやみに評判になってしまっても困る」
「そうか? どうせ疑われたとしても俺まで辿り着くことなんてないだろ。ネットも使ってないし売る相手にだって俺の顔見せないようにしてるしな。足なんて付かない」
「殺した人間はともかく、魂を奪った相手は外傷もない。不審死が増えれば流石に怪しまれるだろう。長く続けるのなら表沙汰にならないように慎重になるべきだ」
「……ふうん。まあそうだな」
冷静に忠告するシルバーに沢渡も納得して頷く。この突然現れた悪魔のことを彼は案外信用しているのだ。お互いに利益があるからこそ自分に不利益になるようなことは言わないだろうという確信がある。
次は旅行がてら離れた場所で商売を行うのもいいかもしれない。そう考えて少し楽しい気分になって来たところで、水を差すようにドアがノックされた。思わず舌打ちが出てしまう。
「翔、あんたにお客さんよ」
「は? 客?」
「何か草臥れたおじさんだったけど……あんた、何かまずいことなんてしてないでしょうね?」
「するわけないだろ! っていうか誰だよそれ」
「知らないわよ。いいからさっさと出なさい」
扉越しに母親と会話をしながら、沢渡の脳内で様々な可能性が過ぎった。基本的に引きこもりの彼に心当たりのある知り合いなど居ない。だとすれば考えられるのは――。
「恐らく商売関係だろうな。だから言っただろ、慎重になるべきだと」
「うるせえよ! というかそんなの今更だろ。一体何処でバレたんだか……」
「もしかして商売の後に尾行でもされたのかもな。まあ何にせよ敵か商売相手か、問題はそこだ」
「……」
シルバーの言葉に沢渡は黙り込む。一番ましなのは何処かで話を聞きつけて自分も悪魔を召喚したいと願う商売相手だ。ただそれが例えば彼の手に負えないような存在――ヤクザなどだった場合は最悪の事態になる。まだ証拠が無いと確信できる分警察の方がましまである。
とにかく無視すれば何が起こるか分からない。沢渡は取り越し苦労であれと願いながら部屋を出て、そして緊張しながら玄関の扉を開けた。
「――ああ、あんたが沢渡翔だな?」
開かれた扉の先に居たのは、母親が言う通り少し草臥れた印象がある男だった。皺の寄った上着を羽織ったその男は片足に重心を掛けていた体勢を戻して沢渡に向き直る。やはり見たこともない人間だ。
「誰だよあんた」
「これ」
「!」
「この模様、売ったのあんただろ? ちょっと話がしたくてな」
沢渡の言葉を無視して唐突に男が一枚の紙を彼の眼前に突きつける。そこに描かれていたのはあまりに見覚えのある模様……魔法陣であり、沢渡は思わず息を飲んだ。予想はしていても実際に直面するとどうしても動揺してしまう。
「……」
「誤魔化そうとしても無駄だ、全部調べがついてるからな」
「あんた……何者だよ」
「さあ? 何だと思う?」
「ふざけんなよ……!」
「まあ怒るな怒るな。とりあえず家の前で立ち話もなんだ、移動しようぜ」
「……」
明らかに会話の主導権を握られ、沢渡は焦りと苛立ちで唇を噛んだ。落ち着け、冷静になれ。何度もそう頭の中で繰り返した後、彼はすっと無表情になって顔を上げた。
「近くに小さい公園がある。話はそこで」
「分かった」
「着替えて来るから少し待ってろ」
そう言って沢渡は一度家の中に入った。ばくばくと煩い心臓の音を聞こえないふりをして、彼はそっと右上に浮かぶ銀色に目を向ける。
「どう思う」
「何者かは分からんが……まあ殺してからゆっくり死体を調べてみればいい」
「……」
「心配する必要はない。きっちり証拠隠滅して跡形も無く消し去ってやる。お前は話が終わったらさっさと戻って旅行先でも考えているといい」
「……召喚されたのがお前でマジで良かった」
淡々とそう告げた悪魔に向けて沢渡は安堵の笑みを向けた。
□ □ □ □ □ □
