098
一行はシルヴィアの世界に向かっていた。
メンバーは警備のため城内に残ったエルロードと、興味のなさそうなガララスが抜け、主役であるアイアンが加わっている。
「シルヴィアの世界って、こう、狼とかが沢山いる森みたいなのを想像してるんだけど」
隣を歩くバンピーに耳打ちする修太郎。
バンピーは複雑な表情でそれに答える。
「いえ、主様が想像されている様相とはかけ離れた世界です。端的に言えば、私の世界よりも過酷で恐ろしい世界です」
バンピーの言葉に生唾を飲む修太郎。
全てが死に絶えたバンピーの世界よりも更に過酷となれば、想像するは〝地獄〟のような世界。そして、そんな世界にアイアンは行こうとしている――修太郎の脈拍が上がる。
「着きました」
先頭を行くシルヴィアが立ち止まる。
それまで黒のもやに包まれていた視界。それが一気に晴れたような感覚の後、目の前に巨大な分厚い門と〝闇〟がずっと続いているだけの空間が広がっていた。
門の風貌はアリストラスのそれに酷似しているが、しかしあまりに無骨、あまりに不気味。
「この暗い空間って……」
修太郎がその〝闇〟に触れてみる――
それは不思議な感覚で、触っている感覚は無いのに、その手が闇の先に伸びることはない。抵抗を感じないのに入れない。
まるで無意識下に自分が〝入るのを拒んでいる〟かのような、もどかしい気持ちよりも恐ろしい気持ちが勝り、修太郎は手を引っ込める。
「門をくぐらなければ入れません。求めなければ開きません。中を見ることもできませんし、中から出ることもできません。この門が唯一の往来場所です」
淡々と説明するシルヴィア。
扉には人の目線辺りに小さな穴が空いている以外、特別な装飾も何もない。一行がその穴の前まで来ると、シルヴィアはあっけらかんとした様子で穴を指差し言う。
「ここを開けるためには、自分の片目を穴に入れる必要があります」
「!?」
腰が抜けたように修太郎が尻餅をつく。
さらりととんでもない発言が飛び出したから。
「片目って、冗談だよね?」
「いえ? それしか開ける方法はありません」
長い前髪に隠れていた片目を見せるシルヴィア。
そこには鋭い爪痕が生々しく残っており、しかし彼女の美しい青色の瞳がある。
「私は一度玉座に座っているので、片目も返ってきました。アイアンも玉座に座れば目は元に戻ります」
不敵に笑うシルヴィア。
修太郎はアイアンを見る。
「でもアイアンの目は一つしかないよ!」
今は青色となっているアイアンの目は、修太郎が言うように一箇所しかない。過酷であると言われているその場所に、失明した状態で挑まなければならないのだ。
メギョ! と、嫌な音がした。
見ればアイアンの瞳があった場所は、ひしゃげたように陥没しており、その手には火花を散らして青の瞳が握られていた。
「なっ……!」
「主様、これが奴の覚悟です。ここはどうか行かせてやってください」
激しく動揺する修太郎の視界を覆うように片手で待ったをかけるバートランド。門の前では、アイアンが手探りでそれを穴へとはめ込んだ。
リォオオオオン!!!
電子音とも鐘とも違う不気味な音が響く。
すると門に血液が巡ったように赤色の何かが駆け巡ると、轟音を立てて開いてゆき、一行はその中を初めて見る事になる。
黒のもやが漂う、切り崩した山に無造作に墓標が刺さっているような異質な空間。
その先に黒のフードを被ったローブの集団が見えた。胸の前で剣を上に向けるように構えながら蠢いている。
「玉座に座る――というのは、名前も素性も全て消した〝無名の戦士〟を倒し続けるということ。この門を抜けた瞬間からお前は同じ姿形となり、名前や自分が何者であるかも忘れる」
赤い光に照らされたシルヴィアが語る。
彼女はその光景を、どこか懐かしむように眺めていた。
〝無名の戦士〟
かつては名だたる剣豪や貴族や冒険者だったり、熊のような魔物だったり、名工が打った戦斧だったり――それらがひたすら〝強さ〟を求めた果てにあるのがこの世界である。そしてこの世界では皆等しく、無名の戦士となる。
ここにあるのは果てしない〝闘い〟のみ。
それを超えられるのは鋼の〝信念〟だけ。
信念の無いもの、折れた者はたちどころに塵となる――そしてそれら全ての〝信念〟を打ち砕き、勝ち残った者のみが玉座に座れる。
怪しく光る赤色の瞳がローブの奥で揺れている。
ローブ達はシルヴィアとアイアンを赤い瞳で捉え、言葉にならない唸り声をそこかしこで上げる。喧々囂々としたそれらを見た修太郎は、ローブ達がまるで怨霊か何かのように思えた。
「アイアン……」
地獄のようなその場所に、光を失ったアイアンが一人、旅立とうとしている。修太郎は彼のため目一杯頭を使って掛ける言葉を考えた――
『主様に恩を返すため自分は何をすべきかを模索して剣闘士になる事と決めてましたからね』
『主様、これが奴の覚悟です。ここはどうか行かせてやってください』
バートランドの言葉を思い出す。
修太郎はしっかりとアイアンを見据えた。
「待ってる」
その声が届いたか否か――
門が音を立てて閉じると同時に、辺りは再び静寂に包まれた。




