024 s
閑散とした都市内を、ミサキは走っていた。
侵攻発生による影響がNPCにも反映されたのか、普段は賑やかな商店街や大通りには人っ子ひとり存在しない。
この世にいる人間は自分一人になったんじゃないか――ミサキがそんな錯覚すら覚えたのは、宿屋で受けた罵詈雑言の所為かもしれない。
(悔いはない。言わずに後悔するよりよっぽどいい)
乱暴に涙を拭きながら、ミサキは城門を目指す。
彼女は一人で坑道内に向かうつもりだった。
「自殺なら一人でしろ!」
「避難してない人がいるって、そんなの自己責任じゃない! こんな時にそんな場所にいるのがそもそも間違いよ!」
「侵攻を倒した後に紋章の奴等に頼めばいいだろ。女だからって甘えやがって」
同行してくれる人は皆無だった。
それどころか、この状況で坑道に行きたがるミサキを非難する者が多く、その場に留まるのが辛くなった彼女は飛び出したのだ。
(わかってる、それが当たり前なんだ。なんの訓練もしてない奴が火事の現場に飛び込むようなものなんだから。その現場に他人を引っ張り込もうとしたようなものなんだから。わかってる)
冒険者ギルドもダメだった。
他の宿屋も、同じような反応をされた。
「すまん、行きたいのは山々なんだがゲームの中では性別も年齢もステータスの上では無力だろう。自分の命が惜しいよ。君も――不憫なスキルを貰っちゃったね」
ある宿屋にいた男性に言われた言葉。
ミサキは唇を強く噛みしめた。
(そうだよ。気付いちゃったから、見ちゃったらもう無視できるわけないよ。私だって、何も知らないままだったらこんな気持ちになんて……)
城門をくぐったミサキは、この世界に来て初めてアリストラス周辺に位置する平原を見た。
青々とした草が、風に揺れる。
この風も、音も、匂いも紛れもなく作り物なのに、ミサキの命は今ここにあるからだろうか、そのどれもが本物のように思えてしまう。
坑道内に残された人だって、今はここに〝生きてる〟。
ミサキは自分の命を投げうって助けに行くことに、もう後悔は無かった――
生命感知に反応があった。
見ればそこにゲーム内最弱mobであるデミ・ラットが姿を表していた。
(これを倒せないようじゃ、坑道内で万が一襲われた時にも、何もできずに死ぬだけだ)
ミサキは背中に携えた初心者の弓を、震える手で掴み、矢筒から矢を一本取り出した。
矢尻が弦に嵌らない。
震える手を押さえ、深呼吸する。
つがえるのに四回も掛かった。
弦を引くと、耳元でキキキキという張り詰めた音が鳴り、両手と肩、胸、肩甲骨に負荷が掛かる――狙う先のデミ・ラットに現れた赤のサークルは、ほどなくして緑に変わる。
大丈夫、倒せる、大丈夫。
心を落ち着かせ、ミサキは射抜いた。
パン! という破裂音にも似た小気味良い音が、誰もいない平原に鳴り響く。
デミ・ラットのLPが半分ほど削れた。
デミ・ラットの瞳の色が赤へと変わり、己を攻撃したミサキに向かって、地を滑るように近寄ってくる。
怖い――本能がそう告げる。
およそ1m程の巨大な鼠が迫ってくる様は、日常生活ではまず味わえない迫力がある。命を脅かされる確かな恐怖がある。
「このッ! このッ!」
ドッ! 地面に刺さる矢。
狙いを定めなければ中たらないのがeternityの弓だ。素早く動く的に中てるには相応の技術を要する。
冷静に引き絞れば赤のサークルが緑に変わり命中の補助をしてくれるが、それら補助の性能も武器の性能やステータスに依存するため、動揺も相まってなかなか命中しない。
デミ・ラットがその鋭い前歯を剥き出しに飛び掛かってくる――その刹那、目を瞑ったミサキの最後の矢が偶然にも眉間に命中する。
デミ・ラットの前歯がミサキの肩に食い込む直前、まるで砂が崩れるように粒子を散らして消えてゆく。
「ふっ、ふっ、はっ……!」
尻餅をつきながら虚空を見つめるミサキ。
見開かれた目と荒い呼吸は、その戦いが彼女の中でいかに壮絶だったかを物語っている。
軽快な効果音と共に戦利品が視覚化されたログが表示される。その中にはミサキが高額で買う羽目になった〝デミ・ラットの尻尾〟の文字が並んでおり、ミサキは大きな溜息を吐いた。
(レベル差もあるのにこんなに厳しいの? 鼠の尻尾一つ取るのに本当に命懸けだ)
戦闘の厳しさを学んだミサキ。
それでも瞳の闘志は燃え尽きることなく、目的の場所――イリアナ坑道入り口を捉えていた。