「決まりですね。犯人はこの沢渡という男です」
警視庁内の一室で、千理は沢山の資料で埋め尽くされた机に手を置いてそう断言した。
若葉から受け取った、恐らく魂を奪われたであろう被害者のリスト。ついでに同時期に起こった未解決の事件を洗えば悪魔と契約した人間を数人割り出すことが出来た。後は彼らを取り調べて黒幕を探し出すだけだ。
流石に黒幕も顔を晒していることが無かった為そこは難航しかけたものの、英二の一言でそれはいとも簡単に解決へと向かった。
「人間に聞いても分かんねえなら、人間じゃねえもんに聞きゃあいい」
取引した店は判明しているのだ。だからこそその周辺で悪魔を目撃したモノが居ないか聞き込みを行うというのだ。霊研に入って日の浅い千理では到底思いつかない考えによって、周囲に彷徨う比較的自我のある幽霊に聞き込みをすることで犯人を割り出すことが出来た。
「で、こいつは確実に悪魔を連れてる。恐らく戦闘になるだろうが……千理、お前どうする。戦えねえし後は俺達に任せてもらってもいいが」
英二に問いかけられた千理は少し考えた後、愁の方を見てから英二を振り返る。
「……私が居ると邪魔になりますか?」
「いや、表立って犯人の前に出なきゃ問題ない」
「なら連れて行って下さい。“見て”おけるものは全部見ます」
「分かった。ならコガネ、頼むぞ」
「……はい、分かっています」
コガネが頷くのを確認して、全員が部屋の外へ出る。作戦開始だ。
まず黒幕の自宅へ英二一人で訪問し、そして外へ誘い出す。相手も自宅前で騒ぎを起こす訳にはいかないと乗ってくるはずなので、他の人間に危険が及ばない場所までおびき寄せてから悪魔を排除するのだ。
「……あ、」
来た、と千理は消え入りそうな声で呟き公園に入ってきた人影を見つめた。そこに居るのは英二と、資料で見た沢渡という男だった。いかにも普通の若者といった男が目の前を通り過ぎるのを離れた生け垣の後ろからこっそり見ていると、隣に居たコガネが「悪魔も一緒ですね」と小さく呟いた。
「……あ、そっか。私には見えないんだった」
「では少しだけ力を貸しましょう」
「え?」
その言葉に千理が振り向くと、同時にコガネの手によって目が覆われた。十秒と満たない短い時間でその手が離れると、コガネが英二達の方を指で示す。
「これで数分は見えるはずですよ」
「……え、ええ!?」
「千理、静かに」
思わず漏れた声に慌てて自分の口を手で塞ぐ。先程まで二人しか居なかったはずの場所にもう一人増えている。それも、銀色の大きな翼を背中に付けた明らかに人間ではない存在が。
初めて見た悪魔はまるでCGのように現実味が無かった。もう日が落ちて薄暗くなった公園の中で彼の銀色が随分と輝いて見える。
「……あれが悪魔」
「ええ。遠目からではどれほどの力を持つ悪魔か判別できませんが、逆に言えばこの距離で分かるほど強大な力は持っていないようです」
「あの、私は此処で大人しく隠れて居るのでコガネさんも戦いに加わった方がいいんじゃないですか?」
計画では戦うのは英二と愁だけの予定だ。今頃愁は悪魔に見つからないように千理達とはまた違う場所で待機しているはずである。
相手の力量が分からない以上万全の態勢で挑むべきだ。千理がそう思って提案するが、コガネは苦笑を浮かべて俯くように視線を下げた。
「僕では意味がありませんよ」
「意味?」
「僕は……悪魔の癖に戦えませんから」
『それじゃあ単刀直入に言わせてもらおう』
コガネの言葉に驚いているうちに耳元から英二の声が聞こえてきた千理はすぐにそちらに意識を向ける。離れていても状況が分かるようにと盗聴器を付けているのだ。
『沢渡翔。悪魔を利用して魔法陣を販売し、そして他人に犯罪を促した殺人教唆。調べは付いている、お前を拘束させてもらうぞ』
『はあ? おっさん悪魔なんて本気で言ってんの?』
『それだけ銀色の悪魔と仲良く並んでおいて今更何を言っている』
『……へえ。こいつのこと見えるやつ初めて見た。あんた何者?』
『霊能事象調査研究所……まあ要は、お前らみたいなやつらを捕まえるように警察に委託された者だ。大人しく連行されれば危害は加えない』
『だとさ、シルバー』
『ああ、仕方が無いな。それでは大人しく捕まるしかないか』
白々しく肩を竦めて笑う沢渡と悪魔。明らかに言葉通りになるはずがないと思った瞬間、千理の視界をいくつもの黒い影が遮った。
『大人しく――死ね』
黒い犬の様ななにか。実際には決して犬ではありえない、足が六本もある謎の異形が三匹。現れたのがその異様な存在であると千理が理解した時には、それらは既に大きな口を開けて英二に襲いかかっていた。
危ない、と叫ぶ間もない。叫んだ所でどうにもならない。ただ英二が異形に襲われるのを見ていることしか出来なかった千理達の耳に、しかし突如として短く乾いた音が数回響き渡った。
『で、誰が死ぬって?』
「……は」
現実では聞いたことが無くても映画やドラマではたまに耳にするその音――銃声を認識したその時には、既に終わっていた。
英二の両手にはそれぞれ拳銃が一丁ずつ、僅かに煙を吹いた状態で握られている。そして襲いかかっていた異形はというと、三匹とも地面に倒れ伏したまま動かず、そして数秒後には砂になるように消えた。
拳銃を取り出した瞬間も撃った瞬間も見逃してしまうほどあまりにも速かった。千理が唖然としていると、その表情を見てコガネが少し誇らしげな顔をする。
「英二は銃を使わせたら百発百中なんです」
「それにしたって片手ずつで……二丁拳銃なんて普通当たんないですよ」
「ええ、普通はね。でも――英二だから出来るんです。調査室に居た頃も英二ほど射撃に秀でた人は居ませんでしたし、弟子も沢山居ました。辞めた今だって時々指導を頼まれていますよ」
「そんなに頼られてすごいのに、どうして警察辞めちゃったんですか?」
「……色々あったんです」
『ほう、思ったよりやるようだな。魔獣がこうもあっさりとやられるとは、タダの銃では無いらしい』
『ちょ、シルバー! 大丈夫なのかよ』
『そうだな、困った。この男が殺せないとなると……とりあえず周囲の人間から殺してみるか』
「!」
千理達が話している間にも事態は進む。シルバーと呼ばれた悪魔はわざとらしい仕草で首を傾げてみせると、それと同時に彼の周囲に異形――魔獣が再び現れた。それも三匹どころではなく、十は余裕で越えている。
『一匹でも公園の外に出てみろ、どうなるかな。――さあ、行け』
『ギュウオオオオオン!!』
魔獣が濁った雄叫びを上げて放射状に散開する。そのうち半分以上は即座に英二が打ち抜くものの、全てに対応するのはとても無理がある。逃げられたうちの一匹はちょうど千理達の方向へと向かって来ており、見つかるのも時間の問題だった。
「千理、早く逃げ」
「大丈夫です。ほらあれ」
「え?」
魔獣が千理達の元へ辿り着くまで数メートル。コガネが逃げようと千理の手を引いたところで、不意に強風が二人を襲った。
公園の隅に置かれていた遊具に使われていた古いタイヤ。それらが浮かび上がったかと思えば次々と逃げそうになっていた魔獣達に隕石のように降り注いだのだ。当然千理達に迫っていた魔獣も彼らの姿を捉える寸前にタイヤの餌食となった。
『ほー、結構やるじゃねえの』
『イリス先輩に指導してもらったからな』
「ギャア!」と悲鳴を上げた魔獣達が一斉にタイヤに潰されるが消えることはない。動けなくなったそれらをリロードした銃で撃ちながら、英二は傍にやって来た愁を見上げてにやりと笑った。
『さて、もう一度警告する。大人しく捕まる気はあるか』
『……翔、先に戻れ。お前が居ては邪魔だ』
『そーかよ、分かった分かった。……早く戻れよ』
シルバーの目がすう、と細められる。それと同時に何処からともなく細剣を取り出して構えた悪魔を見た沢渡は、一瞬だけ心配そうな表情を浮かべた後公園の外へと走り出した。
英二達はそれを追わず、悪魔にだけ意識を集中させた。
――刹那、三者三様に動き出す。
□ □ □ □ □ □
沢渡に関しては放置して問題ない。既に警察から借りている人間が後を追っているはずだ。彼はそのまま捕まえずに泳がせておくことになっている。もし確保しようものなら魔法陣で繋がっている悪魔に気付かれてしまう可能性が高く、そうなると主を助ける為に問答無用で後を追うかもしれない。
周囲への危険性を鑑みても銀の悪魔は此処で対処するべきだ。特に今――こうして決定打を与えられずにじりじり戦いが長引いている現状、逃げられたら後を追うのは到底困難だろうと、英二は苦い顔をしながら飛び掛かってくる魔獣を撃ち抜きながら思考した。
「キリが無いな」
「ああ、何とか一発でも悪魔に届けばどうにか……」
普段は冷静な愁の表情も少々険しい。対悪魔用の銃弾は確かに効くが、悪魔本体に届く前に何匹もの魔獣が盾になって邪魔をするのだ。しかも魔獣は悪魔の魔力が尽きるまでいくらでも召喚される。恐らく相手の魔力が尽きるよりも英二の持つ銃弾が無くなる方が早いだろう。
相手が悪魔や魔獣である以上愁の攻撃も普通に当たるものの、それにしたって二人で相手取るには数が多すぎる。――嫌な状況だ。これ以上長引くとまずいかもしれない。
そんな考えが過ぎったちょうどその時、突如英二の右足に激痛が走った。
「っ、く」
時間切れだと悟ったと同時に足の痛みで体のバランスが崩れた。倒れそうになって慌てて地面に手をつくが、その隙を狙うように魔獣が牙を剥いて襲いかかって来る。
「英二さん!」
「構うな!」
英二に気を取られた愁にも魔獣が襲いかかる。彼は自分に向かう魔獣を無視して愁を狙う魔獣に銃を向け即座に撃った。同時に、眼前に魔獣に大きな口の中が見えた。
「英二!」
痛みを覚悟したその瞬間、不意に彼の体は背後に引っ張られ数センチの隙間を空けて鼻先で魔獣の顎が鋭い音を立てて閉じられた。
驚いたのは一瞬だった。すぐさま状況を理解した彼は弾かれるように背後を振り返り、そこに居た金色を視界に入れる。
「大丈夫ですか!」
「あ、ああ。何とか――」
「……何だ、随分と力の弱い悪魔がいるな。悪魔ではなく魔獣かと思ったぞ」
「!」
必死に英二を引き摺ったコガネは、酷く冷めた銀色の声を聞いてびくっと肩を揺らした。シルバーはそんなコガネを酷く冷めた目で見下ろし、剣を持つ右手を軽く上げた。次の瞬間、その場に居た魔獣の大半が一斉にコガネに向かって襲いかかる。
英二が咄嗟に銃を向けるが間に合わない。真っ先に飛び掛かった魔獣がコガネに突撃し数メートル吹き飛ばしたかと思えば、今度は倒れた彼に他の魔獣が餌に食らい付くように群がっていく。
「コガネ!」
「っ、」
魔獣に体を食い破られて血塗れになるコガネを想像した英二だったが、かろうじて薄い魔力の障壁に阻まれて魔獣の牙は届いていない。――が、それもすぐに消えてしまうだろうと分かるほどに弱々しい。
声を出す余裕など欠片もない、そんな様子の同族を見たシルバーは酷く呆れたように「雑魚だな」と呟いた。
「人間に戦わせて悪魔である自分は隠れていたと? 同じ種族だと思いたくないほどに弱い。視界に入ることすら不愉快だ」
一匹の魔獣の牙が障壁を突き破りコガネの腕に突き刺さる。このまま放っておけばすぐに死ぬ――悪魔に死という概念はないが、人間界に存在できなくなるほどに弱体化して魔界に強制送還される――だろうが、シルバーはそれを良しとしなかった。
自らの手で目の前の悪魔を消し去ってやろうと、彼は細剣を振り上げて一気に距離を詰める。
「死ね」
「それはこちらの台詞だ」
しかし、その判断が間違いだった。
剣を振り下ろそうとした彼は、その瞬間に凄まじい力でその腕を押さえつけられたのである。いや腕だけではない。全身を絡め取るように背後から羽交い締めにされ、全く身動きが取れなくなった。
「な――」
「愁、そのまましっかり押さえとけよ!」
「了解した」
現在、魔獣の殆どはコガネに群がっており、シルバーを守るようにしていた数匹も彼が突撃したことによって振り切られている。そして当のシルバーはというと――愁に背後から全身を使って押さえつけられており一切身動きが取れなくなっていた。
「しまっ、」
「もう遅い」
すぐさま魔獣が主を守ろうとコガネを置いて駆けつけるが間に合わない。英二は両手の銃を同時に悪魔の額に押し当てると、そのまま間髪入れずに引き金を引いた。
瞬間、銀の悪魔の頭が弾けた。叫び声を上げることなど当然出来ず、すっかり暗くなった公園に何度も銃声が響き渡る。そして二つの拳銃の弾が全て空になった頃――シルバーも魔獣も完全に姿を消していた。
一瞬の静寂の後、英二は酷く疲れて地面に膝をついた。
「愁! 途中で悪魔見えなくなっちゃったけど倒したんだよね!?」
隠れていた千理が愁に駆け寄ってくる。それを視界の端で捉えながら、英二は腕から血を流したコガネに右足を引き摺りながら近寄った。
「コガネ」
「英二……すみません、ろくに役に立てずに」
「十分役に立っただろうが。それにむしろ謝るのはこっちの方だ。残りの弾数が心許なかったとはいえ、お前が魔獣に襲われてんのに助けなかった」
魔獣を召喚した本人が消えればその魔力によって成り立っている魔獣も消滅する。だから英二はコガネを見捨てて大本を狙った。愁が悪魔の背後から近寄って来るのも見えたのでいけると思ったのだ。
しかし間に合わずに怪我をさせてしまった。英二は僅かに表情を険しくしながらコガネの腕を睨むが、それに気付いたコガネはむしろ少し誇らしげに笑った。
「囮になれたのなら幸いです。少しでも役に立てた」
「……あのなァ、役に立ったって言ったのはあん時お前が飛び出してきて俺を引き摺ったことだ。結果的に囮に使っちまったのは後悔しかねえよ」
「いいじゃないですか、所詮僕はその程度しか使えないのですから。むしろこれからもこういう役割なら出来そうで――」
「コガネ……いい加減にしろよ」
「……」
「もう二度と今回みたいなことはさせねえ。お前が囮になるような事態になる前に蹴りを付けるようにするからな」
そこまで言うと英二はふらつく体で立ち上がる。歩き出そうとしたところでまたよろめいたが、コガネが手を伸ばす前に愁と共に傍に来ていた千理がそれを受け止めた。
「おっも!」
「悪ぃな」
「何か右足庇ってますよね? でも怪我してましたっけ?」
「ちょっと後遺症があってな。日常生活に問題はないが長時間激しく動くとガタが来る」
「そういうことは今度から先に行っておいて下さい。もっと穏便に行く方法か短時間で制圧する方法考えますから」
「おー、頼むぜ。参謀さんよ」
「どんどん呼び名が追加されて行きますね……」
「千理、俺が運ぶから離していいぞ」
「ん、お願い」
「ちょっと待てお前どういう運び方するつもり……バカ、酔うだろうが止めろ!」
千理の手から離れた英二がふわふわと宙に浮く。一応地面と水平になってはいるが、時折コントロールを誤って足が上に上がって体がシーソーのように揺れ、英二は思わず口元を押さえながら叫ぶ。
「コガネさん、早く戻って手当しましょう!」
「……ええ、今行きます」
腕を押さえて立ち尽くしていたコガネが三人の後ろから歩き出す。俯いてしまうと、夜の暗さも相まってその表情を確認できるのは誰も居なくなった。
独り言が、夜に静かに溶けた。
「僕は……何も、出来ないんだ」